035 『弱小領主のダメ息子、領内調査に向かう(8)』
長い間ベルを抱きしめていたヤンアルだったが、やがて背中の
「……す、すまない、ベル」
「いや、どういたしまして」
礼を言って立ち上がったベルは首を落とされ絶命した
「さて……、失踪事件の容疑者はコイツだったということでいいのかな?」
「そうだろうな。いつからかこの泉に棲みつき、カップルで訪れた人たちを襲ったんだろう。であれば、人の居た形跡はあったのに持ち物なんかが見当たらないのにも納得がいく」
ミキの言葉にベルは首をひねる。
「どういうことだ?」
「
「なるほどね。そういや子供の頃、母上から読んでもらった絵本にも財宝を守る竜の物語なんてのがあったな……」
ベルは納得したようにうなずいたものの、すぐにその表情が曇る。
「……しかし、そうなると被害者は五人ってだけじゃなさそうだな……」
「……ああ。この町の関係者が五人というだけで、
「…………」
沈んだ様子のベルの背中をミキがバシッと叩いた。
「————痛いぞ! 急に何をする、ミキ⁉︎」
「そうしょげるな、ベル! お前のお陰でこれ以上の被害が出なくなったんだ! 大手柄だぞ!」
「い、いや、俺は何もしていないぞ。退治したのはヤンアルだ」
ゴホゴホとむせながらベルが言うと、ヤンアルが首を横に振った。
「いや、私だけの力ではない。そもそもこの泉を調査しようと言ったのはベルだ」
「そういうことだ、ベル。何もお前が最前線で戦わなくても良いんだ。ただ、領主代行のお前が自ら現場に来て事件を解決してくれたとなると、領民はきっとお前のことを見直すぞ」
「そんなものか?」
「そうだとも!」
「————シッ」
嬉しそうに話していたミキの言葉を遮ってヤンアルは人差し指を口元に当てた。
「どうした、ヤンアル?」
「……私としたことが油断していた」
ヤンアルの視線を追うと、遠く離れた樹の陰に男女らしき姿が見え、こちらの視線に気付いた二人は逃げるように去って行ってしまった。
「あれは……カップルの観光客か……? しまったな。いつから見られていたんだ?」
「ベル、俺が追いかけてみる。ついでに役所に行って報告をしてくるから、お前たちは待機していてくれ!」
言うが早いかミキは走って行ってしまった。
「……待機って、ここで?」
本音を言えば魔物の死骸のそばにあまり長居はしたくないのだが、さっきのように何も知らない人間に眼に入ってしまうと要らぬ騒ぎを起こしてしまうと思い、ベルはその場に座り込んだ。
「ヤンアル、キミも疲れただろう? ミキが帰って来るまで休んでいよう」
「うん」
ヤンアルは小さく返事をして、ベルの隣に微妙な
「…………」
「…………」
二人の間にこれまた微妙な空気が流れて、沈黙の刻が続く。ヤンアルは先ほど抱きついたことを意識しているのか眼を合わせようとしない。それはそれで可愛らしいと思うベルだったが、沈黙に耐えきれずついに口を開いた。
「————そ、そういえば、さっきのアレ凄かったな! 水蓮の葉の上に立つ技! あれはどうやったんだい?」
「……大したことではない。『心を軽やかに保つことで、その身をひとひらの羽の如く為し風に舞う』————それだけのことだ」
「…………⁉︎ それは何かの呪文かい?」
「呪文……? 確かに、私は何を言っているんだ……?」
ヤンアルは額に手を当てて独りごちた。その様子を見たベルは先ほど浮かんだ疑問をぶつけてみる。
「ヤンアル、そういえばさっき『キ』とか『センシ』とか言っていたが、何か思い出せそうなのかい?」
「……『氣』、『仙士』……————うッ!」
突然ヤンアルが頭を押さえてうずくまった。慌ててベルはヤンアルの肩に手を掛ける。
「————すまない、ヤンアル! また無理に思い出させようとしてしまった!」
「…………いや、今なにか思い出せるような気がした……」
「もういいから! ホラ水を飲んで、深呼吸をするんだ!」
「ああ……」
ベルはヤンアルに水筒を手渡して考え込む。
(……やっぱりヤンアルはあの『神州見聞録』という本に書いてあった『センシ』という魔物を退治する拳闘士で間違いなさそうだ。……ということはこれからも色んな魔物と闘えばヤンアルの記憶が戻るかも————)
ここまで考えが及ぶと、打ち払うようにベルはブンブンと首を振った。
(————何を考えているんだ、俺は! そんなことをすればヤンアルが危険な目に遭うだけじゃないか!)
「……ベル……?」
声にハッとして振り向くと、心配そうな眼差しのヤンアルの姿が見えた。
「どうかしたのか? ベル」
「い、いや! 色んなことが起こって俺も頭がパニックになってるようだ。やっぱり無駄口叩いてないで身体を休めよう!」
「……? 分かった」
無理矢理会話を終わらせたベルはミキが早く帰って来るのを待った。
◇
————その後、新たに泉へやって来る人の姿はなく、一時間ほどでミキが役所の人間を連れて戻って来た。三人は事情を説明して山を降り、関係各所を回ることにした。
報告を受けたカディナの町の町長は感激した様子でベルの手を取った。
「————本当に、ありがとうございました……! ベルティカ様……‼︎」
「いや、私は大したことはしていませんよ。それより町長、大変なこともあるでしょうが是非ワイン作りを成功させてください」
「はい、町を挙げて必ずや軌道に乗せて見せます……!」
————後日談ではあるが、カディナ産のワインはその美味しさから評判となり、ロセリア全土に出荷されるほどになった。その恩恵を受けてカディナにはワイナリー目当ての観光客が増え町やトリアーナ県の税収も潤ったが、フレールの泉には魔物が棲むと噂話が広がり、カップルの憩いの場から一転、肝試しスポットへと姿を変えてしまった。
町長の家を出たベルはミキに声をかける。
「そういえばミキ、あの目撃者には追いつけたのか?」
「……すまん、急いで追ったんだが見失ってしまった」
「そうか。ま、気にすることはないさ。ところで腹が減ったな。どこかで食事を取ってから帰ろうか」
「ああ」
「それがいい」
ミキとヤンアルが同意する。三人はカディナの名物料理をたっぷりと平らげた後、家路に着いた。その帰り道————、
「————あっ!」
何か重大なことを思い出したようにベルが声を上げた。
「どうした、ベル⁉︎」
「何か見落としがあるのか⁉︎」
二人に詰め寄られたベルは絞り出すように答える。
「……マズい……! レベイアのお土産を買うのを忘れていた……!」
時すでに遅し。もはやガレリオ家とは目と鼻の先であった。
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