002 刺客

 わずかな私物を背負い袋に詰めこみ、俺は王城を後にした。


 酒など一滴も飲んでいないのに、頭が割れるように痛む。足もふらつき、立っているのも辛いが、少しでも早くこの城を、都を離れたかった。ここには嫌な記憶が多すぎる。


 賑わう町の中を、誰と会話するでもなくとぼとぼ歩いていると、自分が世界から忘れられた存在に思えた。


 事実、城門にたどり着くまで、仮にも勇者パーティの一員だった俺に気づく者は誰もいなかった。魔法使いのローブを旅支度に着替えたせいか、みんな浮かれているためか、平民の俺など所詮は勇者様のオマケでしかなかったのか、あるいはその全部か。

 もっとも、そんなことはもうどうでもいいことだった。何もかもがどうでもいいことだった。


 城門では勇者が待っていた。例によっていやらしい笑みを浮かべてだ。


「へっ、ようやく役立たずに足を引っ張られる日々から解放されるぜ。正直、お前を叩き斬ってやりたいと思ったのは一度や二度じゃねぇ。でもまぁ、さっきも言ったが俺様はどこかの無能と違って器がでかいからなあ? 不本意だが一度は使ってやった子分だ、格別のお情けをもって見送ってやる」

 そう言う勇者ではあったが、その目にはもちろん暖かいものなど欠片も見当たらない。


「どこかの田舎町にでも行って、俺様の英雄伝説をせっせと広めろ。あ、でも凱旋パレードには来いよ? なんたって、俺様と王女殿下の婚約が発表される予定だからな。ザコのお前とは違う、栄光の世界の住人である俺様の姿を、とくと目に焼きつけな。少しは幸運のおこぼれがあるかもしれないぜ? プヒャーッハッハッハ!」


 たいして頭の回らない、戦いではチームワークも何もなく大声を上げて突撃するしか能のない男なのに、嫌味は次から次へと思いつくものなんだなと、俺は奇妙に感心した。

 何も言い返さなかった。そんな気力は残っていなかった。俺は勇者の嘲笑を背に受けて都を後にし、街道を歩み出した。


 遠くで、勇者を讃える大歓声が上がった。


 ━━━━━


 どのくらい歩いたろうか。日はとっぷり暮れていたが、月明かりで道は分かった。


 道?

 どこへ?

 行くあてもないのに、なぜ俺は歩いているんだ?


 ああそうか、俺は死に場所を探しているんだな。そう理解すると、もう歩く必要がなくなった。死ぬのはどこででもできる……。


 俺は傍らの岩に腰を下ろし、呆然と周囲を見渡す。


 雲ひとつない夜空に星がまたたき、虫の声や草ずれの音が、夜の静寂のなかで囁くように響いている。人間の醜い欲望や争いとは無縁の、太古の昔から繰り返されてきた自然の営みがそこにあった。


 綺麗なものだな。この歳になるまで気づかなかった。いや、戦いに明け暮れて忘れていた。幸せだった少年の日は遠い記憶だ。


 俺はふと、頬が濡れているのに気づいた。


 ━━━━━


 ふと街道を振り返ると……


 いくつかの光点が、小さく揺れながら近づいてくる。あれは松明たいまつの灯か。数は三、いや四つ。速さからして馬だな。

 街道を荒らす盗賊だろう。もう生きる気力もないし、殺されてやるのもいいかもな……。ほら、早く来いよ。懐には金貨の入った袋があるぞ。


 しかし予想に反して、それは王国の騎士だった。ほどなく追いついた彼らは俺の周囲を取り囲み、冷然とした眼差しで見下ろしている。


「騎士団が今さら何の用だ? 通行手形なら見せたはずだぞ」

 だが彼らはそれに答えず、無言で槍をくり出してきた!


「うわっ!」

 俺は身をひねり、間一髪で攻撃をかわす。そして地面を転がって囲みから抜け、騎士たちに向き直った。


「そうか……そういうことか」

 一瞬で理解した。こいつらは俺を口封じするために送り込まれた刺客であると。


 全ての気力を失い、生ける屍となったはずの体が、かっと熱くなる。

 それは王国の仕打ちに対する怒り。生まれて初めての……そう、魔王軍にすら抱いたことがないほどの怒りだった。


 これが盗賊なら、自暴自棄で殺されてやるのも一興だと思っていた。彼らは犯罪者ではあるが、生きるために手を汚した、搾取される側の人間であろうから。俺だって魔法の才能がなかったら、同じことをしたかもしれないから。


 だが騎士は違う。下級騎士でも王国全体で見たらトップエリート。力なき民から搾取する側の人間だ。俺を成り上がり者と見下し、差別する側の人間だ。

 そして上の命令で動く兵隊でもある。つまりこの口封じは、ついさっき俺を追放した誰かか、少なくとも上級国民と呼ばれる者の指示であるとみてよい。


(俺にさんざん苦労をさせておいて、手柄が楽に手に入ると見れば横取り。しかも用が済んだらこれか!?)


 俺の中で、なにかが音を立てて崩れ去った。

 心に、どす黒い憎しみの火が灯った。

 民を踏みつけにして一顧いっこだにしない支配階級へのいきどおりと言い換えてもよいだろう。


「逃がすな! れっ!」

「甘い!」

 俺は麻痺パラライズの魔法を発動させる。とたんに、魔法の効果範囲にいた者は人も馬も体の自由を失い、騎士たちは次々に落馬した。ぶざまに地面に転がるそのさまは、下手な彫刻家の銅像が廃棄処分になったようだ。


 舐めるな。肉弾戦の専門家でないとはいえ、魔王軍との戦いで、どれだけの死線を潜ってきたと思っている? 貴様らみたいな「絨毯じゅうたんの騎士(実戦経験のない、家の権力や上役への追従で出世した騎士を揶揄する言葉。造語ではなく実際にあった)」に殺られるような鍛え方はしてないんだよ。


「誰の差し金だ」

「し、知らん。上から命じられただけだ……その上官も、命令の出所は知らんようだ」

「そうか。まあ、汚れ仕事をやらされるような下っ端なら当然か」


 情報を引き出せないなら、もうこいつらに用はない。足がつかない範囲の金目のものと、罪のない馬たちは遠慮なく頂戴して、速やかにご退場願うとしようか。この世から。


 俺は馬たちの麻痺を解除して移動させると、最大火力で落雷の魔法を唱え始めた。


 俺の使える魔法のなかで、もっとも強力なものだ。しかし威力の代償として発動は遅く、また地面に魔方陣が浮かび上がるため攻撃地点が丸見えという欠点もある。さらに詠唱中は無防備になるなど、正直言って使い勝手はあまりよくない。

 もちろん詠唱の途中で攻撃を受ければ発動は中断される。したがって実戦で使用するなら、こいつらのようなザコが相手でない限り、足止めや時間稼ぎなど味方のサポートが不可欠。


 俺の、いわゆる必殺技でありながら、勇者パーティで戦っていた時には、ほとんど使用する機会のない魔法だった。


 地面で淡い光を放つ魔方陣が完成に近づくにつれ、パチ、パチと音を立てて火花が散る。

 騎士どもがなにやら命乞いらしき喚き声を上げているが、よく聞こえない。もっとも助ける気などないから同じことだが……。


(勇者ども、この稲妻が見えるか? 雷鳴が聴こえるか? これが、俺の宣戦布告だ!)


 次の瞬間――。


 目が潰れるほどの閃光。

 鼓膜が破れるような轟音。

 体がバラバラになりそうな衝撃。


 そこで、俺の意識は途切れた。

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