第6話 血に飢えた獣



 エリアボス。


 文字通りプリストのステージごとにいる、骸虫スキュラたちの主だ。ボスを倒すことでステージクリアとなり、報酬が手に入るシステムとなっている。


 RPG要素のあるゲームなら、必ずといっていいほどにいる存在。


 それは、禍々しい姿をしていた。


 ゆうに五メートルは超えているだろうか。見上げてしまうほどの巨大な体躯に、飛蝗バッタと人間の顔をかけ合わせたかのような怪物だった。複眼があるはずの場所に瞳はなく、真っ黒な眼窩は狂気的な闇を孕み、見るもの全てを凍りつかせるほどの凶兆に満ちていた。


 化け物は、神に祈りを捧げるように背中から生えた無数の手を組んでいる。まるで、ベクシンスキーの絵画のようだ。強烈な嫌悪と怖気を心の奥底から引き摺り出されるのに、目を離すことができない。


 乾いた笑いがこぼれてしまった。


 あれは、もう、人がどうこうできる領分を超えてしまっている。


 人外の存在だ。


 勝てるわけがない。


 だが、そう思ったのはこの場では俺だけのようだった。


「ふうん、中級クラスの骸虫スキュラかぁ~。相変わらずでっかいねえ」


 ネコヤナギがそのへんのビルでも見上げるような気軽さで言った。


「図体だけはな。せいぜい遊び相手ってところだ」


「いやいや、あれ一応小隊クラスで対処する敵なんだけど……って分かりきったツッコミは意味ないよなあ〜」


「ああ、わかってんじゃねえか猫助」


 スノードロップはケラケラと笑いながら、手を前にかざす。突然、風が吹いた。なにもないはずの手のひらに、風が収束し、徐々に武器の形を成していく。


 そこに現れたのは、白銀の輝きを放つ荘厳で美しい武具。女の細腕では持ち上げることさえ不可能に見えるほどの、巨大なハルバード。


 スノードロップの固有武装「希望の雫エルピス


 希望の名を冠する最強の武装の一角。


「……」


 彼女は現出したその武具を軽々と振るってみせた。その瞬間、爆発的な風が巻き起こり、莫大な砂塵がスノードロップの姿を曇らせる。だが見えなくとも、俺は彼女が嗤っていることだけはわかった。


「あ~クソゲーが始まったにゃ」


 リリーが溜め息をつきながら、やる気をなくしたように腰をおろした。リンドウも椿も、呆れ顔で武装を納めて力を抜いている。


 どういうことだ?


 俺が困惑していると、心中を察してくれたのかネコヤナギが肩をすくめながら口を開いた。


「今から始まるのはね、戦いにすらならないものだから」


「……は?」


「まあ、見ていればわかるよ。見えればだけど」


 意味がわからず問いかけようとした刹那。


 俺の意識は、轟音に刈り取られた。


 その光景を目の当たりにしても、なにが起こったのか理解できなかった。化け物の幹のように太い腕が、樹木を吹き飛ばしながら転がって血を噴き出している。俺は赤い雨に濡れながら瞬きをするしかできなかった。


 なにが起こった?


 化け物の落雷のごとき苦悶の叫びが大地を震わせ――空中を舞うスノードロップの哄笑が空気を引き裂く。


 彼女は目を血走らせ、獣のように口を開きながら笑っている。


 なんだあれは。人間なのか。人間があんなにも獰猛に、美しく飛翔できるというのか。化け物の頭よりも高い位置にいる。腕を切り落とした? その光景がまるで見えなかった。気づいたらこうなっていた。


 化け物が絶叫しながら背中から生えた腕を振るう。ムチのようにしなるそれらは、空気を引き裂きながらスノードロップを襲った。だが、スノードロップは笑いながらその全てを切り落とした。ハルバードが消えている。そう錯覚するほどの速度で振るわれていた。はやすぎた。彼女は、すでにその場にいない。


 化け物の間近。


 頭の上に飛び乗っていた。


「――アハッ」


 悪魔のように口角を吊り上げながら、スノードロップはハルバードを振りかぶる。化け物は、そのときになってスノードロップの姿に気づいたようだった。落ち窪んだ眼窩が見開かれる。


 焦燥にかられた鳴き声は、すぐに断末魔へと塗り替えられた。


 スノードロップの渾身の一撃によって。


 狂喜混じりの咆哮とともに、落雷のごとき激しさをもって巨大なハルバードが振り落とされる。その分厚い刃は、化け物の頭蓋をやすやすと砕き、その巨体を一瞬のうちに地面へと沈めた。身体が震え上がるほどの激震とともに、血と脳漿の混ざったどす黒い飛沫が世界を汚す。


 俺は呆然とするしかなかった。


 わずか十数秒ほどの出来事だった。いや、もっと短いのかもしれない。映像が理解を超えた速度で展開され、呼吸のリズムすらわからなくなるほどに、何かしらの感情を浮上させる間もないほどに、一瞬ですべてが終わった。


 倒れ伏した化け物の腹に、スノードロップが着地する。彼女の血走った赤い目は、暴力的な輝きをもって晴天を睨んでいた。


 強いなんてものじゃない。


 ――格が違う。


「ね、言ったでしょ? こういうことだよ〜」


「……人間じゃない」


 俺の呟きに、ネコヤナギが苦笑する。


「まあ、私たちはそもそも人間じゃないんだけどさあ。言いたいことはわかるよ〜。エリアボスをそのへんの雑魚並みの扱いだもんね。あれで『武装解放』をしてないってんだからさ、やってらんないよ。そりゃあ、みんなやる気もなくなるさ〜」


「……なんで、あんなに強いんだ」


「さあ? 本人は地獄を見たからだ、なんて言っていたけどね〜。私は細かいことは知らないも〜ん」


「……そうか」


 ネコヤナギの言葉に、かすれた声で返答してしまう。


 いくらなんでも規格外すぎる。素人の俺でも格の違いが容易に理解できたほどだ。


 あれは……人間でもアンサスでもない。


「……スノードロップ」


 ゲームで知っている彼女は、たしかに優秀な能力値をもったキャラクターで、攻略wikiでもパーティーに入れたいキャラクターとして積極的に紹介されるほどではある。彼女のメインストーリーもシリアスで感動的なものだし、粗雑なのに初心な俺っ子キャラとしても人気で、プレイヤーにも公式にも愛される存在だ。


 だが、俺が見ている彼女は、俺達プレイヤーが知っている姿からはあまりにもかけ離れている。


 彼女は返り血に濡れた顔を歪ませ、ゲラゲラと笑った。屍を踏みしだきながら、生命を終わらせたことを心底楽しんでいるかのように。


 俺は、あんな怪物を知らない。

  

 ――あれは、血に飢えた獣だ。 




 

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