承ノ捌

高橋大輔たかはし だいすけ

第2ゲーム「自由への杯」

残り時間:10分


 高橋は目の前の光景と状況に戦慄している。

 彼がいるのは、アナウンスで指示された“風信子ヒヤシンスの間”という部屋の和室。部屋の中央には黒い座卓があり、その上に4つの透明グラスが横に並んでいる。そして、左端の隣には、危険な雰囲気を出しているドスとまな板が並んでいる。

--これで自分の身体を傷つけて血を注げなんて…、僕には無理だ。

 ドスとグラスを行き来する目が恐怖に染まっていく。そのまま座卓の前に立ち尽くしていると、正面から視線を感じ顔を上げる。視線の主と目が合った途端、顔がさらに強張った。

 ベッドに座って彼を見つめるのは、身体が人間で頭は蛇という異形の存在-“ジャキ”。ジャキは1メートル以上にも及ぶ長い首で、その部屋の宿泊人である清水に巻き付いている。両腕ごと上半身をきつく巻き付けているせいか、清水の顔は苦しそうに歪んでいる。

「開始から1分経過しましたが、いつまでそうしてるつもりですか」

「…」

「はあ、困りましたねぇ」

 ジャキは何も答えない高橋に向かって失意のため息を吐く。 

「おじさん…」 

 清水が苦し気な表情で高橋を見つめる。すると、視線に気づいた高橋が彼と目を合わせる。

「清水君…」 

 高橋が恐怖に染まった顔で呟く。

「高橋さん。僕のことはいいから、自分のことだけ考えてください」

 清水がそう言った途端、高橋が目を見開く。

「何を言って…」

「元々死ぬはずだったから。それに、自分が助かるのに誰かが傷つかなきゃいけないんだったら、僕は嫌です…」

「そんな…」

 清水の言葉が高橋の胸を締め付けていく。

--自分の死より僕の心配だなんて。こんな優しい子が、どうして自殺なんか…。

 清水に対する悲しみと疑問が、高橋の顔をさらに悲痛に歪めていく。

「清水蓮君。君ほどの優しさを持つ少年は久しぶりに見ましたよ」

 ジャキが清水を見下ろしながら称賛する。しかし、彼は口を閉ざしたままで反応を示さない。だが、ジャキは不快さを感じることなく、高橋に視線を移す。

「さて、高橋さん。開始から3分経ちました。そろそろ始めないと、まずいですよ?」

「…」

 ジャキが催促するも、高橋は無言のまま動きを見せない。その姿にジャキは苛立ちを感じると、ため息を大きく吐いた。

「はあ。あなたの臆病さは、ヨミサカさんから聞いていましたが、ここまでとはね」

「…」

「前回は勇敢な松田さんや中村さんがいたからクリアできた。ですが、今回は臆病者のあなたしかいないんですよ」

「そんなのは分かってる!」

 高橋がジャキの諭しに苛立ちを覚え、思わず声を荒げた。煽られているように感じたという理由もあるが、自分の情け無さに対する方が大きかった。

「分かってる。でも、僕にはそんな勇気はない。松田くんたちとは違うんだよ…」

 高橋の尻すぼみになっていく答えを受け、ジャキは呆れて口を閉ざす。

--生きるために葛藤し、血を流す様を見たいというのに期待できそうもないな。…ヨミサカ様に知られたらマズイが、盛り上がるためには仕方あるまい。

 邪な気持ちがジャキの口角を吊り上げさせる。

「高橋さん。あなたに素敵な話をしましょう」

「え?」

「安心してください。話の間は制限時間を止めておきますから。聞けばきっと、臆病のままではいられなくなる」

「…どういう意味?」

 高橋は意味が分からず、困惑する。そんな彼を気にかけることなく、ジャキは口を動かす。

「今からお話しするのは、清水君のことです」

「…え?」

 清水の目が少し大きくする。急に話題に出されたことに驚き困惑していると、ジャキが頭上から見下ろし始める。

「高橋さん。彼は13才の少年で、今年中学生になったばかりです」

「それが何?」

「そんな彼が、なぜ自殺を選んだのでしょうか」

「そんなの知るわけな…、清水君?」

 高橋が清水の異変に気づく。強張った表情で下を見つめる様は、何かに怯えているように見えるからだ。

「どうしたの、清水君?」

「…」

 高橋が呼びかけるも、清水は何も答えない。すると、ジャキが不気味な含み笑いをする。

「フフフ、恐ろしいのですか?部員たちによるイジメを思い出して」

「っ!」

 清水が図星であるかのように目を見開く。

「イジメ?」

「ええ、高橋さん。彼は所属していた陸上部の部員からイジメを受けていたのですよ」

「そんな…」

 信じがたい話に高橋が驚く。すると、清水が唇を震わせながら呟く。

「止めて…」

「何を言ってるんですか。まだ始まったばかりじゃないですか」

 清水の懇願をジャキは鼻で笑い飛ばす。

「話す身としては変ですが、いいものではないですね。先生の目を盗んでは、走っている最中に足を引っ掛けて転ばせる」

「っ!」

「"プロレス"と称して殴る蹴る。しまいには、母に買ってもらったシューズをグチャグチャにされたんですもんね」

「…」

「もういい。辛そうにしてるじゃないか」

 高橋は苦しむ清水の姿に我慢ができず、制止を呼びかける。しかし、ジャキは無視して話を続ける。

「イジメだけじゃないですよね?先生に相談しても、まともに聞いてもらえなかった。しかも、余計に悪化したときた」

「…」

「残されてるのは、母親。でも、優しい君はできなかった。身を粉にして働いてくれている母親に、余計な心配はかけたくなかったから」

「ぐっ…」

「もう止めろって!」

「どうです、高橋さん。放っておけなくなったでしょう?」

「お前…」

「フフフ。そんな怖い顔しないでくださいよ。あなたは今、この子と同い年ぐらいの死んだ息子の姿と重ねてますよね?」

「なっ…」

 高橋の顔が驚愕に固まる。そんな彼の表情を見て、ジャキが口角を吊り上げる。

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