08,大好きな匂い


「メグ」

「んー……?」

「起こしてごめんね、でも到着したよ」


 誰……?


 重たい瞼を擦ろうとしたら、誰かに手を捕まれた。


「ダメだよ、目に傷がついてしまう」


 優しい声。低いけど怖くなくて、どこかフワフワしていて。


 ソッと目を開けると、麦畑のような金色が視界いっぱいに映った。


「おはよう、気持ちよさそうに眠っていたね」

「はい……?」


 なんで私、寝っ転がっているんだ。


 あ、そうだ、確か皇子殿下の迎えの馬車に乗り込んで少し話して……。


「もしかして私寝てました?」

「しっかり寝ていたよ。 あまりにも気持ちよさそうだから、そのまま寝かせてたんだ」


 しかも私、皇子殿下の膝を枕にしてる……?

 全身の血の気が引いた。


「も、ももももも申し訳ございません‼」

「なんでそんなに謝るの? むしろ可愛い寝顔が見られて役得だったんだけど」

「役得⁉」


むしろ罰ゲーム‼ はっ、涎垂らしてないよね⁉

 さりげなく皇子殿下の膝元を確認するが、パッと見染みはないようだ。やってないよな? やってないよなァ⁉


「このまま抱えて城の中に入ってもいいんだけど、初めて行くところだからメグも見ておいた方がいいかなと思って。疲れてるのにごめんね」

「こちらこそ大変申し訳ございません! 穴があったら入りたい……」


 抱えられるのは遠慮願いたい。むしろ起こしてもらってありがとうございます。


 開かれた馬車の扉の向こうは明るい。

 行き道と同じように皇子殿下は先に降りると、私に手を差し伸べてくれた。


「ようこそ、マーガレット・ペズー。

 心から歓迎するよ」


 私を待ち受けていたのは、見上げたら首が痛くなりそうな程高く美しい壮麗な城だった。



 皇子殿下にエスコートされるがまま城の中を進むと、様々な人の視線が突き刺さる。

 少しおっくうだが、隣の皇子殿下が私を隠すように前を歩いてくれるのでピッタリくっついていく。


「すごい沢山の人ですね……」

「ここは本城だからね。もう少しで抜けるよ。

 メグの別塔は全く人が来ないようにしてあるんだ。普段は静かに過ごせると思うよ」

「お気遣い頂きありがとうございます」


 正直、それが一番ありがたい。

 静かな森の中で過ごしてきた私は、人ごみに慣れていない。

 もう少しと言われつつ、中々終わらないメインロードに不安が高まる。


 元々近かった皇子殿下との距離を、半歩だけ近付けた。

 雇い主に無礼と思いつつ、離れたら確実に迷子になる自信しかない。


「うん、そうだね。迷子になったら困るから、こうやってずっと僕のそばにいてね」

「別塔まででお願いします」

「そんな遠慮しなくていいのに」


 迷子防止に遠慮もなにもないと思うんですが。


「本城を案内するのは、ここでの生活に慣れてからにしようか。


 さ、こっちだよ」

「手‼ 腰に手‼」

「迷子防止さ」

「初めて聞きました‼」


 おかげさまで、さっきまで寝ぼけていた頭はすっかり冴え渡った。

 さりげなく腰に回った手に方向を変えられると、本城の中に入ることなくメインロードから横道に逸れたのだった。


「ここだよ」

「わあ……素敵……」


 私の部屋が用意されているという別塔は、本城からそう遠くない場所にあった。

 あれだけ大久賑わって人の気配は無く、緑が多い。

 森の中とは違うけれど、落ち着いた雰囲気でとても親しみのある場所だった。


「ここへ決まった人しか入れないようにしてある、だから思う存分くつろいでね」

「どういう人がここに訪れるのですか?」

「メグのお世話係数名と、今のところは僕だけかな。もしかしたら僕の側近もたまーに来るかも」


 ……はい? なんて?


「私のお世話係とは?」

「身の回りの世話をする人だよ。着替えやら入浴やら……お茶の準備もしてもらうんだ」

「そんな! 私一人で全て出来ます!」

「ダメだよ」


 優しいけれど、有無を言わせない声。

 一瞬だけど、見てしまった。皇子殿下の綺麗なロードライトガーネットの瞳が仄暗く曇っていた。

 けどすぐに優しく緩んだ。私の見間違い?


「メグはここの生活に慣れていない。だからせめて慣れてからにしようね」

「は、はい……」

「ほら、見て! メグのためにハーブ畑や花畑も用意したんだ!」


 まるで子供みたい。さっきの目はやっぱり私の勘違いだったのかな。

 打って変わって、朗らかな笑顔を浮かべた皇子殿下が私の手を引いた。


「どう?」

「どうって……え、ええ……⁉」


 今日は驚いてばっかりな気がする。


 だってそうでしょ。私が実家で管理していたハーブ畑の何倍あると⁉

 しかも森でも中々お目にかかれない希少種まであるし‼ ここが楽園か⁉


 花畑はバラから野草に近い種類の花まで……毎日違うフレーバーのハーブティーが楽しめるし、新しい料理にも挑戦できる。それにお客さん好みのポプリの種類が豊富になるだろう。


 しかしここでまた疑問。しゃがんで植物の根元を観察する。


「この畑を作るのにどれくらいの時間がかかったのですか?」

「時間? あんまり覚えていないけど……五年くらい、かな」

「五年……」


 妥当だ。頷ける。


 何処からの畑から植え付けていてはこんな立派に根付かない、もっと弱々しく生命力がないだろう。

 しかしどうだ、ここの畑のハーブは全てが生の力に満ちている。私達占い師がこの畑を見たら、目を輝かせるだろう。悔しいがツボを突かれている。


 そこまでして占い師に縋りたかったのだろうか。


「気に入ってくれた? メグのおばあ様からずっと手紙で栽培方法を教えて貰っていたんだ。

 塔もずっとどういう設計にしようか長年悩んでいたんだけど、数ヶ月前にようやく完成したんだ」

「すいません、なんか情報が渋滞して頭の処理が追いつかないのですが、占い師は確かにハーブを好みますがここまでするのはいかがなものかと……」

「今日は疲れたよね、お昼寝の続きしようか」

「いやいやいやいや、専属占い師として一言言わせていただきますけど、流石にこれはやり過ぎですよ。占いのためにに時間をかけるなとは言いませんが、もう少しお金と時間の使い方を選んだ方が‼」

「それは後々でいいよ。まずは荷物を置いてこよう」


 さあこっちだよ、と手を引かれる。

 頭が痛くなってきた……。そんなに前から私の評判を聞きつけていたなら、なんでもっと早く……いや、そんな前から私はお客さんを取っていなかったような……?


「カルロ皇子」

「げ……」

「そんな露骨に嫌そうな顔をしないでください」


 ルンルンな皇子殿下の後ろに立っていたのは、いつぞやの無骨な男だった。たしかジェイラン、さんだったか。


「マーガレット嬢を迎えた後は公務があるとお伝えしておりますが」

「ちょっとくらいいいでしょ」

「よくありません。仕事が滞っているのでお戻りください」

「チッ」

「(また舌打ちした)」


 案外子供っぽいところがあるんだな、この人。なんてボーっとしていたら、フリーになっていた掌を掬われた。


「もうじきお世話係がやってくよ、それまで中で待っていてくれるかな」

「あ、はい」

「一緒に居てあげられなくてごめんね、夕食はこっちにくるよ、一緒に食べよう」


 そういって皇子殿下は私の手の甲にその唇を押しつけた。

 はー……都会の男、すげェな。


 後ろでジェイラン? さんが凄い顔してるのは触らない方が良いのだろうか。


 名残押しそうに何度もこちらを見る皇子殿下を見送って、私は現実逃避のためハーブ畑の匂いを嗅ぐしかできなかった。

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