第17話 小学生論争
さながら、熱帯魚たちの楽園に突然一匹のサメが現れたかのよう。
会場の冷え切った空気とは裏腹に、コメント欄は彼のファンたちの熱気で沸いていた。
〈待ってました!〉
〈サメちゃんキタ!!〉
〈🦈〉
〈ほーれ、噛みつくぞ〉
〈いいぞもっとやれ〉
〈🦈〉
〈🦈〉
「……よう
ややあって袖をまくりながら発言したのは月島である。
「意見の好き嫌いがあんのは分かる。けど、ここは誰かを蹴落とす場じゃねェ。そういうのは自分のユーチューブ? だかでやんな。な、そうだろ司会者さんよ」
司会者は頷きつつも、発言する場合は先に手を挙げるよう月島を注意した。今はまだ鮫洲の発言時間中だからである。
「鮫洲さん、では改めて三十秒で少子化問題についてご意見をどうぞ」
「いやだからね、そんな話をする前にまず現実見ようぜってオレは言ってるんです。ここに万願寺と若林がいない。今回のことだけじゃない、ニュースや新聞はオレたちをこぞって無視している。これ、絶対裏で何かあるでしょ。どう考えても問題しかないでしょ。なのに誰もそのことに触れないで――」
チン!
三十秒経過を告げる鐘の音が鳴る。
しかし鮫洲は口をつぐまなかった。
「あんたらはそれでいいんですか? まず話し合うべきはこの取り扱いの差についてでしょうが。今の政治界は腐ってる! まずは私服を肥やした奴らを椅子から引きずり下ろすべきです。それをやんなきゃ、あんたらに票が入ることもない。なのにもう知事になった気分でドヤ顔して政策を語ってんのがさあ、アホらしすぎて――」
チリリリリリリリ!!
鐘の音が激しく鳴った。
鮫洲はあからさまに大きなため息を吐くと、肩をすくめてマイクを置く。
再びしんと冷え切った会場の中で、あろうことかぷっと吹き出す人物が一人いた。綾瀬だ。
彼女はけらけらと一人笑いだし、ごてごてのネイルで飾られた指で鮫洲を指す。
「もー、まじ超ウケるんですけどぉ。そっちこそ小学生じゃん〜〜!」
「……はァ?」
「私知ってますよぉ。とりあえず場をかき乱すことで優位性示そうとするヒトっていますよねぇ。自分は他人と違うってアピールしたいけど、普通のやり方じゃ能力足りなくて埋もれちゃうから、あえてみんなと違うことして気を引こうとするタイプ? そういう強気な態度に惹かれちゃう子も周りには多いんですけどぉ、私的にはぜったいNGかなぁ。だって、モラハラ臭ぷんぷんだしぃ」
鮫洲が勢いよく立ち上がる。
被り物で表情は見えないが、綾瀬のまくし立てた言葉に怒っているのは明白であった。
「そういうあんたこそ、ハナから場を乱しまくってるだろ! こんな大勢集まる場でワガママばかり言って! オレはあんたみたいな女が日本の首都の首長選挙に出ていることが恥ずかしいよ!」
「いやちょっと特大ブーメランすぎ! 言うのずっと我慢してましたけどぉ、この場に来て被り物とか何? 人前に顔出せないヒトがどうやって都知事やるんですか〜!? 陰キャは黙ってネットに引きこもっててくださ〜い!!」
……ああ、地獄だ。
三十超えた良い大人の、小学生みたいなケンカが全世界に配信されている。
司会者は何度もベルを鳴らしたり、二人に落ち着くよう呼びかけたりしているものの、一向に聞き入れられる気配はない。
黙って座っていた他の候補者たちやスタッフたちもざわつき始めた。
これは流石に、そろそろ止めた方がいいんじゃないか。
俺のすぐ近くにいる配信スタッフが、配信を一時中断するか否かの話をしているのが聞こえる。
豊島さんはというと、彼女は隣席の綾瀬の肩を叩いてなだめようとしていた。しかし綾瀬はそれを意に介さず、鮫洲との言い合いを続ける。
鮫洲サイドも、両隣の候補者が立ち上がった鮫洲を座らせようとしていたが、ヒートアップした彼はそれに従わなかった。
それどころか、ついに振りほどき綾瀬に向かっていく。
一瞬、綾瀬がびくりと肩を震わせるのが見えた。
塗り直したばかりの唇が青くなる。
なんだか嫌な予感がした。
このままじゃマズい。
かといって、今の俺の場所は候補者たちから離れている。
何もすることはできない。
どうする!?
縮まっていく鮫洲と綾瀬の距離。
刹那、豊島さんと目が合った。
彼女が俺を見ている。
何か考えがあるのか、俺に言いたいことがあるのか、分からない。
だが、この機会を逃してはいけないと思った。
反射的に口パクで伝える。
「止めて」と。
豊島さんは力強く頷いた。
そして――
パン! と両手で乾いた音を響かせる。
その場にいた全員が虚をつかれたその隙に、彼女は綾瀬の手元に合ったマイクをするりと奪った。
「司会者さん! 発言よろしいでしょうか」
ピンと背筋を伸ばし、彼女は手を挙げた。
司会者は一瞬戸惑っていた。彼の元にはちょうどスタッフから配信を一時中断する旨のカンペが届いたところである。今ここでまた別の候補者に発言を許せば、事態は収まるどころかさらに悪化する可能性だってある。
だが、そこはさすが豊島さんだ。
彼女の純粋な善のオーラが、そうはさせないという謎の説得力を発揮していた。
司会者は逡巡のち、「どうぞ」と発言権を渡す。
豊島さんはぺこりと会釈をすると、すぐ近くにまで迫っていた鮫洲と綾瀬を順に見て、それからぐるりと円卓を囲む候補者たちに視線を向けた。
「みなさん、小学生になったら友だち100人できるって信じてませんでした?」
……あ、ダメだったかもしれない。
たまにやらかす豊島さんのぶっ飛び発言。
まさかこの局面でそのカードを引くとは……!
案の定、場にいる全員がぽかんとした表情を浮かべている。
コメント欄も「?」で埋め尽くされていた。
だが、当の本人はいたって真面目な表情だ。
「わたしも信じてました。でも、実際難しいですよね。そもそも一学年あたり100人いない学校だってありますし。わたしの場合、友だちって自信持って言える人は30人くらいだったかな? みなさんはどうですか」
豊島さんが問いかける。
ちなみに俺は5人だ。幼馴染が1人、他4人は当時流行ってたカードゲームで遊ぶ仲間。運動は苦手だったので最大派閥の少年野球グループには全然入っていけなかったのを思い出す。
小学校高学年になると細かな派閥争いが起き始めていた女子たちのことを思えば、豊島さんの言う30人は驚異の数字である。
「あんた、何が言いたいんだよ」
立ったまま話を聞いていた鮫洲は、次第に片足を揺すりだした。
しかし豊島さんは怯まず話を続ける。
「色んな考えの子どもたちが集まる小学校では、友だち100人つくるのってすごく難しいことだったと思います。……じゃあ、都知事選ではどうでしょうか。友だちとは言えないかもしれはないですが、有権者の方たちは『この人になら自分の住む街の未来を託してもいい』と思って票を入れるわけですよね。消去法で候補者を選んだとしても、投じられた一票にはそれだけ重みがあると、わたしは考えています」
彼女はそこで一呼吸置くと、もう一度候補者たちの顔を見回した。
「過去の都知事選で、得票数が100人を割った人は一人もいません」
発言時間の三十秒はとっくに超えていた。
だが、止めるものはいない。
豊島さんの言葉に候補者、司会者、他のスタッフ全員が聞き入っていたからだ。
「今回の選挙では五十六人もの候補者がいて、主要候補とそうでない候補の間に見えない線引きが既にあって、不安な方も多いと思います。でも、小学生ではあれだけ難しかった100人が、あるいはそれ以上の人がきっと共感してくれます。東京の未来を託してくれます。……逆に言えば、この中の誰か一人がいなくなれば、その人たちにとって投票したい相手がいなくなってしまうということです」
「……だからコイツをいじめるなって?」
鮫洲がサメの被りものをしたまま顎を綾瀬の方に向ける。
「鮫洲さんだけじゃなくて、綾瀬さんもです」
豊島さんは綾瀬の方をチラリと見やる。
「気の合わない人同士がケンカをしてしまうのは仕方ないことかもしれません。けれど、今のあなたたちの後ろには100人以上の人たちがついていることを忘れないでください。相手の人格まで否定したら、その後ろについている人たちもまた傷ついてしまいます」
チッと鮫洲が舌打ちの音を立てた。
「ザ・優等生だな。さぞかしお育ちがよろしいようで」
豊島さんは黙ったまま、まっすぐ鮫洲を見据えている。
否定しないんだ、と鮫洲は嘲笑を込めて呟いた。
「断言しますよ。あんたみたいなタイプほど、偽善ふりかざしといて足元を見ない。気づかぬうちに弱者の足を踏んで苦しめるんだろうね」
「…………」
「ま、いいや。オレはあんたらとディベートごっこするつもりはないんで、退席させてもらいますよ。初めからオレを除け者にする気で、これがあらかじめ決められた台本通りだとしたら、全力で訴えてやるからな」
自ら場をかき乱したのは鮫洲なのだが、彼はさも自分が被害者かのように振る舞うと、スタスタと会場を後にしてしまった。
「ごめんなさい、司会者さん。かなりお時間を使ってしまいました」
豊島さんは申し訳なさそうにそう言うと、ようやくマイクをテーブルに置く。いつも明るい彼女の表情が、ほんの少し曇っているように見えた。
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【作者注】
過去の都知事選の最低得票数について。厳密には0票の候補が存在しますが、事情が事情なためここでは例外として考慮から外しました。
気になる方は1963年の都知事選の開票結果をお調べください。
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