第16章 〜Ovest〜

064 『弱小領主のダメ息子、西へ向かう(1)』

 ベルはヤンアルらしき褐色の女性が目撃されたというデルニの街へ馬を飛ばしていたが、ヴィレッティ家から借り受けた白馬が全身に汗をかいてゼイゼイと息を荒げていることに気付き急いで手綱を引いた。

 

「————すまない! 気がいて飛ばし過ぎてしまったな。少し休もう」

 

 ベルは街道の脇に小川を見つけると、馬を引いて水を与えた。

 

「美味いか? 確かキミの名前はビアンコだったな。たっぷり飲んでくれ」

 

 ベルに首筋を撫でられたビアンコという白馬は『ヒヒンッ』といなないて、また小川に口を運ぶ。

 

 その様子に眼を細めたベルは自分も喉を潤して、木陰に腰を下ろした。

 

「……さてと————」

 

 懐から地図を取り出したベルはアンヘリーノの位置から西の方へ視線を這わせる。

 

(……アンヘリーノからデルニまでは約50キロか。そこまで距離があるわけではないが、ヤンアルらしき女性が目撃されてからもう数日経っている。いつまでもそこに留まっているという保証もないし、無闇に飛ばしてビアンコが脚を痛めたりしてしまっては可哀想だ。焦らずゆっくり行くとしよう)

 

 そんなことを考えていると、突然ビアンコの怯えたようないななきが耳朶じだを打った。

 

「どうした⁉︎ ビアンコ————」

 

 顔を上げたベルの眼に飛び込んできたのは、バサバサと不快な音を立ててホバリングする翼の生えたトカゲのような生物の姿であった。

 

「……これはこれは、お久しぶりですね。『翼竜ワイバーン』さん」

 

 またしても三匹のワイバーンに遭遇してしまったベルは立ち上がってお得意の軽口を叩いた。

 

「もしかしてだが、キミたちはこの間のワイバーンさんたちのご親戚ではありませんか?」

 

 続けて親しげにベルが話し掛けるが、ワイバーンたちは怯えるビアンコに眼を向けるばかりで答えない。

 

「……ビアンコ。俺がこのワイバーンさんたちのお相手をするから、すまないがキミは向こうの方で食事でもしていてくれないか?」

 

 ビアンコを逃そうとベルが声を掛けるが、ビアンコは怯えきってしまっているようで固まったまま動こうとしない。捕食しようとワイバーンたちが動き出した瞬間、ベルはビアンコのお尻に石つぶてを放った。

 

 尻を叩かれ緊張が解けたビアンコが駆け出し、間一髪でワイバーンの爪を避けた。

 

「良いぞ! そのまま遠くまで逃げるんだ!」

 

 なおも逃げるビアンコを追いかけようとするワイバーンたちの進路を塞ぐようにベルが立ちはだかる。

 

「キミたちの相手は俺だと言っただろう————不意打ちの『フゥオーコ』!」

 

フゥオーコ』の範疇を大きく超える火炎に包まれ中央のワイバーンが消し炭になった。

 

 およそ主人公ヒーローらしからぬ一撃で一匹を片付けたベルは跳躍して右側のワイバーンへ飛び蹴りをかまし、その反動で左側のワイバーンの頭上へ飛び上がった。

 

「————これで終わりだ!」

 

 格好つけて踵落としを繰り出したベルであったが、あまりにモーションが大きく、すんでのところで躱されてしまった。

 

「……あれ?」

 

 の抜けた表情でベルが顔を上げると、最後のワイバーンはすでに遠くの空へ逃げてしまっていた。追いかけようとも考えたベルだったが、すぐに思い直したように背を向ける。

 

「考えてみれば彼らも生きるために必死なんだ。襲われて抵抗するのは仕方ないが、追いかけてまで命を奪う必要はないな……」

 

 つぶやいたベルは蹴りを喰らったワイバーンへと眼を向けた。長い首がベルの強烈な蹴りによってへし折れ、多量の血を吐いて絶命している。

 

(……おい、ダメ息子。ヤンアルのお陰で強くなった分際のくせに随分調子に乗っていたじゃないか? 最後の踵落としも隙が大き過ぎて、ファビオに見られていたらきっと説教されていたぞ?)

 

 ベルは脳内に溜まったおごりを洗い流すように川へ頭を突っ込んだ。

 

(————もっと気を引き締めなければ、本当に強い者とぶつかった時には俺なんか一溜まりもないはずだ。それに、こんなていたらくだからヤンアルに見限られたのかも知れない……!)

 

 ザバッと水面から顔を上げたベルはダメ元で指笛を吹いてみた。しかし、いくら吹いても走り去った白馬の姿は見えない。

 

「……ハハ、やっぱり現実は甘くないか……」

 

 苦笑いを浮かべたベルがタオルで顔を拭こうとした時、背後からカポカポという心地良い音が聞こえてきた。眼を輝かせてベルが振り返ると、不安そうに周囲を警戒しながら近づいてくる白馬が見えた。

 

「————ビアンコ! よく戻ってきてくれた!」

 

 ベルは大喜びでビアンコの首に抱きつき、雪のような純白の毛並みを撫でた。ビアンコも応えるように顔を押し付けてくる。

 

「これは怖がらせてしまったお詫びだ。良かったらもらってくれないか?」

 

 ビアンコはベルの手のひらに乗せられたニンジンを美味そうに食べてくれた。

 

「よしよし、まだあるからな。これからは休憩をしっかり取りながら行くから、ヤンアルを見つけるためにキミの力を貸してくれ、ビアンコ」

 

 ベルの言葉を理解したのか、ビアンコは『ブルル』と小さく返事をした。

 

 

             ◇

 

 

 ————その後、ベルとビアンコは休憩を挟みながら西へと進み、翌日の早朝にデルニの街へ到着した。

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