第28話 ジョーカーはどちらに微笑む?
鮫洲が流した蓮根尚彦氏の動画が終わる。
騒然とするチャット欄。
その中には鮫洲やみねあのファンだけでなく、豊島さんの支持者の戸惑う声も含まれていた。
「豊島さんをあまりご存知ない方のために比較検証画像も用意してみました」
鮫洲はそう言ってわざわざ彼女と蓮根さんのお父さんの政策やキャッチコピーを左右に並べた画像を自分のプロフィールアイコンの枠に表示する。さすがに枠が小さすぎて文字が読めなかったので、みねあが許可して全画面表示になった。豊島さんがメインに掲げている弱者支援の政策、そして主に使っていた「ええじゃないか」「世直し」のワードが左右両側に並んだ。
「豊島さん、これは一体どういうことですか。まさかたまたまここまで似てしまったなんて、そんなわけないですよね? 説明していただけますか」
画面表示が再び三者並ぶ形に切り替わる。
俺は祈るような気持ちでパソコン画面に向き合う豊島さんの表情をちらりと見やる。
彼女は一度まぶたを閉じた。
非を認めて観念したような、そんな動作に映ったかもしれない。……カメラ越しには。
だが次の瞬間、彼女の大きく開かれた瞳には、光が灯っていた。強く、誰にも絶やすことのできない、眩い光。
「鮫洲さん、気づいてくださってありがとうございます」
「え……は?」
「だって選挙でお忙しい中、わたしのことをこんなに調べてくれたんですよね。それがまず嬉しくて」
そう言って彼女はぺこりと頭を下げる。
豊島さんの言葉は本心からのものだ。煽っているわけじゃない。それが彼女の表情や態度から伝わってくるものだから、鮫洲は少し動揺したようだ。彼にこれまで秘密を暴かれてきた人々はいつだってまず否定から入ったし、ネットストーカーまがいの行為に不快感を露わにした。それがまさかお礼を言われるとは思ってもみなかったのだろう。
「い、いや、誤魔化さないでください。あんたが他の候補の政策をパクってるんじゃないかって話をしてるんです。早く説明してくださいよ」
そうだそうだ、とチャット欄で鮫洲のファンたちが同調する。
「おっしゃる通り、わたしは蓮根尚彦さんの政策やキャッチコピーを取り入れて活動しています。すべて、蓮根さんを尊敬するがゆえです」
豊島さんはそれから彼が大切な友人の父親であること、友人とは訳あって疎遠になってしまったが、後から蓮根氏の出馬について知ったこと、家族のために必死で戦う彼の姿に感動したこと、結局すべてありのまま話してしまった。
嘘をついたり誤魔化したりするのは彼女の性分に合わない。その方が下手したらボロが出たかもしれないので、これが最善策だと思うしかなかった。
鮫洲は黙っている。もしかすると今の話の裏を取ろうとしているのか。ネットで調べるだけじゃ蓮根さんと豊島さんの関係や、蓮根さん一家に起きたことは出て来ないだろうけど……これ以上土足で踏み入られるのは不快だ。
俺は豊島さんに目で合図を送る。
カンペの準備オーケー。
彼女は頷き、再びカメラに向き合う。
「わたしのことを調べていただいたお礼と言ってはなんですが、わたしも鮫洲さんについて少し調べさせていただいたんです。良かったらここで発表させてください!」
みねあは「そう来る!?」と戸惑いながらも、鮫洲の時と同様に全画面表示を許可した。
配信前の二時間で大急ぎで作った一枚の画像。そこには鮫洲の主張や選挙公報で使われたキャッチコピーのうち、ゲームの名台詞をオマージュしている部分をリストアップした。これがあのとき彼女に依頼されたことだ。豊島さんはゲームをあまりプレイしないので、自力では引用元が分からなかったのだ。俺も全部知っているわけではなかったが、ネットでの検索を駆使してなんとか突貫で作り上げた。
「鮫洲さんってゲームお詳しいんですね。わたしはあまりやったことがなくて、この画像はお手伝いしてくれている人に作ってもらったのですが、選挙終わったら遊んでみようかなって思いました! 視聴者の皆さんにも聞きたいんですけど、この中でオススメの作品はありますか?」
鮫洲は相変わらず沈黙を保っている。回線落ちでもしてるのか?
代わりに豊島さんの問いに答えたのは視聴者たちだ。あれがオススメ、これは絶対見たほうが良いとどんどんチャットが流れていく。
ネット配信の最大の特徴はこういう双方向のやりとりである。配信者からの問いかけがあれば、視聴者たちはその回答に夢中になりやすい。そうすることで突っ込まれたくない話題から意識を逸らしてしまおう……という作戦である。
特に鮫洲という配信者は元はゲームの実況プレイで配信活動を始めた経緯があり、彼のファンもまたゲームオタクが多い。オタクというのはどのジャンルであれビギナーを沼に引きずり込もうとする性質があり……身も蓋も無い話をすれば、とりわけ豊島さんのように可愛らしい女性がオススメを聞いてきた時には黙ってはいられないだろうと踏んだのだ。
「ちょっとちょっと、あんたら盛り上がりすぎ!」
あまりのチャット欄の勢いに思わずみねあが制止する。
ちゃんと進行役やろうとしてて偉――
「いくら可愛い人だからってあからさまに盛り上がりすぎじゃない!? 特にアタシのリスナー! アタシのチャンネル上で浮気すんなよ、ぜったい!!」
――くはなかった。嫉妬してただけだった。さすがみねあである。
「……こほん。とにかくさあ、鮫洲氏だってゲームのオマージュ入れてるってことでしょ? なら豊島氏の件も、リスペクトゆえならパクりとは言わないのでは? 政策が他の人と被るのは普通によくあることだし」
〈まあ確かに〉
〈みねあの言う通りだわ〉
〈サメちゃん、ブーメランされてて草〉
よし、いいぞ。
こちらの誤魔化しも効いたか、視聴者の意見は中立になってきている。
実際みねあの言う通りだ。そして厳密に言えば豊島さんは蓮根氏の政策を丸パクリしたわけじゃない。主な主張を引き継ぎつつ、さすがに十二年前のままだと時代に合わないものもあったのでちゃんと内容はアップデートしている。
「……なるほど、分かりました」
長らくの沈黙を破り、ようやく鮫洲が口を開いた。
「けど、オレにはまだ聞きたいことがあるんですよ」
再びパチンと指を鳴らすと、鮫洲は新たな画像を表示した。
今度はテキストの羅列。
書かれているのは豊島さんの公表されている経歴だ。
練馬区で生まれ育ち、偏差値上位の都立高校に進学。大学は京都大学法学部、そこから公務員試験を受けて都庁職員へ。
「出馬会見の際に武士の血筋の出身だと話していますよね? 少し調べさせてもらいましたけど、豊島さんの一族って本当に江戸時代の頃から練馬区付近に根づいているみたいですね。土地も多く持っているのか、Googleマップで練馬区を調べてみると『豊島』の名がつくアパートや駐車場がたくさん出てきました。……あんた、相当裕福な家の子でしょ? 違います?」
そこまで調べてきたか。
なんとかやり過ごせたかと思ったが、まだ鮫洲は手札を残していたらしい。
選挙戦初日、練馬区での演説で彼女の地盤の強さは俺も目の当たりにしている。
鮫洲が指摘していることはおそらく真実だ。
「恵まれた環境で育ててもらったことは自覚しています」
豊島さんは肯定した。
ここは謙遜したところでかえって嫌味になる。仕方ないが、事実ならば認めざるを得ない。
「じゃあなんで『弱者支援』なんて掲げてるんすか? 正直、あんたみたいな人にとってみれば池上さんや、万願寺さんの言うような『強い東京』の方が都合が良いんじゃないの?」
「それは……」
「正直、嫌味にしか聞こえないんだよね。あんたみたいな本当の弱者の立場になんて一度もなったことないような人が綺麗事並べたってさ、あんたに何が分かるんだ、って。……ねえ、そう思ってる人いるでしょ?」
〈それな〉
〈人生勝ち組の顔〉
〈そうだそうだ〉
〈サメちゃんこそ弱者の味方〉
まずい。鮫洲に同調するチャット欄の書き込みが再び増えていく。
「なんとなく想像できるんですよ。あんたがさっき言った、『疎遠になった友だち』? おおかたあんたが知らず知らずのうちに地雷踏んだってとこじゃないの。それなのにさあ、蒸し返すようにその人の父親のパクりまでして。かえって迷惑になるんじゃないかとか、考えなかったの? 父親がさあ、こんな派手な格好で選挙活動やってたなんて、その人にとっては黒歴史かもしれないのに!」
鮫洲が畳み掛けてくる。
推察だけでここまで蓮根さんとの関係を見抜いてくるなんて……!
考えろ、考えろ、考えろ……。
何か、この場を切り抜ける方法はないか……!
とんとん、と。
カメラに写っていないところで、豊島さんの左手が机を小さく叩く。
それから、……ピース。
どういうこと?
頭が真っ白になる。
すると今度は「こいこい」と手招きするように指を動かすので、俺はカメラに映らない範囲で彼女の隣に近づいた。
……ぎゅっ。
――え?
豊島さんが、俺の手を握る。
大丈夫だよ、と伝えるかのように。
その手は少し汗ばんでいて、にも関わらず指先は冷えていたけれど、
彼女は……カメラに向かって微笑んでいた。
「ご指摘ありがとうございます。大変勉強になります。……でも!」
朗々とした声が、狭い貸し会議室に響く。
握られた手に、自然と力がこもる。
「ひとつ、訂正させてください。わたしが今、ここでこうして笑顔で皆さんの前でお話できるのは……彼女がわたしを助けてくれたからです」
……そうだ。
二人の出会い。
高校入試当日、蓮根さんがストーカーから豊島さんを助けていなければ、今の豊島さんはここにはいなかった。
彼女はずっと強い人だったわけじゃない。
蓮根さんのおかげで、強くなれたんだ。
そして、蓮根さんも常に弱い人ってわけじゃない。
強く凛としている時もあれば、どうしようもなく弱ってしまうこともある。
「彼女は、わたしよりも芯があって強い人です。だからたぶん、お父さんのことだって黒歴史だなんて思ってない。わたしはそう信じてます」
「ああそう。でも、オレが読んだ記事には娘は呆れてたって書いてあったけどね」
鮫洲は鼻で笑う。確かに記事にはそう書いてあった。
それ以外の情報はない。悔しいが、これ以上は蓮根さん本人に聞いてみない限り――
「いや、ちょっと待って。アタシの記憶が正しければ……その人の娘、選挙最終日の演説にいたよ」
「え?」
「……は?」
みねあの言葉にチャット欄は「?」で埋め尽くされる。
なんでみねあが十二年前の選挙のことを知っているんだ?
年齢設定十六歳なのに……って、前も俺同じことを思わなかったっけ。
――ああ、思い出した!
選挙が始まる前、みねあが炎上して一時活動停止した時の配信。
あの時、彼女こう言っていたはずだ。
『都知事選ってさあ、毎回変な人出てんじゃん。何回前だったか忘れたけど、謎の踊り踊ってた人いたよね。なんだっけ、富士急のアトラクションと同じ名前の踊り』
富士急のアトラクション――「ええじゃないか」。
それに謎の踊りといえば、たぶん蓮根さんのお父さんのことだ。
「たまたまね、当時その人が演説してた近くを通りがかったんだ。で、変なことしてるおっさんいるな〜って、興味本位で見てたんだよね。そしたら、後から池上さんの選挙カーがやってきて、同じ場所で演説を始めたんだよ。……拡声器って、ものによって全然性能違うのね、おっさんの声が簡単にかき消されちゃってさ。おっさんの演説聞いてた物好きな人も自然と池上さんの方に流れそうになってた。……その時だった」
みねあは言う。
大きく叫ぶ声を聞いたのだと。
「『親父の話を聞けーーーーッ!』って、女の子の声がして、思わず何人か振り返ったよ。制服着た女の子だった。おっさん自身もすごくびっくりした顔してたな。でも、同時にちょっと嬉しそうだった」
残念ながら、未成年は選挙運動に関わってはいけないと法律で定められている。彼女はその後逃げるようにその場を去ってしまったようだったが、たぶん、俺たちの知っている蓮根さんだ。
思わず豊島さんと目が合う。
彼女の瞳にはきらきらといくつもの星が瞬いているかのようだった。
希望の光。
俺は無言で頷き、繋がったままの彼女の手を強く握った。
この勝負――俺たちの勝ちだ。
「……えーと、てなわけで。鮫洲氏、申し訳ないけどこの件についてはあんたの仮説が間違ってたってことでいい?」
みねあが尋ねる。
しばし無言。……いや。
「あッ! 通話切れてる!!」
おそらく逃げたのだろう。
それ以降、鮫洲が配信に戻ってくることはなく、その日は幕を閉じたのであった。
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