第2話 記憶喪失
上官双晶はすぐに表情を元の無表情に戻す。
彼女はてっきり彼が自分の名前を教えてくれるのかと思っていたが、そうではなかった。彼はただ、にこやかに微笑んだまま、辺りを見回しながら言っただけだった。
「この屋敷はいかがです?」
「え?」
「特に深い意味はありません。ただ単に、聞いてみたかったのです。私は上官家で長年過ごしてきて、ごくまれに外へ行くこともあるのですが、それでもここへ戻ってくると家に帰ってきた、という感覚があります。ですが、あなたにはこの屋敷にどのような感情があるのかを聞いてみたくて」
彼女は首をかしげながら少しだけ考えてみる。しかし、自分の名前すらわからない彼女には、「家」というものが何なのかもよくわからなかった。
「正直、あまりわかりません。ただ、少なくとも、上官当主には親近感のようなものを覚えました。当主に薬を差し出されたとき、なぜか直感的にこれは私を害するものではない、とわかったくらいですから」
「そうですか。……そういうことなら、しばらくの間はここで過ごされますか? あなたさえよければ、私の養女として」
「いいのですか?」
「ええ、もちろん。では、本日よりあなたは私の姓である上官と、あなたの元の名前である景砂で、上官景砂と名乗ってください」
「はい。あの、ありがとうございます。私に名前を教えてくださって」
上官双晶はわずかに口角を上げながら首を横に振った。しかし、そのすぐ後で厳粛な面持ちに戻ってしまったが。
「とんでもない。景砂、という名前は、あなたの実の両親が付けたものですからね。少なくとも部外者は、勝手にそれを変えてはならないでしょう?」
「当主は私の両親を知っているのですか?」
「もちろん。ですから、本当のことを言うと、今すぐにでも本来の場所へ戻した方がよいのですが、正直今は安全ではありません。私の幼少期と比べてもはるかに危険が増えてしまいましたから。ですから、少しの辛抱と思って、しばらくの間はこの上官家にいてください。少なくとも、この家の中であれば外よりは安全ですから」
上官景砂はこくん、と頷き、お盆を持って扉から出て行く養父となった人物の後姿を見つめていた。
(なんだか疲れているように見えるけれど、大丈夫なのかな?)
翌日から上官景砂の部屋には二人の少女が増えた。上官双晶曰く雑用係ということらしい。彼女たちは上官景砂に話しかけることはなく、ただ決まった時間に部屋の掃除をしたり、食事を持ってきたり、庭の手入れをしたりするだけだった。
その日の夜、上官景砂は部屋の外に出た。ただ庭から星屑の散っている夜空を眺めるだけ。室内に居続けていると気が滅入る、と思って外に出てきたが、彼女の気分自体は大して変わらなかった。しかし、すぐに部屋に戻るのも癪だ、と思い、天上の無数の星を数えてみる。
(一、二、三、四、五……)
ちょうどその時、何者かが塀をよじ登る音が聞こえた。上官景砂はすぐに数えるのを止め、夜闇と同化してしまった塀を凝視する。
少しすると、塀のてっぺんから雪のように白い人間の手が現れ、そのすぐ後に菱珪玉が現れた。彼は周囲を見渡して、上官双晶がいないのを確認すると、軽々しく塀を飛び越えて庭の中に入ってきたのだった。
「やあ。また会ったね」
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