番外編

番外編 栄多の無自覚な才能




〈エントリーシート全落ちした。日本死ね〉


 大学四年の夏。

 普段は推しのアイドルのことしか投稿しないと決めていたTwitterのアカウントにて、俺は思わずそう呟いていた。


 一分と経たないうちに、大学の同級生であり同じくアイドルオタクの友人からLINEメッセージが届く。

 〈栄多、Twitter見たぞ。飲むか〉……ふん、やだね。

 彼は同じオタクであっても、流行りのしょうゆ顔イケメンに分類されるルックスの持ち主で、そこそこのコミュニケーション力もあり、大企業の内定をいち早く勝ち取って今は地下アイドルとお忍び恋愛中の身。

 悪いやつではないが、存在が嫌味なので今は一緒にいたくない。


〈就活中ですか? 自分も苦労したので心中お察しします……!〉


 次にTwitter上でメッセージをくれたのは「うめ」というアカウント名のフォロワーさんだった。最近アイドルにハマったばかりらしく、あまりどんな人か知らないが、そうそう、今はこういうシンプルな慰めの言葉が欲しいのである。これを機会にフォローを返しておくか。


 高校を卒業し、あっという間に四年が過ぎた。

 第一志望に落ちて進学することになった都内の私立大学は、そこそこ居心地のいい場所だった。経済学部なので女子比率が低く全体的に男子校ノリ、かつSNSの発達のおかげもあって趣味の合う友人を見つけやすかったのだ。高校時代は無縁だったカラオケに行ったり、宅飲みしたりとそれなりに大学生らしい遊びを満喫した。何をするにも男ばっかで、彼女はできなかったけども。


 しかし今、俺は大学入学史上最大の危機にある。

 そう、就職活動だ。

 エントリーシートや面接で聞かれるお決まりの質問――「学生時代に一番頑張ったことはなんですか?」、これにとにかく苦しめられていた。

 勉強は最低限単位が取れる程度にしか打ち込まなかったし、サークルにも入っていない。留学経験やらTOEIC高得点やらも持ち合わせていないし、他にこれといった特技があるわけでもない。

 じゃあ四年間何をしていたかというと、ほとんどはアイドルの追っかけと、そのために必要な費用をバイトで捻出することに明け暮れた日々だった。

 だから自己PRがどうもパッとせず、選考が進まない状況が続いていたのだ。

 内定獲得済みの友人には「盛ったもん勝ちなんだから嘘でも書いとけ」と言われたが、そういうのは演技力でごまかせる人間の専売特許だと思う。俺みたいな喋りの下手な人間は嘘を盛り込むとしどろもどろになってボロが出る。


「もう就活やめたい……けど、金は欲しいしニートになるわけにはなぁ」


 なんとか気を起こして就活サイトの募集を確認してみる。

 大手の企業はもうすでに募集を締め切っているところが多く、残りは名前をよく知らない企業がほとんどだ。知名度に限らず幅広く応募するのが大事なのはわかっているが、見ず知らずの企業に応募するとなると今度は志望動機を捏造しなければならないので、それもまた一苦労……。


 あ〜〜〜〜っ! だめだだめだ!

 いったん休憩! とりあえず神楽坂46のラジオでも聴こ!


 就活の作業に集中するため電源を切っていたスマホを立ち上げる。

 すると、またTwitterに別の人から連絡が来ていた。

 同じアイドルを推している仲間、アカウント名「三鷹社長」さんだ。ライブでも何回か対面で会ったことのある、四十代くらいのIT関係で働いているという男性である。


〈cookieくんが全落ちなんてもったいない。良かったら、うちの会社受けてみませんか。小さい会社だけどオタクな社員も多くて気楽だと思うよ〉


 オタクな社員が多い、というワードに惹かれた俺は後日「三鷹社長」と会って会社について詳しい話を聞くことにした。

 なんと驚くことに、「三鷹社長」は本当に「社長」だったらしい。

 主に行政向けのWebサイトやアプリの制作をする会社を立ち上げて、現在社員は数十人。小規模な会社だが業績は好調、勢いに乗って新卒採用を始めてみたものの知名度が低くて全然応募が来ない状況なのだという。


「cookieくん、改め中野くん。ちなみに君は今までどんなところに応募していたんだい?」

「えっと、名前を知っているメーカーとかにはだいたい送ってみましたかね。あとはIT系も少し応募してみたけど、全然手応えなくって」


 これまで応募して落ちた企業のリストを見せると、三鷹社長は渋い顔をした。


「あー、だってここIT系とはいえ業態は広告代理店だもん。総合職採用と言ってはいるけど、八割は営業配属らしいよ。社風もわりと体育会系」

「えっ、そうなんですか!? 落ちて良かった……」

「ははは。中野くん、営業って感じはしないもんねえ」

「そうなんですよ。それはさすがに自覚してます」

「やってみたら意外と天職だったパターンもあるけどね。このリスト見るに、単なるミスマッチかなあ。このメーカーは学歴重視だし、この会社はリーダー経験のある人しか採用しないって聞く。それからここは一芸特化型で……」


 そう言って三鷹社長は淡々と落ちた理由の考察を説明してくれた。

 どれも納得いくものばかりで、グサグサ刺さる。

 やっぱり俺、社会人になる資格がないってことなんだろうか……。


「三鷹社長は、どうして俺に声をかけてくれたんですか? 俺が学業そっちのけでアイドルにハマってること、Twitter見てたら知ってますよね」


 性格だって決して褒められたものではないことも見抜かれているはずだ。

 三鷹社長はふむと顎に手を当てると、少しの間を置いてから言った。


「手帳かスケジュールアプリ、なんでもいいけど君が予定管理しているものを少し見せてくれないかい。プライベートな予定は隠してもいいから」


 残念ながら隠す価値のあるようなプライベートな予定などない。

 特にはばかられる理由もなく、俺はスマホに入れているGoogleカレンダーアプリを開いて見せる。

 三鷹社長は「これだよこれ!」とやや興奮気味に呟いた。


「バイトの掛け持ちにアイドルのおっかけ、それから大学の用事。すごくきっちり予定を管理しているね。今日はこの後近隣のショップでCDを買うのかい? それから隣駅のライブ会場の下見。なるほど、移動時間も最小限に効率的な予定が組まれている。どうりであの短期間で聖地巡りブラウザゲームを完成させてしまうわけだ……!」


 三鷹社長が言っているブラウザゲームというのは、一年くらい前に推しをセンターにしてあげたくて自主制作したゲームのことだ。当時これを一人で作ったことを三鷹社長に言ったらかなり驚かれたのを思い出す。


「中野くん。君の得意分野はおそらくこの予定管理能力だ」

「え、これがですか……?」

「そう。誰にでもできることじゃない。特にWebやアプリ制作の現場ではしばしばトラブルやボトルネックによって本来のスケジュール通りにことが進まないこともあってね、僕はこういう複数タスクを並行して管理するのが得意な人を探していたんだよ」


 何一つ取り柄なんてないと思っていた自分に、得意分野がある。

 それも一企業の社長から認めてもらえたなんて。

 瞬間、俺は思っていた。

 この人と一緒に働いてみたい。

 この人のためなら、社会人になっても頑張れそうな気がする、と。


「個人の予定管理と仕事の進行管理じゃ勝手が違うこともあるだろうけど、どうかな、チャレンジしてみる気はない?」


 社長にそう言われ、迷うことなく頷いた。


 それからおよそ八年の年月が過ぎ、現在――


 都知事選の手伝いの後、復帰して進めていた仕事が佳境に迫っていた。

 某市の公式サイトリニューアルプロジェクト。市長の一声で一時頓挫しかけたものの、社長が直々に出向いてなんとか説得したことで年内にリリースできる形で合意が取れ、今は追加要件を突貫でこしらえている最中だ。


「……はい、そこの仕様についてはアクセス数を鑑みてスマホ優先でお願いします。PCの表示バグはロンチ後の対応に回しちゃってください。……ええ、そろそろ告知準備も進めなきゃなんで、先方の広報担当と連携してもらって……」


 プロジェクトメンバーとオンラインミーティングをしていると、チャットツールに通知が表示される。三鷹社長からだ。


〈栄多。上長から聞いたけど、ずいぶん頑張ってるんだって? あまり根詰めすぎないようにね〉


 会社の規模はあれから数倍に大きくなったが、相変わらず細やかな気配りのできる社長で、今でもたまにこうやって個別に連絡が来る。


〈あざます。でも全然平気ですよ。都知事選であちこち歩き回ったおかげで体力もつきましたし〉

〈へえ、そんな恩恵があったとは。こりゃ来年の健康診断は久々に『要所見なし』かい? 在宅勤務を取り入れてから君の健診結果がどんどん悪化しているんで、そろそろ世の流れに従ってオフィス勤務中心にしようかと思っていたんだけど〉

〈か、勘弁してくださいよっ。健康はまあ、なんとかするんで……!〉


 実際最近は夜更かしを避けて規則的な生活を心がけているし、インスタントによりがちだった食事も今はかなり栄養バランスの取れたものになってきている。もちろん、誰の影響かは言わずもがな。


〈例のプロジェクト、12月20日にはローンチだっただろう。終わったらまた飲みに行こう。ああ、あとそういえば、今年も年末の麻雀会来るでしょ?〉


 年末の麻雀会というのは、三鷹社長が毎年開催している社内懇親会のようなものだ。参加者の推しの映像なんかをひたすら再生しながら夜通し飲んで麻雀だったりゲームだったりでだらだら遊ぶ。無礼講で途中入退場も自由なので一応毎年顔を出していたのだが……。


〈すみません、今年は無理です〉


 Googleカレンダーには仕事の予定、推し活の予定、そしてもう一ライン新しく加わったものがある。

 豊島さんと、初めての一泊二日のクリスマスデート。

 そして、年末年始には彼女のご実家に挨拶に行く予定が入っている。


〈……そっかあ、栄多もそういうお年頃かあ〉

〈子ども扱いしないでくださいよ〉

〈だってなんだか感慨深いじゃない。そしたら新年会でいいからさ、どうだったか教えてね。初体――〉


 強制的にチャットツールを閉じる。

 あんた社長のくせに業務中になんて話してるんだ。


 ……さあ、仕事仕事。

 残業なんてやっている場合じゃない。

 こちとら初めての彼女でてんやわんやなのだ。

 プライベートな時間は色々と準備や仕込みで忙しい。


「さて、やるか」


 デスクの片隅に置いていたエナジードリンクをぐいっとあおると、俺は残タスクの始末に取り掛かった。




〈番外編 栄多の無自覚な才能・了〉

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