起ノ肆

「これならもう、誰も死ななくて済むかもしれない」

 松田の発言に、高橋が驚いた表情で反応する。

「そんなのどうやって…」

「…」

 中村は眉一つ動かさず、黙って答えを待つ。

「あれに、答えがあったんです」

 松田が壁に目を向けると、高橋と中村が後を追う。それは、入り口から見て左側の壁に書かれた赤い文字列だった。


    →死


 な屠うくい

 に殺っるき

 もしたしは

 こたえみぎ

 た者続をの

 え達け 獣

 なはる は

 い も


「これ、最初の部屋からずっとあるやつだよね?何の意味もないように見えるけど」

「高橋さん、俺もそう思ってました。でも、本当にそうなのかっていう疑惑は消えなかった。だから、もう一度よく見てみたら、文章の上にある“死”と右の矢印がヒントだと気づいたんです」

「あの2つが?」

「はい。“”、これを同じ音の数字の“4”に置き換える。そして、4行目を矢印の方向に沿って読むと…」

「こ・た・え・み・ぎ…、答え右か!」

 顔を明るくさせる高橋に対し、松田は口角を上げて頷いた。

「すごい。すごいよ、松田君!」

「それより時間は!?」

 焦りを感じた松田は、入り口の方へ目を向ける。視線の先は、ドア上部に取り付けられた電光掲示板で、残り時間である“2:00”を表示している。

「俺が行きます」

 松田はそう告げると、次の部屋に続く黒いドアへ向かった。そして、ドア横にある2つのスイッチの前に立つと、左の方へ手を添える。しかし、その手は動きを止め、小さく震え始める。

 ようやく掴んだ攻略法。これが正解なら死を回避できる。しかし、違っていたらどうしようという恐怖が松田の頭を過ぎり、スイッチを押せずにいる。

--怖い…。でも、このままじゃダメなんだ!

 恐怖を必死に振り払うと、背後にいる高橋と中村に見守れながらスイッチを押した。

 次の瞬間、心臓の鼓動が一気に速まっていく。同時に緊張感が高まり、落ち着かない状態のまま、生か死のどちらかの運命が訪れるのを待つ。


 ガチャン。


 開錠の音が響き渡る。その瞬間、松田は緊張状態から一気に解放され、安堵のため息を吐く。

「…よし」

「よかったぁ…」

 高橋は安堵し、生還を喜ぶ。2人の間から和やかな雰囲気が流れ始めるも、中村が無表情のまま口を開く。

「喜ぶのは後にしてちょうだい」

「それは分かってるよ」

「ああ、そうだな」

 不服そうな高橋に対し、松田は真剣な表情で答える。そして、ドアノブを捻ってドアを開けると、高橋と中村と共に次の部屋へ進んだ。


 残り時間、1分50秒。松田たちは4つ目の部屋に入った直後、右側の壁に書かれた赤い文字列に注目する。


    ←死


悲は彼いかこ

しならけちの

かはのにくは

りだひえたこ

 悍めのちは

 しい地の

 くは


「答えは…、左か」

「うん、左だね」

 松田の呟きに、高橋が明るく同意する。

「犠牲者を無理に選ぶ必要は無くなったのね」

「ああ、このまま進めばクリアだ」

 中村の呟きに、松田が意気揚々と答える。

 答えを得た3人は、次の部屋へ続くドアへ向かった。そして、ドア横にある2つのスイッチの前に松田が立つと、迷いなく左の方を押した。その瞬間、ガチャンと開錠の音が響いた。

「よしっ!」

「やった!」

 松田と高橋が歓喜の声を上げ、ハイタッチをする。

「これなら誰も死なずにクリアできる!松田君のおかげだよ、ありがとう」

「とんでもないです。みんなで生きて出ましょう」

「うん!」

「…そうね」

 高橋は笑顔で何度も頷くのに対し、中村は相変わらずの無表情で小さく頷くだけだった。


 残り時間、1分30秒。

 室内は薄暗く、不気味さと恐怖が混じった雰囲気に包まれている。しかし、その場の3人には及んでいない。攻略法を得たことで、彼らの気持ちが明るくなっているからだ。

 部屋に入って早々、余裕の笑みを浮かべる高橋が右側の壁に目を向ける。すると、彼の顔から笑みがスーッと消えていった。 

「…何これ」

「嘘だろ…」

 松田は目を見開いたまま、呆然と立ち尽くす。なぜなら、壁に書かれているはずの文字列が、矢印と“死”を除いて赤く塗りつぶされているからだ。


    →死


■■■■■■■

■■■■■■■

■■■■■■■

■■■■■■■

■■■■■■■

■■■■■■■

■■■■■■■

■■■■■■■


「そんな、ここまで来たのに…」

「最後は結局、運ゲーってことね」

 高橋が絶望していると、中村が追い打ちをかけるように呟いた。

 クリアを目前に、突如現れた壁。それは彼らの希望を打ち砕き、部屋に入った時の明るい雰囲気を吹き飛ばした。

 室内が静寂に包まれる中、中村が口を開く。

「私が行く」

「え?」

 呆然としたままの高橋が反応する。

「今行けば、ゲームオーバーは免れる」

「どういうこと?」

「残り時間は1分20秒。今なら間違いのスイッチを押しても、20秒は残る」

「それってつまり…」

「あんたたちが逆のスイッチを押して、脱出すればいい」

「そんなのはダメだ!」

 高橋が声を張り上げると、悲痛な顔で続ける。

「ここまで来れたんだ。もう誰かが死ぬのなんて見たくないよ…」

「けど、方法がない。それに、よかったじゃない。自ら生贄になる人がいて」

「っ!それは…」

「そうでしょ?松田さん」

「…」

 松田は沈痛な表情を浮かべたまま、何も答えない。

「文句はないようね。それじゃあ」

 中村はそう告げると、外へ通じるドアへと向かった。

 松田はモヤモヤした感情を抱きながら、中村の背中を見つめる。

--本当にこれでいいのか?ここまで来て運ゲーで終わるとは思えない…。

 そんな疑問が浮かぶと、壁の方へ目を向けて考えを巡らす。

--なんで文章だけ塗りつぶされている?矢印だけ残っている理由は何だ。

 晴れない疑問に頭を悩ませ続ける、その時だった。

「…そういえば」

 ぽつりと呟いた松田の脳裏を何かが過ぎる。それは、これまで見てきた赤い文字列たちだった。

--最初の部屋は左で、2つ目は右。3つ目も右で、4つ目は左。それぞれの正解のスイッチは…。

 そうして思い出していくうちに、あることに気付いて目を見開いた。

「こんな簡単なこと、なんで気づけなかったんだ…」

 呆然と呟いた後、中村の方へ目を向ける。その時、彼女はすでに左側のスイッチに手を伸ばしていた。すると、松田が彼女に大声で呼びかける。

「押すな!」

「は?」

 中村はスイッチを押そうとする手を止め、後ろに振り返る。すると、背後から迫ってくる松田の姿を捉え、眉間に皺を寄せる。

 松田は中村に睨まれるも、構うことなく進んで行く。そして、スイッチの前に着いた途端、右側のスイッチを迷いなく押した。

「なっ、あんた…」

 ガチャン。

 中村が驚いた直後、解錠の音が響き渡った。彼女は唖然とし、後ろで怯えていた高橋も同じ反応を見せる。

 松田は両目を閉じ、大きなため息を吐く。

「…よかったぁ」

「あんた、まさか正解が分かって…」

「ああ。すごく簡単なことだったんだ」

「簡単なこと?」

「あの壁に書かれてた矢印自体が正解を示してたんだよ。思い出してみろ、今までの正解と矢印の向きを」

「…あ」

 中村は驚くと共に納得すると、鼻で笑った。

「壁の文章から答えを得ていた私たちは、それが見えなくなってパニクった。だけど、正解と矢印の向きがずっと同じだってことを思い出せばいいだけの話だったのね」

「ああ。だから、気づくのに遅れてしまった」

「これで、クリアなんだよね…?」

 背後で聞いていた高橋が、信じられないような顔で尋ねる。松田が口角を上げて頷くと、高橋は泣きそうな顔をして呟く。

「よかったぁ。役立たずでごめんねぇ…」

「そんなことないですよ。それより、早くここから出ないと!」

 松田はそう告げると、すぐさまドアノブを捻って開けた。そうして開かれた先には、霧に覆われた野原が広がっていた。

 そこがどこなのか、何があるのか分からない恐怖。それにより躊躇いが生じるも、松田たちは意を決して踏み込んだ。残り時間20秒と一人の老婆を置いて。


 


 野原を覆う霧は濃く、前がはっきりと見えないほどである。生物の気配すら感じない、そんな不気味な場所に立たされた3人は、不思議な気持ちで後ろの林を見つめていた。

「僕たち、あの部屋から出てきたんだよね?」

「はい」

 松田が高橋の問いかけに応じる。

「じゃあ、なんでドアどころか建物すらないの?」

「何が何だか、さっぱりですね」

 松田が困惑した顔で答える。

「まさに、どこでもドアだね。いつか使ってみたいなんて思ってたけど、こんな場所に出るなんて」

「全くです」

「なら、スタート時点の方がよかったですか?」

 会話に混じってきた男の声。松田たちが驚いて振り返ると、そこには白い衣装に、赤い仮面を付けた男が立っていた。

「うふふふ。驚かせてしまい申し訳ございません」

「お前は、ヨミサカ…」

「おお、松田様。覚えてくださって嬉しい限りです」

 ヨミサカが会釈するも、松田は険しい顔でいる。すると、ヨミサカがくすりと笑って続ける。

「そんな怖い顔しないでくださいよ。ゲームクリアしたんですから、喜んでくださいよ。ほら、中村様も仏頂面なんてしないで」

「余計な一言よ」

「うふふ、それは失礼。高橋様もほら、いつまでも怯えた顔してないで」

「うっ…」

「うーん、可愛らしいですねぇ」

「おい!あんたの目的は何なんだ」

 会話を遮るように、松田が声を張り上げる。すると、ヨミサカが彼に顔を向けて答える。

「そう慌てないでください。

「次の会場だって!?これで終わりじゃないのか!?」

 高橋が声を張り上げて尋ねると、ヨミサカは不気味な笑い声を漏らす。

「まだまだ続きますよ。ほら、向こうに見えるでしょ?」

 ヨミサカは振り返って、遠くを指差す。すると、霧が徐々に晴れていき、彼らの前方遠くに大きな建物が見えてきた。

「あれが次の舞台である旅館です」

「旅館…?」

「そうです、松田様。そこで疲れを癒し、ゲームに参加していただくのです。それでは皆様、ご案内させていただきます」

 ヨミサカが松田たちに向かって、会釈をする。しかし、彼らは何も答えず、ただ呆然とするだけだった…。

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