第1話 配属





 花は自らの喜びのために花を咲かせる。

 

 オスカー・ワイルドの言葉だ。それを思い起こすたびに、花へ感情を付与する傲慢さと残酷さに寒気を覚えるようになった。

 

 彼女たちに、「アンサス」たちに出会ってから。

 

 俺は、花がただ喜ぶためだけに咲いているわけではないと知ったのだ。






 

 椿たちに出会ったのは四月の中旬だった。


 プリマヴェーラには、ほとんどの季語が意味をなさない。夏も秋も冬もなく、すべては春一番のまま時間が流れていく。季節は穏やかな暖かい息を吐き続け、熱くなることも寒くなることもない。そのくせ、季節を無視するように夏秋冬の花も咲く。歪な光景に彩られたこの世界は、表現を形にする必要がないほどの絶無の美しさに溢れていて。季語に託すこともできないから、ある意味では俳人泣かせな世界なのかもしれない。


 そんな世界の年月は、ただの区切り以上の意味を持たない。季節感などないので、四月はただの一年の四回目の月でしかなかった。散ることがないソメイヨシノがそこかしこに咲いた道を、俺はゆっくりと歩いていた。


 蜜蜂が横切り、桜の花にふわりと降り立つ。


 眩い陽の光を孕んだ薄いピンクの花びらは、散ることを知らないせいか輝いて見えた。


「……」


 ほうっと息がこぼれる。


 現実世界にいたときは、アスファルトに散った桜の花びらばかりみていた。靴で踏みしだかれ、雨風にさらされ、汚れきった花びらばかり。どれだけ下を向いて歩いていたのだろう。この世界に来て久しぶりに、桜が美しいことを思い出した。


 この美しさは、永久に色褪せることはない。


 それはなんて尊いことなんだろうか。


「……ビール飲みてえ」


 ばかみたいな感想が口をついた。おっさんすぎて自分でも吹き出しそうになる。あちらの世界では二十八だった俺も、こちらの世界では二十歳になったばかりにまで若返ったのだ。その年でビールに飢えるのははやすぎる気がする。


 言動には気をつけよう。


 そう思って襟を正そうとしたとき、小さく笑う声がした。


「こんなお昼からお酒ですか?」


 赤い椿柄の着物を身にまとう少女が、桜の木の影に立っていた。染色した絹のような艷やかな黒髪と、人形と見紛うほどに精緻な顔立ちは、思わず見惚れるほどに華やかで美しい。


 その秀麗さは、輝きを放つソメイヨシノの並木さえも霞んでしまうほどだった。


 数秒ほどして我に返ると、俺はつばを飲み込んで言った。

 

「……君は椿か?」


 椿は小さく目を見開いた。


「初対面のはずなのですが、私のことをご存知なのですね? ……ああ、私達のことは書類で把握されていらっしゃいましたか」


「まあ、そんなところだ」


 本当はゲームで知っているからなんだが、そんなこと説明しようがないので適当に相槌をうった。


「自己紹介は蛇足なのかもしれませんが、一応挨拶をさせていただきます。私の名前は椿。椿の花より生まれし『アンサス』の一人で、拠点アスピスのリーダーをしております」


「なるほどね」


 アスピス鯖なんだな。


 鯖とはサーバーのことだ。わかりやすくいえばプレイヤーのデータを管理する場所のことをさす。プリマヴェーラ・ストラトス……通称「プリスト」には15のサーバーが存在しており、初期サーバーのフローラ、ヴァニティ、クロノスなどのガチ勢が多く、アスピスは中堅勢が多い。ちなみに俺はアスピス鯖だった。


 どうやらゲームのサーバー名が、そのまま俺達メンターが配属される拠点名になっているようだ。フローラやヴァニティにいるメンターも転生者だったりするのだろうか?


「……なんも教えてくれなかったもんなぁ」

 

 転生したときに出会ったのアルカイックスマイルを思い出す。蝶の翅が生えた妖精みたいな緑髪の女。いかにもチュートリアルに現れるナビゲーターみたいな見た目をしているくせに、「とりあえずキャンプ道具用意したからテキトーにそのへんの山でキャンプしてきて」みたいな不親切極まりない説明しかくれなかった。「あとはわかるから」と随分投げやりに言われて説明が終わったもんな……。


 わかったのは、自分がプリマヴェーラ・オンラインの世界に転生し、アンサスたちを纏めるメンターとなったこと。外敵を滅ぼし、この世界を救う使命をもっていること。そして、自分が露木稔というこの世界の人間に転生し、その記憶を引き継いでいること。これくらいだ。


 たしかに、露木少佐の記憶があるからそこまで混乱せずには済んでるけども……もう少し親切に教えてくれてもいいだろうに。


「なにか言いました?」


「いや、なんでもない」


 俺は首を横に振って咳払いをする。


「とりあえず、俺も挨拶しとかないとな。露木稔つゆきみのる。階級は少佐だ。本日をもってアスピスの指揮官となるので、よろしく頼む」


「はい。よろしくお願いします露木少佐。いえ、メンター」


 椿は敬礼して、柔らかく笑った。美しい笑顔だ。こんな風に温かく笑えるのに、人間じゃないんだ彼女は。とても信じられない。


 俺は返礼し、言った。

 

「さっそくだが拠点を案内してくれないか? あと他の者たちにも挨拶したいから、集めておいてくれ」




 


 桜並木の先にあったアスピスは、小さな要塞だった。アイリスやコスモスなど季節感の揃わない花が咲く森の中にひっそりと佇んでいた。


 想像していたものよりもスケールが小さく、拍子抜けしたというのが本音だった。なんというか、プリストのホーム画面の背景では、もっと大きい教会みたいな建物が描かれていたから。


 俺は要塞の正門をくぐる。桟橋はところどころ木材が朽ちていた。正門のアーチも苔が生え、ツタが絡みついている。手入れが行き届いていないことが一目見てもわかってしまった。


「清掃が行き届いておらず、申し訳ありません」


 視線をあちこちに彷徨わせていたから察したのだろう。頭を下げる椿に「かまわない」と言っておく。予算が足りないとか忙しいとか、何かしらの事情があるのかもしれないし、まだ右も左もわからない新参者の自分が指摘することでもない。


 そう思ったのだが、椿はパチパチと瞬きしながら凝視してくる。


「……なんだ?」


「ああ、いえ……てっきり折檻されるかと思っていましたので」


「俺をなんだと思っているの? そのくらいでいちいち目くじら立てないよ」


 うちの会社の課長なら捲し立てそうなことではあるけど。小さいことで偉そうに振る舞うのは周りを萎縮させるだけだし、そういう意味のない暴力を振りかざすものは嫌いだ。


「……お優しいですね、やっぱり」


「普通だと思うけど。……やっぱりって?」


「あ、いえ。初めてお目見えしたときから、お優しそうだなと思っていたので」


 椿は、誤魔化すように小さく笑う。


「ふぅん」


 釈然としないが、まあ気にすることでもないだろう。


 それにしても当たり前のように折檻を覚悟しているって、この世界のメンターたちはデフォルトでブラック上司だったりするのだろうか? まあ、一応、軍隊だもんな……。


 俺は中庭をとおり、要塞の中に入った。ところどころ崩れてひび割れたツタだらけの外壁とは違い、中は清掃が行き届いているようで比較的に綺麗だった。せいぜい天井の隅にカビが生えている程度で、気になるほどでもない。


 エントランスをとおり、二階にある執務室へと向かう。


 その途中の階段で、眠たげに目を擦る少女と出くわした。中学生くらいの見た目の、黄緑色のボブヘアーの少女だ。頭の上に生えた猫耳が開いたり閉じたりしている。

 

 おおお、リアルな猫耳……。なんか感慨深いな。

 

「あれ、椿姉〜。その男の人は誰? 彼氏?」


「違いますよ。新しいメンターです」


 眠たげな目をさらに細め、猫耳少女は俺を注視する。「ふうん、まあまあイケメンじゃん」とやや上から目線で言われた。


 彼女のことはよく知っている。ネコヤナギだ。防御力に優れたシールダーで、プリストでは人気キャラクターの一人だ。レア度銀背景の割にバランスがよく、使い勝手がいいから俺もパーティーで運用していた。


「よろしく〜イケメンメンター」


「こら、ネコヤナギ。メンターに対してそんな言葉遣いをするなんて失礼でしょう?」


 椿がたしなめるが、ネコヤナギはどこ吹く風と言うようにあくびをした。


「どうせどつかれるだけでしょ? 怪我したら堂々とサボれるからむしろありがて〜。つーか眠い〜」


「……まんまだな」


 ゲームでのネコヤナギはマイペースでのんびりした性格だったが、そのまんますぎていっそ感動すら覚える。椿は真面目で常識人という感じがするからあまり違和感なかったけど、ネコヤナギは現実にまずいないタイプだと思う。こんな口、上司にきけるやつなんかまずいないだろうし。


「まんまってなにが? ねこまんま好きなの? 私もすきだよ〜」


「ねこまんまは別に好きじゃないよ」


 俺は苦笑しながら答えた。


「よろしくな、ネコヤナギ。俺は露木稔だ」


「……ふぅん、怒らないんだ?」


「このくらいで腹をたてないよ。そういうやつなんだなって思うだけだ」


 ネコヤナギは瞬きをして、猫耳をぴくぴくと動かすと、訝しげな表情を浮かべた。

 

「変わった人だね〜」


「ネコヤナギ!」


 目を吊り上げて諌めようとした椿に「いいよいいよ」と笑いかける。


「でも……」


「まあまあ。これから一緒に暮らしていくわけなんだからさ。このくらいで目くじら立てていたら疲れると思うし」


「そういう問題じゃない気がしますけど……」


 まあ、椿の言うことはもっともなんだけど。


 しかし、これくらいでは別に腹が立たないのも事実だ。さんざんブラック企業で鍛えられたからな……。時間をかけて考え抜いた企画を上司の手柄にされたり、ちょっとしたミスでも社員全員が見ている前で怒鳴り散らされたり、毎月過労死ラインを余裕で超えていたり。理不尽に理不尽を重ねてストレスの雨を浴びてきた社畜は伊達じゃない。


「……なんかこれまでの人とは違うねえ」


 ネコヤナギが言った。


「そうか? 褒め言葉ととっておくよ」


「褒めているつもりはないけど……。まあ、これから楽しみだね〜。どうせすぐ辞めるんだろうけど」


 クスクスと意地悪く笑ったネコヤナギは「椿姉の顔が怖いから退散するね〜」とそそくさと階段を降りていった。なんかさっきの言葉、デジャヴを感じる。ああ、入社したばかりのときに、疲れ切った顔をしたとある先輩から言われたんだったか。


「すみません、メンター。あの子、すごくマイペースで礼儀を知らないところがありまして」


「椿の謝ることじゃないよ」


 ネコヤナギがああいう性格なのは知っているしな。


 俺は申し訳なさそうに眉を下げる椿に笑いかけた。


「それより、執務室へ行こう。他の者達とも顔合わせしておきたい」


 俺は気づいていた。


 ネコヤナギの服から覗く、やけどのような痕に。

  

 


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