第20話 あおいとの出会い
俺にとっての彼女との接点は高三で同じクラスになった時が初めてだが、豊島さんにとってはそれをかなり遡る。
高校入試が行われた、二月。
受験のその日に、豊島さんは彼女と知り合った。
「当時通ってた塾にね、すごく熱心に教えてくれる先生がいたんだけど……その人、ちょっとストーカー気味だったの。受験直前頃にはだんだんエスカレートしてきて、家で個別指導しようとか言われたり、盗聴器の入ったお守りをプレゼントされたりして……」
「ガ、ガチのヤバい人だ……」
「うん。だから親にも相談して受験前に塾やめたんだよね。でも、先生はわたしがどこ受けるか知ってて……。入試の日にさ、塾の先生たち応援しにくるじゃん? そこに紛れて待ち伏せしてたの」
俺たちはいつの間に怪談をしていたのだろう。
めちゃくちゃ背筋冷えた。怖すぎる。
というか教え子の入試当日に精神かき乱しにくるとか、常軌を逸してるだろう、そいつ。
「先生は自分が原因でわたしが塾を離れたとは思ってなかったみたい。ストレスで病んだんじゃないか心配してた、今日は冷えるから抱きしめて温めてやろうかって、たぶん本人は善意のつもりで色々言ってきたんだ。でも、わたしはもう顔合わせたことでパニックになっちゃって、足がすくんでその場から動けなかったの。周りの人にはちょっと過保護な先生くらいにしか見えてなかったのかもしれない。あるいは、受験に必死で他人を手助けしようなんて考える余裕がなかったのかも。しばらく誰も、助けてくれなかった。……あおいちゃんを除いて」
「嫌がってるでしょ」と、彼女はそう言って豊島さんから先生を引き剥がしたのだそうだ。
受験生はそろそろ教室に入って席につかねばならない、ギリギリの時間だった。それでも蓮根さんは焦ることなく、周囲の大人たちに事態を伝えて先生を取り押さえ、警察に通報したらしい。
それから入試のスタッフがやってきて、豊島さんと蓮根さんの二人は別教室で時間をずらして入試を受ける特別措置が取られたという。
おかげで二人とも無事合格するわけだが……。
「あおいちゃんはね、本当は失格になってほしかったんだって」
「え?」
「もともと偏差値がギリギリで受かるか怪しかったし、勉強そんなに好きじゃないから高校行かずに働くことになってもそれはそれで良かったって。だからわざと時間ギリギリに来て、トラブルに巻き込まれようとしたみたい」
「そんな……豊島さんを助けたのは、善意じゃなかったってこと……?」
「そ。面白いよね」
面白いっていうか、変わった人だな蓮根さん。
思ってても本人に言わなくない、普通?
きっかけは何にせよ恩は売れたんだから黙っときゃいいのに。
「あおいちゃんのそういう歯に衣着せないところ、好きになってさ。入学したらクラス離れ離れだったんだけど、しょっちゅうお昼一緒に食べたり、一緒に帰ったりしてた。どうでもいい話で笑い合ったり、二人とも歌下手なのにカラオケ行ったり、プリクラで誰か分からなくなるまで加工してみたり……。その時のわたしたちは、たぶん、ちゃんと友だちだったと思う」
豊島さんはずっと抱きしめたままのレンコン太夫を撫でる。
あのキャラクターも、元は蓮根さんが自分の苗字にちなんで推し始めたのを豊島さんに布教して、豊島さんもハマったのだという。
「でもね、高校って春を過ぎるとだんだんコミュニティができてくるでしょ。クラスの仲良しグループ、部活仲間のグループって感じで」
「うん。ぼっちはいつまでもぼっちのままだけどね」
「あう、ご、ごめん……そういうつもりじゃ」
「いや今更気にしないから。続けて」
俺と豊島さんは高一の時も同じクラスだった。
彼女が毎日色んな人たちに囲まれていたのは知っている。
そんな中、違うクラスの共通点のあまりない友人と関係を続けるのがだんだん難しくなってくるのは容易に想像がつく。
「わたし、それでもあおいちゃんとの関係を切りたくなかった。だから無理やり部活に誘ったり、他の友だちと遊びに行く時に呼んだりしたの。あおいちゃん、本当は乗り気じゃなかったと思う。だけどわたしのために付き合ってくれて……。それなのに、嫌な思いさせちゃった」
とあるクラスメートの誕生日。
みんなでお菓子を持ち寄り、放課後机を合わせてお祝いをした。
蓮根さんは用事があって先に帰ると言い、彼女が教室から姿を消した後に一人のクラスメートがぼそりと呟いた。
――蓮根さんの持ってくるお菓子、いつも賞味期限ギリギリだよね。
まさか、と豊島さんは思った。
けれど確かに彼女の持ってきたチョコ菓子は本来日持ちの良いもののはずが賞味期限が一週間後で、誕生日だった子は「うわ、やめとこ」と言って要らないプリントに包んで捨ててしまったという。
――もしかして貧乏なのかな。他のクラスの子から、下着いつもユニクロだって聞いたし。
――それ、あたしも思ってたー。こないだ、美容院半年行ってないって言ってたもんね。どうりであんなに前髪長いわけだ。
――直央も優しいよねぇ。ああいう子とわざわざ仲良くしてあげてるなんてさ。あ、やっぱあれ? 学年主任か何かに言われてんの? あの子、自分のクラスじゃ浮いてるらしいもんね。
息の詰まるような会話。
確かに、彼女があまり金銭的に余裕が無さそうなのは豊島さんも薄々気づいていた。
体験入部にはいくつか連れて行ったけど結局どこにも入らずバイトをしているし、お昼はいつも質素な手作りの日の丸弁当。制服も新品ではなく知り合いからお下がりをもらったと聞いた。
だけど、そのことで彼女を蔑んだり同情したりしたことは一度もない。
むしろ高一のうちから親に頼らず、自分のことを自分でしようとしている彼女のことを尊敬している。
――先生には何も言われてないよ。
――えっ、そうなの。じゃあ次からあの子呼ぶのやめようよ。本人も居づらそうだし。
――それは……。
豊島さんが言い淀んでいると、どこからか「そうだよ」という声が聞こえてきた。
蓮根さんだった。
彼女は忘れ物をしたことに気づき、教室に戻ってきたのだ。
その場にいた全員の顔がさっと青ざめる。
どこまで聞かれていたのだろう。
しかし蓮根さん本人は何も気に留めていないような無表情で、忘れ物を取り、ざくざくとゴミ箱を漁った。やがてプリントに丸く包まれたチョコ菓子を見つけると、パッケージの裏にある賞味期限を確認して、それからそれを捨てた相手を一瞥して言った。
――ごめんね、貧乏性でさ。
彼女の声は震えていた。
強がって見せているけれど、間違いなく傷ついていた。
足早に教室から去っていった蓮根さんを、豊島さんは思わず追いかけた。
だが、蓮根さんに拒絶されてしまった。
「ついてこないで」と……。
「蓮根さんはなんでそんなことを?」
「わたしに気を遣ってくれたんだよ。あんまり自分に肩入れし過ぎるとクラスの中でのわたしの立場が悪くなるから、これ以上はやめた方が良いって」
イマイチ豊島さんが何を言っているのかピンと来なかったが、とりあえずリア充たちの世界は恐ろしいということが分かった。
俺、高校時代ぼっちで良かったのかも。
「蓮根さんは優しい人だね」
「うん。優しすぎたんだ……」
それからというもの、二人が一緒にいる時間はほとんどなくなってしまった。
学校で会っても、蓮根さんは見て見ぬふり。
学校の外なら二人で遊べるかと思って何度か声をかけたが、バイトが忙しいとかでのらりくらりかわされてしまった。
それでも、この時はまだ、豊島さんのことを嫌いになったわけではなかったようだ。
メールでのやりとりは返してくれたので、文理選択どうするとか、最近流行りのドラマがどうだとか、他愛もない文通が続いた。
「あおいちゃんのメールにはよく家族のことが書いてあったな。無計画だけど陽気なお父さん、真面目で優しいお母さん、歳の離れた三人のきょうだいの六人暮らしでね。家族と仲が良いから別に友だちたくさん作ろうとは思わないんだって、よく言ってたよ」
「家族……」
ふと頭をよぎる線香の匂い。
あれは、まさか――。
豊島さんと目が合う。
俺の頭にあったことを察してかは分からないが、彼女はこくりと頷いた。
「そんなあおいちゃんの大事なものが、高三の時に壊されてしまったの」
俺たちが高三の時。
すなわち十二年前。
……なるほど、繋がってきたかもしれない。
その年は都知事が汚職によって任期中に失脚し、その後選挙が行われた年であった。
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