第一章:第四話

 グレイン王国は大陸に存在する四つの主要国の一つだ。

 人々はこの国を――穀物栽培が盛んな事と、活発な経済をかけて――黄金の川と渾名あだなする。


 大陸を南北に二分する山脈の南側に位置する王国は、西海岸や山林から近いため資源に富み、広い領土の中で繁栄を続けてきた。王城を中心として円形に広がる街には水路が広がり、露天が並ぶ主要街路には商人達が引く馬車を縫うように人波が行き交う。


 中でも市民から『ハウル通り』と呼ばれる一画は雑多なものだ。

 主に戦闘具や酒場に関する建物が立ち並び、性産業も盛んである。

 では他国に比べて貧富の差が少なく、また種族差別も珍しいグレイン王国において、この区画に限っては『揉め事で惨殺された死体を浮浪者が切り分けて焼いて喰う』ような光景が見られようと気に留められない。


 従って子供はほとんどおらず、居たとしたら【安宿暮らしの娼婦の子】か【捨て子】である。

 その数少ない子供たちは二十代前半の若くチンケな犯罪集団の手先となっている場合が多い。

 そのようにして手を汚さなければ、餓死がまだマシという最期を迎える。

 用事が無ければ大人の市民、もちろん男性ですら夜中には近づかない地域だ。


 『ハウル通り』と言っても正式名称ではなく蔑称べっしょうで、一本の道を指すわけではない。その名が示す通り、犬の遠吠えみたく野蛮な喧騒が飛び交う区画。

 他国のそれに比べれば可愛いものだが、いわゆるスラム街だった。


 王国が運営する正規冒険者ギルドも、まさにその区画の入口に存在している。

 もっともこちらは本拠地でありながら一般受付とされる場所で、特別な冒険者を起用する依頼は通常であれば王城正面の通りにある応接用のギルド受付で対応する事になっていた。


 弱冠17歳にして勇者と呼ばれる領域に達し、ギルドから二つ名を与えられたもまた、本来であれば洗練された応接用の建物に案内されるはずだった。


 しかし実際にはスラム街の一般受付、そしてそのギルドを束ねる長の執務室へ訪れていた。

 それは、ギルド長たっての希望を勇者が聞き入れたからである。


「この度はお招き頂きありがとうございます」


 白銀プラチナ軽装鎧ライト・アーマーに身を包んだ容姿端麗の冒険者が、部屋の入口で頭を下げる。

 切れ長の瞳を穏やかに細め、自信に満ちた微笑みを口元にたたえるその冒険者は誰が見ても知性的かつ理性的。一礼する所作すらも若くして洗練されており、超高位ちょうこうい冒険者としての風格を湛えている。


「とんでもない。こちらこそお越し頂いて感謝の言葉もありません。さぁ、皆さま御掛けになってください」


 ギルド長は執務デスクの椅子から立ち上がり、対面するように用意しておいた長椅子を手のひらで示す。

 初老の男だ。白髪を短く切りそろえ、口元を覆う髭も粗野ではなくむしろ紳士的な印象を感じられる。眉間にはシワの跡が深く残り、薄く開かれたまぶたから覗く眼光は常に隙を探るように鈍く輝いている。


 その表情は相対する者を恐怖させるが、彼は敵意を振りまいているのではない。

 隙が無い姿こそがギルドを束ねる彼の威厳なのだ。


「では失礼いたします」


 ギルド長の案内を受け椅子へ向かう白銀の冒険者に従い、五人のメンバーが後に続く。

 忍者と盾兵、弓兵と薬師、そして鍛冶修飾師かじしゅうしょくしだ。


 忍者の身長は177cmだが平均より胴が短く手足が長い為、実際より高身長に見える。

 忍者のジョブとしては背が高すぎるがバランスとしては理想的と言えた。

 ただしかなり猫背で、頭の高さは身長170cmのリーダーに近い。

 容姿は薄手の黒い忍者装束にほとんど覆われていてわからないが、頭巾ずきんの隙間から鋭利な目つきと赤い髪が少し見えた。


 盾兵は196cmの身長があり、鎧こそ軽装だが縦180cm横100cmほどの分厚いタワー・シールドを装備した筋肉の塊である。

 乱雑に伸びたヨレヨレの茶髪で、顔は鼻から下を青いスカーフで隠しており完全に蛮族のソレなのだが、首から下げた十字架がどことなく理性を物語っている。


 弓兵は長身細身の気が強そうな少女で、赤い短髪をぽさぽさと揺らせていた。

 背に装備する弓は2mほどで、174cmの少女でも携帯しづらそうな長さである。

 防具は胸当てと手甲のみで身軽さを重視されており、服装もへそ出しのシャツにショートパンツでかなり涼しげだ。胸も贅肉もなく、服の隙間から覗くお腹にはあばら骨が浮いている。

 顔立ちはかなり良いが幼少期からの歴戦の影響で鼻が少し曲がっており、目つきは鋭く、服装次第では青年に見えなくもない容姿だ。


 薬師は大きな垂れ目と温和な笑みが特徴で、身長は159cm。桃色のロングヘアは豊満な胸に届き、薄緑色のローブとの対比が何となく桜餅を彷彿とさせる。

 前述のメンバーに比べるとあまり冒険者らしくない体型で、素直に言えば少し肉付きの良い身体だった。背中には革製の大きなリュックサックを背負っている。


 鍛冶修飾師は気だるげな瞳と、半開きの口元から覗く鋭い八重歯が特徴的な女性で、緑髪が顔の輪郭を覆うように伸びていた。

 身長は140cmと低いが顔つきはさほど幼くない。――成人を過ぎた童顔という感じである。

 薬師と同様に戦闘用防具は無いが、革製のグローブに加え、耐火性の革エプロンとブーツを装備していた。また、腰に巻いたツールベルトには重さニ十キロ近くの工具を収納している。

 肌の露出がほとんど無いので見えないが、かなり引き締まった身体である事は容易に想像できた。


 冒険者一同の姿を見て――ふむ、とギルド長は呟く。

 『新たにして至高マスター・ノヴァ』と名高いリーダー、勇者ヘルマはさておき、他のメンバーは別に注目するほどの猛者ではないと判断し思わず呟いたのだ。

 まぁしかし普通はそんなものである。

 超高位冒険者はおろか、高位冒険者だって千人に一人とも言われる逸材なのだから。


「お招きしておきながら狭い室内で申し訳ない。長椅子は応接室から持ってきたものだが、ウチでは一番まともなヤツです。なにぶんギルドは粗野な集まりでして、これが王国の接待基準だと思われるのはどうかご容赦願いたい」


 ギルド長の言葉にヘルマは微笑みを崩さず応える。


「いえ、お忙しい合間にわざわざギルド長みずからご対応頂けるとは、むしろそのご厚意に恐縮しております」


 勇者の言葉にギルド長は困ったように目を伏せ、ため息をこぼした。


「……まぁ、頼みたいのはウチでも少し扱いづらい仕事でね。所属の連中はやりたがるんだが、私としてはどうもアレが不気味で」

「……アーク・モンスターか」


 ギルド長の言葉に、弓兵の少女トルイヤが口をはさむ。


「こら、トルちゃん失礼でしょ。?って、ちゃんと敬語でおうかがいしないと」

「っるさいなぁサクねぇ。ハナシ進まねぇだろぉ?」


「人前でサクねぇは禁止!」

「ンだよめんどくせぇなぁ! そんなに言うコト聞かせたきゃ薬師らしく怪しいクスリでも使えばいいンじゃねぇか? サ・ク・ラぁ!」


「……二人とも、その辺りにしておけ」


 トルイヤと薬師の女性サクラの言い争いを、低く野太い声が遮った。盾兵のオルクスである。

 静かだが有無を言わせぬ圧力に二人は睨み合いながらも押し黙った。

 そんな光景を横目に、鍛冶修飾師のエントスが口を開く。


「すみませんヘルマ、続けてください」


 エントスに目を合わせて頷くと、ヘルマは困ったように浮かべていた微笑みを緩めてギルド長に向き直る。


「失礼いたしました。ギルド長のご心配はもっともです。アーク・モンスターはまだ発見されてから数ヶ月の存在ですし、その能力には我々も警戒しております」

「……ええ、まったく。従来のモンスターの派生種である事に加えて、臨時に定められたモンスターランクが軒並みC+以上である為でしょう。ウチのギルドでも、報酬の良い楽な仕事だと考える冒険者が後を絶ちません。……ですがね、アーク・モンスターにはまだわからない事が多すぎると思うのです」


「――ロスト、ですか」


 勇者の言葉に、ギルド長は何かを確かめるようにゆっくりと頷く。


「そう、ロスト――つまり高位冒険者の失踪ですな。アーク・モンスターはメア・モンスターの上位種と定義付けられているものの、所詮は強化種。元々のモンスターがラットやウルフなら」

「推定レベルはせいぜい15。オークやメア・ゴブリンを容易く狩る高位冒険者にとってみれば、肩慣らし程度のはずですね」


「そうでしょう。実際すでに多くの冒険者達がアーク・モンスターと対峙し、寄せられたレポートは大陸の主要国間で共有されています。結果、生態には幾らかの不明点がありつつも、その戦闘力は初期の推定レベルと相違ないものだと考えられました。……しかし、実際にはロストと呼ばれる現象が散見されている」


 そこまで言って、ギルド長は考え込むように視線を落として言葉を止めた。

 しばらくの沈黙ののち、長椅子の端で沈黙に徹していた忍者のクナイが隣の弓兵トルイアに耳打ちをした。

 ――トルイアは静かに頷き、口を開く。


「ロストって言っても、結局は死体が見つからない失踪だよな。アーク・モンスターの調査開始時期は確かにロストが始まった頃と重なるケド、それを紐づける根拠は無いんじゃないか?」

「まったく仰る通り。もちろんギルド長という役職を持つ私としては、他の可能性も当然 考慮しているつもりです。例えばサンディラマ連合国やエルフ解放軍等による集団拉致行為。あるいは……まぁ戦闘痕が無い事から可能性は限りなく低いですが、ドラゴンに匹敵する超高位モンスターの襲撃もありえなくはないでしょう。」


 ギルド長の言葉に盾兵オルクスが反応する。


「……サンディラマ連合国か。何度聞いても奇妙な響きだ」


 オルクスは顔の半分以上が髪とバンダナに隠れているので表情こそわからないが、抑揚の無い声色は忌々しげな響きを伴って聞こえる。

 鍛冶修飾士エントスはその顔を見上げ、心配そうに少し目を細めて口を開く。


「オルクスは……タパルスの出身でしたよね?」

「そうだな。しかし今はサンディラマに従属じゅうぞくし、元々タルパスがあった地には誰も住んでいないようだが……聖地を捨て、名ばかりとなった故郷を想うと胸が痛む」


 そこまで言って、オルクスはギルド長の探るような視線に気がつく。


「すまない、これは話しておくべきだな。俺は元々タパルスの生まれだ。……しかし幼少期は身体が弱く、子供のうちに捨てられたのだ」

「ふむ、聞いた事があります。何でもタパルスの習慣では、十歳と十六歳の段階で受ける試練を合格出来なければ国を追われるとか」


 そこでギルド長はオルクスの筋骨隆々とした身体をさっと一瞥する。

 王国のギルドに所属する、同じようなタパルスの捨て子達と比べると恵まれた身体つきに見えるのだが、もっと強靭でないとタパルスでは戦士として認められないのだろうか、という疑問を抱きながら。


「あぁ。だからどうか誤解しないでほしい。俺はサンディラマに同調しないし、王国や帝国に特別な敵意も無い」

「……心得ました。さて、確かにロストの原因は幾つか考えられるのですが……しかしいずれにしても同じコトでしょう。私の仕事はギルドを正常に運営し、の脅威を適切に潰す事。ですから、ウチの財産である冒険者を調査段階の新種に宛がう事はしたくない、という事です」


 ――あまりこんな事を言うつもりはなかったんですがね、と呟いてわざとらしくため息をつくギルド長に、勇者ヘルマが微笑する。


「ギルド長様が仰る意味は理解しているつもりです。そちらのギルドメンバーをリスクから遠ざけるために外注をするというのは、現在の情勢では好手だと僕も思います。国の防衛力が下がる事を望む国民は居ないでしょう」


 そこまで言って、ヘルマは細めていた目を少しだけ開いて言葉を続ける。


「それに……いずれにせよ同じ、というのは我々も同様ですからね。依頼者様がどのような意図をお持ちだとしても、依頼を受けた以上は最善を尽くします。そして――報酬の範囲で可能か不可能かだけを見極め、依頼主に結果を示す。我々のようにギルドに所属しない冒険者は、ただそのようにして生きていくのですから」


 ヘルマは穏やかな笑みを浮かべたままだったが、ギルド長にはその瞳の奥に底知れぬ意思の強さを感じた。


「なるほど、流石は新たにして至高マスター・ノヴァ。心得ておられるようだ」

「……あはは、その呼ばれ方はまだ慣れませんけどね」


 ヘルマは苦笑する。ギルド長は仕切り直すように咳払いをした。


「それでは、そろそろ依頼の詳細をご説明しましょう。目標はアーク・モンスターの調査及び殲滅。場所は王国近郊、リティ平原の南西です。現在 確認されているのはアーク・オークが一匹とアーク・ゴブリン十五匹、そして使役されたアーク・ウルフが四十匹ほど。期日は本日より十日後としたい考えですが……」


 ギルド長の言葉に、ヘルマとクナイを除くパーティーメンバーの表情がこわばる。数秒の沈黙があってから、微笑を浮かべたままのヘルマが口を開いた。


「なるほど、推定レベル18のアーク・ゴブリンが十五匹と推定レベル15のアーク・ウルフが四十匹。さらに推定レベル25のアーク・オークですね。……一応お伺いしますが、僕たち以外の冒険者には?」

「いいえ、お声かけしておりません。依頼させていただくのは皆さまだけのつもりです」


「……でしたら、クエストランクはA相当と考えてよろしいですね?」

「はい」


 ギルド長の返事に、「へぇ」っと威圧的な声が上がる。赤髪の長身少女、トルイアだ。


「ロストとやらを警戒してるわりにはずいぶんダイタンな依頼じゃねぇか? あぁ?」


 上半身を背もたれに大きく預け、足を組んで睨みつけるトルイアを、サクラも今回はいさめない。そもそもヘルマのパーティー『アストライア』は、ヘルマを除けばAランククエストの適正レベルに達していないのだから。

 ギルド長はそんな態度に顔色一つ変えず――まるで日常茶飯事だというように――言葉を続ける。


「もちろん危険な依頼だとは承知しております。ですが先ほど申し上げた理由から、ウチの者を使いたくはないのでね……」


 睨む目つきのまま鼻で笑うトルイアを視界の端に収めつつ、ギルド長が言葉を続ける。


「それに、弱冠14歳の頃にブルー・メア・リザードをソロ討伐したという伝説は我々ギルドも聞き及んでおります。これまでのクエスト実績から言っても今のヘルマ君のレベルは少なくとも30以上と見積もってよいでしょう」


 レベル30。それは間違いなく超高位冒険者の領域である。

 そもそも一般的な冒険者の強さは平均18レベル程度だ。15レベルまでは低位冒険者ブロンズ、20レベルまでは中位冒険者シルバー25レベルまでは高位冒険者ゴールド

 それ以降は超高位冒険者アンノウンとされ、ギルド公式の異名が付き実績と名声によって能力が評価される。


 超高位冒険者アンノウン以降の区分が曖昧なのは、その数が大陸で百人にも満たず能力もまちまちである為、指標を定めにくいからだ。中でも十余年前にドラゴンを退けたというは、ドラゴンの推定レベルである42に匹敵する力を持つとされていた。

 もっとも、それはギルドが冒険者ルーキーに向上心を持たせるために捏造された伝説だと噂されているが。


 いずれにせよ冒険者のレベル、つまりは、サンプルが多くないと正確には定められない。

 数が多い中位冒険者まではレベル指定の精度も高いし、ギルド公式のレベルアップ試験も存在する。


 だが高位冒険者以降はクエスト実績によるギルドの判断でレベルを指定され、その判断はかなり慎重になってくるのだ。実はアストライアが高難度クエストを安請け合いしないのは、ヘルマのレベルがはっきりと分かっていない事にも理由がある。


「もちろん我々ギルドとしては、クエストの依頼に……その適正さには慎重を期しております。幾らグレイン王国の所属ではないにしても、名高いアストライアにもしもの事があってはウチの信用にも関わりますからね」


 ギルド長はそこで一度言葉を区切って、アストライアのメンバーを視線の動きのみで見渡した。


「……しかしその上で私はこの依頼を貴方がたにお願いしたいのです」


 その言葉を受け、鍛冶修飾士のエントスが、すっと目を細めて口を開く。


「なるほど。王城前の応接館でなく、わざわざギルド本部に呼ばれたのはそれが理由ですか」

「……それってどういう意味ですか?」


 エントスに反応したのはサクラだった。大きな垂れ目にかかったピンクの髪をかき上げながら首をかしげている。


「応接館では王城のメイドが控えている。場合によっては王国戦士も。そんな場所で公に依頼をしづらかったんだと思う……自分で言うのもなんだけど、新進気鋭のアストライア――もしかしたら大陸で最強かもしれない勇者を抱えながら、まだ実力が分かりきっていない冒険者パーティーに対して、強いメア・モンスターの依頼はね。たぶんギルド長には何かの意図……例えば私たちを試すようなものがあったんじゃないですか?」


 エントスの言葉に、ギルド長は反応しない。見透かされるのは想定通りという感じである。

 あとは依頼を受ける側の判断なのだ。一同の視線がヘルマを向く。

 それを受け、勇者は僅かに笑みを強めて口を開いた。


「報酬は?」

「金貨150枚と考えております」


「……おや、それはまた。失敗の報告は出来そうにありませんね」


 報酬を聞いたパーティーメンバーから浮足立った反応を感じつつ、ヘルマは嫌味のない笑みでわざとらしく困った顔をする。

 金貨150枚となると、王都に住む一般市民の平均年収を軽く超える額なのだ。

 Aランククエストとはいえ、依頼内容を考えれば圧倒的な破格である。


「……そのお言葉、お受けいただけるという事でよろしいでしょうか?」

「えぇ、そのつもりです。頂いた評価に見合うだけの結果を残せるよう努力いたしますよ。それに、リティ平原は王国から近く、交易路もある。僕たちで力になれるなら、早くその脅威を取り除きたいと思うものです」


 表情に変化が無い、悪く捉えれば危機感が無いようにも見えるヘルマの態度に、ギルド長はしかし表情を崩さない。

 人間は誰でもミスをするが、彼らが不覚を取る可能性は低いと考えていたからである。

 他国の評判でも、アストライアは引き際を弁えている事で有名なのだから。


 ――元よりギルド長の狙いは『有力な外部勢力の抱え込み』だった。

 突如 出現して未知の多いアーク・モンスターを警戒しない組織はなく、各都市のギルド長らは各々の組織を守るため、当面の戦力増強を図っている。

 中でも、アストライアの取り込みは大陸中が願うところだ。今回のクエストが上手く運べば、……想像力も危機感も無い王国の諸貴族から、金銭的援助を受ける交渉材料としても使えるだろう。


 とくに王国ギルドの長としては、アストライアをあらゆる方法で王国に縛り付けるべきだとさえ思っているほどだ。金、美男美女、なんなら貴族位まで含めた、あらゆる褒章を以てしてである。

 アストライア、正確にはヘルマはそれほどの金の卵なのだ。

 17歳でレベル30オーバーなんて人間とは思えない、馬鹿げている。


「それから、もちろん国からの報奨金は別で支給されるよう手筈を整えます。支度金は金貨25枚でよろしいでしょうか?」


 金貨25枚も十分な大金であった。一般的な酒場の飲食代で考えれば――比較的酒が安価なグレイン王国領であれば――1年分はあるだろう。支度金という名目の前金と捉えるべき金額だ。


 もちろん勇者ヘルマはいつもの微笑で快諾し、詳細を打ち合わせたアストライア一行はギルドを後にした。



~~~~~~~~



「……しっかし、ここに居るのは精神衛生上よくねぇなぁ」


 ギルドを出て、冒険者用の宿屋――武器の携行を許された宿――を求めてハウル通りを進む中、最初に口を開いたのはトルイアだった。

 すれ違いざまに怨嗟えんさの目線を向けてくる浮浪者をにらみ返し、逆に相手の視線を逸らさせた赤髪の少女は、なおも苛立たし気に犬歯を覗かせる。


「ウジ虫だらけでムカちぃてしょうがねぇ」

「こら、そんなこと言っちゃダメ」


 たしなめるサクラに、トルイアは疲れたような目を向けた。


「サクねぇさぁ、マジでそう思ってんのかよ? ここの連中を見ろよ、ちょっと小綺麗な恰好して歩いてたらすぐ喧嘩売ろうとしてきやがる。――そのくせ、睨み返したらすぐ引くだろ? 探ってやがんだよ、ちょっと脅したら金を出すかどうか。弱者が強者のフリして弱者から搾り取る。……アレを人間扱い出来るかよ」


 喋りながら、トルイアの怒りが少しずつ抜けていくように見える。『真面目に分析しているのが馬鹿らしくなった』と言わんばかりだ。

 冷静に考えれば自分らには関係がないし、そんな事は世界中でありふれているのだから、考えるだけ無駄という事である。

 喋り終えた今となっては、あくびでもしそうな顔になっていた。


 移り気な少女を眺めながら ため息をこぼしたサクラだったが、次の瞬間にはその大きな垂れ目から感情を無くした。

 視界の端にいた女、胸がこぼれ落ちそうなキャミソールを着た娼婦がヘルマをじっと見つめている事に気づいたからである。


「――ねぇ、ちょっとお兄さ……ッ!」


 だらしなく半開きになった目つきと軽薄そうな笑みを浮かべた口元で、ヘルマに向かって声をかけた娼婦が途中で言葉を止める。サクラが腰から取り出した小さなナイフを首元に突き付けたせいだ。


「話しかけるなアバズレ。路傍ろぼうでくたばりな」


 桜色の髪がかかる大きな瞳からは、ハイライトが抜け落ちている。

 恐怖に身を固くした娼婦を尻目に、何事もなかったように――引きつった苦笑を浮かべるヘルマを除いて――歩き続けるアストライア一行の元へ戻った。


 サクラは普段のおっとりとした、天敵の居ない小動物的な雰囲気に戻っている。

 トルイアは舌打ちをしようかと悩んだが辞めた。トルイアには女らしくお行儀よくせよ、という割に自分はすぐ殺意を覗かせるサクラに対して文句を言いたくなったのだが、いつもの事なので面倒になったのである。


 ――本来、冒険者というのはこういうものなのだ。

 怪我や死と手を繋いで歩いているような生活を送りながらも、同業者とは名声の奪い合い、駆け出しの頃は武具屋や宿屋のぼったくり。弱みを見せれば浮浪者の腹の中という日々で、元来は温厚な人間でも二面性を持たざるを得なくなる。


 そういう意味で、ヘルマは本当に希少な存在であり、アストライアの他メンバーにとって眩しい人物だった。困ったような微笑でサクラとトルイアを見ていたヘルマの右手が、ふいにきゅっと握られる。


「……え?」

「怖い人たちですね、ヘルマ」


 鍛冶修飾士のエントスだ。緑髪が歩調に合わせて揺れる横顔から、いたずらな瞳が覗いている。

 言葉もなく、照れたような笑みを浮かべるヘルマに対し、エントスは言葉を続ける


「トラブルに巻き込まれては嫌ですし、今夜はヘルマさんのお部屋に泊めてもらえませんか?」


 言い終わる前に、トルイアの瞳がぐりんと回ってエントスを見下ろす。右頬を痙攣させて犬歯をむき出しにする赤髪少女の目に、今度はヘルマの空いた左腕に絡みつくサクラが映る。


「駄目ですよ、エントスさん。子供と大人が一緒に寝るなんて。……ヘルくんはお姉ちゃんと一緒に寝ましょうね~?」


 先ほどの殺意が嘘のようにふにゃふにゃの笑みを浮かべるサクラに、エントスはじっとりとした目を向ける。


「サクラだって成人してるじゃない」

「成人はしてますけど、二十歳はたち前ですから」


 グレイン王国、というより大陸のほとんどの地域では十八歳で成人とされるが、二十歳まで禁止されているものがある。

 例えば飲酒や闘技場観戦などは十八歳から出来るが、合法薬物の使用や闘技場参加などは二十歳からとなっていた。

 また貴族の結婚は十二歳から認められるが、一般市民では十八歳まで認められないなど、細かく見れば様々な年齢区分がある。


「あんまり変わらないと思うんだけど?」

「そんな事はありません。私とヘルくんは子供同士ですから、抱き枕みたいにしたって健全なんです」


 サクラがぎゅっと身体を寄せると、ヘルマに柔らかな感触が伝わった。

 豊満な肉付きは、エントスにもトルイアにも無いものである。

 普段からダウナーであまり感情的にならないエントスは、サクラの大きな垂れ目をじっと見つめる事で反抗の意を示した。

 うわ、ちょっと、などと慌てた様子で呟くヘルマを挟んで視線を交差させる二人に、頭上から声が響く。


「――いい加減にしな、ちび共」


 もっとも年若い赤髪の少女が口を開いたのだ。

 サクラとは15cm、エントスに至っては24cmもの身長差がある高さからの発言に二人が見上げると、見下すような表情に影がかかり、その瞳は闇に埋もれた炎のような怒りを湛えていた。


 一触即発の空気が漂う。もちろんアストライアの仲間内で暴力沙汰になる事などないが、二、三日は後を引くような口喧嘩が始まる予感が浮かび上がる頃、オルクスが静かに口を開いた。


「止めよ、そこまでだ」


 ――窓を開けて換気をするかのように、険悪なムードがふいに霧散する。

 エントスもサクラも、名残惜しそうな素振りを一瞬だけ見せるとヘルマの手から離れた。

 トルイアは自分だけヘルマに触れてない事から、ほんのちょっとでも触れるべく手を伸ばそうかと悩むが、ため息と共にそれを辞めた。


 父親的な雰囲気で、パーティーを組んだばかりの頃はあらゆる詐欺や暴力からメンバーを守ってくれたオルクスに対して反抗心を持てるメンバーは居ない。


「助かったよ、オルクス」


 空笑いをこぼすヘルマが小声で告げた感謝に、オルクスは慈愛の瞳を見せる。


「いいんだ、お前も大変だな」


 そう言いつつ、オルクスの表情は微笑ましげだ。

 ――その時、それまではトルイアの左隣を張り付くように歩いていたクナイが視線を少し動かし、トルイアの耳元に顔を寄せる。頷くと、赤髪の少女がメンバー全員に聞こえる程度の声を上げる。


「見つけたようだぜ、あそこだってよ」


 ――弓兵の少女がアゴで示す先には、ハウル通りで最も評判の良い宿屋があった。

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