第16話 合同ネット討論会、開幕
サメの絵文字は「バンデット⚔️シャーク」の
怒涛の勢いで流れていくサメたちの合間に、他の候補者を目当てにしてきている人やフラットな視聴者たちのコメントがちらほら挟まっていく。
〈🦈〉
〈🦈〉
〈🦈〉
〈🦈〉
〈何このサメの大群w〉
〈🦈〉
〈五十六人全員来るのかな〉
〈あーや先輩、ファイト♡♡♡〉
〈🦈〉
〈俺はテレポートゆうこが気になって仕方ないよ〉
〈それな〉
〈🦈〉
〈都知事選の風物詩といえばもんじゃ月島だろ〉
〈🦈〉
開始前時点で同時接続視聴者数はすでに一万人。
コメントの賑わい的には七割近くが鮫洲のファンと言っても過言ではなさそうである。
時間になり、会場内が拍手に包まれる。
十秒ほどの
都内某所にある地下の配信スタジオ。セミナー会場としても使われることがあるらしく、大人数収容可能な長方形の広い空間だ。
その中央部分に巨大な円卓がセットされ、候補者たちが並んで座っている。
円卓の外、会場前方に立っていた司会者がマイクを取ると、彼は討論会開催のあいさつとともに、この会の趣旨を話し始めた。
「この討論会はですね、東京都知事選の候補者の考えを有権者の皆さんに知っていただく平等な機会にすべく、候補者全員にお声がけしています。そして、二十五名の候補者のかたが選挙期間のお忙しい中ここにお集まりいただきました」
二十五名。全候補者の半数以下だ。
〈万願寺と若林がいないじゃん〉
すかさず、コメントがつく。
〈その二人は今地上波で一対一の論戦してるよ〉
別の誰かが投稿する。
俺は思わず上を見上げた。
打ちっぱなしの無機質な天井が視界に入る。
こちらは地下。あちらは地上。
当然、地上波での討論会のオファーは豊島さんの元には来ていない。
このネット討論会の主催者はこうしたメディアでの取り扱いの格差を苦慮して、全候補者が平等に話す機会を設けようとしたらしい。
しかし万願寺・若林がこの場にいないように、全ての候補者がその趣旨に賛同しているわけではない。
〈Z党、二十人以上候補者いるのに一人も来てないの?〉
〈それはほら、察してやれよ〉
Z党――正式名称、「全裸を愛する党」である。
党員全員がヌーディスト。その主張を全面に押し出した肌色たっぷりのポスターが掲示板に並んだことが選挙初日に話題となり、苦情が殺到。
ヌーディストへの好感度を下げることは本意ではなかったようで、候補者たちはやむなくポスターを剥がす事態となった。
とはいえめげずにこの討論会にも「ネット配信ならば全裸で」と全裸での参加を希望していたらしいが、YouTubeの規定に反して配信が中断される恐れがあるという事情により不参加となったようだ。
……とかく、世の中にはいろんな人がいるものである。
「それでは、早速最初のテーマに入りたいと思いますが」
「あのぉ」
司会者の言葉を遮って手を挙げたのは綾瀬である。
「その前に、席の場所変えてほしいでーす」
彼女は苦笑いしながら両隣を見やる。
片方は月島、もう片方は荒川という気弱そうな細身の男が座っていた。
「綾瀬さん、席順は会場入りする前に皆さんでくじを引いて決めています。公平性を保つためにも、どうかこのままで進行させていただきたいのですが」
司会者の返答はもっともである。くじを引く時にも同じ説明を受けたはずだ。
「んー、でもぉ、おカネ払ってない男のヒトの隣に座るのは、私の主義に反しちゃうんですよぉ。距離もけっこう近いし」
眉をハの字に曲げながら訴える綾瀬。確かに候補者同士の距離は近い。席と席の間はおよそ二十センチ。着席の際にぶつかり合っている候補者が何人かいた。二十五人がなるべく同時に映るようにするための工夫なので致し方ないのだが、彼女はそうは思わないらしい。
「悪ぃな嬢ちゃん、俺の隣だともんじゃの匂いがすんだろ」
場を和ませようとしたのか、月島がおどけてみせる。しかし綾瀬は月島の方を見ることもなく司会者に訴えを続けた。
「あっちの子の右隣がいいな」
そう言って綾瀬が指差したのは豊島さんだった。
豊島さんの右隣には作家の
「別に僕は構いやしませんよ。こんなことで揉めていたら時間が勿体無い」
「わ〜ありがとうございますぅ! 話が早いヒトは好きですよぉ」
「ちょっとちょっと! お二人とも、勝手に席を立たないで」
司会の制止も聞かず、二人は勝手に席を交換してしまった。
しかしそれでは飽き足らず、綾瀬は席の前に設置されているモニターを眺めてぷくっと頬を膨らませた。
「それにしても、照明なさすぎ〜。画面に映ってる顔、暗すぎて萎えちゃいまーす」
「綾瀬さん、ご不満なのは分かりましたが、時間がおしてますので」
「そっちの不手際を私のせいにしないでくれます? ちょっと女優ライト取ってくるんで先に始めててくださーい」
そう言って綾瀬は再び席を立って、俺たちが座っている後方席の方へやってきた。近くで見ると照明のせいというか、普通に顔色が悪いように見えた。唇なんかやや青ざめていて、彼女は手鏡を見ながらさっと赤い口紅を塗り直す。会場入りする前はなんでもない様子だったと思うが、こう見えて緊張しているのだろうか。
司会者は綾瀬の行動に唖然とはしていたが、さすがにプロである、あからさまに眉間に皺を寄せることはなかった。ポーカーフェイスでなんとかその場を凌ぐと、こほんと咳払いひとつして本来の台本の進行に戻る。
この討論会は現在の東京の課題について、いくつかのテーマを順番に討論していく流れを予定している。
テーマについては事前に候補者に配られていた。
最初は「少子化問題」だ。
都知事選が始まる前の六月頭頃に、東京都の合計特殊出生率が1を割って0.99と発表されたのは記憶に新しい。
「では早速候補者の皆さんのご意見をうかがいたいと思います。発言を希望される方から挙手いただき、一人三十秒で端的にお願いします」
意外にもその場にいる全員が手を挙げたわけではなかった。
だいたい半数、十人くらいか。
豊島さんはもちろんすっと姿勢良く手を伸ばしている。
全てのテーマに対して回答は用意済みだ。
「子育てをしやすい環境を整備するのが最優先じゃないでしょうか。待機児童は五、六年前に比べればずいぶんと減りましたが、まだまだ地域によっては課題が残っているようなので……。保育士の待遇を改善し、保育所と保育士の数を増やしたらいいんじゃないかな、と思います」
司会者に指名され、最初に発言したのは元保育士の幡ヶ谷である。
次いでその隣、席に戻った綾瀬。
「私はそもそも出生率の計算方法に納得いってませ〜ん。なんで女性人口だけで計算するんですかね? 男性の人口も含めて計算すべきじゃないですか? 女性にばかり責任を押し付けられてる感じで嫌なんですよね〜」
その次は豊島さんに番が回ってきた。
彼女は落ち着いた様子でマイクを受け取ると、朗々と話し出す。
「わたしは、東京が子育て世帯にとって住みづらいのが問題だと思います。先日同世代の友人に子どもが生まれたのですが、ファミリー向けの家がなかなか見つからず、あってもとても古いかとても高くて手がでないと言って、結局近隣の県に引っ越してしまいました。家賃補助やファミリー向け住宅建設の補助が必要だと考えています」
コメント欄を見ていると〈それな〉〈ワイ、それで埼玉に引っ越した民〉〈わかる〉など同意と取れる意見が数件流れた。しかし綾瀬のクセのある回答に引っ張られているコメントが多々あり、若干埋もれてしまっている。綾瀬が隣席になったことで視聴者の注目を集めやすいかと思ったが、現状やや悪い方に振れているようだ。
他の候補者も順に当てられていく。
「結婚する人が減っているのが原因だから、婚活支援を強化すればいいんじゃないか」
「そこで一夫多妻制ですよ。法的な制限を取っ払えば子どもの数も増えるに違いない」
「少子化は由々しき問題だと思います。政治家だけでなく国民の皆さん一人一人もっと真剣に問題に向き合ってですね、未来のことを一生懸命手を取り合って考えていかないと」
「晩婚化を考慮すると、現職都知事と同じく不妊治療の助成を継続していくのが一番」
同じテーマでもこうも様々な意見が飛び交うとは。
中には、それは都政じゃなくて国政の仕事なのではないかと思うようなズレた意見もあるが、それも含めて候補者の人柄だ。
立候補している人たちはカリスマ性はあれどあくまで「人間」であり、良いところもあれば悪いところもある……というのをこの場にいると痛感する。
一通り挙手をした人たちが意見を述べた後で、最後にゆるりと手を挙げたのは鮫洲だった。
彼は相変わらずサメの被り物をしたままなので表情はうかがえない。
「一言いいたいんすけど」
彼はそう前置くと、くぐもった声でこう言った。
「現実から目を背けて小学生レベルのディベートごっこ、あんたら何が楽しいんですか?」
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