転ノ陸
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中村たち三人と食堂にやってきた松田は、独りで厨房の探索を行っている。
その厨房は手入れが行き届いているのが分かる。床や壁は汚れ一つない白さを保っていて、ステンレスの作業台やシンクに皿や調理器具といったものはなく、食器棚の中に丁寧に収納されているからだ。
「ここには無い、か……」
松田は作業台に両手を突き、落胆の溜め息を吐く。
「探してるのは、こういうのじゃないんだよな」
松田の視線が左側を向く。その先にある白い床には、数滴の血が残されていて、何か物騒なことがあったことを示している。
「あれは一体、誰の血なんだ?」
松田が怪訝な表情で首を傾げる。
「とりあえず、高橋さんたちのところに戻るか」
松田は後ろに振り返り、正面先にあるドアに身体を向ける。そうしてドアに向かおうとした矢先、彼は何やら異変を感じて足を止める。
「何だか騒がしいな……」
松田は怪訝な表情を浮かべる。ここからでは、はっきりと聞き取れないものの、ドアの向こうで誰かが大声を上げているのが伝わってきたからだ。
「そんな騒いでたら"女将"って奴に見つか……、まさか!?」
松田の両目が徐々に見開かれていく。そんなはずはないと否定の声が頭に響く。しかし、彼は確かめずにはいられず、顔に焦りの色を出しながら駆け足でドアに向かって行く。
ドアの前に立ち止まり、片側のドアをゆっくりと押す。鼓動が徐々に早まっていくのを感じながら、僅かに空いた隙間から外を覗き見る。その瞬間、彼は驚愕し息を呑む。
「マジかよ……」
松田は唖然としたまま、何かをじっと見つめる。それは、若葉色の着物姿で身長が自販機ほどに及ぶ女の後ろ姿。彼女の右手には、妖しく光る柳刃包丁が握られており、松田は息を呑む。
「あれが"女将"……。っ、みんな!」
松田の顔に浮かぶ焦りの色が濃くなっていく。女将の左側には、恐ろしい表情を浮かべている高橋と中村が立っているからだ。
二人の視線は女将には向けられていない。向けられているのは、女将の正面にいる清水で、正に絶体絶命な状況に立たされていた。
尻餅を着いている清水の背中は壁に接しており、左右にはテーブルや椅子で囲まれている。逃げ場がない彼は、恐怖に顔を引き攣らせながら女将を見つめている。
「ああ……」
清水の唇が震える。それを嘲笑うように、女将は一歩ずつ近づいていく。その光景を女将の後ろから見ている松田は思考を巡らせる。
——このままじゃ蓮君が殺される。あの状況を打開するのにどうしたら……。
「……待てよ」
何かを思いついた松田は、後ろに振り返る。そして、シンクの方へと向かうと、側にある食器棚から皿を一枚取り出す。
「早くしないと……」
言い聞かせるように呟くと、再びドアの方へと向かった。
ドアの前に立ち、気持ちを落ち着かせるために深呼吸をする。
「よし……」
覚悟を決めた松田は、ドアを勢いよく押す。その瞬間、中村や高橋の見開いた目が彼に向けられる。しかし、これから行うことに意識が集中している彼の視界に入ることはなかった。
「おらっ!」
松田はフリスビーのように皿を投げる。それは真っ直ぐに飛んでいき、女将の後頭部へと直撃した。
ガシャンと大きな音が食堂に響いた後、辺りが静寂に包まれる。そんな中、松田たちは動きを止めた女将を固唾を呑んで見守る。
女将は松田に背を向けたまま、微動だにしない。しかし、次の瞬間、女将の首が突然180度回転し、松田の姿を捉える。
「なっ……、人形!?」
松田は驚きで目を見開く。人間だと思っていたのに、人形だとは思いもしなかったからだ。
女将の身体が清水から松田へと向く。女将は微笑んでいるも、手に持つ包丁と殺気のような空気を纏っている。その不釣り合いな要素が松田に不気味さと恐怖を与える。
——頭が蚊の化け物の次は、人間サイズの人形か。こいつがどんな動きをしてくるか分からないけど、やるしかない。
松田は視界の右端にある階段に目を遣る。そして、女将と向き合ったまま、後ろへゆっくりと下がり始める。
「おい!俺を殺してみろ!」
松田は声を大きくして挑発し始める。すると、女将は彼との距離を詰め始める。
——よしっ、誘いに乗ってきた。
松田の口角が吊り上がる。彼が下がるにつれ、女将が前に出ていく、そんな光景を前に中村は怪訝な表情を浮かべる。
「松田さん、何でそんなことを……、まさか」
中村の表情が驚きへと変わる。松田の意図を察した彼女は、尻餅を着いたままの清水へ駆け寄る。
「ほら、今のうちに!」
「う、うん……」
清水は狼狽えながらも、中村の助けを借りて立ち上がる。そして、彼女と共に高橋の元へ向かった。
「蓮君!ごめん、すぐに助けに行かなくて」
高橋が今にも泣きそうな顔で尋ねる。
「ううん……、僕は大丈夫だから」
清水が少し落ち着いた様子で答える。すると、高橋は安堵の笑みを浮かべると共に、溜め息を吐いた。
「まさか松田君、僕たちを逃がすために?」
「ええ、そのつもりみたいね」
高橋の呟きに中村が反応する。次の瞬間、向かいにいる松田がこちらに向かって、こう叫ぶ。
「みんな!そっちの方は任せた!」
「分かった!また後で!」
中村たちは声を張り上げて答えると、高橋たちと共に本館の方へ向かって行った。
松田は遠ざかって行く中村たちの背中を見つめる。
「よし、これでいい……」
松田は口角を吊り上げると、背後にある階段に足をかける。そして、後ろに振り返って階段を上っていく。
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