承ノ玖

<高橋大輔たかはし だいすけ>

第2ゲーム「自由への杯」

残り時間:7分


 高橋は驚きに満ちた顔でジャキに問う。

「どこでそれを?」

「フフフ。その驚きに満ちた顔、いいですねぇ」

 ジャキは声を弾ませる。人の苦しむ様から生じる笑み高橋に向けながら、彼は話を続ける。

「私は知っています。あなたたちがどんな人生を歩んできたのか。そして、なぜ死を選んだのかをね」

「っ!」

 高橋はジャキの答えに息を呑む。

「高橋大輔。あなたには半年前まで、妻と11歳の息子がいました」

「え?」

 ここで反応を見せたのは、清水だった。ジャキの長い首に上半身を縛られている彼は、唖然とする高橋と目が合うと、か細い声でこう呟く。

「僕と同い年の子供が?」

「ええ。生きていたら、あなたと同じ中学1年生でした。半年前の事故さえ無ければね」

「事故?」

「あなたも一度は聞いたことがあるはずです。ある高齢者が都心部で起こした暴走事故ですよ」

「…思い出した。ブレーキをアクセルと踏み間違えて男の子と女の人を撥ねて死なせた事故。まさかその2人がおじさんの…」

 清水が驚きに満ちた顔で呟くと、高橋はゆっくりと頷いた。その顔は悲痛に歪んでおり、清水は胸が締め付けられる感覚に襲われる。

「高橋さん…」

「…ああ、そうだよ」

 高橋が項垂れたまま口を開く。

「あの事故で、僕は何よりも大事な2人を失った。そして、どんなに辛くても元気にしてくれる暖かくて明るい家は、僕だけになった」

「…」

 清水は内容の悲惨さに口を噤む。

「犯人を憎み続ける日々に、僕は疲れたんだ。そんなことしたって、あの2人が戻ってこないんだから。…だから僕は、孤独な人生に終わりを告げたんだ」

 高橋は顔を上げると、寂しげな笑みを清水に向ける。それに対し清水は怯み、悲痛に顔を歪めながら目を逸らす。

「あの日、買い物に行く2人を笑顔で送り届けるんじゃなかった。無理にでも止めるべきだった。そんな後悔が今でもあるのさ」

「…」

「…蓮君。話を蒸し返してごめん。君は、いじめが理由で自殺を選んだの?」

「…そうだよ」

 そう答える清水の表情が曇り始める。

「それがどうしたの?」

「子を失った時の失望感と辛さは尋常じゃない。君のお母さんだって、きっと感じてるはずさ」

「それは…」

「神様は意地悪だね」

「え?」

 高橋が意味深な笑みを浮かべる一方で、清水は困惑した表情を浮かべる。

「どういう意味?」

「死んだ息子と同い年の男の子が目の前で助けを求めてたら、放っておけるわけないじゃないか」

 高橋は力強い声で答えると、目の前の黒い座卓を見下ろす。覚悟を決めたように顔を引き締めると、その場にしゃがみ込む。

「今度は、僕が助ける番だ」

 高橋は座卓にあるドスを右手に取る。その瞬間、恐怖が一気に増し、身体の震えが大きくなっていく。

「おじさん、もしかして…」

 清水が驚いた様子で呟く。すると、ジャキが嬉々とした声を上げる。

「おお、その気になってくれましたか」

「この子を救うんだ…」

 高橋はドスを睨みながら、自身を鼓舞するように呟く。

「お話は以上です。ゲーム再開といきましょう」

「残り時間は?」

「7分です。ちなみにですが、言い忘れてたことがあります」

「何?」

「クリアさえすれば、このゲームで負った傷は無くなります」

「それって…」

「ええ。このゲーム前の傷一つない綺麗な状態に戻るという意味です。例え、身体の一部が欠損しようとね」

「…ちょっとずつじゃ、クリアは無理だ。だったら…」

 高橋は覚悟を決めたように顔を引き締める。そして、座卓に左前腕を水平に乗せ、その手首にドスの刃を当てる。

「手首を切り落とすつもりですか。臆病者にしては大胆ですね」

「おじさん!そんなことしたら…」

「安心してください。」

 嬉々とした様子のジャキに反し、清水は動揺する。

「おじさん、僕のことはいいって」

「ありがとう、蓮君。君は優しいんだね」

「そんなこと…」

「でもね、僕はそうしたいんだ」

 高橋は清水に優しく微笑む。その直後、再び顔を引き締めると、ドスを頭上に張り上げた。

「はあ、はあ…」

 高橋の息が恐怖で荒くなっていく。中々振り下ろせずに固まっていると、突然雄叫びを上げる。

「うわあああ!!」

 叫んだと同時、高橋はドスを思いっきり振り下ろした。その刃は彼の左手首に食い込むと、真ん中らへんで止まった。

「ぐ…、あああああ!!」

 高橋の悲鳴が部屋に響き渡る。それと同時に大量の血が流れ始め、座卓を赤く染め上げていく。

 高橋の行動を目の当たりにし、清水は唖然とする。

「おじさん…」

「うう…」

 高橋は歯を食い縛って痛みに耐えている。一方のジャキは、血塗れの彼を見て愉悦に浸っている。

「いいですねぇ。血をもっと…、もっと見せてください」

「…まだだ」

 高橋は苦悶の表情で呟くと、左手首に食い込んでいるドスを引き抜いた。引き抜く痛みに顔を顰めながら、血に塗れたドスを振り上げる。

 座卓の血が滴り、畳を赤く染め上げていく。血生臭い光景を前に、清水は未だ唖然としたままでいる。

「もういいよ、おじさん。それよりも早く2つのグラスに血を注いでよ…」

「…まだ足りない」

 高橋は清水の言葉を無視し、ドスを強く握り締める。そして、歯を食い縛りながらドスを再び振り下ろした。

 ドスが骨に食い込み、高橋はたまらず悲鳴を上げる。あまりの激痛に意識が途絶えそうになるも、彼は気力で踏み止まった。

--このまま止まったダメだ!

「…うあああああ!!」

 高橋は再び雄叫びを上げると、ドスを引き抜く。そして、それを機に何度も振り下ろし始める。

 雄叫びを上げながら行った結果、左手首は完全に切断された。手首から先を座卓に残したまま、左腕をゆっくりと上げる。

「あとは…、グラスに血を注ぐだけ…」

 痛みと寒気に蝕まれながらも、高橋はグラスに左腕を伸ばしていく。しかし、その腕が届くことはなかった。

 途中で意識を失い、座卓に倒れ伏したからだ…。






「〜〜〜。〜〜〜」

 薄れた意識の中で聞こえてくる声。そして、肩を揺さぶられる感覚。

--誰かが僕を呼んでる…。

 そう聞こえた高橋は、瞼をゆっくりと上げる。声がする左側に顔を向けると、心配そうな表情の清水と目が合う。

「…蓮君?」

「おじさん!」

 清水は目を見開き、安堵のため息を吐く。

「目が覚めてよかった」

「途中で意識を失って、それから…、あっ」

 高橋は話している最中、左手のことを思い出す。そして、左手を顔の前に持っていくと、手首から先があることに気づき、目を見開く。

「左手が元に戻ってる。ってことは…」

「その通りです、高橋さん」

 そう答えたのは、清水の真後ろに立つジャキだった。

「ジャキ…」

「高橋さん、お見事でした。自分だけでなく、彼もクリアに導くとは」

「蓮君もクリア…、よかったぁ」

 高橋の顔が綻ぶ。

「本来なら、グラスに血を注ぐことがクリア条件です」

「あっ…」

 ジャキの言葉を受け、高橋の顔に動揺が走る。

「嘘でしたなんて言わないでよ?」

「そんな気はありませんよ。あの出血量ではグラス4つ以上は確実でした。それに、久しぶりにいいものを見せてもらったので特別です」

「それならよかった…」

 高橋は安堵から再び顔を綻ばせる。

「おじさん…」

 清水は複雑な気持ちで高橋と向き合う。

--赤の他人なのに、どうしてここまで。でも、今までの大人たちよりも安心できる。

「…助けてありがとう」

「こちらこそありがとうね。僕に勇気をくれて」

「おじさん」

「ん?」

「話したいことがあるんだ」

「どうしたの?」

「第1ゲームでのことなんだけど…」

  清水はそう切り出すと、緊張した様子で語り始める。その間、高橋の表情は穏やかさから険しいものへと変わっていった…。

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