第19話 真夜中の公園で


 豊島さんの家の最寄り駅に着いて、俺は重大なことに気がついた。


 適齢期の男と女が深夜に二人きり。

 男は夜遅いからだなんだと大義名分つけて家まで送ると言い出し、終電逃したことを理由に、あるいは彼女の罪悪感につけ込んで、そのままずるずると彼女の部屋へと上がり込む……。

 恋愛ものでは王道の「送り狼」展開。

 今の状況、まさにそれである。


 違うっ、違うんですっ!

 本当に彼女の心配をしただけで、下心なんて微塵もなかったんです。

 信じてください。

 これまで何度も彼女の部屋へ足を運んだけど、過ちなんて一度もなかったじゃないですか。

 手と手が触れ合ったことすらも……。


 ……あ、なんか自分で言ってて悲しくなってきたぞ。

 俺ってそこまで魅力ない?

 そりゃあルックスは平凡だし、明るくて気の利く性格とかでもないけれど。

 豊島さんがさっきから一言も口を利いてくれないのも、俺が勝手なことして怒っているとか……?


 ちらりと彼女の表情を窺う。

 穏やかな表情ではあるものの、目は合わない。

 いつもならすぐに視線に気づいて何かしらレスポンスしてくれるのに。

 やはり、らしくなかった。


「あのさ」

「うん?」


 声をかけて、彼女はようやく俺の視線に気づいたようである。


「豊島さんの家の裏に小さな公園あったでしょ。そこで少し話そう」


 一応、自分から予防線を張っておく。

 下心じゃなくて本当に心配しているということを伝えたかった。

 幸い今夜は涼しくて外で話すのもあまり苦にならない気温だ。


「そうしよっか。病み上がりなのにごめんね」

「いやもう全然平気! 豊島さんの作ってくれたうどんのおかげで普段より健康な感じがするから」

「ほんと? それなら良かった」


 そう言って彼女は弱々しく笑う。

 それが痛ましくて、きゅうと胸が締め付けられるような心地がした。


 駅から歩いて五分。

 豊島さんのアパートの裏の公園に着く。

 駅近とはいえ繁華街のない閑静な住宅街なので、公園には他に誰もいなかった。

 二十メートル四方程度の、都内ではよく見る小型の公園。遊具はすべり台とシーソーと、小さな砂場があるくらい。


「ベンチ、座る?」

「いや……」


 俺はなんとなくシーソーの方に足を進めた。ベンチは二人がけの小さなサイズだったので、この時間帯だと変に気を遣いそうであった。


「え、そっち? シーソー座るの、何年ぶりだろ」


 豊島さんはそう言いながら対面に座った。


「あはは、ぐらぐらするね」

「うん。……って、ちょっと、そっち蹴らないで!」

「いいじゃん、せっかくだから楽しもうよ。えいっ」

「ったぁ! これ、腰に響く……っ!」

「あはははは。もう三十歳だもんねえ、わたしたち」


 そう言いながらも豊島さんはなかなかシーソーを止めてくれない。無邪気に楽しんでいる……。

 こんなことで元気を取り戻してくれるならそれはそれでいいのだが、わざとふざけて本心をごまかしているような気もする。


「豊島さん」


 シーソーに揺られながら、俺は思い切って尋ねた。


「鮫洲に言われたこと、気にしてる?」


 ――あんたみたいなタイプほど、偽善ふりかざしといて足元を見ない。気づかぬうちに弱者の足を踏んで苦しめるんだろうね。


 彼女が表情を曇らせたのは、鮫洲にああ言われてからだった。


 だが、豊島さんのことを多少知っている俺からすれば、この発言が勝手な憶測で言い放った負け惜しみでしかないことは明白だ。

 彼女が政策として第一に掲げているのは、社会的弱者への支援。

 これまでの選挙活動を通じて彼女の主張を何度も聞いているが、現状についてよく調べているし、対策も付け焼き刃的なアイディアではなく、他地域や他国の事例を参考にしながら練っているのは伝わってくる。

 決して、票稼ぎのための薄っぺらい偽善や綺麗事なんかじゃない。それは彼女自身が一番よく分かっているはずだった。


「あんなやつの言うことなんか、気にする必要ない。豊島さんが誰より優しくて、立場の弱い人の味方になろうとしているのは、豊島さんを応援する人ならみんな分かっていることだよ」


「中野くん……」


 彼女はぴたりと地に足をつける。

 そしてほんの少し俯いた。

 薄暗くて足元はよく見えないけれど、そこには乾いた砂しかないはずだ。


「そう言ってくれて、うれしい。確かに今のわたしは、優しい人でありたいと思ってる。……でもね、鮫洲さんの言ったことも本当のことなんだよ」


 彼女はカバンから何かを取り出した。

 レンコン太夫のキーホルダーだ。

 彼女はそれを大事そうに両手で包み込み、ぎゅっと抱きしめる。


「これ、友だちから預かってるって言ったけど、そう思ってるのはたぶんわたしだけ。あの子はたぶん……わたしのこと、もう友だちだと思ってないから」


「何が、あったの?」


 俺の知る豊島さんは、誰からも慕われていて、友だちがたくさんいて、誰よりも輝かしい青春生活を送っている人だった。


 ……だけど、ずっと引っかかってはいた。

 そんな彼女が「青春のやりなおし」のためだと言った、出馬の理由。

 清々しく破り捨てられた、高校の卒業アルバム。


 彼女はすうと深呼吸すると、意を決したように顔を上げた。

 黒い瞳が、まっすぐに俺を見つめる。


「ねえ、中野くんは覚えてる? あおいちゃん――蓮根はすねあおいのこと」


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