第33話 あおいの告白



 蓮根さんの足は速かった。

 さすが元ソフトボール部。

 雑踏をものともせず、大型の家電量販店の横を駆け抜け、新宿三丁目の方へと駆けていく。


「待って、蓮根さん! 待ってってば!」


 運動オンチの俺の足では蓮根さんとの距離は広がるばかり。

 でも、豊島さんに託されているんだ。

 足を止めるわけには――ぶべっ!!


 誰かがポイ捨てした缶チューハイにつまずき、俺は盛大にすっ転んだ。

 周囲からくすくすと笑う声が聞こえる。

 うう……痛い。心も体も……。


「大丈夫?」


 顔を上げると、蓮根さんだった。

 心配して戻ってきてくれたらしい。

 ただ顔を合わせるのは気まずいのか、ぷいとそっぽを向いたまま俺に向かって手を伸ばす。

 その彼女の左手の薬指には、きらりと光る銀の指輪があった。


「ごめん、足捻ったのか力が入らない……」

「うそ、そんなに!? うう……仕方ないな」


 彼女の肩を借りてなんとか立ち上がることができた。

 蓮根さん、痩せたな。それに肌もニキビがなくなって綺麗になっている。丸い顔の輪郭に合わせて切られた黒髪はよく似合っていて、俺が知っている高校時代の彼女とはまるで別人のようであった。


 とりあえず近くにあったベンチに座って、蓮根さんが自販機で買ってくれたコーラ缶を捻った場所に当てる。ひんやりして気持ちがいい。

 蓮根さんはしばらくきょろきょろと落ち着かなそうにしていたが、怪我した俺一人この場に置いていくわけにはいかないと思ったのか、観念したように隣に座った。


「あ、あのさ。蓮根さん、今日は来てくれてありがとう」

「……うん」

「あっ、そうか、名乗るの忘れてた。俺、高三の時に同じクラスだった中野栄多です。覚えては……ないかな?」


 彼女はふるふると首を横に振った。

 これはえっと、覚えててくれたってことでいいのか?

 蓮根さんはしんと黙って俯いている。

 こういう時、何から話せばいいのだろう。豊島さんが来るまでの時間稼ぎをしたいところではあるが、間がもちそうにない。

 改めて豊島さんの偉大さを実感した。彼女と久々に会った時は沈黙なんて気にすることなかった。それは彼女が話し上手で、相手への気配りを欠かさない人だったからだ。俺はただ彼女のペースに乗る、あるいは乗せられるだけで良かった。

 けど、蓮根さんはおそらくそういうタイプではない。この場合、どういうふうに会話を切り出したらいいだろうか。


 その時、ポケットに入れていたスマホが軽く震えた。通知だ。

 豊島さんかと思って確認する。

 違った、みねあの投稿通知だ。


〈選挙戦終了! 候補のみんなお疲れ〜! アタシもお疲れ〜!〉


 時間を見ればちょうど二十時になった頃だった。

 これで街頭での選挙活動は終了。残すところはネットでの活動のみとなる。豊島さんもそろそろ引き上げてこちらに来るだろう。

 ちらりと隣を見ると、蓮根さんもスマホを見ていた。

 画面に表示されているのは……うん? 俺が見ているのと同じ、みねあの最新ポスト?

 視線に気づいたのか、彼女ははっとしてスマホをスリープモードにする。が、むしろそれは逆効果だった。待受画面もみねあのイラストだったからである。


「え、蓮根さんも、もしかしてみねあのファン……?」


 おそるおそる尋ねると、彼女はスマホを隠すようにぎゅっと両手で握りしめて俯いた。ぷるぷるとその手が震えている。

 聞いちゃいけないことだっただろうか。

 けど、他人に知られたくなきゃ待受なんかには設定しないだろう。

 これはよっぽどの推しと見た。

 そうと分かればもう会話に困ることはない。みねあが共通の話題になるならいくらでも話せる気がする。まあ中には「同担拒否」という気難しい属性の人もいるが、そういうのはガチ恋感情を煽るタイプのキャラクターやアイドルに起こりがちの事象であり、みねあのようなどっちかというと親とか兄・姉目線で生暖かく見守るタイプの配信者のファンにはあまりいない属性だから――っていかんいかん、頭がオタクモード全開になってしまった。

 こういう場合はまず初手、どの配信回から好きになったかの話題を振るのが王道。


「俺もファンでさ、活動初期の頃のマリオカートのレインボーロードで落ちまくってブチ切れる回がめっちゃ好きなんだけど、蓮根さんはどの回が好き? 良かったら教えてくれないかな」


 彼女のスマホを握りしめる手に力がこもる。


「私は」


 何か言いかけて、また口をつぐんでしまった。

 いやいや、俺別にどの回から好きになっても見下したりとか、ファン歴の長さでマウント取ったりしない、超寛容なオタクよ?

 蓮根さんの言葉をゆっくり待つと、彼女はやがて決心したように顔を上げた。


「……『うめ』です」

「へ?」

「私が『うめ』なんだよ、『クッキー』さん」

「え……えええええ!?」


 「うめ」って、あの「うめ」さん?

 同じくみねあ推しで仲良しのフォロワーさんの?

 っていうか、蓮根さんは俺のXアカウントのこと、なんで知ってるんだ……!?


「ずっと黙っててごめん。気持ち悪いよね、勝手にフォローしてたなんて」

「い、いや、別に気持ち悪いとは思わないけど……なんで?」


 聞きたいことが多すぎる。

 蓮根さんは恥ずかしそうに俯いて、自身の胸に手を当てた。それから深呼吸をひとつ。


「……私、中野くんと友だちになりたかったんだ」


 それから蓮根さんは、高三の時に何があったのかを話してくれた。

 お母さんが病気で倒れ、亡くなるまでの間、なかなか学校へ行けなかったこと。

 豊島さんの誘いでなんとか登校してみたけれど、恵まれた環境で生きている彼女を見ると辛くなるばかりだったこと。

 そうして勢いのままに彼女に絶交を告げてしまったこと。


「実は秋頃……文化祭の準備が始まった頃には、家族でお父さんの地元の青梅市に引っ越さないかって話が出てたんだ。そのほら、もう知ってると思うけど……うちのお父さん、お母さんのことを訴えるために都知事選に出て貯金使い果たしちゃったし」


 供託金のことだろう。三百万の供託金は、有効投票数の十分の一を獲得できなければ没収となってしまう。

 経済的にも、子どもが四人いる家庭の人手という面でも、蓮根家は当時暮らしていた都心のアパートから離れるべきだった。蓮根さん自身もそのことをちゃんと理解していた。

 それでもすぐに踏ん切りがつかなかったのは、豊島さんのことが気がかりだったからだ。

 絶交を宣言したとはいえ、本心から彼女のことを嫌いになったわけではなかった。

 ずっと、謝って元の関係に戻るべきか、葛藤する日々を過ごしていたのだという。


「そんな時だよ。中野くんと初めて話したあの日。……なんかさ、恥ずかしくなっちゃった。私って直央のことばっかり見て、あの子に依存してたんだな、って。たぶん、私だけじゃなくて直央もそうだったんだと思う」

「豊島さんが……」


 言われてみて、これまでの彼女の言動を振り返ってみる。

 人付き合いの多い豊島さんのことだ、これまでの人生の中でたくさんの出会いがあって、その中で別れなければいけない人は蓮根さんだけじゃなかったはずだ。ほら、たとえば俺と再会する前まで付き合っていたという元彼。家に私物を置くくらいには深い関係だったんじゃないかと思うが、にしては彼の話はこれまで一度も出たことないし、カケラも未練がないように見える。

 それに比べ、蓮根さんに対しては十二年も引きずってたわけだから……よくよく考えるとすごい執着だ。

 もしかすると、蓮根さんに対してはただの友だちというよりも、もっと特別な感情があったのかもしれない。それこそ、彼女一人のために思い出の詰まった卒業アルバムを破り捨ててしまえるほどの。


「中野くんと話したおかげで、決心が固まった。お互いのために離れるべきだって思えたんだ。それからその日のうちにお父さんに話して、引っ越しと転校が決まったんだよ。で、それからしばらく手続きとか引っ越し準備でバタバタして……青梅に落ち着いてから、気づいたんだよね。中野くんの連絡先くらい聞いておけば良かったって」


 メールフォルダを整理していたら、豊島さんのことを着信拒否する直前の最後のメールに、俺のアドレスが書かれていることに気がついた。

 けれど、自分から直接聞いたわけではないし、最初で最後の会話からもう数ヶ月経っていてまさに受験本格シーズン、今連絡を入れても迷惑なだけだろう……そうやってずるずるとタイミングを逃し続けたのだそうだ。

 それから数年が経ち、メールでのコミュニケーションが主流だった時代からSNS全盛期へ。

 蓮根さんは俺がメールアドレスと同じ「cookie_tabetai」でアカウントを作っていることに気がつき、「うめ」としてこっそりフォローしたのだという。


「そういう経緯だったとは……」


 灯台下暗しとはまさにこのこと。

 豊島さんがずっと探し続けていた蓮根さんは、案外近くにいたわけだ。


「じゃあ、みねあ推しっていうのは、俺に話を合わせるための方便?」

「そんなまさか!」


 蓮根さんの顔がずいっと近づいてきた。


「みねあ氏を推してるのは本心! 最初はVTuberの文化も何もよく分からなかったけど、中野くんがハマってるのを知って興味本位で見てみたら私もどハマりして……!! 『うめ』として何度もXに書いたけど、みねあ氏のダメなところにいつも元気もらってた! それは本当に本当に本心だから……!」

「わ、分かった分かった! 疑わないよ、そこは」


 推しの話になると早口になるこの感じ、マジのオタクだ。

 前々から蓮根さんにはシンパシーを覚えていた部分はあったけれど、まさか好きなものまで一緒になってしまうとはな……。


 そこで俺はふと気づく。


「じゃあ、もしかして今日ここに来てくれたのって、昨日のダイレクトメッセージを見て……?」

「うん、そうだよ」


 蓮根さんは気まずそうに視線を逸らす。


「十二年前にお父さんが散々コケにされて、それ以来政治家とか選挙のことが大っ嫌いになった。だから今回の都知事選も、投票には行くつもりだけど、イライラするからなるべく情報を入れないようにしてたんだ。それがまさか、直央が立候補してたなんてね。びっくりして演説動画見たよ。そしたらさ……どう見てもうちのお父さんの演説のオマージュじゃん。一体何考えてるんだろう、って気になってさ」


 よく見ると彼女の目の下にはくまができていた。もしかして、俺がメッセージを送った後に夜通し豊島さんの動画を見ていたんだろうか。


「本当はこっそり覗いて何も言わずに帰ろうと思ってた。でも――」

「でも?」

「あおいちゃん!」


 土曜の二十時過ぎ。酔っ払った人々がふらつく新宿の路上を、豊島さんが駆けてくる。息を切らして、ブラウスが乱れるのも気にせず走ってこちらに向かってくる。こんな必死な彼女、初めて見たかもしれない。


「……直央」


 蓮根さんが立ち上がる。

 彼女はもう、逃げなかった。

 豊島さんに抱きつかれるまま、彼女の思いを受け入れる。

 二人の瞳の端には涙が浮かんでいた。つられて俺も思わず泣きそうになった。


「あおいちゃん……! 来てくれてありがとう……! 高校の時は、本当にごめんねっ……!」

「私の方こそ、ごめん……。直央、この十七日間本当によく頑張ったね……!」


 むせび泣く二人。

 蓮根さんともう少し話をしたい気持ちもあったけれど、俺はそっと空き缶を捨てに行くふりをしてその場を離れた。

 きっと豊島さんと二人、積もる話もあることだろう。邪魔者は早く退散するべきだ。


 ……ああ、良かった。本当に良かった。


 推しの幸せは俺の幸せ。

 これ以上の結末はない。


 足だけでなく胸までも痛む気がするけど、きっとそれは気のせいだ。


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