第28話 椿の夢
スノードロップの位置情報を確認すると、いつもの場所にはいなかった。拠点の外れにある小高い丘にスポットが表示されている。
「……外じゃないか」
外出申請をしないで拠点外に出たら、通常なら処分の対象となる。まあ拠点の側に出ただけだからこのくらいは目を瞑るけど……。もう少しちゃんとしてほしいなあ。言っても駄目なんだろうが。
それにしても、どうして外に出たのだろう? あの場所から動いていないようだが、そこに何があるというのか?
「……」
俺は息をついて頭をかく。
……いや、よくないよなこれ。
客観的に見ても、やってることが完全にストーカーだ。部下の位置情報を勝手に覗き見て、その場所までつけ回そうというのだから。
スノードロップにもプライバシーはあるし、無闇に干渉するのは絶対に良くない。前世ならセクハラどころか警察案件になりかねないぞ……。
「やっぱやめとこう……」
俺が冷静になって引き返そうとしたときだった。
「……あれ? メンターじゃないですか」
振り返ると同時に、椿から声をかけられた。
「わ、びっくりした。椿か」
「あ、驚かせてしまいましたね。失礼致しました」
頭を下げる椿。
「こんな夜更けに如何されたのですか?」
「……ああ、いや。寝ようと思ったんだけど、寝られなくてなんとなく散歩に出たんだ」
スノードロップを見かけたから追いかけてきたとは流石に言えないので、適当な理由をつくろう。
「そうなんですね」
「椿も散歩か?」
「いえ、私はスノーちゃんが出かけたのを見かけたので……」
椿は言いかけて、何かに思い当たったようにはっとした表情で口を閉ざした。俺の胸元あたりをなぜか凝視して、目を細める。
視線の先にはメニュー画面。俺は慌てて画面を閉じたが、その動きがさらに不信感を煽ったようだった。椿の顔つきがだんだん険しくなる。
え……メニュー画面ってアンサスたちには見えないんじゃなかったっけ?
「……ふぅん、そうですか」
「……」
「メンターも、スノーちゃんを追いかけてきたんですね」
「い、いや……」
言い訳を口にしようとしたが、メニュー画面を見られた動揺で上手く言葉が出てこない。しどろもどろになった俺をジロリと睨んで、椿は距離を詰めてきた。
「二人で会おうとしていたのですね、こんな夜中に」
「お、落ち着いてくれ。別にやましいことなんて何もないよ。ただ、スノードロップを見かけたから心配になったんだ」
「わかりますよ。スノーちゃんは最近はずっとああですし、心配するのは当然ですよね」
椿はそう前置きして、さらに目を細める。
「……あなたはお優しい人ですから、あの子のことをなんとかしてあげたいと思うのですよね。でも、あなたのことをあそこまで毛嫌いするあの子を、どうしてそこまで気にかけるのですか?」
「……」
「私にはわからないのです。あの子はあなたのことを散々見下して、馬鹿にしているじゃないですか。あそこまで言われているのに、あなたはあの子に嫌に優しくしますよね? メリアデスでもそう……シオンのことも、あの子のためにあんなに必死になってかばって……」
椿の声はだんだんと低くなっていく。溢れ出す苛立ちを抑えきれなくなっているのか、色素の薄い唇が微かに震えていた。
「あの子が貴重な戦力だからですか? あの子が特別な力を持っているからですか? あんなに侮辱されても優しくするのはなぜなんですか? それとも――それとも、あの子を特別に想っているから?」
「落ち着いてくれ!」
俺は眼前に迫った椿の肩を掴んで引き離した。
よろよろと後退する椿は俯いてしまい、表情は闇に紛れた。震える華奢な身体は、彼女の中にあった見えない不満を比喩しているかのようで。彼女の俺に対する執心を暗喩しているかのようで。
俺は、正直……椿に対して恐れを抱いた。
ほんの小さな、小さな感情の揺らぎだが――それでも俺は一歩下がってしまった。
「……少し冷静になりなさい」
俺は努めて穏やかに伝える。
「俺は別にスノードロップを特別視しているわけではないよ。シオンのこととか、それで彼女が病んでしまったこととか……あの子に関わる問題が偶然重なっただけでな」
「……」
「俺はこの拠点のメンター、責任者だ。ここにいるものはスノードロップに限らず、みんな大切にしたいと思っている。キミも、リリーも、リンドウも、ネコヤナギも、みんなな」
言葉は慎重に選ばないといけない。
俺は改めて強く実感した。椿は、好感度1000を超えた「病み状態」になったアンサスなのだと。俺を特別視し、俺に心酔し、俺へ過剰なほどの愛情を向けてしまうある種の熱病に犯された状態なのだ。
過剰なほどの愛は毒に等しく、彼女はその毒に狂わされそうになっている。
「だから、そんなに目くじらを立てないでくれ。誤解させて、椿を不安にさせたのは謝るからさ……。繰り返し言うけど、俺がスノードロップを特別に想っていることなんてないから」
「嘘」
椿のつぶやきに、俺は固まった。
いや、顔を上げた椿の瞳――その闇の深さに戦慄させられた。
彼女の瞳は、夜の闇よりも黒く濁っていて。それなのに俺の顔だけが鮮明に映されている。
その暗さは、その深さは、まさに深淵だった。
「嘘です。メンターは嘘をつきました」
「……は? 嘘なんてついてないぞ……」
さらに足を後ろに引いてしまったが、椿が幽霊のような緩慢な足取りで詰めてくる。
「あなたは気づいていないんですか? スノーちゃんを見つめるときのあなたの目、明らかに他の女たちとは違うんですよ。優しくて、悲しそうで、それでいて慈愛があるんです」
なぜか言葉に詰まってしまった。
違う。そんなはずはない。俺はそんな目であの子を見ていたことなどない。椿の考えすぎだ。
そう思うのに口が動かないのは、椿の迫力に飲まれているからか――。
スノードロップの顔がなぜか浮かんだ。月明かりの下で、岩に腰掛けて俯く純白の少女。寂しそうで、悲しげで、苦しそうで、どこか儚げな美しい横顔。
「……ほら」
椿の目が、鋭く吊り上がる。
「いま、あの雌猫のことを考えたでしょう? いつもそんな顔をしているんです」
「――」
「……ほんとわかりやすいね、ミノルちゃんは」
突然別人のように口調を変えた椿は、低い声で笑いながらとろりと目尻を緩ませた。
得体のしれない恐怖に身体が粟立つ。俺は後退しようとして、後ろにあった花壇の段差に引っかかり、尻もちをついた。花を潰す。リンドウが大切に育てている花を。転んだ痛みも罪悪感も浮かばない。気づけない。
深まった闇夜が、少女の顔を黒く染める。隙間風のような笑い声に、俺の心は虜になる。
ああ、俺は嘘をついたのだ――。
そう悟ったときには、椿の顔が眼前に迫っていた。菩薩のような笑みには、光はない。
彼女は俺の首根っこを掴んで、懐から取り出した小さな瓶を自らの口につける。
ふと、甘い匂いがした。まるで蜜のような粘り気のある甘さ。
口づけをされたと気づいたときには、俺の意識は闇へと消えていった。
……ふふ。
駄目だよ、椿。
あなたにとっては友達でもね、私にとってはただの泥棒猫なの。
あなたは私でもあり、私はあなたでもあるのだから。
それを、忘れないでね。
小鳥のさえずりで、俺は目を開ける。
木漏れ日。肌に当たる風の感触。
そして、濃密な花の香り――。
「……あ、お目覚めですか」
椿の顔が覗いていた。柔らかい笑みが、寝起きの俺を出迎えてくれる。どうやら膝枕をされているようで、後頭部から彼女の柔らかさと温もりが感じられた。
……え。なんで膝枕されてるんだ?
俺は慌てて身体を起こした。
辺りを見渡すと、数え切れないほどの花々と湖が見えた。拠点の端にある小さな湖の畔……俺がたまに訪れる昼寝スポット。
どうしてこんなところで寝ていたのだろう? たしか昨日はネコヤナギと話したあとに執務室で仕事をして、暇を持て余して考察をノートにまとめ……そして……。
そして……。
「……あれ?」
それからなにをしていたのか思い出せない。まるで酒を飲みすぎてしまったときのように、記憶に霞がかかって曖昧だった。
椿がくすりと笑った。
「覚えていないのですか? 昨日、私と散歩をしてここで休んでいたんですよ。そしたら、メンターが眠ってしまったんです」
「……え? そうなのか?」
「はい。だからせめて、枕の代わりになろうかと思いまして、過ぎたことかもしれませんが寄り添わせていただきました。……ご迷惑でしたでしょうか?」
「いや、迷惑ってことはないけど……。え……ということは、ずっと俺が起きるまで膝枕してくれていたんだろ? 寝ずに……?」
「そうなりますね」
なんでもないように、椿はにこやかに答えた。
「いやいや、俺の方が迷惑をかけているじゃないか……。すまない、ずっと起きて俺のことを見てくれていたんだな」
「とんでもございません。メンターの寝顔、すごく可愛らしかったので全然苦ではありませんでした」
「……そ、そうか」
俺は後頭部をかいて、目を逸らした。
恥ずかしいな……こんなところで寝てしまっただけじゃなく、寝顔まで晒してしまうなんて。
「……きっとお疲れだったのでしょうね。最近は色々ありましたから」
「そうかもな……」
こんなところで朝まで寝入ってしまうくらいだしな。仕事は大した量があったわけではないけど、出撃での経験とか本部に招集された件とかで想像以上にストレスがかかっていたかもしれない。
俺は目をこすり、欠伸をする。
寝たはずなのに、やけに頭が重いな……。本当に酒を飲んだあとみたいだ。飲んでないよな……?
「……今日の仕事は」
「ありませんよ。昨日、メンターがひと通り終わらせてしまったので。顔色も優れないですし、今日くらいゆっくりしましょう」
「……え、でも」
「でも、じゃありません。無いものはないのですから。ゆっくりできるときに、ちゃんと休むべきです」
「……」
俺はなんだか面倒になって、大人しく頷いた。
嬉しそうに微笑む椿は美しい。赤い瞳は穏やかに眠たげな俺の顔を映していた。彼女は自分の膝をポンポンと叩いて、俺に頭を乗せるよう促してくる。
戸惑っていると、椿が頬を膨らませ始めたので大人しく従うことにした。柔らかくて優しい感触に、俺のまぶたはゆっくりと重くなっていく。
椿は、歌うように言う。
「さあ、眠りましょう。休暇はフローラ様が与えてくれた慈悲の一つなのです。働きすぎはいけません。働いてばかりで、自分を犠牲にしてきたあなたには、たくさんの慈悲を受ける権利があるのです」
椿が優しい手つきで、俺の頭を撫でてくれた。
俺は目を閉じて、椿が与えてくれる安らぎに委ねた。
花風が嗤う。
「フローラ様に感謝を」
【キャラクターイベント】
・個別キャラクタールート「椿」
開放されたキャラクタールートが進行しました。『ルート1 椿の夢』をクリア。『ルート2 徒花に口づけを』が開放されました。ルート2のクリアにより椿の『武装解放』が可能となります。
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