第3話 有給休暇は突然に。
翌日。
平日が始まり、俺は寝ぼけ眼をこすりながらデスクに向かっていた。
デスクにはノートPCが二台。
片方はMacBook。昨日のカフェのお供に連れて行った例のアレであり、実は社用のPCだ。
そう、IT系サラリーマンというのは嘘ではない。
俺はWebサイトやスマホアプリを制作する会社の
ただ一口にIT系と言っても、カフェで仕事するような奴ばかりじゃないってことは強調しておきたい。
俺の仕事場はもっぱら自宅だ。
新型コロナウイルスの流行をきっかけにうちの会社はリモートワーク中心になり、緊急事態宣言が明けてもなおその体制は続いている。
末端社員から役員までやや引きこもり気質なやつが多い会社なので、みんな自宅での仕事が居心地良くなってしまったのだろう。
かく言う俺も御多分にもれずその一人であり、寝巻きのまま横に私用PCを開いて動画を垂れ流しながら作業するのが常になっている。
『えー、〈今日のお昼何〉? なんだっけ……。あ、そうそう、パックごはんに昨日食べきれなかったファミチキ乗せて食べたわ。……はぁ!? 野菜? 米は畑でできるから野菜っしょ!? はい、しょーもな。次、次〜』
今再生しているのは、推しであるVTuber・
YouTube上ではもう削除されているが、画面キャプチャーで録画してあった。炎上しがちな配信者を推す者には欠かせないライフハックである。
もう何度も繰り返し見て内容は覚えているものの、彼女が時折あげる奇声は音割れするほど耳障りで、眠気覚ましにはちょうど良かった。
『〈最近の気になったニュース〉? あんたらおもんない質問するね〜。え、都知事選? やんの? へー、知らなかった。都知事選ってさあ、毎回変な人出てんじゃん。何回前だったか忘れたけど、謎の踊り踊ってた人いたよね。なんだっけ、富士急のアトラクションと同じ名前の踊り。……ん、〈投票行く〉? 行きませ〜ん』
どきりと心臓が小さく跳ねる。
『だってさあ、選挙とかダルくない? そりゃアタシだってさ、初めての投票の時は自分なりに調べて投票しようと気合い入れたよ。けどさ、ちょっと寝坊して昼くらいに起きて、今から投票所いこっかな〜と思いながらテレビ見たらさ、もう当確出てんだもん。しかもアタシが投票しない予定だった人。じゃあ意味ないじゃんって、そっから一度も投票所なんて行ってないよね。どうせ多数派のジジババの票にかなうわけないし。ね、ぶっちゃけあんたらもそう思ってるでしょ?』
わかる。そう思ってるさ、今でも。
……だけど、
ちなみに、みねあの炎上の原因はまさにこの発言だ。
そこまで過激なことを言っているわけではないのだが、彼女はたびたび他の配信者の悪口を言うので即着火するアンチが多いのである。
なおファンの目線からも、年齢設定が十六歳だってことを忘れて普通に選挙権ある前提で話しているのはどうかと思う。
俺たちも中の人がそれなりに歳いってることくらい薄々分かっちゃいるが、そこを包み隠して仮想空間のアイドルを演じるのがVの仕事じゃなかろうか。
……まあ、そういう人としてダメな部分が彼女の魅力でもあるのだが。
〈みねあ炎上アーカイブ五周目。何度見てもダメすぎるがそこがいい。正直共感するところもあるし。 #千石みねあ〉
Xに投稿すると、数分経たないうちに馴染みのフォロワーさんからの返信があった。
〈わかりみが深い。みねあ氏の今回の動画、鬼リピしてます〉
ハンドルネーム「うめ」さん。
本名も顔も知らないSNS上の知り合いで、推しの話だけでなく仕事の愚痴なんかにも共感してくれる気の合う人である。
もう少し会話を続けようと思ったところで、社用PCの方からビデオ通話の着信音が鳴った。上司からだ。
「お疲れ様っす」
『おう、お疲れ。なんだ、いつもに増して眠そうだな。またVTuber見て徹夜か?』
「いや、昨日は色々調べものしてたんで」
何の調べ物かといえば、都知事選についてである。
元は勘違いから始まった話だが、一応選挙を手伝うと言ってしまった手前、期待を裏切るわけにはいかない。
昨日はあの後、彼女に用事があるというのですぐに別れ、俺はネットで情報収集を始めた。
そもそも選挙活動って何をやるんだっけかというところから、すでに出馬表明している他候補の情報、立候補の手続き、それから一応、異性の家に上がるときのマナーなど……。
調べれば調べるほど知らない単語が出てきて、気づけば夜が明けていた。
立候補に向けて、第一回作戦会議は今週末にやりたいと言われている。それまでにできるだけ知識を叩き込みたいところだが、本当にできるのだろうか。
『熱心なのはいいが、まあ仕事に支障の出ない範囲でな』
「うす。すんません」
そう、第一の懸念と言えばその仕事のことである。
都知事選は六月二十日の告知日から投票日の七月七日まで、十七日間ぶっ続けの戦いだ。
その期間、立候補者たちは毎日選挙カーに乗って東京じゅうを走り回ったり、主要駅で演説したりするイメージがあった。
だが、よくよく考えると平日は普通に仕事がある。
街頭での選挙活動は朝八時から夜八時までと決まりがあるらしく、定時で仕事を上がったとしても一・二時間くらいしか活動できない。
豊島さんはそのことをどう考えているのだろう。
というか、彼女の今の仕事は?
昨日は色々と動揺していて、そういう普通の近況バナシをするのをすっかり忘れていた。
やっぱり、現実的に考えて都知事選に出るなんて無謀なんじゃないか。
いっそ仕事が忙しくなったとか言って手伝いを断った方が良い気がしてきた。
久々に憧れの人に再会し、せっかくできた繋がりを自ら手放すことに抵抗がないかと言えば……あるに決まっている。
だけど、こういうのは早い方が傷が浅くて済む。
今ならまだ遅くはないのでは?
『ところで中野、今お前に進めてもらっている例の案件についてだが』
「ああ、某市の公式サイトリニューアルの件っすね」
頭をなんとか仕事モードに切り替える。
その街のホームページは阿部寛もびっくりの昔のデザインのまま放置されており、スマートフォンで開くと表形式が見切れるなど多々トラブルが起きているため、大規模リニューアルを検討されていた。
「ローンチは八月頃目標でしたよね。正直かなりパツパツですけど、各ページのデザインとコーディングはほぼ仕上がってるんで、あとはクライアントと揉めてたトップページの構成をそろそろ固めてもらえれば」
『そのことなんだが』
上司は重苦しい声で言った。
……あ、嫌な予感がする。
『市長がガラケーユーザーらしくてな、先日テストサイトを見てもらったら画像が多くて読み込めないと言われたんだ。お年寄りはガラケーの人も多いから、サイトリニューアルはかえって不便になるんじゃないかって話が今さら出てきて……』
上司は非常に気まずそうな表情を浮かべながら、言葉を続けた。
上層部でクライアントと再度要件を固め直すから、その間現場の作業は中断。
すぐすぐ振れる仕事がなさそうなので、プロジェクトメンバーにはまとまった有給をとって欲しい、と。
……そういうわけで、俺はまことに遺憾ながら都知事選の選挙期間は有給を取れることになってしまった。
そのことを豊島さんにメールしたら、こんな風に返ってきた。
〈すごくありがたいよ! 大丈夫、わたしも思い切って仕事辞めちゃったから、無職だし〉
全然大丈夫じゃない。
あと、「も」じゃない。俺はまだ辞めてないから。
まったく、こんな二人で本当に選挙なんかできるんだろうか。
週末の作戦会議に向けて、ますます不安が募るばかりであった。
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