第5話 彼女たちの戦場




 甘く見ていた。


 俺は、彼女たちの戦争を、甘く見ていた。


 ゲームのような、デフォルメされたキャラクター同士のターン制バトル。その可愛らしい画面を、心の何処かで思い描いていたんだ。だけど、現実はどうか。絵本のイラストと象徴主義絵画くらいの違いがあった。


 敵は、巨大な昆虫だった。


 飛蝗型の怪物。全長はゆうに三メートルは超えている。茶色い身体は血のような液体で汚れており、脚はすべて人間の手を模した形をしていた。鋭い光を帯びた複眼の中……網目状にわかれた個眼の一つひとつに苦悶を浮かべた人間の顔が浮かびあがり、怨念を撒き散らしているかのようだった。蟹のような口からタニシの卵みたいな血の泡がこぼれ落ち、侵食された地面の草が腐りきっていた。


 そんな化け物が、十数体はいる。


 森を破壊し、草木を蹂躙しながら、少女たちを睥睨している。


「――」


 俺は、現れた化け物たちを見て圧倒されていた。


 あれは……あれが、骸虫スキュラ


 美しいプリマヴェーラを侵す外敵。実感がなかった戦争が、いっきょに化け物の形を帯びて目の前に現れたかのようだった。あまりのギャップに脳の処理が追いついていない。頭は真っ白なのに、恐怖はたしかに悪寒となって襲ってくる。


 ――地獄にいるのか?


 冷や汗が止まらない。化け物どもに睨まれただけで、萎縮してしまい声すらこぼれず、動くこともできなかった。蛇に睨まれた蛙。俺は、恐怖の虜となっていた。


 すえた匂いがする。


 なんの……匂いだ?


「メンター!」


 椿の怒声に、我に返る。


戦闘許可パーミッションを! 武装を解く許可をください!」


「……あ、ああ」


 俺は、震える手でメニュー画面を開いた。指先の揺れが止まらない。


「ビビってる暇はないよ、イケメンター」


 横に立っていたネコヤナギが静かにつぶやく。その声調は変わらず穏やかだが、響きはどこか冷たい。


 緊張感で、息苦しさすら感じられるほどに。


 俺は、戦場の空気にのまれていた。


「はやく!」


「う……ああああ!」


 化け物たちが翅を広げて飛び上がるのと、戦闘許可のコマンドを押すのは同時だった。


 少女たちが光の柱に包まれる。


 戦闘機の飛行音のごとき咆哮が、風を巻き起こした。すさまじい風圧が顔を叩き、呼吸がままならない。鈍い痛み。小石が顔に当たった。苦しい。目を開けていられない。


 なにが起こって――。


 瞼を少し開けた瞬間。


 目の前に、化け物の口が迫っていた。


「――」


 死。


 シンプルに頭に浮かんだその文字は、轟音とともにかき消される。眼前へと迫った化け物が突然首を曲げながら後方へ弾け飛んだ。樹木をなぎ倒しながら吹き飛ぶ化け物。


 呆然とする俺の目の前には、半透明の黄色い壁が展開されていた。


「あぶねー。ギリギリじゃんか〜」


 ネコヤナギが小さく息をついて、そう言った。


 その手には、彼女の身体が隠れてしまうほどに巨大な盾があった。猫の顔を象った盾。それはアンサスたちがそれぞれに持つ特殊武器の一つ。


 彼女の固有武装……「不沈の盾アンシンカブル・サム


「あと一秒パミるの遅れてたら死んでたね~。イケメンターは普通の人間なんだから、判断遅れたら秒で死ぬから気をつけなよ〜」


 俺はうなずくことしかできなかった。何も言えない。心臓が飛び出しそうなほどの鼓動で、動いてもいないのに勝手に息があがる。いや、動いてはいる。いつの間にか尻もちをついて、へたり込んでいた。


 転んだ記憶すらない。


「動ける? ……あー、無理そうかな〜。腰抜かしてるもんね」


「……っ」


「まあ、仕方ない。……椿姉!」


 ネコヤナギの言葉に椿が頷いて、懐の剣を引き抜いた。赤い刀身をもつその剣は「首切り庖丁」と呼ばれる彼女の固有武装。虹色の輝きを放つ刃を太陽へかかげ、彼女は叫んだ。


「各位フォーメーションAへ移行! 左翼をリンドウ、右翼をリリーが担当してください!」


 椿の言葉に、リンドウとリリーが頷く。


 三人はそれぞれの武装を構え、化け物どもと対峙した。キチキチ、と音を立てながら牙をむき出しにする化け物。その脚の肉が膨らみ、紫色の血管が浮かび上がった瞬間、爆発的な衝撃が風となって走り抜けた。


 雷撃のごとき音。樹木がしなり、岩草が蹴散らされた。化け物たちが飛ぶ。巨大な質量が弾丸のような勢いで少女たちに迫った。破滅的な絶叫。絶望的なほどの暴力にさらされた少女たちの目に、しかし動揺はなかった。


 湖面のような冷めた瞳で、椿は化け物の突撃を冷静に見切り、かわしざまに刀を振るう。


 刃の赤い軌跡は、あまりにも美しく。


 化け物の脚を、首を、一瞬で切り落とした。


 遅れて、血が噴き上がる。人間と同じ色の血が、雨のごとく椿を濡らした。彼女の瞳はそのことに関心がないのか、冷たい色のまま別の化け物へと向けられる。


「……次」


 椿のつぶやきに、息を呑まずにはいられない。彼女の目には、なんの感情も宿ってはいなかった。命を奪う逡巡も、武器を振るうことへの抵抗も、そこには一切ない。


 彼女だけではない。リンドウも、リリーも軽々と武器を振るい、化け物たちをやすやすと蹂躙していた。怪物たちの慟哭と怨嗟の混ざった断末魔が、森林を揺らす。花に躊躇はない。ただ切り刻み、潰す。命を奪う。


「……これが」


 彼女たちの戦争。


 俺は息を呑んで、尻をずらして後ずさる。身体がこの場に留まることを拒否しているかのようだった。だが、心の何処かから、奥底から、逃げるなという叫びも木霊する。露木稔の意思か。俺はこの場に、一秒たりとも居たいと思ってはいない。


「……はっ」


 後ろから、侮蔑に満ちた声がした。スノードロップの声だった。


「情けねえ野郎だな。なんだ、化け物どもをみて腰を抜かしたのか? びびってるならさっさと帰れよ」


「サボり魔がよく言うよ~」


 ネコヤナギが顔をしかめながら、呆れたように言った。


「スノーちゃんがやってくれたら一瞬で終わるのにさあ〜。なんで働かないのさあ。私ですら働いてんだよ〜」


「あ? なんで俺がこんな雑魚ども相手に動かなきゃなんねえんだよ。弱えやつはあいつらに任せときゃ十分だろが」


「ええ……。まあいいけどさあ〜。なんとかなってんのは確かだし」


 スノードロップは「だろ?」と言いながら、ネコヤナギの肩に手を置いた。露骨に嫌そうな顔をしたネコヤナギをみて、彼女はなにが可笑しいのかケラケラと笑っている。


 俺はなにも言えなかった。


 なにも言う権利はないと思えてしまった。


 俺はただ、腰を抜かしているだけだ。


 なにもすることはできず。


「……俺は……」


 なんのために、転生したのか。


 そう口にしようとしたときだった。


 アラートが鳴り響き、メニュー画面が勝手に展開された。


 スノードロップが嗤った。


 それが何の笑いなのか、表示された文字が教えてくれる。


 ――それは、エリアボスの出現。


 

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