第27話 鮫洲の切り札
「せっかくアタシがホストやらせてもらうからね、あんたらが聞きたくてもなかなか聞けないこと聞いちゃうよ〜!」
画面中央に写っているのはVTuberであるみねあのアバターだ。
その左右に四角の枠があり、左が豊島さん、右が鮫洲である。ビデオカメラONで顔を出している豊島さんに対し、鮫洲は今日は被り物すらしていないのか、カメラOFFで画面には彼のデフォルメされたサメのアイコンだけ。実写の人間、VTuber、静止画アイコンとなかなかシュールな並びとなっている。
リモート開催なので豊島さんと俺は豊島さんの家の近くの貸し会議室から配信に繋ぐことにした。俺は画面外からのサポート役で、彼女が発言内容をすっ飛ばした時にカンペを出したり、回線トラブルが起きた時に対応したりする役割である。
「じゃあ早速だけど、供託金の三百万ってどうやって用意したん? 鮫洲氏から行ってみよー!」
「オレはクラファンですよ。都知事選の闇を暴くために協力してくださいって呼びかけたら、ありがたいことに一日で集まりましてね」
クラファン。クラウドファンディングの略だ。ネット上でカンパを集めるやり方はいかにも鮫洲らしい。
「んじゃ、お次は豊島氏!」
「わたしは、結婚資金です」
大真面目に即答する豊島さん。チャット欄一面に
「え、ちょ、結婚資金!? 大丈夫なんそれ」
「んー、たぶん大丈夫です! 選挙の前に付き合っていた人とお別れしたので、しばらく結婚の予定ないですし」
「マジか〜〜。豊島氏、普通に真面目な人かと思ってたけど、やっぱ都知事選に出る人ってなんかネジ一本ぶっ飛んでんのね。あ、これ良い意味で」
「えへ、恐縮です」
照れたような彼女の微笑みに視聴者の反応は好印象。
さすが豊島さん、掴みは上々だ。
同時接続数は鮫洲とみねあのファンが多く見に来ていることもあって、すでに先日の合同ネット討論会のピークと同等、二万人になっている。
「次の話題はー、都知事になったらまず何をやる? はい、今度は豊島氏から」
「家庭支援サービスの充実ですね。ヤングケアラー、ひとり親家庭、介護家庭、多子家庭……それぞれ抱える問題は異なりますが、都の職員の業務を通じて学んだのはどこも『他に頼れる人がいない』という共通点があることです。たとえば家事代行業のクーポンだったり、ファミリーサポート事業の認知拡大やサービス拡充などに力を入れていきたいと思っています」
「ふむふむ、なるほどね〜。鮫洲氏はどう?」
「オレのチャンネルの視聴者さんはもう耳タコだと思いますが、オレがまずやりたいのは癒着職員の解雇、これが第一です。都政の闇を暴くにもこいつらがいると証拠隠滅されたりするんで、人事は徹底的に洗い直します。不要な人材がいなくなれば人件費に使われている税金も節約されるでしょ。その分を都民の皆さんに還元していきます」
そんな感じで、双方が交互に意見を述べる時間がしばらく続いた。
鮫洲と豊島さん、二人の方向性はまるで異なる。
政策の精度で言えばどう考えても豊島さんに軍配が上がる。公共課題をよく把握しているし、やろうとしていることも現実的で夢物語ではない。
一方、鮫洲が掲げているのは政策よりも改革だ。都政のカネの動きを見える化し、無駄は徹底的に削っていく。どの政策に優先的に予算をかけるかは本人も彼の支持者もあまり気にしていないらしい。
選挙は、候補者の掲げる政策を見て投票先を決めるべきである。
よく言われる言葉だが……本当にそれだけだろうか?
俺には鮫洲を応援するファンの気持ちもちょっと分かる。
誰もが公共政策の恩恵を身近に感じられるわけではない。たとえば結婚の予定のない独身の社会人にとって、子育て支援策はあくまで他人事だ。自分がせっかく稼いだ金を税金として持っていかれて、赤の他人の利益のために使われるのは腹が立つだろう。鮫洲はそういう感情を強い言葉で代弁してくれる。そこにリーダーシップを感じる人は多いはずだ。
そう、だから政策や主張を話すだけではこの二人はずっと平行線だ。
その証拠に、開始三十分頃で徐々にだれた雰囲気が漂い始め、同接数も徐々に数が減ってきていた。
だが、この会をただで終わらせる気はお互いにない。
少しでも多くの票を稼ぐためにやっているのだ。
相手の支持者を、浮動票であるみねあファンを取り込む――その野心のもと、先にカードを切ってきたのは鮫洲であった。
「ところで、豊島さんに聞きたいことがあったんですけど」
彼はわざとらしく丁寧な口調でそう言うと、パチンと指を鳴らした。
それと同時に画面に映っていた鮫洲のアイコンが別の人物の写真に変わる。
薄毛の中年男性。頭にハチマキ、祭装束のような和装の上に女物の赤い着物を羽織った妙な格好で行儀良く座って正面を向いている。彼の手前に名札が置かれているのを見て、なんとなく悟った。おそらくこれは、政見放送の切り抜き画像だ。
名札に書かれている名前は、蓮根尚彦。
「あんたの政策って、十二年前に都知事選に出てたこの人のパクリじゃないっすか?」
鮫洲はそう言って、彼の画面枠の中で動画を再生した。
静止画かと思ったら動画のサムネイル画像だったらしい。
画面の中に写っていた人物が動き出す。
男は――泣きながら踊っていた。
『労災くれてもええじゃないか! パワハラ滅べばええじゃないか! お仕事休んでええじゃないか! お金配ってもええじゃないか!』
男は音割れするほど、喉が枯れるほど大声で叫び、乱舞する。
同じ言葉を何度も繰り返し、最後、ヘトヘトになりながらもカメラにまっすぐ向かって言った。
『ナオヒコの世直し! みなさん、お願いです! 優しい東京にしましょう! 一緒に! よろしくお願いします!』
動画が再生されている間、豊島さんの表情からは笑顔が消えていた。
鮫洲――やっぱりやりやがったな。
配信が始まる数時間前のことである。
一日の演説回りを終え、ファミレスで夕飯を食べていた時、俺は鮫洲と同じようなことを豊島さんに尋ねた。
2012年の都知事選のことを調べた時から蓮根尚彦の名前が引っかかって、彼について少し深ぼってみたのだ。主な政策、そしてキャッチコピー。それが今の豊島さんの掲げているものとほとんど似通っていることが分かった。
「もしかして……いや、もしかしなくてもそうだと思うけど、この蓮根尚彦って人は、俺たちが知ってる蓮根さんの関係者だよね?」
豊島さんはやや間を空けてから頷いた。
彼女にしては珍しい、気づかれたことをあまり歓迎していない風の態度であった。
「うん。たぶんお父さんだよ、あおいちゃんの」
「でもこの前の話だと、蓮根さんのお父さんが選挙に出てたなんて話、してなかったよね」
また、少し間が空く。
「……言えなかったんだ。あくまでわたしの推測の中での話だから」
「推測の中の話? どういうこと?」
豊島さんは肩を落とし、小さな声で言った。
「あおいちゃんからは……お父さんが選挙に出てたこと、一言も聞いてないの」
彼女が蓮根尚彦の出馬について知ったのは2012年当時ではなく、社会人になって都の職員として働きだした後のことであったという。
過去の都知事選について調べる機会があり、メディアではなかなか報道されることのなかった泡沫候補たちの情報も追っていく中で、蓮根尚彦の名前に気づいたのだ。
娘とどこか面影が似ている顔立ち、公表されている職業と居住地域からも薄々蓮根さんの父であることを察することができたが、それがより確信に近い形に変わったのはとあるフリーライターによるインタビュー記事である。
〈蓮根さんはどういった経緯で出馬を決めたんですか? 事前の出馬表明はされていませんでしたよね〉
〈妻がね、亡くなったんですよ。告示日の三日前に〉
2012年の都知事選の告示日の三日前。
それはまさに、久々に蓮根さんと連絡が取れて、お母さんの訃報を聞いた日であった。
〈それはご愁傷様です……。でも、なんで都知事選なんですか?〉
〈俺は怒ってるんです。前の都知事にも、今回有力候補の万願寺と池上にも。あいつらはなんにも分かっとらん! 自分の承認欲求を満たすことしか考えとらん! 飾り立てることばかり必死で、自分たちの言葉が刃になりうるってことを、ちっとも考えちゃおらんのですよ……!〉
記事によると、彼は何度も感情を昂らせながら語ったという。
「それから選挙の直前――万願寺さんが出馬を決めた翌日あたりだから、告示日の四日前とかかな、その時の池上さんと万願寺さんの合同記者会見の記録映像も見たの。……あおいちゃんのお父さんが言っていた意味が、分かった」
選挙が始まる直前の、有力候補同士の蹴落とし合い。
万願寺は言う。強いリーダーシップに基づき、古き良き東京を再構築、一致団結で「あるべき東京を取り戻す」時だと。
池上は言う。経済の低迷が隠蔽体質を生んでいる。女性の社会進出、管理職登用を増やして「強い東京」を築くべきだと。
二人とも自分をより良く見せるために前職知事を痛烈に批判した。そして、蓮根さんのお母さんが体調を崩すきっかけとなった汚職事件についても「あり得ない」などときつい言葉で断じた。
実際にその現場に関わった人がどう感じるかなど、考慮されていなかったのだ。
それは当の本人たちだけでなく、メディアや大衆の意見も同じだった。
注目二候補の合同会見はマスコミで大々的に取り上げられ、たぶん蓮根さんのお母さんの目に触れた。
そして彼らの言葉が、刃に――……。
〈俺は戦いますよ。万願寺と池上が自分の過ちを認めるまで、徹底的にやります。けどね、対等な立場になるために都知事選に立候補したのに、あなたみたいな奇特な人しか取り上げてくれないからね。踊ったり派手な衣装を着たりするしかないんですわ。……娘は呆れとります。そんなことよりお母さんの死に浸ってくれと。アホな親父で申し訳ないですけどね、これが俺なりの戦い方なんですよ〉
実際、蓮根さんのお父さんは万願寺や池上の陣営に何度か乱入して、討論会や合同演説を申し込んだらしい。相手にされることはほぼなかったようだが。
そして選挙結果は以前調べた通り、得票率わずか0.1%。惨敗だ。
彼が選挙に出ていたことすらほとんどの人が知らないまま、今に至る。
……そうか。
豊島さんが都知事選に出ようと思ったのは、蓮根さんに謝りたいだけじゃない。
「戦うため、なんだね?」
彼女は縦に頷いた。
「これは半分わたしのエゴ。あおいちゃんがお父さんの選挙のことどう思っているか分からないから、もしかしたら裏目に出るかもしれない。でも……それでも悔しかった! 記事を読んでたら、思わず涙が出てきて……! あの時あおいちゃんのために何もできなかったぶん、お父さんみたいに戦いたいって思ったの」
豊島さんの瞳を見る。揺るがない目だ。
だからこそ、俺は頭が痛かった。
今から言いたくないことを言わなければならない。
「……だったら、鮫洲との討論会は中止にしよう」
「え?」
「あいつは戦う相手のことを細かいところまで調べてくる。正直、すごいリサーチ力だ。蓮根さんのお父さんとの政策の被り……俺でも気づいたくらいだから、たぶん向こうも気づくと思う」
そうなった時に考えられること。
討論会の最中に鮫洲は豊島さんの弱点を晒しに来るはずだ。
弁明するには蓮根さんと豊島さんの繋がりを説明することになるが、それはできれば避けたい。説明する義理などないし、ああいうやつにできるだけ余計な個人情報を語らない方が得策だ。さらに根掘り葉掘り色々と調べ、あること・ないこと言いふらされる可能性がある。
ただでさえ、素直な豊島さんは以前の合同ネット討論会で鮫洲に言われたことを気にしていた。
不利になりうることが分かっている状況で、あえてあいつと真正面からやり合う必要はないんじゃないか。
「俺は嫌だよ……豊島さんが鮫洲にちくちく責められるのを見るのはさ……」
つい、本音が漏れる。
分かってるさ。今更討論会を中止にしようたってもう手遅れ。背中を見せて逃げるのはそれこそ鮫洲に付け入る隙を与えるようなもの。だけど俺には、この他に鮫洲への対抗手段が思いつかなかった。
顔を覆って俯いていると、ぽんと彼女が優しく肩を叩いてくれた。
「心配してくれて、ありがと」
「うう……ごめん、配信の直前にこんなこと言って……」
「ううん。こちらこそ黙っていてごめん。でも、事前に話しておいて良かったかも。わたしが責められるのを見るのが嫌……ふむふむ、そっか。うん、なるほど」
豊島さんは神妙な顔つきで何かぶつぶつ呟いていたかと思うと、手帳を取り出して何やらメモを書き出した。
「中野くん。お願いがあるんだけど」
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