嵐のあとには、幸いを。

織田なすけ

暖かな一日

「船が壊れちまった……」


 さざ波が立つ眩しい海の傍で、白い髭をたわわに実らせた老爺ろうやはため息混じりに言った。隣には、見送りに来た彼の妻。いつものように漁へ出掛けるはずが、木造の小舟が真っ二つに割れていたのだ。


 悲しむ夫を老婆ろうばは慰める。


「昨夜の嵐が悪さをしたのね。もう随分と古かったし、仕方がないわよ」


 されど、若い頃からともに荒波を乗り越えてきた相棒である。当然、愛着もあって、すぐに立ち直れはしない。今日のところはひとまず船の残骸を集めて、どうするか考えようとの妻の提案に、老爺は大人しく従った。


 湿った砂浜に散らばる木片や、板材をヤシの下に運んでいく。二人で作業をしたおかげか、一時間もしないうちに片付けは終えられた。しかし、老爺がふと顔を上げる。


「そういや、船にあみを乗せたままだった。なぁ、見なかったか?」

「あら、見てないわ。海に流されてしまったのかしら?」

「それは困るな。網も大事な仕事道具だ。できれば回収したいんだが……少し探してみるか」


 もっとも、もう昼頃だ。妻は昼食を準備するために帰ったため、人手はない。


 昨日と変わらず海原を行く仲間の船。それを視界の端に入れながら、老爺は目を凝らす。ただし、海は濁っていて、ろくに見えなかった。近場に沈んでいるとしても、果たして……。


 バシャン!


 その音は唐突であった。ほんの数メートル先で、水飛沫が上がったのだ。最初こそ、単に魚が跳ねただけと考えたものの、波打ち際にて嬉しい発見をする。


「あれは――もしや!」

 

 ◇


 湯気が昇る鍋から器へと黄金色のスープを移す。仕上げにライムの薄切りを一枚浮かべ、刺激的な香りの立つ料理が並んだ机に加えた。昼食にしては少々豪華である。


 間もなく、「帰ったぞ!」と声が響いた。探し物をしていた夫だ。台所にいた老婆は落ち着いた声色で言う。


「お帰りなさい。ご飯できてるわよって、なんだか嬉しそうね? 網、見付かったの?」


 老爺は麦わら帽子を脱ぐと、胸を張って問いに答えた。


「おう! しかも、どういうわけか、カジキまで掛かってたんだ!」


 大きさを表すように目いっぱい腕を広げる。ちなみに、老爺の背は一八〇センチ近い。


「あらまぁ、カジキなんて珍しい。とにかく、お昼にしましょう」

「あぁ」と席に着くが、あることに気が付いた。「……なんだか、俺の好物が多いな」


 その言葉に、老婆は笑んだ。華やかな笑顔であった。


「悪いことのあとには、良いことがないと!」

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嵐のあとには、幸いを。 織田なすけ @bartholomew1722

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