0章 本編前

プロローグ 火神 聖編

 私の名前は『火神かがみ ひじり』どこにでもいる普通の中学2年です。


 ちょっと違うとすれば、私は生まれつき体が弱い、先天性の心疾患を診断されて激しい運動や、心臓に負担をかける行動が止められています。しかし、服薬で症状を抑えているので普通の生活には支障は有りません。



「文化部と部活動をしていない者は、必ずどこかの応援に行く事。絶対だぞ。決めたら先生に伝えてくれ、バスの配車名簿に書き込むから。」



 先生の声が梅雨の気怠い教室で聞こえて来る。大半の生徒は自分には関係無いと無関心の様子だ。自分が出る者、吹奏楽で応援が決まっている人の方が大多数だからだ。悩んだ姿を見せているのは美術部等のごく少数の文化部と私の様な帰宅部だ。


「どこに行こうかしら……、日差しが強いと無理だから室内競技よね。」


 いくら普通の生活に支障は無いとは言え、炎天下で長時間の大声を出しての応援は流石に心臓に負担が掛かりますからね。 


「座って室内で観戦できる部活って有ったかしら……?」


 悩みながら競技を見ていく、バドミントン、バレー、バスケ……どれも声援が大きいし、長時間の大声を出しての応援もきつい。

 

 皆はグループで固まって行き先を決めていく。私は中1の最初のグループ形成の時には休みがちだったので、いつの間にかグループ形成の輪に入れずクラスではいわゆる『ぼっち』なのです。


 そもそも初対面の人と上手く話せない性格も相まって余計に『ぼっち』に拍車がかかってしまったのです。一人でゆっくり考えよう。


「ん? 剣道部……?」


 確か何かのスポーツ番組で見た事が有るが選手が大声を出すくらいで、観戦は静かだったから応援する事も無いだろう。これにしよう!

 私は先生に希望を伝え、一安心して帰路につきました。


 この時はあんなにも衝撃的で一方的な出会いをするとは思ってもいませんでした。



 翌日は快晴で、午前からうだるような暑さになった。古いバス特有のカビ臭いエアコンの風が気持ち悪い。


 外は新緑の季節で窓から見える木々が太陽の光を浴びて今だけしかない萌える緑色が綺麗な景色なのですが、バスの中は剣道部の面子(もちろん男子のみ)に防具特有の臭いが車内の熱とバスの風によってほんのり臭って来ます。少し選択を間違えたと後悔したのは内緒です。


「よし、着いたぞー!全員更衣室に行ってさっさと着替えてこい!」


 顧問の先生が部員たちに指示を飛ばした後、私に声を掛けて来た。まぁ剣道の見学者なんて物好きは私だけだったようです。


「聖か、見学は壁側に寄って適当に座っていなさい。後、試合中の声援は禁止だ。打突、有効打等が入って応援する時は拍手のみだからな? 注意しろよ。」


 先生が念押しして来る。どうやら声援も相手へのヤジなども含め一切禁止で沈黙観戦がルールらしい。私にとっては好都合です。

 

 そして会場に近づくと竹刀を叩く音が段々と大きくなるのが聞こえて来ます。


「メェェェェン―――!!!」

「ヤァ!エイ!ヤァーーー!!!」


 気合の入った声に私は焦ったが、想像より声が凄い。野球部の声なんて比較にならない程です。この声量は何処から出て来るのでしょうか。


 しかし凄い熱気です、防具を付けている人たちは熱中症にならないのでしょうか? 私にはとても無理ですね。



 そして大会が始まり、選手達が背筋を正したキレイな礼をして試合が始まります。静寂の後の気合と打撃を瞬時に切り替えて戦っているさまは何とも言えない緊張感が伝わって来ます。


 しかし有効打の2本先取で勝ちなのは見ていて解ったのですが、1本の基準が解りません。当たっているだけではダメなのかな?


「真面目に見てるな。どうだ? マネージャーでもやってみるか?」


 顧問の先生が声を掛けて来た。多分私の体調を見るのも兼ねて来たのだろう。折角だ、質問してみよう。


「先生、1本の基準って何なのですか?」


 先生は質問が来るとは思って無かったのでしょう。少し驚いた顔をした後に、得意気に教えてくれた。


「剣道の1本は、一挙手一投足の間合いから『気・剣・体』の一致の有効打突、そして残心が有るものが1本だ。見ているとそのうち解る様になるさ。」


 一挙手一投足は何となくわかる、残心は何かの漫画で見た時に書いてあった、確か打ち終わった後も油断しない事だった筈。解らないのはキケンタイの一致? 危険帯?英語で言うならデンジャラスゾーン? 


 しばらく悩んでいたが、ギャラリーの応援の横断幕を見て数秒の沈黙の後、正しい漢字を理解しました。

 一人で笑いをこらえた自分が居たのは内緒です。下手に喋らなくて良かった。


 しかし横断幕の漢字を見ると難しい言葉が多い。「明鏡止水」「乾坤一擲」「残心」「一意専心」等だ、中二の私には年頃的にもカッコいい漢字だと思った。後で意味も調べておこう。

 「気・剣・体」も有ったが、見ると吹き出しそうになるので辞めておきましょう。しかし気になったのは「勝利」という文字だけは見当たりませんでした。


「横断幕が気になるのか?」


 先生がこちらの様子を見て声を掛けて来た。まだ居たんだ……。


「他の部活だと、『常勝』とか『勝利』とか有るのに、剣道は無いんですね。」


「剣道は相手に勝つのが目的じゃ無いからな。」


「勝つのが目的じゃ無い? スポーツなのにですか?」


 勝ちが目標じゃないスポーツってどういう事なのだろう?

 私が解らないでいると先生がそれを察して説明してくれました。


「解りやすく言うと、剣道で勝った時にガッツポーズをするとどうなると思う?」


「ぇ? 別に普通じゃ無いのですか?」


「一本取り消しで、その場で退場処分だ。」


「退場処分なのですか? 勝ったのに?」


 かなり意外な返答に驚きました。勝ったなのにそれだけで反則負け?


「剣道は剣術じゃない。人殺しの剣術ならそれでも問題無いだろう。だが剣道の『道』は人間形成の道だ。勝ち負けにこだわらず、周りに感謝しなさい。と言う考えだ。礼に始まり礼に終わるだな。」


「周りに感謝……ですか?」


 奥が深い先生の言葉に何となく解ったような解らないような感覚だ。自分では上手く正解を言葉に出来ないのは解る。


「自分を知るには相手が居ないと強いのか弱いのかも解らん。また、自分の成長も相手が居ないと実感できないだろう? 一人で稽古しても理解出来ないと言う事だ。」


「だから相手への感謝なのですね。でもそこまでは他のスポーツでも一緒じゃないですか?」


「言ったろ、剣道の『道』は人間形成の道だ。『道』とは相手に勝つのでなく、自分に勝つのが最終目的だ、相手はその手助けをしてくれる仲間だ、仲間への感謝と敬意は必要だろう? ともに切磋琢磨する相手への敬意が無ければそれはただの自己満足だ。」


「相手にではなく、自分に勝つなんですね。」


 奥が深いと思った、自分の生まれつきの体や性格の嫌な面ばかりを考えて相手を妬んでいた自分の心にこの言葉はトゲの様に突き刺さった。


「ほら、あいつの試合を見てみろ。あいつの剣道は本当にそう言う剣道だ。」


 先生が指さす方向を見ると、試合が始まろうとしていた。この試合が私のこの後の行動を決めたと言ってよかった。



「始め!」



 審判が合図すると二人が蹲踞そんきょの姿勢から立ち上がり気合の入った声を上げる。ここまではどれも一緒だ。違ったのはこの後の瞬間だった。


「「メェェェェンーーー!!!」」


 相手の選手の竹刀が動いた瞬間に、もう一人の選手の竹刀がそれに合わせて振りかぶり同時に声がする。そして美しい剣閃で相手の竹刀の軌道を撫でる様に弾きながら相手の面へと綺麗に吸い込まれていく。


 素人の私が見ても美しい剣筋だと言う事が解った。まさに一瞬の花火のような美しさがそこに有ったのだ。私は無意識で拍手を送っていた、ある一種の芸術を鑑賞したような心地だった。


「あれは切り落としと言う技術だ。相手の竹刀の横腹をなぞる様にしながら振り下ろす事で相手の竹刀は剣筋が逸れてこちらの竹刀だけが当たる。説明は簡単だが実際にやるには相当な練習が必要だ。」


 先生が説明してくれたが、私はすでに彼に見惚れていた。名前は書いてある垂れを見ると『工藤 辰』と書いてある。覚えておこう。

 そして二本目が始まるが、全く同じように綺麗な剣閃で試合が終わる。


「まぁ、あいつだけが強くても団体戦じゃ意味がないがな。」


 そう言って先生は笑いながら戻って行った。

 うちの学校の生徒だったんだ、全然知らなかった。どんな顔なんだろうと、試合終わって面を脱ぐところをじっと見つめる。


 面を脱ぐと剣道部らしいと言えばらしいスポーツ刈りで、試合直後のせいか若干目つきが鋭い、けどまぶたが二重のせいでそんなに怖い雰囲気は無かった。


 むしろ仲間と笑顔で語り合っている顔はとても優しそうだ。そして私は俄然と彼に興味湧いた。もしかしたらこれが一目惚れと言うやつだろうか?


 彼の剣道はどんな練習や稽古をして得た技術なのだろうか、人を魅了する、いや少なくとも私は感動すら覚えた、あの技術を身につけた人はどんな人なのだろう。生まれて初めて特定の人と話をしたいと言う感情が溢れて来た。


「同じ中学か、帰りのバスで話せたりするかな?」


 いや、絶対に話すんだ!最低限クラス位は聞かないと! 自分の中の感情に少し驚いています。そして色々考えながら帰りのバスに乗る時が来たのですが。





「……ですよね~。」



 やっぱり私はボッチで後ろの方の席に一人で座っていました。


 前の方で部員たちは纏まって先生からの反省会と言う名の説教を受けており、結局は何事も起きないまま家路についたのでした。

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