第一章:第三話

 ……スライム、だと思われる。ぶよぶよした流体だ。たぶん固体という分類ではないと思うが自信はない。

 そういえば小学生の頃はスライムが身近で、カメラのフィルムケースのようなものに詰めて冷蔵庫にしまっていた記憶があるが、それ以降は触れた記憶が無いな。


 あんなものでどんなふうに遊んでいたのかわからないし、何が楽しかったのかもわからない。もちろん何を素材に作られていたかもよく知らない。

 俺はスライムについて何も知らないのだ。

 ただ一つ思うのだが、どう考えたって喋るのはおかしいだろう。


如何いかがなさいましたか? 我がしゅよ」

「……いや」


 スライムはやや青みがかった透明で、透き通った湖をすくいあげて丸めたような姿だ。

 確か『水まんじゅう』って和菓子がこんな見た目だったかな。

 中心には――心臓? コアというべきだろうか? 赤い球体があって、スライム全体を照らし出すようにぼんやりと発光、正確には明滅している。


 コアはスライムが喋るたびに細かく震えているが、あれが発声に関係しているのかも知れない。

 いずれにせよ、さきほどのチョウチンアンコウ的なモンスターが倒されてからは、周囲を照らす灯りはスライムだけとなってしまった。


 ――それにしても。


「我がしゅ、か」


 主人の『主』で合ってるんだろうなぁ。

 を『あるじ』じゃなくて『しゅ』と読むなんて、聖書で神を呼ぶ時にしか見たことがないけど、いったいどういうつもりなんだろう。

 そもそもコイツはどこから現れたんだ?


「まさに、貴方様こそ奇跡の導き手。我らが種族、いては世界の救世主にございましょう」


 なぜかあがめられてるし……。さっきの敵を倒してくれた件もあるので、味方をしてくれるのは助かる。――助かるのだが、誤解されたままというのはどうにもやりづらい。

 ちゃんと、『自分は三十歳で童貞だし仕事は出来ないし友達も居なかったんだ』と説明した方がいいのだろうか?


 ……いや待てよ、しかしコイツはモンスターだ。誤解を解くことで敵にまわる可能性もあるのか? とにかくこちらの出方を決める上でも、まずは向こうの考えを知りたい所だ。


「ま、待ってくれ。まずは、なぜ君が俺をそこまでうやまうのか教えてくれないか?」

「……え?」


 俺の言葉にスライムはしばらく放心していたようだが、やがて全身を大きく震わせ始めた。お、怒ったのだろうか?


「……な、何て事を仰るのです! あれほどのほどこしを頂いて敬意すら持たない者と思われるのは、幾ら主が相手でも心外と言わざるを得ません! ……いえ、確かに世界の救世主となられる貴方様にとって、私一人の助命じょめいなど些末事さまつじ一端いったんかも知れませんが、それでも……どうか私の心よりの感謝はお受け取りください」


 施し? 何の事だ。あととかいう呪文もよくわからん。


「我が身は貴方様によって救われた、言うなれば生命の残滓ざんし。拾われた命はもはや貴方様のもの。お望みがあれば如何様いかようにもお申しつけください。我が身を以て必ずや忠誠を示すと誓いましょう」

「……救った? 俺が、君を?」


「その通りです! ここより少し手前の通路で、であったわたくしに清らかな水をお与えになったではありませんか!」


 ――清らかな水? 干からびて死にそうなやつに?

 俺の脳裏に、粘着質な物体に足を取られた記憶が蘇る。


「あれは確かに清らかなる聖水! 扱えるのは私の知る限り水の精霊ウンディーネただ一種族ひとしゅぞくです。しかしウンディーネはその特性上、聖水の無き地には存在しないはず。また、聖水はひとたび聖域を離れればその純粋さをそこなってしまう。――であれば、このヴァルア大窟だいくつ三層において聖水を扱うというのは正に神の御業みわざ!! 貴方様こそ! 我らが代々 信仰し待ち望んだ主、その人に違いありません。そうですよね!?」


 ――し、知らねぇぇぇぇぇぇぇぇ……。何の話をしているんだコイツは。そもそもさっきから言葉遣いが難しくて何を言ってるのかよくわからねぇよ。


 スライムってもっとこう、知能レベルが低いモノじゃないのか? 『ぷゆゆ~、よくわかんないよぉ~』ってノリの癒し系(笑)モンスターじゃないのかよ!

 聖水とかウンディーネとかは何となくイメージが湧くけど、ヴァルア大苦痛山荘?なんて聞いたってわからないんだよ!いい加減にしろ!!


 ……っていうか、干からびていたとこに水って、だよな?

 俺の感情を読み取ってか、スライムは少し怪訝そうな声色になった。


「……まさか、違うと仰るのですか?」

「い、いやぁ、そうじゃない。そうじゃないんだけど……」


 ウォシュレット代わりに使った水魔法でこんな事になるなんて……。

 つ、つまりその、スライムを救ったという聖水?は、俺のお尻を洗ったものだから……え、不純物、含みまくってないか……?


「み、水に何か交じっていなかったか? こう、色のついたものが」

「……あっ。それはまぁ……え、ええと……確かに、その……」


 言い淀むそぶりを見せたスライムのコアは、喋る音に合わせて揺れている。

 そう、スライムの赤いコアが。……いや、ま、まさかな。


「しゅ、主がお身体を痛めてまで我が身をお救いくださった証を残したいと思い……ッッ! ダメ……でしたか?」


 そのまさかでしたああぁぁぁぁぁぁぁ!! コアの赤は俺の血です! ケツから生まれた痔の血です! どうか茶色は交じっていませんように!!


「あ、あの時は瀕死の身であり、不敬にもお助け頂いた際の雄姿ゆうしは拝見が叶いませんでしたが、主が神技しんぎを扱うにふさわしい御言葉と、勇猛な雄叫びは微かに記憶に残っております」


 あー、アレね! 思い付きで唱えてみた長ったらしい呪文とケツ穴アタック食らった時のオホ声ね!


「そ、そうか……わかったよ。確かにそれは俺に違いないな」

「……わぁっ」


 スライムは全身をぷるぷると震わせている。さっきの怒った様子とは違い、今度は何だか喜んでいるように見えなくもない。

 まぁ、救世主がどうのってのはわからないが、コイツの命を救った事に間違いはないようだし、ひとまずはこのままの関係性で居てもいいだろう。


 しかし、神の御業か。女神はって言ってたから、やはり俺の持つ水魔法は特別な力らしい。


 しかしそうなると、さっきスライムが言っていたウンディーネの聖水とか、洞窟に巣くっていた狼が吐く炎とかはどうなのだろうか。体内の臓器等に由来する力か?

 例えば浄水器官とか、発火器官を持つとか。それとも魔法という概念がないだけで種族ごとの固有スキルなどがあるのだろうか?


 いずれにせよ今はまだわからない事だらけだ。協力者も得た事だし、少しずつ情報収集をしないとな。


「な、なぁ、君。あのさ……君やこの世界について聞きたいんだけど、少し話してもらう事は出来るかな?」

「もちろんです。主に私がご説明できる事など僅かにもあるとは思えませんが、何なりとお聞きください!」


 スライムだからその感情は察しづらいが、声色は嬉しそうに弾んでいた。上下にゆったりと揺れている姿も、眺めている分には可愛らしくて癒される。

 なぜ俺が崇拝されているのかはわからないが、このモンスターの忠誠心は確かなようだった。本当に俺の役に立とうとしてくれているらしい。


 もちろん気持ちはありがたいのだ。このスライムは少なくともチョウチンアンコウもどきを殺すくらいには強いのだし、そして俺の予想が正しければ、最初に会った狼やゴブリンはチョウチンアンコウもどきを恐れていたのである。

 ――つまり、このスライムは結構強い可能性が高いのだ。そんなモンスターに同行してもらえるならかなり心強いと言える。


 しかし……まぁ問題もあるかもしれない。というのは、このスライムが俺の事を過大評価しているという点だ。

 現に今も「主に私がご説明できる事など僅かにもあるとは思えませんが」と発言しただろう。つまり、ヤツは俺の事をみたく妄信しているのだ。


 俺が実はただの無能な童貞だとバレると面倒だが、嘘を重ねるとボロが出るかもしれない。なるべく嘘をつかないようにごまかせれば良いのだが……。


「……いや、俺はこの世界に来たばかりでさ。実はここがどこなのかもよくわかっていないんだ」

「なんと、そうでしたか。気が行き届かず申し訳ございません」


 スライムが上から押しつぶしたようにぺたんと潰れて地面に広がる。

 あ、頭を下げているつもりなのだろうか……?

 声が中性的、どちらかというと女性寄りなのでまだ親しみが湧きそうだが、やはりたまに怖いとか気味悪いと感じてしまうな。

 遠くから見ている分には好意的に見れるが、実際に触れるのは抵抗があるという感じである。パンダみたいなものか。


「だ、大丈夫だ。えっと……とにかくそういう事だから、君の事は頼りにしているんだ。まずは……そうだな、名前を教えてくれるかな?」


 尋ねると、スライムはシュバッと身体を起こした。――いや、怖ぇよ。


「お、遅れてしまい申し訳ございません。私はライム・プルプルト・プリエル。代々このヴァルア大窟を護るスライム一族として、恐れながら姓を頂いております」


 うわぁ、なんてスライム的な名前なんだ。あとかしこまるポイントがマジで意味わからん。


「い、良い名前だと思うよ。わかりやすくて、本当に」

「なんと……っっ! ありがとうございますッ! わ、わたくし! 感動のあまりこの場で分裂してしまいそうです!」


 だからよくわかんねぇよ! なんだよ分裂って!! スライムの生態なんて知らねぇっつうの!


「じゃあ、ライムと呼べばいいのかな?」

「……はいッ!」


 嬉しそうである。名前を呼ぶとライムの体液が少しだけキラキラして見えた。

 ラメが浮かんだような感じである。


「あー。そ、それじゃライム、次はここがどんな場所なのか教えてくれる?」

「はい! では僭越せんえつながらご説明を……! まずここはヴァルア大窟と申しまして、地底へ続く十層のダンジョンとなります。現在、主がられる三層までは取るに足らないモンスターしかおりませんが、以降は階層毎に厄介なモンスターが縄張りを持っております」


「厄介?」

「はい。戦闘力はそれなりですが縄張り意識が強く、中心となるボスモンスターは知能も高いため、組織的な攻撃や罠を仕掛けられており踏破が困難なのです。ときおり降りてくる人間の冒険者達は、この四層以降をダンジョンと呼んでいるようです」


 ライムがペタリと地面に広がる。今度は落ち込んでいるようだ。


「元々ここはスライム一族が統治していた聖域だと言うのに……。今や蛮族共の支配を許し、武勇を誇ったスライム一族ももはや私を残すのみ。せっかく主が御降臨なされたと言うのに、まったく面目次第もございません……」


 ふむ。聞いた話をまとめると、ここは十階層の洞窟で元々はスライムが統治していた。

 そこを階層ごとに別のモンスターが支配するようになり、何らかの事情でスライム一族は【ライム】一匹(?)になったという事らしい。


 まぁ正直よくわからないし、ライムには悪いが俺にとってはどうでもいい話だ。

 そんな事より気になるのは、ときおり降りてくるというについてである。


「な、なぁライム。それなら、ひとまず上に向かわないか?」

「……上、でございますか?」


 ライムが静かに身体を起こした。

 人間の冒険者が降りてくるという事は、地上には人が居るという事。近くに国があれば一番だが、村でも何でもいい。

 、ひとまずは安全な地へ案内してもらえる可能性があるという事だ。


「あぁ。下へ向かうのは危険みたいだし、とりあえず地上に出れば」

「――ッ! な、何て事を仰るのです!」


 ライムは大声で俺の言葉を遮り、ぶるぶると身を震わせた。


「し、失礼いたしました。……しかし、地上へ向かうのはリスクが大きすぎます。地上には強力なモンスターも多いですし、冒険者も少なくありません。ほとんどの冒険者などは取るに足りませんが、中にはドラゴンとさえ渡り合う者がいると伝え聞きます。奴らは人間種以外を徹底的に排除、あるいは使役する危険種族。この洞窟内ならまだしも、地上へ出れば袋のネズミというものです!!」


 ――いや、俺は人間だから問題ないと思うんだけどなぁ。

 まぁしかしアレか、冒険者が乱暴者の集まりなら、俺だって危害を加えられないとも限らない。それに地上は危険なモンスターも居るようだし、迂闊な行動は選べないだろう。


 ……はぁ、ため息が出るなぁまったく。

 ライムの力を借りれば地上まで行けるんじゃないかと期待したんだけど……説得は難しそうだ。


「わ、悪かったよ。でも、これからどうするんだ?」

「でしたら、まずは四層の地底湖を目指したいと思います。主に救われたとはいえ未だ癒えぬ身でありますから、地底湖でウンディーネの霊力を取り込みたい考えです。恐れながら、お付き合い頂ければと」


「……そうか、わかったよ」


 恐れながらも何も、ライムと一緒じゃなきゃ怖くて動けないんだけどな。

 出来れば地下になんて向かいたくないんだが……まぁ、一緒に行動していく中で何とか地上へ向かえるよう説得するチャンスを伺うしかないか。


 あーァ。都合よく勇者みたく善良な冒険者と遭遇しねぇかなぁーーー。



~~~~~~~~



 時は遡り数日前。グレイン王国。

 黄金の川と語られる王国にはふさわしくない、古めかしい石造りの建物。あちこちに蜘蛛の巣がかかり、湿っぽい冷気を放つ内壁はよく見ると至るところがひび割れかけている。

 そんな建物の二階通路を歩く六人の冒険者が居た。


「カビくせぇトコだなぁココぁさぁー。もーちょっとマトモなトコに建てかえねーのかねぇ」

「こら、もーっ! なんでいっつもそんなに口が悪いかなぁ。女の子なんだから、もっとこう……キュッとしなさい」

「……いや、キュッとってなんだよ。言われてもわかんねぇって」

「静かにして、二人とも。私、最近 寝れてなくて、頭 痛いんだから」

「……そうだったか。いつも装備を手入れしてくれているからな。感謝するぞ」

「いや……違う。そうじゃなくて……いびきが」

「――どっちのだよ!?」

「――どっちのなの!?」

「……そうだったか。女子とはいつも部屋を分けているからな、知らなかったぞ」

「い、今の聞いてなかったよなぁ…………そうだよなぁ!?」


「あはは……そうだね」


 全く喋らない一人を除き、騒がしく話し合うのは男女のパーティーで、体格や年齢もまちまちに見える。地元の集まり、といった軽々しいおもむきではないが、メンバーの間を繋ぐ空気は和やかで、幾多の戦場と決して短くない年月で育まれた絆を感じさせた。


 おどけながらも、同業者から見ても決して侮られない雰囲気と装備を備えた一団だ。

 が、しかし中でも先頭を歩く金髪の騎士――ヘルマと呼ばれた者――は格段のモノを想わせる。

 全身を包む白銀プラチナ軽装鎧ライト・アーマー一つ取ってもそうだが、金のラインで施された美しい装飾は一介の職人に成せる技術ではなく、その防具の高級さを物語っていた。


 また、金属プラチナの隙間はブルー・リザードの革で作られた蒼い革鎧で補われているのだが、その上等さから、ブルー・メア・リザードが素材となっている事は冒険者なら一目でわかるものである。

 メア・リザードのレベルは22。――冒険者が冒険者に依頼して防具素材を入手するという恥を犯さない限り、ヘルマが高位冒険者以上である事の証明にもなる。


 もちろん、装備に合った風格も備わっていた。

 他のメンバーは結局のところどこまで言っても冒険者と言った雰囲気で、血と暴力に身近な者たちの倫理観を感じさせる。それはヒーラーである薬師の女性さえも同様であった。

 ところがヘルマは常に穏やかな微笑を湛え、貴公子然としている。非戦闘時である今の立ち振る舞いは、むしろ血よりもワインを嗜む風格だ。

 もっとも、ヘルマはまだ十八歳の成人を迎える前だが。


 だが無論その優美さすら戦場においては鳴りを潜め、戦士の冷徹を湛えるであろう事は使い込まれた武具の手入れ跡が物語っている。


 ――しばらくと進まないうちに、通路を突き当たって右手側。ヘルマ達の目的とする部屋の前までやってきた。

 ドアをノックし、間もなく返ってきた返事を受けて木製の扉を開ける。


 ドアを開けると30平米弱(約18畳)の部屋が広がっており、中央には背もたれつきのベンチソファ。

 奥には、採光用の大窓を背にするように設置された木製の執務机に初老の男が座っていた。


「よくぞお越し頂けました」


 低く、威圧的な声色である。

 それは意図されたものではなく、男の元来の気質から来る迫力だった。

 何かを確かめるような視線を感じながら、しかしヘルマは底知れぬ微笑を以て応える。


「初めまして、ギルド長殿」


 中性的な甘い声。しかしその陰にはたる威厳が密かに埋もれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る