承ノ漆
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第二ゲーム「自由への
残り時間:3分
「ぐっ……」
松田は呻きながら、右手で左手首を強く握る。左手首に刻まれた傷から血が多く流れ、左右の手だけでなく座卓や畳まで赤く染めていく。
「うう……」
「なんで……」
中村は松田の呻き声を耳にしながら、唖然としている。松田の突発的な行動に理解が追いついていない彼女に対し、ヨウキは嬉々とした様子でいる。
「これだ。これが見たかったんだよ」
「これなら……、いけるはず」
松田は弱々しく呟くと、左手を前方に伸ばし始める。血を滴らせながら向かう先は、座卓に並ぶ4つのグラス。左端のグラスの飲み口に左手首を載せた途端、底に溜まっていた血に新たな血が注がれていく。
最初に付けた左前腕の傷よりも早く、血の水位が上がっていく。開始から30秒もしないうちに、水位はグラスの飲み口付近に引かれた赤い線にまで達した。
「まずは1つ……」
松田は弱弱しく呟くと、即座に右隣のグラスへ左手首を移動させる。注がれる速度は落ちることなく、水位をみるみる上昇させる。
「もう少し……」
「グハハハハハ!!いいねぇ、樹ちゃん!クリアは目の前だぜ?」
「……」
ヨウキが興奮するも、松田は構うことなくグラスを見つめる。しかし、その目はどこか焦点が定まっていないようで、中村は不安から彼に声をかける。
「ねぇ!」
「何?」
「さっきの言葉、どういう意味?君を見捨てたくなくなったって……」
「それは……」
「忘れたの?そんなことしなくていいって……」
中村は悲痛な面持ちで訴える。しかし、松田は虚ろな目で彼女を見つめるだけである。
松田はグラスに視線を戻すと、水位が飲み口付近の線にまで達していることに気づく。次の瞬間、ヨウキが拍手をし始める。
「お前は、これでクリアだ。おめでとう」
「……」
「おいおい、喜べよ。まあ、それどころじゃねぇか」
ヨウキが嘲笑混じりに話すも、松田はぼんやりとしたまま何も返さない。
「残った時間は2分。さあ、どうする?ここで終わりにするか、こいつを助けるために続けるか」
「……」
「ここで終わりにして!そうまでして私を助ける理由なんてないでしょ?」
「……」
中村が必死に訴えるも、松田は何も答えない。彼女が落ち着かない気分でいると、松田の口元がようやく動く。
「俺は……、ゲームを続ける」
「は?」
中村が唖然とすると、松田は彼女に微笑む。
「言ったろ……。君を見捨てたくなくなったって」
「なんで……?なんでよ……」
松田の発言が理解できず、中村は声を震わせながら呟き続ける。そんな彼女に対し、ヨウキは好意的な反応を示す。
「そうだよな。助けると言ったからには続けるしかないよな?」
「ああ……」
松田は囁くように答えると、3つ目のグラスへ左手首を移した。飲み口に載せたままだった2つ目のグラスは、あと少しで溢れるところまで血が注がれていた。
3つ目のグラスに血を注ぎ始めてから数秒後。顔色の悪さに加え、息が上がってきている松田の姿に中村は理解できず、困惑する。
「どうしてそこまで……」
「ここに来る前、両親のことを考えてた…。俺が自殺したと聞いて、今頃どんな顔してるんだろうなって……。中村さん、どんな顔だったと思う?」
「そんなこと……」
「泣いてたんだ」
「っ!」
松田が悲痛な表情で答えると、中村は目を見開く。
「泣いてた?」
「ああ。死んだように眠る俺の姿を見て嗚咽を漏らす両親…。想像だけど、本当のことに思えて涙が止まらなかった……」
「……」
「君の話を聞いて確信した……。君のお母さんも、俺の両親と同じように悲しんでるに違いないって」
「それは……、あっ」
答えに窮する中村が突然、何か思い出したような声を漏らす。すると、彼女の脳裏に一つの光景が浮かび上がり、再生を始める。
それは、実家で母の誕生日を祝う光景。中村
「今年で52歳ねぇ。それに凛が来年から社会人だなんて信じられないねぇ」
「単位が足りてればだけど」
「何よそれ。不安になるようなこと言わないでちょうだい」
「お姉ちゃんのいじわる〜」
「あははは、冗談だよ」
凛が悪戯っぽく笑うと妹は笑い、母は苦笑いした。それから笑い声が収まると、母は姉妹に優しい笑みを向ける。
「凛、
「急にどうしたの?」
「凛。お母さんね、あなたたちが元気に生きてるだけで十分なの。あなたたちくらいの時はね、お金とイケメンの彼氏がいればいいって思ってた。でも、あなたたちの母親になってからは、嫌なことや悲しみを掻き消してくれるあなたたちの元気な姿の方が、ずっと大切だもの」
「お母さん……」
母の誇らしげに告げられた言葉は、凛の涙腺を緩ませる。
「とは言っても、生活に困らないくらいのお金は必要だけどね」
「ちょっと、お母さん。いい雰囲気を壊さないでよ」
「はいはい。ごめんね、舞」
「『はい』は一回でしょ?」
「……はい」
母が唇を尖らせて答えると、舞と凛は声を上げて笑った。凛は笑っている最中、幸せを感じながらこう思っていた。
ずっと一緒にいられればいいな、と。
記憶の再生が終わり、中村は俯きながらぽつりと呟く。
「なんで……、なんで今になって思い出しちゃうのよ……」
「中村さん?」
松田が弱々しい声で呼びかける。
「……どうしてくれるのよ。あんたのせいで、死にたくなくなっちゃったじゃん……」
中村は声を震わせながらそう言うと、ゆっくりと顔を上げた。今にも泣きそうな顔で見つめることに松田は驚くも、微笑を浮かべて尋ねる。
「……会いたいよな?」
「……うん」
「今更何言ってんだってのは分かってる……。でも、会って謝りたいよな?悲しませてごめんって……」
「うん……」
中村は声を震わせながら、何度も小さく頷いてみせる。次の瞬間、彼女の両目から涙が流れるとともに、しゃくり上げ始めた。
松田の意識は、血を短時間に多く失ったせいで朦朧としている。視界が霞んでいく中で3つ目のグラスに視線を戻すと、血が赤い線にまで達していることに気づく。
あと一つ満たせば、中村は助かる。望んでいる結末まであと少しというところで、出血は治まり、ペースがかなり落ちていた。
「くそっ……」
「これはまずいねぇ、樹ちゃん。もう1分もないぜ」
これまで静観していたヨウキが揶揄う《からか》ように告げる。
「ここまで来たんだ、救い出してみろよ。その気にさせておいて、やっぱ無理でしたなんて胸糞悪ぃぜ」
「当たり前だ……」
「松田さん……」
中村は涙と鼻水に塗れた顔で松田を見る。彼女が不安そうに見つめていると、松田が座卓にある血塗れのドスを右手に掴んだ。
「なあ、ヨウキ」
「あ?」
「クリアすれば……、どんな傷でも治すんだよな?」
「それがどうした?」
「てことは、すでにクリア条件を満たしてる俺は死なないってことなんじゃないのか?」
「……ああ。その通りだ」
ヨウキが感心すると、松田は口角を上げた。そして、左手首に刻まれた傷から数㎝下にドスの刃を立てる。
「これで死んだら……、お前を殺す」
松田が笑顔で恨めしげに告げると、ドスを手前に思いっきり引いた。その瞬間を前に中村が驚愕すると、松田の左手首から血が吹き出すように流れ始める。
「ぐっ!」
「松田さん!」
呻く松田を前に中村が悲鳴を上げる。それに対しヨウキは、高らかな笑い声を上げる。
「グハハハハハ!!松田樹!お前最高だな!」
「まだだ……」
ヨウキの高笑いを気にすることなく、松田は左手を最後のグラスに伸ばす。
血塗れの座卓をさらに血に染めながら、飲み口に左手首を載せる。すると、血が勢いよく溜まり、水位を上げていく。しかし、それと同時に松田の意識が薄れていく。
身体を蝕む脱力感と寒気。ぼやけていく視界の中、泣きながら自分を見る中村の姿を捉える。何かを訴えるように口を必死に動かしているも、今の松田には届かなかった。
そんな状態にも関わらず、松田は彼女に笑みを向けて告げる。
「君もたすか……」
言葉の途中で意識は途絶え、座卓に力なくうつ伏した。そのまま身体が動かなくなったものの、血は流れ続けグラスの中を満たしていく……。
「おい、起きろ」
沈んでいた意識を引き上げるような呼びかけ。その声が耳に届いたと同時に、松田は瞼をゆっくり開く。
「うっ……、っ!ゲームは!?」
一瞬の戸惑いの後、松田は大きな不安で目を覚ます。目を見開いたまま顔を上げた途端、左側から「ククク」と聞き覚えのある含み笑いが聞こえてくる。そちらに顔を向けると、彼を見下ろすように立つヨウキの姿を捉えた。
「ヨウキ……」
「ククク、やっと目覚ましたか」
「ゲームは……、ゲームはどうなった!?」
「おいおい、まずは手当てしてやったことに感謝してほしいもんだな」
「手当て……?そういえば……」
松田はヨウキの言葉を受け、左前腕に目を向ける。前腕を回しながら見ていくと、3つの傷が全て無くなっていることに気づく。それだけでなく、身体を蝕んでいた脱力感と寒気が消え去り、体調が元通りになっていることにも気づく。
「約束は果たしたぜ。ゲームの結果だが、座卓の上を見れば分かる」
「……あ」
座卓へ目を向ける松田の目が大きく見開かれる。その目で見つめているのは、血塗れの座卓に並ぶ4つのグラス。それら全てに血が飲み口付近まで入っていることに気づいた途端、ヨウキが彼に告げる。
「お前ら二人、ゲームクリアだ。おめでとう」
「はあ、よかった……」
「おい、そこに突っ立ってないで何か言えよ」
「え?」
松田はヨウキの視線を追うように振り返る。その先には悲痛な顔で松田を見つめる中村が立っていた。
「中村さん」
「……あんたってほんとにバカね」
「え……」
「死を受け入れた人を助けるなんて、とても正気とは思えないわ」
「うっ……」
(相変わらず辛辣だな。まあ、彼女らしいっちゃらしいけど)
「でも、ありがとう。あなたに救われてよかった」
中村はそう言うと、優しい笑みを彼に向ける。初めて見せた彼女の笑みに松田は戸惑うも、笑顔で返してみせた。
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