第7話 豊島直央氏、出馬表明記者会見
「それでは始めさせていただきます」
会議室前方、長机の中央の位置に豊島さんが立ち、向かいにパイプ椅子を並べて座る記者たちにマイクを取って一礼。
俺は会議室の壁際に立ってその様子を見守ることになった。
一応、彼女が緊張で話すべきことを飛ばした時のカンペ係としてここにいるわけだが、正直役には立てなさそうである。
豊島さんはいくつものカメラを向けられてもたじろぐことなく、三十分以上待たされたことへの苛立ちも出さず、ほぐれた笑顔を見せている。
さっきから手汗が止まらない俺の方がよっぽど緊張していた。
「まずは自己紹介から。
豊島さんがくすりと微笑むと、笑い声は起きなかったものの肌に触れる空気がほんの少し和らいだ気がした。
確かに俺も、高校入学時の名簿を見て彼女のことを男だと思い込んでいた一人である。
「遠い昔の話ではありますが、豊島家は武士の血筋のようでして。祖父が男の子を期待して名付けた結果、この名前になりました。『なおすけ』と勘違いされることは多いですが、まっすぐ真ん中なイメージが自分にぴったりな気がして気に入っています」
まったくその通りだと思う。
一方、俺の名前は「栄え多い」の「
「次に、経歴についてお話しします。出身は練馬区です。高校卒業まで都内で過ごしました。大学は京都大学法学部に進学し、政治や法律について学んでいます。卒業後は都庁に入庁し、東京に戻ってまいりました。先月まで職員として働いていて、現在は無職です」
俯いてパソコンを打ち込むことに専念していた記者の数人がちらほらと顔を上げた。
無名で無所属、政治未経験の新人候補だが、彼女の輝かしい経歴は都知事候補としては申し分ないもののはずだ。
「これはひょっとして」と興味が湧いたのだろう。
……だが、しかし。
そんな空気をものともしないのが豊島さんの良いところでもあり、悪いところでもある。
ふと、彼女と目が合った。
黒い瞳が悪戯を思いついた子どものように輝く。
なんだか嫌な予感がした。
俺はぶんぶんと首を横に振る。
違う、今じゃない。
けれどそのメッセージは聞き届けられなかったようで。
彼女はおもむろに長机の下に仕込んでいたものを取り出した。
金色の折り紙を貼った、彼女の顔ほどの大きさの球体。
何って? ……たぶん、くす玉だ。
「それでは、選挙戦で掲げたい政策についてですが」
唖然とする記者たちの視線を浴びながら、彼女は球体の下に出ている紐を引っ張った。
くす玉がパカンと割れると、色とりどりの紙吹雪とともに垂れ幕が現れる。
そこには彼女のメッセージが達筆に書かれていた。
〈ええじゃないか! ナオの世直し!〉
記者たちが頭を掻きながら再び俯いていく。
ほらあ、言わんこっちゃない。
今の一瞬でめでたく泡沫候補の一人に認定されたぞ。
せっかく興味を持ってもらえそうなところだったんだから、余計なパフォーマンスなんてしなけりゃ良かったのに。
しかし彼女は。
記者たちの反応にめげることなく、大真面目だった。
くす玉片手に再びマイクを取って語る。
「東京の人は冷たい――住んでいる人も、そうじゃない人も、みんながそういうイメージを抱いていると思います。誰もが自分のことに精一杯で、他人に構う余裕がない。すぐ隣に苦しい思いをしている人がいても、見てみぬふりをしてしまう。心当たりがある方もいらっしゃるんじゃないでしょうか」
彼女は記者たち一人一人に視線を向ける。
目を合わせようとする者は一人もいない。
それでも、止まらない。
「私は、東京をどこよりも人に優しい街にしたい。現職の池上都知事がやられてきたことを否定する気はありません。この十二年、東京は全体で見ればとても豊かな街になりました。それは確かです。けれど一方で、助けを求めても手を差し伸べてもらえなかった人、苦しい思いをしながら暮らしてきた人、泣く泣く東京を去った人たちがいることもまた事実です。私は、生まれ育ったこの街を、日本で一番人に優しい街にしたい。そう思ってこのたび立候補を決意しました。未熟者であることは分かっています。無名で後援者もなく厳しい戦いであることは覚悟しています。その上で、あらゆる立場の人が共に助け合える社会、思いやれる街を目指して、有権者の皆さまに訴えかけていきたいと考えています」
それから、豊島さんは現時点で考えている政策をいくつか簡単に紹介した。
シングル家庭への支援、ヤングケアラー支援、病気などで働きたくても働けない人の家賃補助、孤立する高齢者の繋がりづくり、島しょ部の災害対策強化。
さすが元職員ということもあり、的外れな政策は見当たらない。
しかも彼女の頭の中にはまだ百近くの政策案があるそうだ。
全部は紹介しきれないので、この場では主要なものに絞っている。
話の内容がまともだったおかげで、途中興味を失いかけていた記者たちが何人か再びメモを取りながら頷き始めた。
感触は悪くない。
「……以上です。ご清聴ありがとうございました」
およそ二十分間。語り終えた豊島さんは少しだけ満足げな表情を浮かべた後、記者たちに向かって深々とお辞儀をした。
その後、質疑応答が始まる。
質問したのは記者クラブを取りまとめる幹事社となっている記者と、他三人の記者だった。
無所属であることの再確認、他の政治家との繋がりの有無、事前審査の通過状況の確認、街頭演説の予定はあるかどうか、都庁職員時代はどんな仕事をしていたか。
そんなことを聞かれた後、最後は顔写真を撮って終了だ。
通しでおよそ三十分。
会議室の外で待っていた時間よりも短い時間で終わってしまったが、慣れないことというのもあって体感二時間くらいの密度であった。
「中野くん、お疲れさま」
会議室を出て、二人きりになったところでぽんと肩を叩かれる。
本来俺から彼女を労うべきところ、ぼけっとしていたら先を越されてしまった。
「豊島さんもお疲れ……と言っても、あまりそうは見えないけど」
「えへへ、わかる? 話したいこと話せて、けっこう楽しかったんだよね」
さすが、メンタルが強すぎる。
「それにしても、あんなに記者さんたちが集まるなんてびっくり。今日話したこと、どこかに載るかな」
「載るでしょ。二十人くらいいたし、豊島さん、ちゃんと話せてたから」
それにあのくす玉のくだり。良いか悪いかは置いておいて、多少はインパクトがあったはずだ。
「記事になったら、興味持ってくれる人がきっと出てくるよね。公式サイトは、今日オープンするんだっけ」
「うん。すっごく簡易だけどなんとか間に合った。あと、Xアカウントももう立ち上げてある」
「さっすが中野くん! 準備バッチリ」
「いや、本当に最低限だから……あ、ちょっと待って、有権者から質問とか来たら対応どうする? そういえばまだ決めてなかったような」
「あ、確かに。じゃあこの後まとめちゃおっか。中野くん、時間は?」
「この後何も予定ないから大丈夫。ついでに告示日までの動きを整理しておこう」
俺たちはそんなことを話しながら、日が暮れるまで新宿のカフェで作戦会議を行い、夜には記事が上がっていることを期待してそれぞれ帰路に着いた。
そしてその晩。
テレビやネットを最も賑わせたのは、豊島さんの……ではなく、その直前に行われていた若林の記者会見の様子だった。
『現職の池上知事は給与を半分にされていますが、若林さんが就任されたらそちらはどのようにされるおつもりですか』
『半分なんて生ぬるい。私は歩合制で構いませんよ。公約一つ達成につき報酬をいただく形で。それが最も都民の皆さまに対し真摯なやり方だと思っています』
『無所属での立候補とのことですが、政党からの支援は受けられないということでよろしいでしょうか』
『旧体制の政治にはしがらみが多すぎます。私はそういったものからは一切の脱却を目指していきたい。ありがたいことに、私の考えに賛同いただける企業人の皆さまからの支援は受けられそうですので、組織力という点で他候補に劣るつもりはございません』
現職や対立候補の批判ばかりで、あまり政策の話は出なかった。
それでも各メディアで広く取り上げられ、彼の姿勢の賛否について和気藹々と議論されている。
一方、豊島さんについて情報が出たのは、各候補の記者会見を一律でライブ配信しているニコニコニュースのYouTubeチャンネルのみであった。
再生数、5,000回。
そこそこ良い数字のように見えるが、このチャンネルの配信は政治マニアがよく見ているらしく、無名候補の平均がこれくらいだ。
つまり、最低限ということ。
なお、同チャンネルの若林の会見の再生数は200,000回。
その差、40倍。
同じ候補者同士だというのに。
選挙はまだ始まっていないのに。
立っているスタートラインが違いすぎる。
なんとか豊島さんのことを取り上げた記事やコメントしている人を探そうとした俺は、エゴサーチのしすぎと今後の不安で目が冴えてしまい、寝つけない夜を過ごすことになったのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます