第4話 マイナス300
マイナス300。
過酷すぎる惑星の気温ではない。
後で調べて出てきた、スノードロップの好感度だ。
いやいや、マイナス300って……。
椿の好感度も異常だったが、これはこれで大概逸脱している。どうしてこんな数値が出てくるのかまるで理解できない。初対面だぞ。会話すらほとんどしていないんだぞ。なのに、若い女子社員にセクハラ発言ばかりかましていた先輩並に嫌われているような気がする。たしかに俺を見ていたときのあの子の目、めちゃくちゃ怖かったけど。ゴキブリを見ているみたいだったもんな。
……なんでそんなに嫌われてるの?
心当たりがなさすぎて、顧みることすらできない。あの言動から察するに、過去他のメンターと何かあったのだろうとは思うのだけど、それにしたってマイナス三桁に振り切れるってどういうことなんだ。ゲームでも選択肢を誤り続けるとキャラクターの好感度がマイナスになることはあるけど、こんな数値は攻略wikiですら見たことがなかった。
過去の情報を調べようとしたが、スノードロップに関してはほぼすべての情報に閲覧規制がかかっており、覗きみることさえできなかった。こういうところだけゲームに忠実なことが悔やまれる。俺はとくに理由もなく理不尽に罵倒され、肩を潰されただけでなにも得たものがないんだ。納得などできなかったし、腹立たしいが、調査のしようがないから感情の落とし所に困っていた。
「……いてぇ」
廊下を歩いていた俺は、肩をおさえて顔をしかめた。
あれから二日日経ったが、一昨日よりもむしろ痛みが酷くなった気がする。患部が手の形で紫色に変色していたしな……。どんな力で握ったというのか。
「おやおや、イケメンター。もう肩こりなの〜。配属当初から働き過ぎじゃないか〜?」
横を歩いていたネコヤナギが呑気な声できいてくる。
「いや、肩こりじゃない。一昨日ベッドから落ちて、肩を打ったんだ」
「わー、間抜けだ〜。間抜けがここにいた」
「うるさいなぁ。寝相が悪いんだから仕方ないだろ」
すねたような言い方をしてしまった。もちろん嘘だが、こう説明する他なかったから仕方ない。
「まあ、私も人のこと言えないくらい寝相悪いけどね〜。気づいたらいつも床で寝ているし、なぜかいつも裸だしさ〜」
「……そうか」
ゲームでもたしかネコヤナギは寝相が悪い設定があり、主人公のベッドに寝ぼけて入ってくるイベントがあった。
「寝ぼけて俺の部屋に入ってきたりするなよ?」
「するわけないじゃ〜ん。入るとしてもリリーの部屋だね〜。あの子抱き心地いいから、たまに抱き枕にさせてもらってるんだ〜」
ネコヤナギがあくびをしながらそう言った。猫耳がひょこひょこと揺れている。
「メンターも抱き心地よさそうではあるけどね〜。筋肉質だし、ちょっと硬そうなのがいい感じな気がする。抱き枕マイスターの私の勘が告げているね」
「残念ながらお前の勘は外れているよ、抱き枕マイスター」
「むむ、どういうこと〜?」
「もしお前が来たら、めちゃくちゃ筋肉固めて超高反発枕になるだろうからな」
「それ、次の日全身筋肉痛になりそうじゃない? 面白そうだから行ってみよ〜かな?」
「首を鍛えたいなら来てみたらいいさ」
俺が軽口を返すと、ネコヤナギはクスクスと笑った。
なんだかんだネコヤナギとはすぐに打ち解けてきていた。彼女は年上や上司に対する礼儀を知らないが、フランクで大らかだから非常に接しやすい面もある。正直、ここにいる連中では一番話しかけやすいんだよな。
ネコヤナギと談笑しながら歩いていると、
「あら、メンター」
曲がり角から椿が現れた。
「……ああ。椿か」
内心の動揺を悟られないように笑顔をつくる。微笑み返してくれる椿は美しかったが、純粋に見惚れることはできなかった。
「あら、ネコヤナギも一緒なんですね」
「そーそー、さっき一階でばったり一緒になってさあ。暇だからついてきちゃったんだ〜」
ヘラヘラと笑うネコヤナギを、椿はしばし凝視する。ネコヤナギが首をかしげた瞬間、椿がこちらに目を向けた。
「ずいぶん仲が良くなったのですね、ネコヤナギと」
「そ、そうだな。まあ、そこそこ」
「そこそこですか」
椿が後ろ手に手を組んで、朗らかに口角を上げる。
「いいことですね。この調子でみんなと打ち解けてくださればと思います」
俺は無言でうなずいた。
責められているように感じるのは、俺の杞憂なのだろうか。彼女の表情も優しいし、声のトーンも柔らかく普通なのだが、「病み状態」という先入観があるせいでどうしてもそう感じてしまう。
気づいたらこめかみから汗が流れていた。暑いからだ。さっきは涼しかったはずなのだが、なぜか暑い。
椿が少しうつむいて、頬を膨らませた。
「でも、ちょっとネコヤナギが羨ましいです」
ネコヤナギは椿の足元をみつめながら言った。
「え〜なにが〜?」
「私もメンターと仲良くしたいですもの。誰とでもすぐに仲良くなれるネコヤナギのコミュニケーション能力の高さ、本当にすごいです」
「わーい、椿姉から褒められた〜。でも私はそんなでもないよー」
「いえ、私なんかと比べるとすごいですよ。私は人見知りしてしまいますから……」
「そっかなあ。椿姉とメンター、すぐに仲良くなれそうだけどね〜。だって、ほら、絶対メンターって真面目な子好きでしょ? 顔にそう書いてあるもん」
「顔に書いてあるってなんだよ」
思わず突っ込んでしまった。
「え、でも間違いじゃないよね? 私みたいなちゃらんぽらんよりは絶対いいでしょ〜」
「まあ、そりゃあな。真面目な方が好感が持てるのはたしかだ」
「でしょ〜! なら、椿姉なんてすごくぴったりじゃんか。真面目だし、気が利くし、優しいし、器量があるもん。相性よさそうだけどね〜」
なんかノリがお見合いみたいになってきてないか? 俺の気のせいか?
見ると、椿も気恥ずかしそうに頬を染めて俯いていた。時折、ちらちら上目遣いでこちらを伺っているのは、正直いってかなり可愛い。初心な子っていいよな。栄養価が高い仕草だ。
「あ、あの……恥ずかしいですよ、ネコヤナギ。私はそんなこと言ってもらえるほど出来てないです」
「謙遜がすぎるぞ〜。メンターもそう思うだろ〜?」
「……そうだな。まだ数日の付き合いだけど、真面目に仕事もしてくれるし、俺も椿はいい子だなって思うよ。少なくとも寝てばかりのぐーたらな誰かさんよりはいい」
「おいこら、誰のこと言ってんだ〜」
ネコヤナギがやる気のない抗議をあげたら、椿が小さく楽しげに笑った。控えめで、とても優しい表情をしていて、可愛らしかった。
カーテンがふわりと動いた。窓から柔らかい風が流れ込んできて、頬を涼やかに撫でていく。
気づくと微笑んでいる自分がいた。
ネコヤナギとやり取りをしている椿は、控えめな普通の少女と変わりないし、ゲームのキャラクターのままだ。そう、こういうキャラクターなんだよな。だからこそ、俺もゲームでは気に入ってメインパーティーに入れていたというのもある。今どきこんな大和撫子、リアルでは絶滅危惧種だからな……貴重な存在だよ。
考えすぎかもしれない。
俺は二人のやりとりを見ながら、そう思った。椿の病み状態は、ゲームではかなり苛烈なことも平然としてしまうほどのあからさまな狂乱状態になるし、そんな感じもしないもんな。
プリストにはキャラクターとの結婚制度があるのだが、病み状態の椿は重婚しないように主人公の残りの指を切り落とそうとしてくるほど過激だ。それもあって椿が病み状態で重婚すると、強制的にゲームオーバーになるんだよなあ。
まだ二、三日だから断定はできないけど、今のところは異常も見られない。変に身構えても疲れるだけだし、あまり身構えすぎないほうがいいのかもしれない。
俺が溜め息をついて、肩の力を抜いた瞬間だった。
アラーム音が突然鳴り響き、メニュー画面が強制的に開いた。
「な、なんだ?」
俺が目をパチクリさせていると、それまで愉快に話していた椿とネコヤナギが真顔になってお互いの顔を見合わせていた。
「あー、出撃命令だね〜」
「出撃命令? そうか……そうだったな」
たしかに、ゲームでも出撃指令が来たときのアラートはこんな感じだった。
「すぐに招集をかけます。メンターはゲートでお待ちください」
「……わかった」
俺はうなずいた。
あまりにも唐突すぎて正直思考がついていかないし、現実感が湧かない。そういえば戦争をしていたのだな、という呑気すぎる感慨をいだいてしまうほどに、俺は事態を呑み込めていなかった。
「……じゃあ準備してくるね〜。ふああ、久しぶりの出撃だりぃ」
ランチタイムが終了したサラリーマンみたいな気だるい顔つきでネコヤナギが去っていく。反面、椿は凛々しい顔つきで敬礼すると、そそくさと速歩きで立ち去った。
一人残った俺は、瞬きをして息をついた。
出撃ね……。そりゃあ、そういうゲームなんだし、戦闘があることはわかってはいたけど。平和な日本で生まれた俺には縁がなさすぎるからなあ。
「……ゲートって地下だったよな?」
とりあえず佇んでいても仕方ないし、向かわないとな。
俺は歩き出そうとして、ふと床に目が向いた。椿が立っていた場所。そこに、赤色のシミがあったのだ。
それは、あきらかに血痕だった。
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