転ノ漆

<松田樹まつだ いつき>


 松田は、別館一階の食堂の階段を急いで上っていく。途中から息が上がり、下半身が疲労で重くなっていくのを感じつつも、彼は上り続ける。なぜなら、柳葉包丁を手にし、150cmもの大きさを有する市松人形こと“女将”が階下から迫って来ているからだ。

 松田は二階に辿り着くと、その場で両膝に手を突く。息切れに加え、激しい運動と階下から追跡されている恐怖によって動悸が激しくなっている中、彼は眼前の光景に意識を集中させる。

 橙色だいだいいろのシーリングライトに照らされている一本の廊下。奥へ一直線に伸びているその廊下は、人が三人ほど横に並べる幅で、左右にはいくつかの部屋が並んでいる。

――どっかの部屋に隠れるか?けど、そこで見つかったら逃げようがない。だったら、奥の階段まで走って一階に降りるか?でも、今は走って追いかけてこないだけで、本当は滅茶苦茶早かったらどうする?

 松田は、疑問が次から次に出てくることに苦悩する。迷いと焦りで冷静さを欠いている彼を嘲笑う《あざわら》ように、階段を上がってくる足音が近づいてくる。

——くそっ、どうすればいい!?

「……?」

 顔に焦りが色濃く出ている松田の目に、あるものが映る。それは、彼の左手前にある細い通路だった。

 廊下よりも人一人分狭いその通路は、トイレに通じている。その通路の左側に自動販売機が置かれた小さな空間があることに気づいた松田は、一つの作戦を思い付く。

――自販機の物陰から、この廊下が見える。あいつに俺があの部屋に入ったと思わせれば……。

 松田は思考を巡らせながら、後ろに振り返る。そこには、"松雪草の間"と書かれた表札が入り口に付けられた部屋がある。彼は試しにドアノブを捻ってみると、開いていることに気づく。

「……迷っててもしょうがない」

 松田は言い聞かせるように呟くと、両足のスリッパを脱ぐ。それをドアの前に置くと、背後の通路へ忍び足で向かって行く。そして、その通路の途中にある物陰に身を潜め、女将が来るのを待つ。

 これで良かったのかという不安に、見つかったら滅多刺しにされるに違いないという恐怖。それらが松田の心を蝕んでいくも、彼は気を張り続ける。

 そうして待っていると、若葉色の着物姿をした女将がやってきた。その姿が目に入った瞬間、松田の鼓動がさらに高まっていく。

——頼む、俺の考え通りに動いてくれ……。

 松田は固唾を呑んで見守る。すると、上がり切ったところで立ち止まっている女将の視線が右に動く。

 その視線の先は、“松雪草の間”の前にある一足のスリッパ。それを不思議そうにじっと見つめた後、ドアの前に歩いて移動する。そして、右手の柳葉包丁を逆手に持ち変えて頭上まで上げると、部屋の中へ入って行った。

――今だ!

 好機と見た松田は物陰から静かに出る。足音を立てずに廊下へ出ると、すぐ右にある階段を下り始める。

 緊張状態から一気に解放され、安堵の溜め息を吐く。

――何とか切り抜けられた。だが、あいつに見つからずに、この別館を探索しないといけない状況は変わらない。

 松田は憂鬱の溜め息を吐く。しかし、そんな彼に諦めるなんて選択肢はない。

「ここまで生き残ってきたんだ。絶対にクリアしてやる」

 松田は改めて気を引き締めると、下の食堂へ降りて行く。




<中村凛なかむら りん>


 中村は別館で松田と別れた後、高橋や清水と共に本館二階の探索にあたっていた。

 張り詰めた緊張感と静かさに包まれる廊下。そこに佇む中村たちは、正面の部屋を見つめる。それは、"すみれの間"という名前で、清水の部屋の真向かいに当たる角部屋である。

「あとはここだけね」

「下の階には無かったんだ。この階にも無いなんてのは、勘弁してほしいな」

 中村の右に立つ高橋が苦笑いを浮かべる。

「そうね。私たちの運の良さを信じましょう」

 中村が正面に目を向けたまま答える……、その時だった。


 ピンポンパンポーン。


『ゲーム開始から10分が経ちました。現時点での残り時間は20分です』

 木琴の軽快なメロディーの後に続くヨミサカのアナウンス。廊下に響くそれは、中村たちに動揺を与える。

「もう10分も経ったの?まだ何も見つけられてないのはマズイよね……」

 高橋が不安げな表情を浮かべる。

『尚、残り時間のお知らせは、10分経過毎に行われます。それでは引き続き、クリアを目指して頑張ってください』

 その言葉を最後に、ヨミサカのアナウンスは終了した。

「ぐずぐずしてられない。入るわよ」

 中村がそう告げると、高橋と清水が緊張した様子で頷いた。それを横目で見た彼女は、ドアノブを捻って中に入って行く。


 玄関から一直線に伸びている短い廊下。その突き当たりにある引き戸の前に着くと、中村は引手に指をかける。

 中村は、高橋と清水に目配せをする。彼らが静かに頷いたのを確認すると、引き戸をゆっくりと引く。そうして露わになったのは和室で、その光景に彼らは目を見開く。

「どう見ても棺桶だよね?あれ……」

「うん……」

 高橋の呟きに清水が答える。彼らが呆然としている中、中村は落ち着いた様子でいる。

 和室の真ん中に置かれた木の箱型棺。蓋がない棺の中には、姿が納められていた……。

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