プロローグ 工藤 辰巳編

 俺の名前は『工藤 辰巳たつみ』剣道部に所属している普通の中学2年生だ。

 

 剣道を始めたきっかけはありきたりなモノだった。未だに当時の夢を見てはうなされる事が有る。



 あれは俺が小学1年生の頃だ。


 目の前では兄が出てる大会の試合が始まっている。兄さんは7歳年上で俺が物心ついた時には兄さんの剣道の試合をよく両親に連れられて見に来ていた事を覚えている。


「ほら、お兄ちゃんの試合が始まるわよ。」


 母が兄を指差して俺に教える。

 言われなくても見えているし見逃さない。いや、見逃せないのだ。


「メェェェーン!」


 兄さんは試合が始まると竹刀の先で相手の竹刀を払いながら振りかぶり、そのまま綺麗に相手へ一撃を決める。

 相変わらず無駄のない「払い技」だ。一連の動きが淀みなく流れる様に決まっていく様は最早芸術だと小さい俺でも思った。


「流石はお兄ちゃんだ!凄いね!これで全国大会ってのに出場するんでしょ?」


 俺は両親に無邪気な笑顔で声を掛けていた。兄さんの剣道は身内と言う目線を抜いても異常な程の強さだった。中学2年で全国大会出場を決めたのだ。


「辰巳も剣道をやるか? お兄ちゃんも小学1年生から始めたんだ。お前もそろそろ始めて見ても良いだろう。」


 父が笑顔で言って来る。あの時の俺は自分も兄さんの様になれるのだと、あの芸術の様な剣道をできるのだと信じて疑わなかった無邪気な子供だった。 


「うん!僕もやる!絶対お兄ちゃんの様になるんだ!」


 やめろ! やめておくんだ!

 お前は兄さんじゃない!

 お前は天才じゃない! ただの凡人だ!


 心の中で叫ぶが記憶の中の俺は無邪気に喜んでいるだけだ。


「そうか!お前もお兄ちゃんの弟だからな!きっと凄い剣士になれるぞ!」


 記憶の中と解っているのに父の笑顔が眩しくて見ていられない。

 俺は兄さんの様な凄い剣士にはなれなかったからだ。


 

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「辰巳、そろそろ大会だろう。少し稽古をつけてやるよ。」


 兄さんは大学3年生になり、俺はあの時見た兄と同じ中学2年になった。中学に上がってからはたまにこうやって俺に声を掛けて来て稽古をつけてくれたりしているのだ。



「相変わらず軸が弱いな。簡単に崩せてしまう。それじゃダメだ。」


「兄さんが異常なんだよ、俺は全国レベルの選手じゃないんだから。」


「何を言ってるんだ、お前は素質が有るんだから後はそれを開花させるだけだ。俺が強くなるって保証してやる!」


 そうやって俺を励ますが、俺の試合での成績は個人で県大会出場が良い所だ。全国大会常連の兄さんに言われても説得力が無い。


「兄さんの技がもう芸術なんだよ!俺が出来る訳無いだろう!?」


「お前は技にこだわり過ぎだ。確かに相手を崩すのは基本だが崩し方は色々有るだろう?視野を自分から狭くするな。」


 そう言って兄さんが構え直す。もう一本来いと言う合図だ。


「お前は素振りだけなら俺よりも必死に毎日やっていただろう? だったら自分がやって来た練習を信じろ。」


「素振りだけだよ、結局俺はまっすぐ攻めるしか能が無いし。」


 そうだ、兄さんの様な芸術的な動きをしたいのだが自分には出来ない。駆け引きが恐ろしく下手なのだ。


「まぁ、お前は相手との駆け引きが下手過ぎるからな。もっと相手の呼吸、目線、心理を読まないと……。そうだ、1個だけ良い技を教えてやる。むしろこれは俺よりもお前向きだ。」


 そう言うとお互いに面を打ち合う。次の瞬間、俺の竹刀は兄の真っ直ぐな剣閃に押し負けて竹刀の軌道が逸れる。そして兄の竹刀が俺の面に吸い込まれるように当たる。


「今のが『切り落とし』って技だ。簡単に言うなら相手よりただ真っ直ぐ力強く撃ち抜くだけだ。相手の竹刀に沿って流すと言う払い技の1種でもあるが。」


「切り落としね……、兄さんだから出来るのであって、俺が出来る訳……。」


 兄さんは天才だ、だから出来るのだ。俺は努力しても一生そこには辿り着けないと解っている。


「やる前から出来ないと言うな。俺だって最初から全部できた訳じゃない。全部練習と努力を繰り返して身に付けたものだ。簡単に才能とか天才とかと言う言葉で片づけるんじゃない!」


 兄が珍しく俺に一喝した。確かに兄は努力家でも有るが、凡人からしたらその努力で超えられる壁の高さが違うのが才能だと思っている。だが、天才にはこの言葉は響かないのも知っている。


「解ったよ、練習してみるよ。」


「そうだ! よし、次の大会までには出来る様に特訓だ! あれだけ真面目に素振りを毎日してたんだ、絶対に出来る筈だ。」


 そう言って笑顔で再び竹刀を構える。結局大会まで部活の後にも兄さんシゴキの稽古が待つと言う地獄の様な1カ月を過ごす事になった。


 その結果、形だけでも出来る様になり、先生に褒められたのを覚えている。

 

 「愚直に自分を信じて鍛え抜かれた良い剣筋だ。お前の生き方の様だな。」


 先生はいつも朝の自主練や稽古後の居残りで素振りをしていた俺を見ていたそうだ。だからこの一直線に迷わず打ち込んでいくスタイルを俺の生き方の様だと言った様だ。


 俺からすると素振りは嫌な事を考えたくなくてやっていただけだ。

 今日は何故こう出来なかった。どうやったら兄さんの様な足運びや竹刀の動かし方ができるのか等の悶々とした考えをしなくて済むからやっていただけだ。


 昔から兄さんと言う理想像を見過ぎたせいか、理想の動きに追い付かない自分が嫌になる。どんなに頑張っても兄さんには追い付けない。





 そして新緑の季節の中、大会が始まった。


 会場に着くと先生の指示で着替えてウォーミングアップを始める。今日の調子もいつもどうりだ。良くも悪くもない。気合が乗ると言ったような試合は最初の頃だけだったなと今更ながらに思う。むしろ現実を突き付けられる様で憂鬱だ。


「午前は団体戦で、午後から個人戦だ。県大会出場目指して各自、気合を入れて行けよ!」


 先生が喝を入れて部員たちを鼓舞する。一応俺も乗ったふりだけをしておく。そして大会が始まった。


 団体戦は5チームでの総当り戦で上位2チームが決勝トーナメントに行く。残念ながらうちは2勝2敗で予選落ちだった。


 そして午後からの個人戦が始まる。一応県大会位までは行かないと、兄さんにまたどやされると思ってここは少し気合を入れて頑張った。そして無事に県大会出場を手に入れた。


 帰りのバスで先生の説教が始まる。何であともう少しで勝ち切れないとか、試合の考察をしながら改善点を上げていく。本当に生徒をよく見ている良い先生だと思う。


 だがしかし、俺がもっと気になるのは、バスの後の方から慣れない視線を感じる。 

 先生から目を離したら追加の説教が来るので確認できないのだが、ずーっと視線がへばり付いているのを感じる。若干恐怖も感じる。何だろうこの視線は。確認した方が良いのか悪いのか解らない!


 そしてその視線と同じものをたまに感じ続ける事になるのは後日談である。


 そしてバスを降りるときに先生が一言俺に声を掛けて来た。


「今日のお前の試合を見て、観客で感動してた奴がいたぞ。もっと自信を持て!」


 俺の試合を見て感動? 誰だ? そんな物好きな奴は。それに俺の剣道は人を感動させるような物じゃない。兄さんとは違うんだ。


 誰かを感動させれる様な剣道が出来ると愚直に信じていた俺はもう居ないんだよ。


 現実を知って絶望したんだ。今辞めてしまうと今まで自分を全部否定する気持ちになるから辞められなかっただけだ。


 先生も勘違いしている。辞めたいのに辞められないだけだ。

 

 俺はただ中途半端なだけだ……

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