第24話 本当のわたし
生後2800日目。わたしはその日を、ヘッセンシャール公爵領内で迎えました。
この季節、冬が短いヘッセンシャール領では、すでに春の気配が感じられます。
フレイクさんが領地を離れて王都に来ていたのは、公爵家を継いだ挨拶や書類上の処理、さらに儀式まで
それらが終わり、冬が来る前にヘッセンシャール領に戻るという彼に、
「一緒に来てほしい」
そう請われてわたしが家を出たのが、ちょうど生後2700日目のこと。
村を出て両親と離れるのに迷いはありましたが、それ以上にフレイクさんと会えなくなるのがつらかったので、彼の誘いを受けることにしました。
ヘッセンシャール領内では、わたしは『領主さまの婚約者』として扱われています。実際のところ、婚約はしていないのですが。
「おはようございます、姫様」
メイドさんの手でカーテンが開けられ、朝の光がわたしの部屋を照らします。
王都のお邸でつけてもらった5人のメイドさんたちは、今も全員わたしに仕えてくれています。
そのうち2人は王都で雇われた人だったのですが、ヘッセンシャール領に来てくれました。
ちなみにわたし、ここでも「姫さま」と呼ばれるようになりました。
前世にあった便利なシステムやグッズを、「こういうのがあれば良いですねー」的にフレイクさんに提案していたら、なぜか学者さんに相談を持ちかけられるようになり、いろいろ答えたり考えたりしているうちに、いつの間にか学者さんたちから「姫さま」と呼ばれるようになっていました。
それが定着して、いまではみなさんが「姫さま」と呼んできます。
そうそう。ヘッセンシャール城ではわたし、自分の部屋を与えてもらってそこで寝起きしているんです。
寝室はご一緒のはずですが、この城では『夫婦じゃないないならご一緒はダメ』なんだそうです。
別におかしなルールじゃないので、文句なく従ってますけど。
それにフレイクさんが、「幼女を寝室に連れこんでいる」といわれるのも嫌です。
わたしが嫌という話ですよ? 彼は「愛する人がまだ幼いというだけです。時間が解決する問題ですよ」などと、まったく気にしていないようなので。
メイドさんたちに手伝ってもらってお着替え。
フレイクさんはわたしがなにを着ていても褒めてくれますけど、幼女感たっぷりなフリフリのドレスより、すっとした飾り気のないものを好んでいるように感じます。
一緒に暮らし始めて100日ですから、彼の好みもいろいろわかってきました。
わたしは、フレイクさんが好き。愛していますし、妻になりたいです。
これはもう、はっきりとした感情に育ちました。
少しでも彼の役に立ちたいし、必要だと思われたい。
公爵として、城主として働く彼はとても忙しそうで、大変そうです。なのに時間を作って、毎日わたしのお相手をしてくれます。
お話をして、お散歩をして、食事を一緒に。いつも気をつかってくれて、褒めてくれて、優しく笑いかけてくれます。
好き、です。
大好き。
膨れ上がった想いは、すでにわたしの一部となって切り離すことはできません。
だけど、どうしても踏みきれない。
『あなたの妻にしてください』
そう伝えるだけで、わたしの願いは叶うのではないでしょうか。
わたしは、彼のものになれるのではないでしょうか。
なのに、です。
わたしは今も立ち止まったまま。彼が伸ばしてくれる手を、動けずに眺めているだけです。
◇
冬の終わり風が、春の匂いを含ませて流れます。
城の南に作られた林を散歩し終えると、
「ココネ」
フレイクさんはわたしの手をとって、
「昼食にしましょうか」
裏庭に家人が準備してくれたテーブルへと、わたしを引っ張っていきました。
わたしたちは席に着き、テーブルに料理が並べられます。
なごやかに進む食事。フレイクさんとの食事では、わたしが苦手な苦い豆は、一度頑張って食べて以降出て来ません。
誰かが「この豆、嫌いみたいですよ?」とでも進言したのかな。それとも、彼が気づいてくれたのでしょうか。
大好きな人との楽しい食事。
なのに、
『私は〈
楽しければ楽しいほど、始めて会ったときにつげられたその言葉が、頭の中で響きます。響くようになってしまいました。
(フレイクさんはわたしを好きになってくれたわけじゃなく、〈スキル〉が囁いた女を選んだに過ぎない)
考えないようにしようとしても、それはムリです。
わたしは彼に
この人の素晴らしさに触れ、自分の情けなさに打ちのめされる。そんな毎日です。
努力して美しく着飾ろうと、それらはすべてフレイクさんが与えてくれたもの。綺麗なドレスやアクセサリー、化粧品も、お風呂も。食事も住まいも教育も、すべて彼が与えてくれるもの。
学者さんたちが誉めたたえる知識も、『前世のわたし』のものです。わたしは、なにひとつ持っていない。
与えられるだけが苦しい。つらい。
だってそれは、彼が『〈スキル〉が選んだ女のために用意したもの』だから。
その女は、わたしじゃない。わたしとは思えない。わたしなのかもしれないけど、受け入れられない。
幼い
だからわたしに、彼へとさしだせるものなんてない。ただ与えられるだけ。
(わたしに、なにができる? どうすればわたしを見てもらえるの?)
最初は彼の求婚を、「めんどくさいことになったなー」と感じていたはずなのに。変われば変わるものですね。
あぁ、ダメだ。ダメだよ。
今はお食事の最中でしょ? 楽しくお食事して、楽しくおしゃべりして、午後のお仕事に彼を送り出すの。
笑顔で、いってらっしゃいって。
「ココネ。なにか心配ごとですか?」
いつの間にかうつむいていた顔を上げると、困ったような彼が目の前にいた。
ごめんなさい、そんな顔しないで。わたしはがんばって笑顔を作り、でも……。
彼の目が見れなかった。そこに映るのがわたしじゃなくて、『スキルが選んだ女』であることに、耐えられなかった。
「私が、悪いのですか?」
つらそうに響く、彼の言葉。
あぁ、ダメだ。もうダメ!
堪えきれなかった涙が溢れ出ます。
彼の前で泣くのはこれが二度目。初めて会ったときも、こうして涙を見せてしまった。
フレイクさんが、執事さんとメイドさんを下がらせます。彼らは頭を下げて、どこか見えないところに消えました。
わたしは喉を震わせ、えずき、子どものように号泣してしまいます。
だけど今のわたしは子どもですから、このような泣き方しかできません。
無言のフレイクさん。わたしの泣き声だけが空へと溶けていく。
そして、
「……ずぎ」
涙で歪んだ声。みっともなくて、恥ずかしい。
でもわたしは、涙まじりの幼い声で彼に告白しました。
「わたしは、フレイクさまが好きです。あなたの妻になりたい。あなたを誰にもわたしたくありません。でも、でもっ!」
そう、でもです。
「わたしは、わたしを選んでほしいっ! 〈スキル〉にじゃなくて、フレイクさまにわたしを選んでいただきたいですっ」
涙まじりだったから、ちゃんと伝わったかなんてわかりません。
その〈スキル〉だって彼自身の能力なのだから、彼がわたしを選んだのには違いないのに。
なのに、納得できない。
できていない。
わたしは初めての恋に振り回されるかっこ悪い女だから、かっこ悪くみっともなく、自分自身をさらしました。それしか、できなかったから。
女として未熟で、恋愛に関して本当に幼女のような心しか持っていない。そう思うとこれが、本当のわたしなんでしょう。
こうやって子どもみたいに泣き叫んで、自分の気持ちが大切で、自分が、自分がって……。
そんな、かっこわるい女なんです。
だからこれが、彼に伝つたえるべき真実。
「わたしは、フレイクさまにふさわしくありません」
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