第37話 弔いの墓所で



 

「――あ?」


 墓地の空気が一気に張り詰めた。


 花が、草木が、ざわざわと騒ぎ始める。吹き抜けた風は身を切るほどに冷たくて。スノードロップの放つ殺気は、永遠の春プリマヴェーラの暖かさすら食い殺す鋭さがあった。


 スノードロップが振り返る。


 血走った三白眼が、俺を射抜いた。


「てめえ、いまなんて言った?」


「……っ」


 情けない声を漏らしそうになる。


 俺の脳裏によぎったイメージは巨大な狼――絶対的な捕食者が放つ威圧と、被食者が味わう原始的な恐怖。


 ――殺される。


 膝が震える。


 俺が相手にしているのはただのやさぐれたヤンキーではない。性質がそれに近いというだけで、相手は幾百の化物の群れさえ蹂躙する正真正銘の怪物。俺など、一撫でされただけで殺される。


 わかっていた。リリーたちも忠告してくれたとおりだ。わかりきっていた。怖い。血が抜けたように身体が寒い。足元が覚束ない。立っているのに浮いているような感覚。身体が、この場にいることを拒否している。怖い。怖い怖い怖い怖い――。


 だが――。


 俺は、まっすぐスノードロップを見据えた。


 俺はもう、逃げない。


 俺が逃げたら、逃げ続けるスノードロップと一生向き合うことができなくなってしまう。


「逃げるなと言ったんだ。俺たちと……俺たちと向き合うことからこれ以上逃げるんじゃない」


「逃げる?」


 スノードロップが首を傾げた。


「誰が、誰から逃げるって?」


「お前が、俺たちからだ」


「はっ、震えているやつが言うじゃねえか。俺がお前らから逃げるだって? なんでてめえらみたいな雑魚から俺が逃げないといけない?」


「……恐れているからだよ」


 俺は震える足を、一歩前に進める。


「お前は、俺たちと馴れ合うことを、俺たちと仲間になることを恐れている。あれが……シオンが現れてから、なおさら怖くなったんだろ? だから心を閉ざして見ないふりをしようとしている」


 俺はとうとうスノードロップの心の傷に直接触れた。覚悟は決まっている。これから、話し合いという名の喧嘩をするのだ。


 スノードロップ、俺はお前から逃げないぞ。


 もう、あんな悲しい顔で嘘をつかせたくはないんだ。


「お前は、失うのが怖いんだ」


「――」


 スノードロップの目が、さらに血走った。


 背中に、鈍い衝撃が走り抜けた。


「――かはっ」


 視界が暗転し、バラバラになりそうな激痛が電流のごとく全身に広がる。地面に叩きつけられた。そう気づいたときには、俺は完全に無力化されていた。無意識に受け身を取っていたようだが、衝撃を逃がし切ることはできなかったらしい。横隔膜がせり上がり、痛みと呼吸困難で身動きが取れない。


 ――耳鳴り。


 霞が消えるように現れた空は、暗い。

 

「……っは…………あぐっ」


 陸に打ち上げられた魚のように足掻く俺の首元のそばに、何かが突き刺さった。「希望の雫エルピス」の切っ先。


 スノードロップの殺意に満ちた瞳が、俺を睥睨する。彼女は何も言わず、瞬き一つすらせず、ただただ無様に倒れ伏す俺を見続けた。


 耳鳴りが治まりかけたころ。


 激しく咳き込む俺に向かって、彼女は冷淡に告げた。


「殺すぞ?」


 激痛にあえぐ身体が戦慄でさらに震えた。肌という肌が粟立つ。


 ものが違う。


 何をされたのかさえわからない。どんな技をかけられて倒されたのかもだ。露木稔に武道の心得がなかったら、この一撃で冗談抜きに死んでいたかもしれない。まるで交通事故にあったかのような衝撃だった。


「雑魚の分際が、舐めた口をききやがって。失うことが怖いだ? 誰に向かってそんなこと抜かしてやがる」


「……お前……だ。スノー……ドロップ」


「はっ。俺に怖いものなんかねえんだよ。少し脅しただけでブルっちまうビビリのてめえとは違ってよ」


「……う、そ……だ。お前は……ずっと、ずっと……怖がって……いる、だろ」


「……あ?」


「……クロノスでの、こと。今でも……お前は、苦しんで……いる、はずだ。……仲間を……失ったことを」


 胸倉をつかみ上げられた。


 身体がふわりと持ち上がる。自分よりも身長の低い華奢な女性とは思えない凄まじい膂力だった。


「黙れよ」


「……ぐっ」


「そのことを気安く口にするんじゃねえ。俺の情報を覗き見でもしたんだろうがよ、知ったふうなことを抜かすな。てめえにゃ、何もわからねえよ」


「ああ……そうだ。俺は……なにも、知らない」


「なら――」


「だから! 話を聞かせてくれよっ!」


 整いきれていない息を、すべて吐き出す勢いで叫んだ。


 これまでわだかまっていた気持ちを、思いを、俺はここですべて……すべて発露する。


「なにも知らないでいることは、見て見ぬふりをしていることは、もうできないんだ! 俺たちは、みんな……お前のことをどうにかしたいと思っているんだよ!」


 俺は咳き込んで、息を吸う。


 身体が痛い。骨が軋む。


 だが、そんなの関係ない。


 本当に痛いのは、俺なんかじゃないんだ。


「だから教えてくれ! お前の感じる痛みと苦しみを少しでいいから分けてくれよ! お前がなんと言おうと、俺はお前を仲間だと思っているからな! 椿も、リンドウも、ネコヤナギも、リリーも、みんなお前と仲良くなりたいんだ!」


 スノードロップの目が、わずかに揺らいだ。


 彼女の中に生じた微かな動揺を、決して見逃さない。


「もう独りになろうとするな! 独りだけで全部を抱え込もうとするな! お前だって、本当は……本当は独りでいるのが辛いんだろ!?」


「……黙れ」


「黙らねえよ! 俯いてねえでこっち見ろよ! 独りでいるのが辛くて苦しいから、せめて想い出に浸ろうと墓地に来てるんだろ!? かつての仲間を思い起こして、孤独を癒そうとしていたんだろうが!」


「黙れ」


「スノードロップ! お前は、本当は独りになりたくないんだ! でも、失うのが怖いから俺たちを遠ざけようと、わざと無視したりきつく当たったりしてるんだろ!」


「黙れえええええっ!」


 スノードロップが叫んだ。


 空気が震え、桜の木に止まっていた小鳥が一斉に飛んでいく。花が揺れた。墓石の周りに植えられた、様々な種類の花。その中に俺が渡したシオンを見つけたとき、俺は確信に至った。


 彼女は、やはり独りでは耐えられないのだと。


「黙れ、黙れよっ! なんなんだよてめえは……! さっきからグチャグチャグチャグチャ俺のことを知ったように語りやがって! 気持ち悪いんだよ……!」


 理解できないものを見るような、核心を突かれて慌てているような、そんな揺らぎきった瞳。


 彼女は俺から手を離した。得体の知れないものにでも触れたみたいに、胸ぐらをつかんでいた手を擦る。


 尻もちをついた俺は再び咳き込みながら、そんな彼女を見つめた。


 ――怯えている。


 本当の意味ではじめて差し伸べられた、救いの手に。拒絶してきたはずなのに、それでも諦めようとしない俺に。


 彼女は、はじめて、本心を見せた。


「……スノードロップ」


 俺は震える足を踏ん張り、痛みを噛み殺して、立ち上がった。


「こっちを見ろ。ちゃんと、俺の目を見るんだ」


「――」


「目をそらすな!」


 俺は一歩、近づいた。


「く、くるな! 近づくんじゃねえ! 近づいたらぶち殺すぞ!」


希望の雫エルピス」を向けながら、スノードロップは必死になって叫んだ。


「……殺す気ならやればいいだろ。俺は、お前に刺されたって恨まないぞ」


 さらに一歩。


「近づくなぁ! 殺すぞ!」


「本当にその気があるなら、もうそうしてるだろ! 違うか!?」


 さらに一歩。


 スノードロップが、下がった。


「くるな……!」


「……」


 さらに一歩。


 後ろに逃げ続けるスノードロップに届く距離へ。


 俺は、進む。


 スノードロップが、その手から「希望の雫エルピス」を落とした。大丈夫だ。かつて失われた希望は、俺がきっと……。


 きっと、少しでも分けてあげられる。


 スノードロップの背中が桜の幹についた。逃げ場はもうない。彼女は逃げられない。


 俺は、彼女の頭上に手をついた。


 間近で見つめ合う。


「……やめろ」


 スノードロップが、弱々しい声で言った。


「……やめろよ。俺はもう……なにもいらないんだ。なにも、なに一つ……いらねえんだよ」


「……」


「……俺の人生は復讐だけでいい。独りでいたら、もう……誰も死ななくていいだろ?」


 ――俺は、それでいいんだ。


 スノードロップは本心を吐露しながら同時に嘘をついた。壊され、歪みきった、繊細な少女。そのむき出しの弱さと本質が、その涙に現れている。


 彼女は、泣いていた。


「スノードロップ……いや、スノー」


 彼女が目を見開いた。


 マイナス292。彼女の現在の好感度。異様なほどに低い数字は、何も知らなかったころの俺を困惑させたものだ。


 だが、今は違う。


 リリーが言っていた。人の人に対する気持ちは、そもそも数字で測れるものではないと。

 

 そのとおりだ。


 スノーは、きっと本当の意味で俺を嫌っているわけではない。嫌っているのはすぐに死にそうな俺の弱さと、失うことへの恐怖そのものなのだろう。


 彼女とは、分かり合える。


 分かり合えるのだ。


「俺は、お前を独りにしない。お前が嫌がっても、俺は側にいるぞ」


 彼女の涙を指ですくう。


 スノーが、呆然と俺を見上げる。一切の険の取れた表情は、綺麗で、儚げで、そしてただの少女のように可愛らしい。


「……だから、独りで抱え込みすぎないでくれ。みんなお前のことを心配しているんだからな。シオンのことも……これから大変なこともあるだろうが、一緒に考えよう。もう、独りで悩まなくていいんだ」


「……嫌だよ。俺は独りでいいんだ」


 弱々しい抵抗を示す声に、俺は思わず微笑んでしまう。


 そんな表情で言われたって説得力ないよ。


「スノー。約束、覚えているか?」


「……約束?」


「ほら、シオンの花を渡したときのことだよ。話を聞いてくれるって約束してくれただろ? その約束、反故にしないでくれよ」


 独りになられたら、約束守れないだろ?


 俺がそう言ったら、スノーはぽかんと口を開け、やがて呆れたように眉毛を下げた。


 花風が穏やかに吹き抜けていく。墓石の花々がまるで優しく手を振るように揺れ動いた。マリーゴールド、ヒアシンス、アイビー、ダリア、マーガレット、キキョウ……そしてシオン。それ以外のたくさんの花々。


 彼女のかつての仲間たちは、たしかにそこに咲いていて。


 スノーを……繊細な少女を、静かに見守っている。


 苦笑しながら、スノーは言った。


「……そんな約束忘れたよ」 


 














【キャラクターイベント】


・個別キャラクタールート「スノードロップ」


開放されたキャラクタールートが進行しました。『ルート2 弔いの墓所で』をクリア。『ルート3 絶望へと至る病』が開放されました。また、スノードロップの情報の一部が閲覧可能となります。




【ワールドストーリー】


・ワールドストーリー「生誕祭」

所属アンサス全員の好感度が一定の値に到達しました。ワールドストーリー「生誕祭」が発動します。

すべてのワールドマップにおける難易度、敵の発生条件、ゲートの仕様、コマンドの仕様などが変更となります。

また、全ての指導者メンターに「刻印」が刻まれ、能力が向上します。

また、骸虫の位階に「最上級ティフォン」が追加されます。

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