転ノ捌

<松田樹まつだ いつき>


 スリッ、スリッと草履が床をる音が、別館二階の廊下から聞こえてくる。その正体は、若葉色の着物姿をした市松人形である“女将おかみ”。150㎝の身長に加え、右手に柳葉包丁を手にしながら歩く様は、見る者に恐怖を与える。

 巡回するように廊下の真ん中を歩く女将。そんな彼女の後ろ姿を、松田はある一室から覗き見ている。

「まだ俺のこと探してるのかよ。しつこいな」

 松田は顔を顰めながら呟く。女将の追跡を一度撒いたものの、彼女はこの別館から離れずに徘徊しているからだ。

 松田が今いるのは、"207"と番号付けられた角部屋。その左隣は"206"で、そこから端の"201"まで五部屋並んでいる。そして、"207"を出てすぐ右側には、トイレに通じる通路と食堂へ降りる階段がある。

 女将は後ろに松田がいることに気づかないまま、前へ進んで行く。

(よし、そのまま気付かないでくれよ)

 松田は固唾を呑んで見守る。すると、彼は視線を斜め左上にある向かいの部屋へ移す。

(あの部屋は、"くわの間"。俺の部屋に来た高橋さんが確か、山本さんの部屋だって言ってたはず)

 松田はそう思い返した途端、眉を顰める。

(考えたくないけど、山本さんが中にいるなんてことはないよな。正直、あの人怖いし苦手なんだよな……)

「……流石にいるわけないな。どこか"首"を探しに行ってるはずだ」

 松田は不安な自分に言い聞かせるように呟く。そうして気を取り直すと、視線を再び女将へと戻す。

 女将は未だに松田に気付いていない。それを好機と見た彼は、忍び足で"桑の間"へと向かって行く。

(どうか気づきませんように……)

 松田は心の中で必死に祈る。それが通じたのか、女将に気づかれることなく、“桑の間”まで辿り着くことができた。

 松田は安堵から溜め息を小さく吐く。それから気を引き締め直すと、音を立てないようにドアをゆっくりと開けた。




 玄関から一直線に伸びる廊下。その突き当たりにある引き戸の前に着くと、引き手に指をかける。気持ちを落ち着かせるために深呼吸を挟んでから、ゆっくりと引いて開ける。

 眼前に広がるのは、静けさに包まれている和室。そこには誰もおらず、荒らされた形跡もない。

「さすがにいるわけないよな」

 松田は和室の入り口に立ちながら、苦笑いを浮かべる。そんな時、彼はあるものに興味をひかれる。

 それは、部屋の中央にある黒い座卓に置かれた赤い鬼のぬいぐるみ。頭には小さな角が二本生えており、黄色いパンツを履いている。大きさはラグビーボールほどで、右手には自身の上半身ほどの黒い金砕棒を持っている。そして、可愛らしい円らな黒い瞳と口を開けて笑っているのが特徴的である。

「あのぬいぐるみ、隣の“松雪草の間”にもあったな。俺の部屋にはなかったけど、別館には置いてあるのか?いや、そんなわけないか」 

 松田はぬいぐるみを見ながら、フッと口角を上げる。

「鬼にしては随分と可愛いな」

「私もそう思います」

「え?」

 松田は反射的に後ろに振り向こうとする。しかし、その直後に頭へ衝撃が走ったと同時に、ガシャンと大きな音が響き渡る。

「ぐっ!?」

 松田の口から戸惑いが交じった呻き声が漏れる。頭への衝撃で脱力感に襲われた彼は、畳へうつ伏せに倒れた。

「い、一体何が……」

「痛いですよね、ごめんなさい」

 顔を苦痛に歪める松田に降り注ぐ声。その主は、右手に砕けたガラスのコップを握り締め、不敵な笑みを浮かべながら彼を見下ろす山本だった。

「山本さん……?」

「はい、そうです」

「何でこんな……」

「何でって、松田さんが悪いからですよ」

「え?」

「あの中村って女と一緒にいるからですよ」

「中村さん……?」

 松田は困惑した様子で聞き返す。すると、後ろから畳を擦る足音が近づいてきていることに気づく。

「誰だ……?」

「俺だよ、クソ野郎」

 頭上から降り注ぐ低い声。その主は、仏頂面で松田を見下ろす佐々木である。そんな彼の右頬から左側頭部にかけて、赤く滲んだ白い布が巻かれている。

「佐々木さん、なんでここに?それに、その傷……」

「うるせぇよ。他人の心配してる場合か?」

 佐々木が口角を吊り上げる。すると、松田の両手をいきなり掴んで、後ろへ強引に回した。そして、両手首を押さえながら背中に乗り掛かった。

「ぐっ……」

「おい、これでいいんだろ?」

 松田が苦しんでいる中、佐々木は山本を見上げる。それに対し彼女は、妖艶に笑って見せる。

「はい、よくできました」

「ちっ!」

 佐々木が大きく舌打ちする、その時だった。


 ピンポンパンポーン。


『ゲーム開始から10分が経ちました。現時点での残り時間は20分です』

 木琴の軽快なメロディーの後に発せられたヨミサカのアナウンス。それを受け松田は、抵抗しながら叫ぶ。

「今の聞いただろ?こんなことしてる場合じゃないだろ!」

「……"こんなこと"、ですって?」

 山本の表情から笑みが消える。そして、冷たい目で松田を見下ろし始める。

「私はね、我慢ならないんですよ。あの女が生きてることに」

「さっきから何を言って……」

「だからですね、今から殺しに行ってきます」

「……は?」

 松田は唖然とする。突拍子のない話に困惑していると、山本が再び笑みを浮かべる。

「ここで待っててくださいね。佐々木さん、後はお願いします」

 山本がそう言うと、佐々木は不服そうに口元を歪める。しかし、彼女は気に留めることなく、彼らの元を離れて行く。

(ゲームそっちのけで中村さんを殺そうだなんて、そんなことはさせない!)

「待て!」

 松田は必死に抵抗しながら、山本の背中に向かって叫ぶ。しかし、その直後に佐々木が彼の口へ白い布で覆った。

「騒ぐんじゃねぇよ。"女将"が来ちまうぞ?」

「っ!」

 佐々木の言葉を受け、松田は口を噤む。何もできない悔しさと中村に対する懸念があるものの、拘束された彼には"黙る"選択肢しかなかった。

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