4章 都知事選 終盤

第29話 そうだ、空港に行こう。



 都知事選十日目、AM6時。

 聞き慣れないエンジン音で目が覚める。

 窓の外を見たら、アパートの前に赤のポルシェが停まっていた。


「ちょっとー、寝坊なんですけど。早く来て!」


 俺に向かって手招きしてくる、運転席の派手な女。大きなサングラスで顔を隠しているが、声や態度で分かる。……綾瀬だ。そしてその隣には豊島さんが座っていて、眠たそうにあくびを一つするのが見えた。


 ええと、これどういう状況?


 今日は演説回りが中心で、綾瀬と会う予定なんて入っていなかったはずだが……。

 とはいえ、急いで最低限の身支度をして外に出る。

 「乗って」と後部座席に案内されて乗り込むと、特に説明もないまま高級外車はグインと力強く走り出した。

 うおお、速い! 休日の朝だからって飛ばしすぎだろ!

 慣性の法則でシートに叩きつけられた背中を起こし、助手席に座っている豊島さんの肩をつつく。


「豊島さん、これどういうこと?」

「た……たいちゃづけ……」

「え」

「やだかわいい〜。寝言じゃん」


 確かに、彼女はなんだか幸せそうな顔でうつらうつらと船を漕いでいた。

 昨日あれからみねあと二人でしばらく配信を続け、終わってからも少し状況を整理したり反響を確認したりしたので、家に帰ったのは二十三時過ぎ。いつもタフな彼女とはいえさすがに十日目、疲れも出始めているだろう。


「あなたも寝とけば。着くまであと一時間はかかるし」


 綾瀬が片手でナビを操作しながら言う。


「着くってどこに」

「羽田空港」

「は……!?」


 思わず大声を出しそうになると、綾瀬がしーと人差し指を立ててきた。豊島さんが座席にもたれて寝息を立て始めた頃であった。

 疲れているとはいえ、この状況でよく寝れるな……。

 俺は完全に目が冴えたぞ。

 豊島さんを起こさないように声をひそめつつ、平然とした様子で運転を続ける綾瀬に抗議する。


「今すぐ止めてください! 俺たち別に空港に用事なんかないですよ」

「そお? 直央ちゃんは同意してくれたけどね〜」

「寝ぼけてるからでしょ! 都知事選の大事な時期に東京から出るわけないじゃないですか! ……あ、もしかしてあれですか。若林さんの策略で、俺たちを都外に出そうって魂胆じゃ」

「ああ〜〜〜〜もうっ、うるさいなあ」


 綾瀬は苛立ったように髪をかきむしると、後ろ手に何かを差し出してきた。

 チケットが二枚。航空券だ。

 行き先は――八丈島。


「……なんで?」


 八丈島。

 東京都には23区や多摩地域だけでなく、島しょ部と呼ばれる十一の島が含まれており、八丈島はそのうちの一つである。その中で八丈島は確か一番か二番目くらいに人口が多く、五千人以上の島民が暮らしていたはずだ。


「これなら文句ないでしょ。行き先は都内だし」

「いやそうですけど、なんで急に八丈島? しかも綾瀬さんが」

「ガタガタ言うならあなただけ降ろそうか? 私の車、本当は男子禁制なんだよね」

「す、すみません……」


 車はすでに首都高に入っていた。

 ここで降ろされたら死ぬ!

 俺が黙り込んだのを確認すると、綾瀬はやれやれと肩をすくめ、電子タバコをふかしだした。


「もう一つ訂正しとくと、若林さんは噛んでない。私の独断。たぶん……バレたら怒られるだろうね。八丈島に行く日、他の人には言うなって言われてたし」


 どうやら今日がその日らしい。

 つまり綾瀬は同盟を組んでいる若林が島を訪れる日に、本来敵である俺たちを送り込もうとしていることになる。当然、選挙活動の場所や聴衆の取り合いになるだろう。それでいいのだろうか。


「昨日の鮫洲との配信、見たんだよね」


 甘ったるい電子タバコの香りが、車内にくゆる。


「改めて惚れ直しちゃった。直央ちゃんて本当にまっすぐでカッコいい子だね。選挙に出る理由が青春のやりなおしって聞いた時は、正直大丈夫かなって思ったけどさぁ、あれって男じゃなくて女の子のことだったんだね」


 ああ、そのことか。

 先日綾瀬と話した時に、彼女は蓮根さんのことを勝手に男だと勘違いしていたのである。


「どうりで私の付け入る隙なんかなかったわけだ。直央ちゃんは直央ちゃんで、ずっと片想いを拗らせてきたわけね、きっと」

「……はあ」

「それで、恋敵なのについ応援したくなっちゃったわけ。敵に塩送るなんて私らしくないけど……あなたなら分かるでしょ?」

「ええと、まあ」

「直央ちゃんって今他の候補者にアタックしてるんでしょ。でも若林さんは何も反応してないじゃん? それじゃあ直央ちゃんの想いは届かないからさ、若林さんと話す場所を作ってあげようと思って」


 やっぱり俺にはいまいち綾瀬の表現が頭に入ってこないのだが、彼女は一人で納得している風なのでとりあえず相槌を打っておく。

 要約すると昨日の配信を見て感化されたから豊島さんにちょっと協力してくれるってことなんだろう、たぶん。

 昨日の配信が好評でネットでの注目度が上がっているのは分かってはいたが、まさかこういう形で恩恵が得られるとは。

 正直ありがたい話だ。若林にはどれだけ連絡を入れても一度も返ってきたことがない。豊島さんの認知を上げるには、あと七日のあいだに同盟以外の形で若林や万願寺との接点を作るのは必須だと思っていた。綾瀬の言う通り、島なら行動範囲が限られるのでかなりやりやすい。


「言っておくけど、若林さんを裏切ったわけじゃない。こうやってあなたたちを送り出すのも、簡単に若林さんが負けるとは思ってないからだから。……あの人は強いよ。直央ちゃんと同じ――大切な人のために戦っている人だからね」

「大切な人、ですか」


 綾瀬はそれ以上は語らなかった。

 前方に空港ターミナルが見えてくる。

 スマホの時計を確認すればAM7時。航空券に記された出発時間まで三十分もない。かなりギリギリだ。

 停車してすぐ、爆睡している豊島さんを揺り起こす。まだ寝ぼけているのでどこに着いたかもよく分かっていない状態だった。


「綾瀬さん、ここまで送ってくれてありがとうございます」


 豊島さんの代わりに礼を言うと、綾瀬はにっと口角を吊り上げて手を振った。


「じゃ、グッドラック〜」


 そうして、俺たちは八丈島へと飛び立つことになったのであった。





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