第36話 向かい合うということ
世界は眩い。
この世界はどこに行っても花が咲き乱れており、色が溢れている。
俺は色彩豊かな丘を登る。
小高い丘だった。ネモフィラやリネン、ダリア、朝顔、ゼラニウム、マーガレット。あらゆる種類の大小さまざまな花が咲いていて、静謐な風に揺らされて、まるで笑っているかのような音を出している。優しい音だった。母親が乳児にささやく子守歌のような慈愛に満ちた音。ささやかな音に安堵する。プリマヴェーラのすべてが俺を祝福してくれているように思えて。
ああ、優しい。
なんて優しいんだろう。
灰色だった日々では考えられないくらい穏やかで。信じられないくらい鮮やかで。
――俺は、天国にいるのだ。
「……」
足を止める。
頂上についた。開けた場所に大きな桜の木が咲いていて、その下には不自然なほどに植えられた花々と歪な墓石。
そして、スノードロップの後ろ姿。
景色を楽しむのはここまでだ。
強く拳を握った。湧き上がる緊張を誤魔化すようにゆっくりと息を吸い、細く細く吐き出す。
「……何しに来やがった?」
「話しに来たんだ」
振り向きもしないスノードロップの言葉に、俺は落ち着いて返した。
「帰れ」
「……」
「てめえと話すことなんざ、何もねえ」
「あるよ」
俺は断言した。
拒絶されることなんか、最初から織り込み済みだ。これから彼女の深淵に近づこうとしているのだから、今更それくらいで怯むわけにはいかない。
「たくさんあるだろ。俺たちはあまりにもお互いのことを知らなすぎるじゃないか」
「知る必要なんかないだろ。俺はてめえになんか興味はない」
「俺はそうじゃない。お前のことをもっと知りたいって思っている」
「知るかよ」
「スノードロップ!」
声を張り上げた。
ここが正念場だ。心を閉ざし、本心を誤魔化し続け、すべてを拒絶して見ないふりを続けるスノードロップを話し合いのテーブルにつける。そのために、俺は彼女の感情に揺さぶりをかける。
たとえそれで、俺が半殺しにされたとしても。
俺は、言い放った。
「これ以上、逃げることは許さない!」
数時間前。
俺は執務室で、スノードロップ以外のアンサスたちと向かい合っていた。
「……スノーちゃんと話すんだね〜」
ネコヤナギの言葉に頷く。
「いずれ向かい合わなければならないと思っていたんだ。今回の件をいい機会に、一回腹を割って話してみるよ」
「いいんじゃないかな〜? やらかした私がとやかく言えることじゃないし、私としてもスノーちゃんの気持ちをちゃんと知りたいとは思うしね〜。じゃないとスッキリしねえし謝れねえ」
「え、謝る気あったんだ?」
リンドウが目を丸くして突っ込んだ。
「……そりゃあね。私だって、頭下げなきゃならないときは下げるよ。今回はよく考えず喧嘩ふっかけた私が悪いんだしさあ〜。……ていうか、けっこう失礼だなキミ」
「ご、ごめん。そんなに殊勝だとは思わなくてつい……」
「おいこら、失礼の重ねがけやめ〜い」
たしかにけっこう失礼だけど、お前の場合は自業自得な気がする。
「で、どうやって話す気なのかにゃ? あの暴れ馬さんが素直に話なんか聞くと思わないけど」
リリーがニヤニヤしながら尋ねてきた。面白がっていることは明白だったが、突っ込んでも話が進まないのでその辺はスルーしておく。
「……まあ、そうだろうな。たぶん普通に言っても聞く耳は持たないだろう」
「なんか考えがあるのかにゃ?」
「ああ。……多少強引になるが、スノードロップを怒らせようと思う。向き合うことから逃げるんじゃないって言って」
しん、と静まり返る室内。
……わかっていたけど、思った以上に反応が芳しくない。
「……殺されるよ?」
リリーが真顔で言った。あのリリーが。
「そうだね……。メンターには悪いんですけど、あまり良案とは思えません。死にますよ」
「うん。胸ぐらつかみ上げた私が言うのはなんだけど、骨も残らないと思うな〜」
「……そんなにか」
引きつった笑みをこぼしてしまう。
いや、無謀なのは承知の上なんだけど、そうでもしないとスノードロップと話し合うことなんてできないと思うんだよな……。
「それに、怒らせてさらに心を閉ざされるかもしれないでしょ〜? そうなったら話し合いどころじゃなくなると思うんだよね」
「いや……そうはならないと思う」
「どういうことですか?」
リンドウが尋ねてくる。
「これはあくまで俺の経験上の話でしかないが……。スノードロップみたいなタイプには、建前や下手な配慮で飾った言葉はかえって心に届かないと思うんだよな。多少汚い言葉になってでも、本心を剥き出しにしてぶつかり合った方が、ああいうタイプとは分かり合える気がする」
「……ああ。それはなんとなくわかるかもにゃ」
リリーが苦笑を浮かべながら言った。
「やさぐれヤンキーだもんねえ〜。『大人はどいつもこいつも信用ならない、綺麗事ばかり抜かしやがる』とか、いかにもガキみたいなこと考えてそうなタイプだからな〜」
「あ、たしかに……。自慢げに校舎の窓ガラスとか割って、『俺のことを理解しない世間が悪い』とか思ってそうな感じだよね。『俺と本音で向き合ってくれるやつなんか誰も居ない』とか夜の公園でタバコ吹かしながら不貞腐れてそう」
「……」
……ボロクソに言われてるぞ、スノードロップ。
しかしリンドウたちの暴言にも等しい例え話は、わかりやすいしこちらも得心がいった。まさにそういうタイプだ。ああいうやさぐれたやつは基本疑り深く、虚飾や上っ面の言葉には敏感に反応する。俺が高校の時に仲良くしていたヤンキーも、そういうタイプだったからな……。
それにゲームでも、スノードロップの個別キャラクタールートで彼女の過去を巡って言い合いとなるイベントがある。そのときに彼女を怒らせるような本音の発言を選択することで、過去につながるストーリーが開示されるようになるのだ。
彼女の本質がゲームのスノードロップと同じならば、十分に考慮の余地があることだとは思う。違う場合は八つ裂きにされかねないが……。
「……」
正直、賭けではある。ゲームの要素が曖昧に反映されたこの世界において、ゲームのシナリオを参考にする危険性は決して低くはないだろう。
だが、現状他に手はないのだ。スノードロップと向き合うと決めたなら、いずれにせよ必ず彼女の闇に触れなければならない。そうなったら、必ず激情をぶつけ合うことになる。遅かれ早かれそうなるのだから、今やったとしても同じことだ。
……いや。
おそらくは「今」なんだ。
そう思う根拠は、彼女がずっと同じ場所を繰り返し訪れていることだ。おそらくは、その行動そのものがフラグになっているのだと俺は考えていた。
個別キャラクタールート『弔いの墓所で』につながるフラグ――。
彼女の訪れる場所が墓地で、繰り返しの訪問が墓参りだと考えるなら筋が通っているだろう。きっと、俺が彼女の下へ向かうことでイベントが進行する。
「まあ、お前らが言うことはともかくとして……。現状スノードロップの心を開くには本音でぶつかり合うのが一番だと思う。多少危険は伴うかもしれないが、いずれは向き合わなければいけないことだしな」
「にゃはは、あのヘタレなメンターとは思えないことを言ってるにゃ! かっこいい〜」
……うるせえな、このピンク猫。
「……まあ、イケメンターがそれでいいなら私としては異論はないよ〜。ていうか、さっきも言ったけどあまり偉そうなことを言える立場じゃないしね」
「ボクも……それしか方法がないなら仕方ないと思います。でも、メンター……。くれぐれも無理しないでくださいね?」
「ああ。善処するよ」
意見がまとまりかけたときだった。
「……私は反対です」
今まで黙り込んでいた椿が、重そうに口を開いた。
「あまりにも危険すぎると思います。スノーちゃんはいま、普通の精神状態じゃありません。そんなときに挑発するようなことを言うのが、果たして本当に得策なんですか?」
「……危険なのは承知の上で、現状そうするのが一番だって結論になったんじゃん。話聞いてたの?」
ネコヤナギが呆れたように言った。
「聞いてたわよ。スノーちゃんの本音を引き出すには、たしかに本音で言い合うのがいいと思うわ。でも、メンターが危険な目に遭うのは容認できない」
「じゃあ、椿姉はなんかいい考えがあるわけ? 文句があるなら代案用意しなよ〜」
「……私が話すわ、スノーちゃんと」
椿の意見を聞いたネコヤナギは瞬きを繰り返し、大きな溜息をついた。
「……あのさあ。それで済むなら、最初からこんなに苦労しないでしょ。椿姉が何度声かけたって、あの人反応すらしなかったじゃん」
「それは……」
言いかけて、椿は押し黙る。
残念だが、ネコヤナギの言うとおりだった。
スノードロップはたしかに他のアンサスたちと比べると椿には幾ばくか心を許しているが、本音を話せるほどに近いわけでもない。
話せる相手なら最初から話しているだろうし、おそらく椿では性格的にスノードロップとぶつかり合えるほど苛烈にもなれないだろう。そういう相手として、スノードロップが椿を見るかというとそれも考え難い。
それに、これが個別キャラクタールートにつながるイベントの可能性が高いことを考えると、椿では事態を動かすことはできないだろう。メタ的な意味でも、椿では相応しくない。
俯いた椿の表情は悔しさに染まりきっていた。椿は聡い子だ。ネコヤナギに言われるまでもなく、分かっていたのだろう。
だが、俺の身を案じて苦しいとわかっていても反駁してくれたのだ。彼女のそうした気持ちはわからなくはない。
そしておそらく……もっと個人的な事情も隠れている。
だが、それを指摘するのは野暮というものだ。
「ありがとう椿。俺の心配をしてくれてるんだもんな」
「……はい」
椿はこくりと頷いて、くしゃりと顔を歪める。
「せめて……せめて護衛をつけることはできませんか? なにかあったときのために私が後ろで控えていれば、御身をお守りすることもできるかと……」
「それはダメだ。たぶん、スノードロップは他に人がいたら本音を話さなくなる」
「でも……」
食い下がろうとした椿を遮るように、リンドウが言葉を添える。
「メンターの言うとおりだよ。それにさ、たとえどれだけ目立たないように控えていたとしても、あの人は気づくと思うんだよね。だからメンターに護衛をつけるのは難しいと思う。気持ちはわかるけど、椿姉……今回ばかりはメンターに任せるしかないんじゃないかな」
「……」
「……気持ちはすごくわかるけどね」
リンドウは椿を気遣うように、さらに言葉を重ねた。だが、そんなささやかな優しさは椿には届いていないようで。彼女は、きゅっと唇を噛んで深く俯いた。
なにかを、ボソリとつぶやいていた。
なんと言ったのかは、聞こえなかった。
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