第18話 合同ネット討論会、閉幕



 鮫洲が退席してからというもの、合同ネット討論会はつつがなく進行した。

 首都直下地震対策、政治資金問題、温暖化問題、マンション老朽化問題、経済成長の鈍化、所得格差、観光客増加について、慢性的な交通渋滞、エトセトラ。

 東京都のさまざまな課題について候補者たちが順番に答えていく。

 相変わらず的の外れた回答をする候補者もいたが、進行が途中で止まるようなトラブルはなく、最初のゴタゴタの分の一時間分だけ延長して、終了したのは二十三時過ぎ。

 なかなか長丁場ということもあって候補者・スタッフ共に表情には疲れが浮かんではいたものの、なんとかやり遂げたという見えない連帯感が生まれており、配信が終了するとあちこちで和気あいあいと歓談が起こっていた。


 少しの時差ラグがあって、俺のノートPCの画面上でも配信が終了する。同時接続数は1,800人。開始時は10,000人近くいたので、その五分の一まで減った。

 ……いや、厳密に言うなら同接数のピークは開始後40分くらいの鮫洲と綾瀬がケンカしていたあたりで、その時は20,000人くらいまでいっていたのだ。

 それが鮫洲の退席を皮切りに、5,000人くらいまでに一気に減り、徐々に人が減っていって今に至る。

 最初の体感どおり、リアルタイムで配信を見に来ていた視聴者のうち七割近くは鮫洲のファンだったということだろう。


 候補者たちの方を見ると、ちょうど記念撮影が終わったところであった。

 豊島さんは……囲まれている。


「いやー、豊島ちゃん。なかなか粋だったじゃねぇか!」


「豊島さんのお言葉、実はちょっと涙ぐんでしまいました。演説してもあまりに立ち止まってくれる人がいないものですから、私には一票も入らないかもなんて思っていて……」


「正直、鮫洲くん怖くて、いい歳してビビっちゃってたんですよねえ。豊島さんがああ言ってくれてスカッとしたなあ」


「……僕、豊島さんに投票しようかな」


「候補者のくせに自分に入れないのかよ!?」


 他の候補者たちに褒められて、豊島さんは照れくさそうな表情を浮かべている。本来ライバル関係である人たちまで魅了してしまうとは、さすが我らが豊島さんである。


 ただ、彼女を第一に推す者としてはなんとなく分かる。

 豊島さん……なんだか元気がない。


 そりゃあ一日の選挙活動に、さらに三時間の生配信出演で疲れがあるのは当然だろう。

 しかし彼女は根っからの「陽」の人だ。

 どんなに疲れても人前ではあまりそれを見せないし、どちらかというと疲れるほどハイになるタイプのようである。

 選挙初日の最後の演説を終えた後なんか、途中まで一緒だった帰りの電車の中で彼女は一人ずっと喋っていた。

 俺は同行していただけのくせに疲れて相槌を打つくらいしかできなかったのだが、演説の改善点をこうしたいだとか、池袋の街並みが以前とどう変わっただとか、とりとめもない話をひたすら喋っていた。

 だから、他の候補者に囲まれて賞賛されているのに、ただ笑みを浮かべて頷くだけの彼女の姿はらしくないと思ったのである。


 今日のことを思い返すと、引っかかるのはやはり鮫洲とのやりとりの後のことだ。

 鮫洲が出ていった後、彼女は少し曇った表情を浮かべていた。

 心根優しい豊島さんのことだ、自分の発言で誰かを追い出すつもりは全くなかったはずだ。

 鮫洲が退席してしまったことに罪悪感を感じているのだろうか。

 あるいは――


「ねぇ、あなた直央なおちゃんのお手伝いのヒト?」


 突然話しかけられ、俺は思わず尻尾を踏まれた猫のような声をあげてしまった。

 いつの間にか目の前に綾瀬が立っている。

 ちなみに直央ちゃんというのは、豊島さんのことだ。

 なぜ彼女がいきなり下の名前呼びになったのか、そして俺に話しかけてきたのかは意味不明だが、とりあえず俺はこくこくと首を縦に振った。

 豊島さんと違って、心の準備ができないとうまく言葉が出てこないのが俺である。


「そっかぁ。じゃ、聞きたいんだけど」


 彼女はくすりと微笑むと、血色を取り戻した唇に人差し指を当てて言った。


「直央ちゃんて、今付き合ってるヒトいる? というか、あなたがそうだったりする?」


 ……なんて??

 俺がぽかんとしていると、彼女はハッとしたように口元を押さえた。


「あっ、ごめーん。あなたと直央ちゃんじゃさすがに釣り合わないよねぇ。失言失言。今の忘れて、ね?」


 ぴきりとこめかみに青筋が浮かぶ。

 豊島さんと釣り合わないことくらい十二年前から存じ上げてますけど何か?

 なんでそんなこと面と向かって他人に言われなきゃならないわけ?

 豊島さんは他の候補の人格否定するなって言ったけど、俺やっぱこの女苦手だわ。どっちかというと鮫洲の言葉に共感してしまう。

 とはいえ彼女の手伝いという肩書きでここにいる以上、彼女の品格を落とすような所作は慎まなければならない。推し活をする者の嗜みだ。

 俺は込み上がる苛立ちを一生懸命抑えた。


「豊島のプライベートなことを私の口からお伝えするのは憚られます。気になるなら本人に聞いてみればよろしいかと」

「ええー、でもぉ……」


 綾瀬はもじもじと眉をハの字に寄せる。

 なんなんだ、一体。


 ちょうどその時、他の候補たちと話し終えた豊島さんがこちらに向かってくるのが見えた。

 綾瀬もそれに気づいたらしい。


「とりあえず、今日はありがとって伝えといて! またDMするから! じゃあね〜!」


 そう言って豊島さんから逃げるように足早に去っていく。

 っていうかDMってなんだろう。

 個別に連絡先をやりとりしているようには見えなかったから、Xのアカウントに連絡してくるってことだろうか。


「お待たせ、中野くん。今綾瀬さんと喋ってなかった?」

「あ、うん。なんか一方的に話しかけられて、『今日はありがとう』だってさ」


 直接言えばいいのに、なんで俺が伝言してるんだ。


「ありがとう? うーん、綾瀬さんにも失礼な言い方しちゃったかなって、謝るつもりだったのに」

「怒っている風には見えなかったよ」

「そう? それなら良かったけど」


 彼女は自分のバッグを手に取り、中を見てぴたりと動きを止めた。


「どうかした?」


 横から覗き込んでみたが、バッグの中身は討論会が始まる前と変わらず、うちから持ってきたレンコン太夫のキーホルダーが大事にしまわれている。

 彼女は「なんでもない」と言って首を横に振った。


 会場の撤収時間が迫っているようで、そわそわしだしたスタッフに急かされるようにして俺たちはその場を後にする。

 もう二十三時を過ぎていることもあり、終電のことも気にしなければいけなかった。

 昼間とは打って変わってしんと静まり返ったオフィス街を足早に抜け、駅へと向かう。

 その間、俺は討論会の間の視聴者の反応とか、SNSでの豊島さんのフォロワーの増加状況などを話していたが、彼女はうんうんと聞いてばかりで口数が少ない。


 やっぱり、なんだかおかしいぞ。


 駅に着いて、改札を抜ける。

 三路線乗り入れている大きめの駅。

 本来ならば俺たちは最寄りの路線が違うのでここでお別れなのだが――


「今日は、家まで送ってくよ」


 自分が乗るべき路線を背に、向かい側の彼女の電車に飛び乗った。


「え、でも中野くん終電は」

「今、なくなったっぽい……」


 扉が閉まり、その向こう側。本来乗るべきだった電車がゆるりと出発するのが横目に見える。


「わたしのことは気にしなくて良かったのに。ここからだと、わたしの家の方が近いし」

「そうなんだけど……そうなんだけどさぁ」


 ああ、勢いのままに無計画。

 恥ずかしさのあまり顔が火照っていくのを感じる。

 これでさらに当てが外れたら悲しいけれど、俺は意を決して言った。


「なんか豊島さん、元気なさそうだったから。放っておけなくて」


 行き先を告げる機械音声のアナウンス。

 車体の揺れる音がやけに大きく響く。


 しばらく黙っていた豊島さんは、やがて扉にもたれかかるようにして立つと、「わかっちゃった?」と小さな声で呟いた。

 黒い夜の街を見渡す窓には、ほんの少し疲れと憂いを帯びた彼女の顔が映っていた。



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