第4話 惜別
§1 弟思い
「お母さんも大変だろうけど、君は若いのに、いろいろな苦労をしているんだね」
今夜の相談員は高齢の男性みたいだった。
「お母さんや弟さんのことを思うと、君は自分を通せないものね」
よく分かってくれている。
「ボクも家は貧しくて、きょうだいが多かった。中学を卒業して都会に就職し、思い起って定時制高校に通った。結局、夜間大学を卒業したのは二八だったけどね。あの時代のこと、思い出しましたよ」
Yはすすりあげた。
「弟は、この夏、自殺しました」
相談員に沈黙があった。
「なんという…」
§2 失恋
弟は私立高校は不合格だった。地元の公立高校の工業科に入学した。
叔父さんは経費を全部出してやる、と言ってくれたが、ママは気兼ねした。結局、入学金や授業料は叔父さんに頼り、教材や実習着の費用などはママが出すことになった。
「けっこうかかったのよ。普通科にしとけばよかったのに」
弟が留守の時、ママがふと
弟は連休明けから、アパートに閉じこもるようになった。
連休前、同じ学校の普通科の女子に告白し、フラれた。女子生徒にはすでに付き合っている男子生徒がいた。話を聞いた男子生徒はSNSでバラしてしまったのだった。
こうして、弟がフラれたことは、連休中に多くの校友の知るところとなってしまった。
「もう、行かねえよ」
Yが朝、起こしに行っても、弟はふとんをかぶって動かなかった。
弟の持ち帰った実習着を洗濯し、ママが畳んでいた。Yは声がかけられなかった。
§3 ロマンス
弟はYやママが帰宅すると、入れ替わりに外出した。
Yは叔父さんからもらったバイト料の一部を弟に渡した。毎夜、出歩くので弟は小遣い銭に困るようになった。
「姉ちゃん、オレ、いいバイト見つかったんだ。自宅でできるんだぜ。もう、姉ちゃんに小遣いもらわなくて済むよ」
ある日、Yが学校から帰ると、弟が報告した。
なんでも、簡単な文章の入力作業らしい。
「いくつか見本があって、SNSの会員にメッセージを打ち込んで送るのさ」
熱心に入力しているみたいだった。やはり、夜は外を遊び歩いていた。
弟の部屋から何の気配もしない朝があった。弟は外泊したのだ。前例がなかった。
Yは気が気でなかった。帰宅すると、居間に弟の姿があった。
「姉ちゃん、オレ、まずいことになったよ」
弟は顔を腫らし、青あざをつくっていた。
「あのバイト、ロマンス
痛々しい顔を押さえ、弟は声をあげて泣き出した。
§4 手口
弟はSNSの会員になりすまし、めぼしい会員に友達申請をする。男性には女性会員として近づき、女性には男性会員役を演じる。何度かメッセージをやり取りした後、本題に入るのである。
いろいろな理由をつけて金を振り込ませる。弟の場合、中年女性から結婚資金として五〇〇万円振り込ませることに成功した。口座は組織が誰かから買ったもので、入金があれば、担当が即座に引き出す。ある時など、外国在住の富豪の未亡人になりすまし、八〇〇万あまりを立て替えさせたこともあった。
「だけど、なんで、そんなグループに近づいたのよ」
Yはあきれ果てた。
「毎日、退屈だったから、SNSの会員になったんだ。そのうち『特別会員』の案内が来て。非常にステータスの高い会員だから、ボクの場合、身元がしっかりしていることを確認したいって言うんだ。家族の氏名と勤務先、叔父さん・叔母さんの住所・氏名・勤務先を書いて提出すると、やっと入会が認められた。そのうち『君を信用して、大金の入るバイトを紹介する』って」
特別会員などとプライドをくすぐられ、果ては軽い気持ちで始めた闇バイトから、足抜けできなくなったのだ。
「見たこともないような大金が振り込まれるので怖くなり、辞めようとしたんだ。そうしたら『抜けられると思ってるのか。お前の親族にも危害を加えるぞ』と、夕べは事務所でボコボコにされたんだ」
§5 無念
「怖い話ですねえ」
相談員は声をひそめた。
「それが弟と過ごした最後の時間でした。『ママによろしく』って言い残し、弟は出て行きました。すでに、死ぬ決心を固めていたのでしょう。そのことに気づいていれば、力づくでも家に引き留めたのですが」
刑事が上京して来た。
遺書らしい簡単なメモ書きとスニーカーを見せられた。スニーカーは新しく、どこにでも売っているものだった。筆跡は確かに、弟のものだった。それらが絶壁の上に残されていたらしい。死体は上がっていない、ということだった。取り敢えず出しておいた失踪届けが役には立った。
「高校を中退して引き
ということ以外、Yは余計なことは話さなかった。刑事は足取り重く帰途についた。
「言葉がありません。せめて、弟さんが私たちに電話してくれていたら、お話を聴くことだけでもできたのに…。長く相談員をしていますが、こんなショッキングで哀しい話は初めてです。犯罪者のグループですから、万が一のことを考え、身の安全に十分ご注意ください」
相談員の声が震えていた。
「ありがとうございます。相談員さんのお仕事って大変よねえ」
Yは同情した。
「この電話はみんな、ボランティアなんですよ」
(それじゃ、報われないことばかりだろうな)
と、考えたが
「お疲れ様です。お休みなさい」
とだけ告げて、頭を下げた。
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