「ボオドレル」~10代から20代に書いた詩
天川裕司
「ボオドレル」~10代から20代に書いた詩
「過去。」
北へ北へとながれる潮の風も、そろそろつきた頃である。われは他人のこさえた牢の中にいる。もしも会いたくなった時には、その者の衣服をもぎ取り、その者の心を暴いた後で、われを訪ねてくれ。私は牛乳をあたためて、買い置きした紅茶のパックを開けてその中から二三枚取り出し、君のためにあたたかい紅茶でも作ってあげよう。精一杯の、もてなしを君にしてあげる。そのかわりに君は、何の得にもならない感動の言葉たちを私の目の前に並び立ててくれないか。君がその紅茶をのんであたたまっている間に、私はその感動の言葉を噛み砕いて、夢中になって、あたたまっていたいのだ。
「意味のない人。」
涙を知った若者も、涙をしらぬ若者も、われの前には現れず、ちがう所へゆっくり流れる。われは本棚によりかかり、頬杖をついて、そのほんのりあからんだ幸せを眺めているのである。「文学者たちに告ぐ。栄枯関わらずよい作家でありたいのであれば、その男、幸せにしちゃいけない。」その言葉が青い煙を漂わせて、風のながれるままに無力に私のところへくるのである。私は幸せを再び見た。一度、知ったことを、再度、確認したのだ。幸せとはこの世に在る斡旋である。いわゆるつよみ。世間さえ、その幸せの壁の前ではぐったりして、自ず、力つきる。それをわかっていながら死臭を漂わす私は、罪な者である。あの幸せが、もし、騙すことがあったとしたなら。やりきれない。冗談を言っても、辟易する。
「パラクリ。」
われの背後には、ひとりの他人がいる。希代のすね者は、ゆで卵をかじりながらその他人と一緒にいる自分を慰めるのである。昔私に語ったニイチェの姿は、そこから姿をかきけした。からだを引きずってゆくそのニイチェの背中を、いつまでもいつまでも、割愛するのである。それでも、その背中は時に、もじもじしている私のうしろにやって来て、こっそり肩を抱きしめる。それゆえ私は背後にも油断をせず、抱きしめられるのに格好のいいように肩を小さく固くしたのであった。他人の言葉。
「人。」
最近、かくものもつきたのか、かくことが億劫になっている。この世でその私を励ます言葉さえも悲観的に寂しく、(失敗を省みて)「生きてゆくのだ」という言葉も火消しのような喝采を伴って私の横を通り過ぎたまま終わる。真実は激しかった。二階でせっせととり繕ったその言葉の数々をぶらさげて、そのつづきを別のよい日にかき連ねようとするのだが、おのれを現実がゆるさず、その窓から不様のままその体裁を放り投げねばならない。日々の報いの、かぎりない自棄である。これはやりきれなかった。夢はお金では買えないと一時の愚痴のようにもこぼすが、それも所詮本気ではなくて、家に帰ればせっせと明日のために眠りにつく。所詮、感動もとかげの尻尾切りなのである。ぴったりな文章をこさえて、自分宛てにきらきらした言葉を表紙に載せて、錯覚に陥入れる時間の短さといったら、のろうほど手短かである。匙をなげたい気分が、時間の長さにある。世間と私との間の沈黙は、憤怒にも満たないやるせなさを私にあたえた。大袈裟ではないか。未熟に固まった私のかおを見兼ねて、他人が言う。否決して大袈裟ではない、これも文章の糧になるのだから…。
こうしながら私は幾度となく日を仰いだ。いろんな場所から罹災をさけていたいと、まっかな頬をしたままこの部屋に駆け込んできた。ひとりであるからその八畳の部屋は広く感じ、とりついたようなそのひとりの心地のよさが私をとりまいていた。毎晩、かいた言葉の内に、こんなのがある。ふたつ。
「きらいな人。」
ベッドから起きあがって、さっき、投げた著書を拾い集める。どれも、見慣れた文だった。しばらく、そうしてる内に、その著書の中に、その時の自分の気持ちとぴったりな文章を見付けた。西方の人。幾度、読み返してみて、その者は、感動に浸った。今までにない盲目への光を感じているようで、その者は、ほんとうは自分は幸せだと思った。空しい空気が、その者に錯覚という薄い光を聞こえさせたが、未だに、感動に浸っているその者にとっては、その感動はきえはしなかった。明日の光へと、旅だったのだ。そろそろ燃えつきてもいい頃である。時もわらった。われもわらった。その時右手に悲観のために隠れた、うら悲しき白紙だってわらった。真実をかりたてたゆえに薄黒くなったそのかおを、あからんだ両手で覆った。ひとりの勇者は生きながらにして、監獄の中にいる。われはそのことを思い、人には思想があり、人には虚偽があり、空しい殺戮をくりかえす、この事をひくく力なく語った。ありとあらゆる学問の神がその部屋に漂わせていた暗闇をも、無視していたのである。われの背後には、ひとりの他人がいる。希代のすね者は、ゆで卵をかじりながらその他人と一緒にいる自分を慰めるのである。昔私に語ったニイチェの姿は、そこから姿をかきけした。からだを引きずってゆくそのニイチェの背中を、いつまでもいつまでも、割愛するのである。それでも、その背中は時に、もじもじしている私のうしろにやって来て、こっそり肩を抱きしめる。それゆえ私は背後にも油断をせず、抱きしめられるのに格好のいいように肩を小さく固くしたのであった。他人の言葉。
「ファン。」
むせかえったその部屋の苦しみは、十円でも一万円でもきえはしなかった。可愛げのない欲深さが、われの思想に満ちた頭を暗雲のようにとりまいて来る。きっと又、ニイチェの背中があらわれて、いまのこの私の寂しさを慰めてくれると思った。未だ言い終らぬ内に、われは窓のすりガラスを眺めた。ぼんやりしている。このつよみがわれの弱みでもあった。私で百人力だ。ニイチェはあらわれなかった。この部屋の苦しみは私を一層苦しめた。それから、のろのろベッドに引き返して眠った。思考がまとまらず、口から不意に飛び出る物事を、あたたかく見据えてくれる他人の思いやりがほしいと思った。なぜ、その一言すらないのだ。むしろその口はないほうがましである。沈黙。
「おかしな気持ち。」
「過去からの黒く、そわそわと忍び寄っていた人影に対して、その少年は、生れてきた生命の尊さを感じ、美しさを感じて、あらんかぎりの勇気を見えない囲いの中へ投げ捨てた。不条理。少年は、その勇気をふるってすべてが終わった。」――――――――――(罹災)
「目にみえない、ものを言わない壁に向かって、青年は、大きく闊歩した。最愛の者を、そこにみたからであった。」――――――――――――――――――――――――(佳人)
このふたつは悲しい時にかいたものであった。きっと、他人を信じていない時であろう。
「ボオドレル」
ボオドレルが、盲目の果てにいる。何故、俺は一匹の悪魔を飼うことになったのか?疑問だが、難問であり、よくよく夜の小路で自分の亡骸をみて負け犬が、遠ぼえする焦燥が含まれる。詰まり、事実。力不足と諦めたが、ふと思う。そうじゃない。きっと、それがはかりしれぬ自分の姿であり、生活を共にしてゆく、又糧ともなる罪の意識であるということをその時つぶやいて気付いた。弱い人にとどめを刺すことなど、してはいけない。強さに呑まれて、弱い人を見下して、いまに俺は、狂ってしまう。このどうしようもない懊悩と苦しさが、俺の躰を、悪戯に赤く、充満させていく。 今、くるしくなった。ここで、書き終えたい。
2003,3月2日 火曜日 筆
「カーズ。」
つかみかかりたい気分である。五寸ほどのちゃぶ台をひっくりかえして、天井を仰ぎながら、ゆめに描いた友人のかおに怒りをぶつけるのである。とまたしらぬふりをして、とおくを見つめながら、小匙ほどの勇気をふりしぼるのだ。そんなことをくりかえし、くりかえしして、私はある日ついに、それまでしっかりまもられていたその壁をひとつ、こえた。変人だったのであろうか。しかしあの時、私は一片の迷いもなくその事を為していた。興ざめの度胸がその勇気をふるいたたせたのであろうか。かなり真面目である。その生真面目の大男のうつわの面々を、あくなき視点からかりたててみたのだ。あくる日がくることさえ、こわい。しかし、私は生きていた。美化できる私の一瞬一瞬を、精一杯、賛美して、その面影を象るのだ。随分、まえに、友人に、女優のナカモリアキナはこの上なくきれいだと、ふれまわったことがある。あの時、そうでもしなければやってられなかったからだ。なにしろ手の届かぬ高嶺の花だというらしい。そんなことは遠に、私はわかっていたのである。ただぼんやりしている。うつろな憔悴の成れの果てが私の頭の中じゅうをかきむしる。その友人は、皆、同じ返答をして返して来た。酔わせるほどの言葉たちであった。悪酔い。その言葉の中で、私はしじゅう、わらのような質問をくりかえすのである。勿論、われに。「しあわせとは何か」、「やさしさとは何か」、「神とは何か」「善意とは何か」、「悪魔とは何か」「偏見とは何か」、「からだじゅうをはしる神経とは何か」、「くだらなさとは何か」、「うつくしさとは何か」、「愚図とは何か」、「生粋とは何か」、「嘘(欺瞞)とは何か」、「罪とは何か」、「安堵とは何か」、「他人とは何か」、「いのちとは何か」、「尊敬とは何か」、「孤独(寂寥)とは何か」、「死とは何か」、「天国とは何か」、「地獄とは何か」、「宗教(崇拝)とは何か」、「無寥とは何か」、「名誉とは何か」、「地位とは何か」、「不条理とは何か」、「感動とは何か」、「落胆とは何か」、「閉塞とは何か」、「精神病者とは何か(又、人とは)」、「滑稽とは何か」、「仕業とは何か」、「自由とは何か」、(悪罵な時間がきれかける。このへんでやめようとも思うのだが、あとふたつ。)「私的制裁とは何か」、「個人的制裁とは何か」。
「ボオドレル」~10代から20代に書いた詩 天川裕司 @tenkawayuji
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