第27話 歪な世界で



「……暇だな」


 執務室。


 思いつく限りのすべての仕事を終わらせてしまった元社畜の俺は、天井を仰ぎながら嘆いていた。


 ネコヤナギと話してから八時間ほどが経っただろう。時計の針は九時半を指していて、前世の会社なら残業本番真っ只中だ。エナジードリンクを何本飲んだか隣の席のやつとマウントを取り合いながら、山積みとなったタスクとの延長十回を迎える頃――。


 そのときの感覚が抜けきれてないのだ。まだまだ社畜で、暇を持て余す感覚に慣れていなかった。


 つまるところ、落ち着かない。


 ソワソワする。


「……椿はたしか清掃中だったな」


 俺は不在の補佐官の動向を思い浮かべ、手伝いに行こうかと愚案を抱く。


 だが、それをやったら間違いなく怒られてしまうだろう。夕飯をすませて執務室に戻るときに「仕事が終わったら余暇をとってくださいよ? いいですか? 働いたら駄目です」と怖い顔で釘を刺されたからな……。


 そんなに働いているつもりはないのだが、椿の目にはそう見えていないようで。高血圧な患者への食事制限ばりに、仕事しすぎないよう監視されているのだ。


 つまり、椿の手伝いにはいけない。


 リンドウはさすがにこの時間は庭仕事していないだろうしな……。スノードロップの様子は気になるけど、今は自室にこもっているみたいだし、そっとしておいた方がよさそうだ。リリーとネコヤナギはたぶん寝ている。


 うーん、どうしよう。本当にやることがないぞ。


「……どうするかなあ」


 俺は背もたれにもたれかかり、溜息をついた。


 仕事がないとなると余暇時間になるのだが、正直やることがなにも思い浮かばない。元々無趣味な方で、やることなんか隙間時間のプリストくらいだったからな。


 何すればいいのだろう?


 散歩? それなら散々空き時間にやっているしな……。個別キャラクタールートの攻略は……たぶんフラグが立たないと基本的には進まないものだからなあ。能動的な攻略ができるイベントは今のところなさそうだし……。強いて言うなら椿の個別ルートは唯一例外としてそれっぽいが……まあ、ね。


 唸っていると、ふと思いついた。


 俺は机の引き出しを開くと、使っていないノートを引っ張りだした。


 いずれまとめなければならないと思っていたことがあった。


 というより、もっとはやく整理するべきだったことだ。シオンやスノードロップの問題で頭がいっぱいになっていて、失念してしまっていた。


 今まで断片的に考察してきたことだ。


 ――スマホアプリゲーム「プリマヴェーラ・ストラトス」と、この世界の関連性。


 この世界に、どれだけゲームの要素が反映されているのかという問題だ。





 


 二、三十分かけてノートを書いた。


 まとめとしては稚拙かもしれないが、現状で把握している情報はすべて書き出したつもりだ。俺はその内容を見ながら、眉をひそめそうになる。


「……なんというか。わかっていたことではあるけど」


 ――物凄く歪だな。


 まとめてみると、俺がこれまで漠然と抱いていた印象、そして違和感がより輪郭を得たように思える。


 ゲームの要素は、俺たちメンターのデータベース(メニュー画面)、好感度システム、キャラクターのステータス表示、アンサスのキャラクター名と見た目、骸虫の存在、キャラクターイベントの存在、出撃イベント、フラグによるイベントの進行……そしてアンサスや拠点名、『開花の儀式』やアウトブレイクなどの共通用語――。


 今のところわかっているだけでもこれくらいだ。この共通する要素が、この世界の「現実」に反映されている。


 だが、そのすり合わせはチグハグにされている印象が強い。


 たとえば、この世界の人間。ゲームにも数は少ないがNPCにあたるモブキャラは存在する。だが、この世界にいる人々がそのモブにあたるかというと曖昧だ。話かけても決まった会話しかしないわけでもない。ちゃんと各々の個性と人格があって、血の通った交流ができる。


 他には、キャラクターイベントにかかること。キャラクターの情報は段階を踏むことで開示されるシステムになっているが、そんなものは諜報部や上官などのより詳しい情報を持つものに聞けば、手っ取り早く手に入るものもあるはずだ。そのはずなのだが、きちんとした手順を踏まないと「データベースへの権限がないから」という理由で必ず一蹴される。


 キャラクター本人も似たようなもので、手順を無視して本人から情報を得ることができないようになっている。フラグを立てたり、イベントを進めないと彼女たちは真実を語ろうとはしない。


 やけにゲーム的なところと、そうじゃないところがあるのだ。これらはあくまで一例に過ぎないが、他にもそうしたチグハグさは多数見受けられる。本来ならかなり無理がありそうなことが、そのまま違和感を残したまま成立してしまっているような感じ。


 つまり言ってしまえば、バグを残したゲームのような不完全性に満ちている。


「……俺はもしかするとデバッカーだったりするのかね?」


 冗談っぽい独り言をこぼしたが、自嘲にしたって笑えなかった。


 なんでこんなチグハグさが放置されているんだ。


 俺はこの世界に神に値する存在がいることを疑ってはいない。俺をこの世界に導いたあいつもそうだし、神の存在を肯定しないと説明しようがない事象がこの世界には数多あるからだ。それがフローラとやらなのかは俺にはわからないし、その存在の正体を考察する必要はまだないだろう。


 重要なのは、神という創造主が存在するのに、この世界をあまりにも不完全に創りすぎているという点だ。


 神が無能なだけなのかもしれない。だが、こんな世界や高度な生命体を創造できるものが、世界の歪さを放置するような無能であるとも思えない。ならば、なんらかの意図を持ってこうしていると考える方が筋が通りそうだ。


 もしくは――こうせざるをえない事情があるか、だ。すり合わせきれないバグを、バグとして放置せざるをえない理由……。


 それが何なのかは、わからない。


「……」


『不完全に創らざるをえない理由がある?』


 そうノートに走り書きをすると、ペンを机上に投げ置いた。椅子を回転させ、窓の外を見遣る。


 外はもうすっかり暗くなっていて、月明かりがぼんやりと庭を照らしている。リンドウが世話する花々が薄闇の中で優しく輝く。まるで月光を吸って自ら光を放つように。


「……綺麗だな」


 俺はそうこぼした。


 月夜というやつだろう。この世界の夜は前世の世界よりも遥かに明るい。前世と違いそこまで働かなくなって、世界の見え方が変わっているのもあるかもしれないが、この夜が美しいことだけは確かだ。


 プリマヴェーラは、途方もなく美に溢れている。俺はこの世界のあらゆる景色、そのどれもが好きだった。これまでの社畜人生は見るものすべてが灰色で、およそ色彩なんてものは感じられなかったから。百花繚乱のこの世界はまさに真逆。生きた世界。楽園そのものだ。


 俺は、この世界に来てようやく色を取り戻すことができたのだ。


「……」


 ただこの世界は、前世とは違って間近に戦争がある。人が傷つき死んでいく世界だ。


 戦争も、敵である骸虫も、震え上がるほどに恐ろしい。できるなら誰にも傷ついてほしくはないし、戦いたくなんかないと思う。


 だが、その恐怖を加味しても前世よりは生きている実感がある。いや、だからこそというべきか。感動も、恐れさえも、前世は感じづらくなっていたから。感情さえも麻痺させないと生きていけないほどに辛かったから。


 疑念を抱いたり納得がいかなかったりすることもあるし、恐ろしかったりすることもあるが、色を取り戻せたのは本当によかった。


 今でもその嬉しさだけは、変わらない。


「……ん?」


 俺はふと庭の中に人影を見つけた。


 あれは……スノードロップだ。


 彼女はゆっくりとした足取りで庭を進んでいる。再び部屋にこもったと聞いていたが、気晴らしに散歩にでも出たのだろうか?


 いつもの場所にいくのかもしれないな。


「……」


 俺は椅子から立ち上がると、壁にかけてあった上着を手にとった。


 放っておいた方がいいのかもしれない。


 だが――。


「これ以上、放っておきたくないな」

 

 

 


 

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