第25話 先例に学ぶ



 翌日。

 都知事選の情勢はめまぐるしく動いていた。


 綾瀬は万願寺の女性問題について「デマじゃない」と徹底的に言い張ることにしたようだ。


〈みんな、騙されないで。訴えた女の子の勇気を無駄にしないで。ともに戦いましょう〉


 そう煽ったのち、若林陣営に合流することを発表。

 綾瀬の支持者たちはもともと保守的な万願寺に対して批判的なスタンスの人が多かったため、若林側につくことに対してはさほど反論は起きなかったようだ。

 昼頃には若林と綾瀬が合同で演説を行う様子が報じられた。

 これまで泡沫候補の一人として全くテレビや新聞で取り上げられてこなかった綾瀬が、初めてマスメディアに登場した瞬間であった。

 これに対し、綾瀬と同様日々ネットを賑わせてきた鮫洲が苛立ちを露わにする。


〈言わんこっちゃない。やっぱ綾瀬には裏で政界と繋がりがあったってことでしょ。で、相変わらずオレのことは透明人間扱い。異常じゃないですか? みなさん、こんな陰謀まみれの選挙が本当に公平だと信じてるんですか? だとしたらちょっと引くわ〉


 攻撃的な言い方だが、鮫洲が発言したのはあくまでネット上だけだ。

 さらに行動を起こした者たちもいる。

 若林と綾瀬の合同演説中に「ズルしてんじゃねー!」「デキてるんですかー!?」などと拡声器で大音量の野次を飛ばしたり、ゴミを投げ入れたりしたとして、数人の男が選挙妨害で逮捕される事件が起きた。調べによると、彼らはテレポートゆうこの支持者だったという。

 テレポートゆうこは自分は指示していないと言いつつも、ポスター掲示率がすでに100%に到達しているにも関わらずメディアに取り上げられないことに、支持者の中で不満が高まっていることを述べた。彼女の信条や政策は置いておいて、確かにこの不平等な扱いについてはネット上で同情の声が多く寄せられることとなった。


 さて、スキャンダルについて上手く言い逃れした万願寺はどうしているかというと、今日は八王子市、あきる野市など東京の西端地区を巡り演説を行ったという。あえて交通の便が悪いエリアを中心に回っているのは……やはりマスコミからの追及から逃れるためなんだろうか。何か意図があるような気がしてしまう。


「優しい東京、。世直ししたって。直央の世直し! みなさん、期日前投票始まってますよ! 投票よろしくお願いしまーす!」


 豊島さんは今、自身のSNSやYouTubeにアップするためのショート動画の撮影中だ。俺たちが今いるのはお台場海浜公園。よく晴れ渡った夏空と海、そしてレインボーブリッジを背景に、白いワンピースに身を包んだ豊島さん。貸し会議室や街頭で撮ったいつも通りの動画ではなかなか再生数が伸びないので、少し趣向を変えてみてはという支援者の人からの提案のもと、こういう形での撮影になっている。決して俺がプロデュースしたわけではない。……賛成はしたけど。


「直央さん、今の映像、チェックお願いします」

「……うーん、やっぱり振り付けつけちゃだめかなあ」

「え、踊るんです?」

「その方が印象的だと思うんだけど、中野くんが変だって言うんだよね。清瀬くんはどう思う?」

「確かに変と言えば変ですねー。スローガンもちょっと攻めてるんで、あんまりやり過ぎると引かれちゃうかも」

「え、うそ、攻めてるかな?」

「なんというか、ぱっと見の直央さんの印象と違うというか……ちょっと言葉選びがおっさんぽくないです?」

「お、おっさん……!」


 豊島さんと撮影を任された清瀬くんとの会話を聞きながら、俺はベンチに座ってパソコンの画面に向き合っていた。

 Xのフォロワー数、15,000人台から動きなし。

 ポスター貼りゲームのアクセス数は昨日一日で四千件もあったが、実際に今日まで貼られたポスターの数は五百枚足らず。ここは手間もかかるところなので辛抱は必要だと思うが、万願寺のスキャンダルで話題をかき消されてしまったのが痛手となっている感は否めない。


「いてて……」


 喉元に違和感がある。

 小声で呟いたのを豊島さんが聞いていたのか、心配そうに俺の顔を覗き込んできた。


「どうかした?」

「ああうん、昼に食べたアジフライの小骨が引っかかったみたい」

「わ〜、それは嫌だね。うがいすると取れるって聞いたことがあるよ」

「そうなんだ。後でやってみる」

「あ、オレまだ開けてない水持ってますよ。飲みます?」


 清瀬くんからペットボトルの水を受け取りつつ、俺はパソコンの操作を続ける。

 喉元に引っかかっているのは魚の小骨だけじゃない。

 昨晩の若林の言葉……。

 陣営に加わるのを断った俺たちに、「後悔しますよ」と彼は言った。

 実際、今日一日の若林と綾瀬の陣営の勢いは凄まじく、演説の映像を見るに万願寺の陣営よりも聴衆が多いような気がした。あれだけの人に豊島さんを知ってもらえたら……。

 やっぱり、誘いに乗るべきだったんじゃないか。

 そんな考えが今日何度も頭をよぎっては消えていく。

 何か他に、一気に支持者を増やすことができるような秘策はないものか。


「むずかしい顔、してる」


 つん、と頬をつつかれる。

 いつの間にか豊島さんがベンチの隣に座っていた。他には近くに誰もいない。


「あれ、清瀬くんは?」

「支援者の人からポスターを受け取りたいって連絡があって、駅の方に行ったよ」


 確かに、LINEを見ればそれらしい連絡が来ていたようだ。全然気づかなかった。


「……中野くん」

「うん?」

「若林さんに言われたこと気にしてるでしょ」


 うっ。見透かされている。


「中野くんは気にしなくていいんだよ。誘いを断ったのはわたしなんだから」

「それはそうなんだけど……今日の若林さんたちの勢いを見たらさ……」

「焦る?」


 豊島さんにそう言われて、俺は情けなくうなだれた。


「かと言って、別に何か良い案が思いつくわけでもないんだ。もともと選挙に詳しくない俺の頭じゃ、正直これ以上ひねっても出てくる気がしない」


 我ながらポスター貼りゲームのアイディアはかなり良い線行っていると思っていた。だが、それだけじゃダメなのだ。選挙期間の付け焼き刃的な策で積み増せる支援者には限りがある。いざ当選を意識すると、長年の積み上げがものを言うことになる。


「いつも一生懸命考えてくれて助かってるよ。でも自力で考えられることには誰にだって限界はあるから……たまにはさ、先人の知恵を借りるっていうのはどうかな」

「先人の知恵?」


 豊島さんは頷くと、俺のパソコンを指して「2012年 都知事選」で検索するように言った。調べるとその年の都知事選の情報がいくつか出てくる。十二年前――俺たちがまだ高校生で、都知事が不祥事で辞職して、蓮根さんが高校からいなくなってしまった年の選挙である。

 この年はまだ選挙権が無かったというのもあり――ちなみに選挙権が満十八歳に引き下げられたのはこの四年後の2016年のことである――、選挙戦がどういう展開だったのかはまるで覚えていない。

 豊島さんの手伝いをするようになって少しだけ調べたが、この時に現職の池上が当選して以来、三期連続で彼女の地位は揺るがなかったという。

 ヒットしたページをいくつか漁ってみると……そうそう思い出した、今回の選挙の初日のニュースで触れられていたが、万願寺は十二年前も出馬していて、その時は池上と票を争うライバル関係だったようだ。


「実はね、選挙が始まった時点では万願寺さんの方が圧倒的優勢だったみたいだよ」

「え、そうなの?」


 豊島さんは経緯を詳しく説明してくれた。

 都知事の不祥事が発覚して一番に名乗りをあげたのは池上だった。

 彼女はもともと次の都知事選に出るつもりだったようで、迷う余地はなかったらしい。

 ただ、当時所属していたJ党(国政の与党である)の方針と噛み合わず、政党は離脱して独自政党を立ち上げざるを得なくなった。新しくできたばかりの政党は、どれだけベテランの政治家が引っ張っていてもどうしても組織力が劣る。彼女は不利な立場での参戦という形になったのだ。

 そんな池上相手であれば勝てる可能性もあるだろうと、ある程度名のある政治家から無名の泡沫候補まで多くの候補者が乱立。今でこそ少なく感じるが、その時の立候補者は二十名を超え、過去最多を記録したという。


「都知事選には後出しジャンケンの方が有利っていうジンクスがあってね」

「後出しジャンケン??」

「シンプルな話だよ。告示日直前に立候補を宣言した方が有権者の印象に残りやすいでしょ」

「ああ、それは確かに」

「だから有力候補は満を持して直前に出馬表明をすることが多いの。十二年前は、万願寺さんが一番最後だったんだよね。たぶん、選挙が始まる五日前かな」


 万願寺の出馬表明が遅かったのは単純に後出しジャンケンを狙ったのもあるが、J党内でなかなか擁立する人物が決まらなかったせいもある。

 党を抜けた裏切り者という立場とはいえ、J党内には池上を慕う者や恩義のある者も多く、彼女と戦いたがる候補者がなかなか現れなかったのだ。しかし党のメンツのためには彼女に都知事選を勝たせるわけにはいかない。

 そこで幹部たちは池上に太刀打ちできる可能性のある万願寺に頼み込み説得、直前になって立候補が決まったということらしい。

 万願寺なら知名度も政治経験も池上を上回る。おまけにJ党公認候補であれば政党支持層の票もついてくるので、池上の勝ち目はない……選挙期間開始前までは、そう思われていた。


 しかし池上は知っていたのだ。

 選挙には入念な準備が必要。前々から都知事選に出るつもりで下積みをしていた池上とは違い、土壇場になって出馬が決まった万願寺は公約さえまともに検討する時間がなかったことを。

 その弱点をつくべく、彼女は積極的に万願寺を合同討論会に誘った。

 しかし準備の整っていない万願寺はその誘いを断るか、出席しても具体性に欠ける発言ばかりでのらりくらりかわすしかなかった。

 そうして逃げ腰の万願寺の姿勢がメディアで周知されていくに従い、情勢は万願寺から池上へと傾き始めたのだ。

 当時はまだネット選挙解禁前だったこともあり、マスメディアでの印象が投票結果に大きく反映される。

 開票結果は、池上が得票率37%、万願寺が30%。かなりの接戦で池上の勝利に終わった。


 話を聞き終えた俺は、腕を組んで内容を反芻してみる。

 池上がとったのは至極真っ当で王道な作戦だ。

 それが功を奏したのは彼女がもともと有力候補の一人で、万願寺との戦いがメディアに取り上げられやすかったからというのは当然ある。

 同じやり方をしても、まだ泡沫候補の一人に数えられている豊島さんが有力候補たちに相手にされるか、戦いの様子が報じられるかどうか……懸念は残る。

 だが、やらないよりはマシだ。

 それに、飛び道具に頼るよりはこういう泥臭いやり方の方が彼女に合っている気がする。


「ありがとう、豊島さん。今の話を踏まえて一つ提案なんだけど」

「うんうん」

「他の候補者五十六人全員にコンタクトとってみよう。政策討論会か合同演説に誘うんだ。で、その様子をYouTubeで配信するのはどうかな」


 候補者の多さもあってめちゃくちゃ手間はかかる。だが、ここは全員平等に声をかけるのが肝だ。これは若林と綾瀬の同盟に対するアンチテーゼでもある。豊島さんは正々堂々戦う人だというのを見せつけるのだ。

 呼びかけに応じてくれる候補がいれば、豊島さんのことをその候補者の支持者にも知ってもらうチャンスになる。

 一度知ってもらえればこっちのものだ。豊島さんは政策も作り込んでいるし、人柄も良い。上手くいけば向こうの支持者を取り込むこともできるだろう。


「いいと思う! 早速連絡とってみるね」


 そう言って豊島さんはその場で他の候補者に電話をかけ始めた。

 告示日や合同ネット討論会の時に顔を合わせた人とはすでに連絡先を交換してある。さすがの行動力とコミュ力だ。


 その間にスケジュールを確認しておこうとふとパソコンの画面に視線を戻した時、表示したままの2012年都知事選のニュースの開票結果のページで、俺はふと気になる候補者の名前を見つけた。


(得票率0.1%、尚彦なおひこ……?)


 電話を終えた豊島さんに肩を叩かれ、俺は反射的にノートPCを閉じた。


「早速OK出たよ!」

「お、すごい! 誰?」

「えっとね、鮫洲さん!」

「さ、鮫洲……!?」


 最初に釣れたのは、まさかの「バンデット⚔️シャーク」。

 ……どうしよう、もしかしてこの案、悪手だっただろうか。

 一抹の不安が、頭をよぎった。



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