034 『弱小領主のダメ息子、領内調査に向かう(7)』
水面に浮かぶ水蓮の葉に立つというヤンアルの離れ
「……ミキ、お前あんな芸当が出来るか……?」
「無茶を言うな。出来るわけがないだろう……!」
二人は前方の水上で展開されている光景を双眸に収めながら、信じられないといった様子で口を開いた。
「クルルルル……」
傷を受けたセルペンテはやたらめったらに攻撃することを
「どうした? もう来ないのか?」
挑発するようにヤンアルが再度手招きすると、セルペンテは「フシュウゥゥッ!」という唸り声を上げて、またしても正面からヤンアルに飛び掛かった。
「————遅い! 傷を負って動きが鈍っているぞ!」
迎え撃とうとヤンアルが身構えた瞬間、セルペンテはその軌道を変えてヤンアルの数メートル前で泉に潜ってしまった。
その様子を観戦していたミキが顔色を変える。
「————マズい……!」
「な、何がマズいんだ、ミキ⁉︎」
「泉の中に潜ったセルペンテからはヤンアルの位置が丸わかりだろうが、逆にヤンアルからはセルペンテの位置が分からず、いつ攻撃してくるかタイミングも測れない。かと言って自分も泉に潜ってしまえば、いくらヤンアルと言えど水中ではヤツほど素早く動けないだろう……!」
「ヤンアル……!」
「待て、ベル! お前が行っても助けには————」
ベルはミキの制止の声も聞かず泉に向かって走り出した。
————一方、ヤンアルはそのまま水上に残っていた。その瞳は固く閉じられており傍目から見れば、蛇に睨まれた蛙のように絶望で身体が動かなくなったと思われても仕方のない姿であろう。
しかし、水蓮の葉の上に
「……いくら水中に姿を隠そうが————」
ヤンアルが独りごちた瞬間、足元の水面が盛り上がり、大口を開けたセルペンテが垂直に飛び跳ねた。
ガチンと勢いよく上下の牙を噛み合わせたセルペンテだったが、口内には小魚と水蓮の葉があるばかりで、期待した獲物の姿はなかった。
「————波紋がお前の位置を私に知らせてくれる」
セルペンテの頭上に位置を取ったヤンアルが涼しい顔で語りかけた。
眼を閉じ精神を集中させていたヤンアルはわずかな波紋の振動が水蓮の葉を通して足の裏に伝わった瞬間、水中から浮かび上がるセルペンテよりも一瞬早く跳躍したのである。
「……それに、これほど邪悪な『氣』が垂れ流されていれば、いくらでも感知できるというものだ」
スンと鼻を鳴らしたヤンアルは右腕を掲げた。
「どちらにせよお前はもう詰んでいる。いくらお前でも頭部に登った獲物には喰いつけないだろう」
ヤンアルが手刀に力を込めると、今度はセルペンテが動けなくなった。蛇に睨まれた蛙に
「ヤンアル、良かった……!」
その時、ヤンアルを心配したベルが泉のほとりまで戻ってきて声をかけてしまった。
「ベル! どうして————ッ!」
ベルに気を取られたヤンアルの一瞬の隙を見逃さず、セルペンテが標的をベルに変えた。突然足場を失ったヤンアルの身体が泉へ落下する。
「————くっ!」
突然襲い掛かられたベルが慌てて剣を振り上げた時、水辺の湿った土に足が滑り、その身体が後ろにズレた。
「うわっ⁉︎」
————バクンッ‼︎
一拍遅れてセルペンテの大きな口が閉じられた。標的の身体が後方へ傾いてしまったため、狙っていた丸呑みは出来なかったが、ベルの左腕の肘から下は消失してしまった。
「————ベルッ‼︎」
遅れて駆けつけてきたミキが主人を守ろうと渾身の一撃を振るう。この強烈な斬撃によってセルペンテの左眼が潰された。
「ギシャアァァァァッ‼︎」
痛みと動揺でセルペンテが棒立ちになった時、
「————よくもベルをッ‼︎」
背後から
「ベル! 大丈夫か⁉︎」
ミキが血相を変えて、倒れ込むベルへ声をかける。
「早く上着を脱いで傷を————見せ……⁉︎」
上着を脱がせてみれば、なんと食いちぎられたと思われたベルの左腕は健在であった。それもご丁寧にサムズアップまでしている始末である。
「ど、どういうことだ……⁉︎」
「……いやー、はは。大丈夫だ、ミキ」
飄々とした様子でベルが半身を起こした。
「べ、ベル。一体何が起こったんだ……⁉︎」
「ああ、さっき俺、足がスベって後ろに倒れ込んだだろ? その拍子で左腕が袖から懐の方へ抜けてしまったんだ。そのお陰でセルペンテには左袖だけを持っていかれたってワケさ。袖がゆったりとした服を着ててホント助かったよ」
ベルの説明を聞いたミキは拍子抜けした様子でその場に崩れ落ちた。
「……なんて悪運の強さだ。都合良く足がスベッた上に袖から腕が抜けるとは……!」
「俺だけの運じゃないな。きっと出掛けにカレンが掛けてくれたバフのお陰だ。あれがなければ危うくこの先フォークが使えなくなっていたところだ」
無事を確認してホッとしたところにジョークを飛ばされたミキの眉が吊り上がった。
「————お前なあ! 運が良かったから助かったものの、一人で突っ走って危うく取り返しがつかないことになるところだったんだぞ!」
「……すまん、ミキ。ヤンアルが危ないと思ったら、身体が勝手に動いてしまったんだ」
「……もういい。そもそも俺がお前を止められなかったのが一番問題だ。俺は使用人失格だ。俺こそ謝らなければならない……!」
「そんなこと言うなよ、ミキ。お前がいてくれるから俺は無茶が出来るのさ」
感謝するようにポンポンとミキの肩を叩いた時、
「————ベル」
背後からヤンアルのか細い声が聞こえてきた。
「あ、ああ、ヤンアル。キミにもすまないことをしたね。俺が余計なことをしたばかりに————」
言葉の途中でベルはヤンアルに抱きすくめられた。
「ヤ、ヤンアル……?」
「ベル、本当にすまない……! 私はお前を守ると言いながら、お前を危険な目に遭わせてしまった……‼︎」
「そ、そんなことないって! 言っただろう? キミもミキを悪くない。俺が
「…………」
しかし、ヤンアルはベルを抱きしめる腕の力を緩めない。ベルは諦めてヤンアルの気の済むようにさせた。
その様子を見たミキは黙って二人から、そっと距離を取った。
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