086 『弱小領主のダメ息子、王宮に突撃する(3)』

「————ガレリオ卿をお連れしました」

「……通してくれ」

 

 ティーナの声に反応して部屋のあるじの返事があった。

 

「どうぞ」

 

 扉を開けたティーナに促されてベルは部屋に足を踏み入れた。

 

 部屋の中は大量の書物や見たことのない器具に溢れており、思わずベルの視線はそちらに引きつけられた。

 

(……宮廷魔術局といっていたが、これは医療器具……? フランチェスコという男は医術にも精通しているのか……?)

 

 そんなことを考えていると、部屋の奥から艶のある男の声が響いてきた。

 

「————部屋が散らかっていて申し訳ない。どうにも片付けが苦手でしてね」

 

 声に振り向くとダンディとしか形容できない男がゆったりとソファーに腰掛け、長い脚を組んでいる姿が眼に入った。

 

「……失礼。珍しいものばかりで思わず眺めてしまいました」

「構いませんよ。見飽きたところで、こちらへどうぞ。ガレリオ卿」

 

 フランチェスコに促されたベルは向かいのソファーへゆっくりと腰を下ろす。

 

「お招きいただきありがとうございます、フランチェスコ殿」

 

 挨拶と同時にベルが手を伸ばすと、フランチェスコは握手に応じて口を開く。

 

「『殿』は結構。フランチェスコまたはフラーと呼んでほしい。ところで……敬語も苦手でね、私の方もベルと呼んで良いかな?」

「ええ、構いませんよ。フランチェスコ・・・・・・・

 

 ベルは思うところがあるのか相手を愛称で呼ばなかった。フラーは特に指摘せず、意味深な笑みを浮かべた。

 

「それで……フランチェスコ。何故私を招待してくれたのですか?」

「ふむ……。正直言ってキミにはあまり興味はなかったのだが、先ほどマルティーナから報告を受けて気が変わった」

「彼女はどんな報告を?」

「『数ヶ月前に心臓を刺されて昏睡状態に陥っていたとはとても思えないほど生命力に満ち溢れていた』だったかな」

「————!」

 

 フラーの返事にベルは血相を変えて立ち上がった。

 

「……ヤンアルから聞いたのか……⁉︎」

「この際だから話すがキミが刺された時、私とロンジュもアンヘリーノへ行っていたんだ」

「……アンヘリーノの検問をスルーした馬車に乗っていたのは貴方だったのか……!」

「ほう、それはヴィレッティ家の情報かな? それで王宮ここまで嗅ぎつけたというわけだ」

「…………!」

 

 既に自分の身辺が調査済みということにベルの顔色が変わった。

 

「見上げてしゃべると首が疲れる。そろそろ座ってもらえるとありがたいんだがね」

「…………ッ」

 

 わざとらしく首筋を叩くフラーにベルは歯噛みして再び腰を下ろした。

 

「そう睨むなよ。私もキミの命の恩人と言って差し支えないと思うんだがね」

「……どういう意味だ……?」

「あの時のキミは傷が塞がっていても大量に血を失っていた状態だった。私があの女・・・に輸血の方法を教えなければ、キミは今頃冷たい土の中で永遠に眠りについていたところだ」

「お、お前はいったい、何者なんだ……⁉︎」

 

 ベルに質問されたフラーは脚を組み替えて答える。

 

「私はフランチェスコ・ナヴァーロ。宮廷魔術局長と宮廷錬金術師を兼任している。医術にも多少明るいがね」

「錬金術師……⁉︎」

 

 ベルのつぶやきにも似たこの質問にはフラーは答えなかった。

 

「ベル、キミばかり質問するのも不公平だから私からも幾つかいいかな?」

「……どうぞ」

「ありがとう。私が聞きたいのはキミの体調についてだ」

「俺の体調……?」

「こうしてこの眼で見てみてもキミは数ヶ月前に死の淵を彷徨さまよったにしては、精気に満ち溢れている。通常はあり得ないことだ。何か後遺症のようなものはないのかね?」

「…………」

 

 フラーが何故そんなことを知りたいのかは分からないが、自分だけ質問しておいて相手の質問に答えないというのも確かに不公平である。

 

「……後遺症というのかは分からないが、ヤンアルに『氣』と『血液』をもらって目覚めた時には左眼の色が変わっていて、以前と比べものにならないほど身体能力と魔力が上がった」

「————ほう、その左眼も気になっていたが、『真氣しんき』か。なるほど……!」

「真氣を知っているのか⁉︎」

 

 血相を変えたベルをなだめるようにフラーは手を伸ばした。

 

「落ち着け。今はこっちのターンだろう。もちろん知っているさ。錬金術の研究を進めていく内に東洋の錬金術も学んだものでね」

「東洋の錬金術……?」

「つまり、あの女の『氣血きけつ』が宿ったおかげで、キミは常人を超える生命力を得たというわけか。やはり、鍵は『内功ないこう』ということになるのか……?」

「…………?」

 

 フラーは顎に指を当てて何やらブツブツ言い始めてしまった。

 

「フランチェスコ、質問はもういいのか……?」

「————あ? ああ、そうだな……。それでは、キミは結局ここに何をしに来たんだ?」

「分かっているだろう。ヤンアルを連れ戻しに来た」

「連れ戻しにね……。ここにヤンアルという女はいないが、いったい誰を連れ戻そうと言うのかな?」

 

 この言葉にベルはテーブルに拳を叩きつけた。

 

「……いい加減にしろ……! あのロンディーネがヤンアルだろう……!」

「ロンディーネはなんと言っていた?」

「…………知らないと……」

「それが答えだ。よしんばロンディーネがヤンアルという女だとして、本人が戻る意思を持っていない以上、キミに出来ることは何もないと思うがね? 言っておくが、私はロンディーネを脅して縛りつけたりはしていないぞ?」

「…………!」

 

 確かにロンディーネの様子はおかしかったが、誰かに脅迫されているという感じではなかったし、何か別の理由で戻るのを拒否していたように思える。

 

「……それならどうしてヤンアルは……」

「さあな。一つ言えることは、ロンディーネは自ら望んで私の元にいるということだ」

 

 フラーはここで言葉を区切ると、おもむろにソファーから立ち上がった。

 

「————さて、以上で私の質問は終わりだ。研究を再開したいので、そろそろお帰りいただいてもいいかな?」

「————待ってくれ! ヤンアルと————ロンディーネと話をさせてくれ!」

「……それは当人同士の問題で、私が口を挟むことじゃないな。だが、正門前や通用口で張り込むことはご遠慮願いたい。キミも一応領主の息子だ。家名に泥を塗りたくはないだろう?」

「…………」

 

 悔しいがフラーの言うことは一々理にかなっている。ベルは返事の代わりにメモを取り出し、サラサラと何かを書き出した。

 

「これは俺が泊まっている宿の名だ。ロンディーネが戻ってきたら渡してほしい」

「……キミは見た目よりもずっと情熱的な男だな」

 

 フッと笑みを漏らしたフラーはメモを受け取り、扉の脇に控えているティーナへ呼びかける。

 

「マルティーナ、客人がお帰りだ。通用口までお見送りして差し上げろ」

「————結構。一人で帰れる」

 

 ベルはティーナが返事をする前に自ら扉を開けて退出した。ベルが遠ざかるのを確認してティーナが口を開く。

 

「……よろしいのですか、フランチェスコ様」

「何がだ?」

「いえ、釘を刺された方がよろしいのかと……」

「その必要はないだろう」

 

 そう言うとフラーはベルの書いたメモを指で弾いた。ヒラヒラと宙を舞ったメモが数秒後、突然発火し瞬く間に世界から消失した。

 

「————どれほど待っても待ち人はきたらずか……。残念だが、この世のどこででも起こり得ることだ」

「…………」

 

 詩的なフラーの言葉にティーナは沈黙で答えた。

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