承ノ陸

松田樹まつだ いつき

第二ーム 「自由へのさかずき」 

残り時間:7分


「私のことはいいから、アンタだけクリアしなさい……」

 中村が消え入りそうな声で告げると、松田は唖然とした顔で彼女を見つめる。

「何を言ってるんだ?それじゃあ君が……」

「助けてなんて言ってないでしょ?だから、私のことは放っといて……」

「そんな……」

「おいおい、そんなこと言っていいのか?」

 2人の会話に割り込む陰湿な声。その主であるヨウキは、肩を抱き寄せている中村を見下ろす。

「お前の運命は、そいつにかかってる。そんな突き放すようなこと言っちゃあ、助けてもらえねぇぞ?」

「構わない……。元々死ぬはずだったんだから……」 

 中村は遠くを見つめ、自嘲気味に笑いながら答える。彼女の虚な瞳と力のない笑みに、松田は思わず息を呑む。

「中村さん……」

「死ぬはずだった、ねぇ。だから死んでもいいってか。そう思うのは勝手だが、楽に死ねるなんて思うなよ?」

「どういうこと……?」

 中村が問い返すと、ヨウキの雰囲気が一変する。

「ゲームオーバーになれば、お前は俺に血を吸い尽くされる。刃物で刺して抉ったり、火で炙ったりと大きな痛みはない。だが、その分だけ苦痛を与える」

 ヨウキが普段と違うドスの利いた声で語り始めると、中村の顔が強張り始める。

「何の話を……」

「血が無くなっていくにつれ、力が抜けていく。さらに、疲労感と息切れが苦しみとなって蝕み、顔は死体のように青白くなっていく。死ぬまでの間、最低な気分を味わうのさ」

「それが何……?」

「苦痛から解放されたくても、中々死ねないんだよ。まあ、俺が簡単に死なないように調整してるからなぁ」

「あなた……、性格悪いってよく言われるでしょ?」

「グハハハハハ!!褒めてくれてありがとよ。どんな屈強な奴でも、苦しみが長時間続けば狂ちまう。「死にたくない」、「もう血を吸わないで」、「早く殺して」って泣きながら乞うようになるのさ」

「イカれてる……」

 2人の会話を聞いていた松田は、残虐行為を嬉々として語るヨウキに戦慄する。しかし、一方の中村は怯むことなく、口角を上げて答える。

「恐怖を煽ったって無駄よ……」

「ククク、その余裕はいつまで持つかな。というわけだ、樹ちゃん。こいつは死んでもいいんだってよ。良かったな、負担が減って」

「……」

「何だよ、浮かない顔して。あ、そうだ。2つのグラスに血を注ぎ切ったら、その時点で止めにしてもいいぞ。そしたらお前はクリア、傷は治してやる。まあ、こいつには死んでもらうけどな。さあ、どうする?」

「……」

 ヨウキが選択を迫るも、松田は何も答えない。彼は苦渋の表情を浮かべたまま、中村を見つめるだけである。


 松田の視線の先には、まな板に小指を下にして載っている左手。その手から一本だけ立つ小指の真上には、ドスを握る右手。その手は固まったままで、変化が一向に見られない。

「おいおい、さっきの勢いはどうした?一度中断されたくらいで萎えたのかよ、つまんねぇ」

「……」

 ヨウキが落胆の気持ちをぶつけるも、松田は何も返さずに俯いたままである。すると、様子を見かねた中村が口を開く。

「早くしなさい……。このままじゃ死ぬよ?」

「分かってる……。分かってる……」

 松田は左手を凝視しながら、うわごとのように呟く。そんな彼は、全てを諦めたような表情を浮かべており、中村は眉根を寄せる。

「早くしなさい!さもないと……」

「気になることがあるんだ」

「は?」

「君は、どうして自殺を選んだの?」

「っ!今は、そんな話してる場合じゃ……」

「分かってるよ。でも、どうしても気になるんだ」

 松田は真剣な眼差しを向けながら答える。彼の目には物言わせぬ圧が感じられ、中村は数秒躊躇った後、観念したように口を開く。

「……おもしろくない話よ」

 中村がそう前置きすると、伏し目がちに語り始める。

「投資詐欺。ニュースとかでよく聞くでしょ?」

「うん」

「私はね、それで人生を滅茶苦茶にされた……。だから、自殺を選んだの」

「なっ……」

 松田が内容に驚いていると、中村は寂しげな笑みを浮かべて続ける。

「私ね、母子家庭なの。お父さんが幼い頃に病気で亡くなってから、お母さんと妹の3人暮らしになった。お母さんは文句一つ言わず遅くまで働いて、私たちに笑顔で接してくれた。他の子たちに比べれば、貧しい方だった。でも、流行りのものが手に入らなくても、誕生日ケーキが一切れでも、私は幸せだった……」

「いいお母さんだね」

「……高校3年生の時、大学に行きたいと考えてた。でも、これ以上お母さんに負担をかけたくない気持ちがあった。ここまでこれたのは、お母さんが必死に働いてきてくれたから……。だから、私は決めたの。奨学金で大学に進もうって」

「……」

「私は必死に勉強し、奨学金で進学できた。それから卒業し、就職した私は実家を離れて一人暮らしを始めた。自分が稼いだお金で、お母さんに親孝行していこう、そんな気持ちがあった。だけど、現実は厳しいものね……」

「奨学金の返済か……」

「そう……。それだけじゃない。仕事のストレスや光熱費とかで、お金はほとんど残らない。親孝行どころか、自分に余裕が無い状態で毎日不安だった。そんな時、ネットで投資話を見つけたの。どうせ嘘に決まてる、そんな考えは当然あった。だけど、少しでも裕福になれるかもしれない、奨学金を早く返せるかもしれないなんて期待の方が大きかった……」

 中村は眉間に皺を寄せ、唇を噛む。

「それから一人の男を通じて、グループLINEに招待された。「今が投資の大チャンス」、「早くしないと後悔する」、そんな口車に乗った私は、借金してまで出資した。だけど、残ったのは100万円以上の借金だけ……」

「そんな酷い……」

「騙されたと気づいた私は、返すように迫った。でも、鼻で笑われるだけだった。警察に言っても、進展はほとんど見られない。親孝行どころか、とんでもない迷惑をかけることになった……。だから私は、自宅で首を吊ったの」

 中村は話し終えたように一息つくと、それから何も発しなくなった。松田もまた、呆然としたまま口を閉ざしている。

 

 中村の話が終わり、室内に気まずい静寂が訪れる。

「おい、あと3分しかねぇぞ。まさか、このまま終わりなんてねぇよなぁ?」

「……」

 ヨウキの不満げな声に、松田は節目がちのまま何も返さない。意気消沈したような松田の姿を見て、ヨウキは舌打ちをする。すると、松田が目を伏せながら、ぽつりと呟く。

「そうか。そんなことがあったんだね。お母さんは、まだ生きてるんだよね?」

「……ええ。それが何?」

「すごく悲しんでるよね、きっと……」

「?」

 ぶつぶつと呟く松田の姿に、中村は怪訝な表情を浮かべる。すると、彼が不意に口角を上げた。

「話聞いてよかった」

「え?」

「これで君を見捨てたくなくなった」

 松田がそう言うと、躊躇いなく左手首をドスで掻っ切った。

「なっ……」

「おお!?」

 松田の突拍子のない行動を前に、中村は唖然とし、ヨウキは興奮するように声を上げる。

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