第0話〜最終決算!餅に隠されたもの、それは……〜#2

前回の《万世救済メシア飯》は‼︎


あらすじ

前回を見ろ‼︎ 以上‼︎



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 短い間に〈信じるな〉と〈信じるな〉が行き来して、ケンは足元がぐらついた。

「当社の救星事業として供給の不安定な溜め池を当社のインスタントケミカル雑煮工場にして召し上げる計画でしたが……、結構ですよ? アナタが弊社に人柱として入社ジョインしていただけるのでしたら、アナタ方の原始的ななんとかいう雑煮は文化財・・・として保存するよう便宜いたしましょう! もちろん観光地化のコンサルも当社で請け負います!」

「へ? ……残す?」

「ええ、和解案です」

「和解……? 人柱に、なれば……?」

 人柱になれば。

「けん、ケン、やめなさい!」

「人柱には、それだけの価値があるのですよ。まとめサイトにもそう書いてあったでしょう?」

「やっぱり、まとめサイトが正しいのか……?」

「ケン‼︎」

 雨が止み、風が去った高台で、ケンは一時いっとき自分が世界から切り離されたように感じた。

 一体何を信じればいい……?

 不安が胸中を占めるそんな時、ケンの脳裏を過ぎるのは決まって幼い頃父が何度も口にした「一次ソース情報源を確認しなさい」という言葉であった。

 強く、偉大であった父。ある日突然企業コーポに喰われたと人伝に知らされた父。

 神のいない星・ソセスシにおいて、ケンの父こそがケンの信じる全てだった。

 父が死んだなど、信じたことはなかった。

 一次ソースが明らかでないからだ。

 しかし、父が目の前から消えたことには変わりない。

 ──自分たちの父はもういない。

 自分が目にしたことは一次ソースに他ならない。

 父の代わりとして、星の長として、父の、父たる星の教えを心に生きてきた。

 それでもなお報われない星の危機に揺らぐケンの前に、電子広告として現れたまとめサイトの力強い黄色と白のゴシック体と即効性のある甘美な文字の羅列は燦然と輝いて見えた。

 導きの星座のように強い言葉で彩られた見出しは、自分が、自分たちが守り語り継いできた形のない信念などよりも遥かに、揺らぐケンを支えてくれた。

 いつしかケンの中では、星の教えよりもまとめサイトの力強い釣り広告の方が心の支えとなっていたのだ。

 父の教えを心に生き、挫けそうになった時にはまとめサイトに縋った。

 そうしてやっとの思いで企業コーポの雇われ店長を打ち倒したと思いきや、そこに現れたのは果たして亡き父であった。

 夢にまで見た父との再会は、同時にあの偉大な父こそが企業コーポの傀儡であったという現実を突きつけた。

 あまつさえ星の災厄たる水不足の元凶が企業コーポであると判明してもなお、その使者に〝様〟などと謙る。

 それはケンが信じてきたものがいよいよ崩れ去った瞬間であった。

 そして、その心の間隙に差し込む光こそ、まとめサイトの燦々たる黄色と白のゴシック体──。


 《企業と和解せよ》──。


 やはり企業のまとめサイトこそ、真実なのかもしれない……。

「人柱になれば……残るんだな……」

「ええ、もちろん。お互いの利益のためのビジネスなのですから」

「オレが……、人柱に……、それが、本当なら……」

企業我々を信じてください。ビジネスは信頼です」

「それならわたくしがなります! この者の代わりに私が──」

「お黙りなさい雇われがッ! 交渉を邪魔するなら貴様ら諸共ご破算にしてもよいのですよッ!」

 交渉の場の闖入者に、エリアマネージャーはVTOLの電磁砲レールガンを向けた。

 バチバチと空気を引き攣るように蓄えられた青白い電光は、ケンの父はもちろん、その後ろで動けずに居る星の民をも標的にしている。運よく直撃を免れたとて、先ほどの雨で濡れた地面を狙われれば同じだ。

「……オレが、……」

 昏い決意が再びケンの中で首をもたげたその時。

 震える口で答えを告げようと顔を上げたケンの目に、キラリと何かの光が見えた。

 それは少し前、人柱の覚悟を決めた自分が投げ捨てた〈餡もち雑煮〉のお椀の輝き。

 向けられた砲口の光を、雨に濡れた朱塗りの椀が睨むように反射している。

 その砲口よりも鮮烈に映える反射光の鋭さに、ケンは思わず眉を潜めた。

 そうだ。自分が守りたかったのは自分たちの星の味〈餡もち雑煮〉だ。

 自分たちの営みの中で生まれ、営みの中で継承されてきた食べ物。

 日々の、祝いの席の折々で欠かせなかった存在。

 特別であり、当たり前であるもの。

 これを守るための人生だった。そのための教えだった。

 だが、自分が人柱になれば守られるのだ。文化財として。

 ……文化財として?

「……どうされましたか?」

 風が鳴る。

 ぱちりと瞬きをした刹那、体の中を光が通ったような痺れを覚えた。いや、思い出した。

 そうだ、あの人はまとめサイトは信じるなと言った。

 あの人。あの人たち。

 自分の目の前で奇跡を起こした来訪者。

 まとめサイトが嘘でも本当でもどちらでもいい。

 自分は確かに目にしたのだ、奇跡を。

 そうだ。

 信じるんだ。見たものを。

 大切なのはその情報がどれだけ都合がいいかじゃない。その情報がどこからきたかだ。

 信じるんだ、自分たちが培ってきたものを。自分たちが見たものを。

 伝聞でもまやかしでもない、いま自分が見ているものを。

 自分が見たものに勝る真実などない。

 それは図らずも、ケンと共にあったあの言葉と重なる。

 『一次ソース情報源を確認しなさい』

 そうだ、オレは見た。オレは見てきたんだ!

 見てきたものが一番オレの真実だ!

 オレが、オレたちが一次ソースだ!

「ふっざけるんじゃねえ‼︎」

 拒否!

 それは毅然とした明言として会議場に轟いた!

「はいぃ?」

「何が信じろだビジネスだ、和解案だ! そもそもテメェらがマンノウサンが腐ってるとか言い出したのが大嘘だったじゃねぇか! オレたちは見たんだよ! 見た! あの池が生きてンのを! 生き返る・・・・のを! この目で! ──なあ、見ただろう⁉︎」

 振り返ることなく、ケンは真っ直ぐに敵を見据えたまま同胞に叫ぶ。

 ケンの咆哮に気を失っていた者たちも徐々に起き始め、そして魂の是非を問うかのような叫びに目を覚ます。

「……寝言を」

「寝言はどっちだ! 初っ端から嘘かましてくるヤツらの約束だれが信じるってンだ‼︎」

「何を言っているのかお分かりで?」

「わかってねぇのはテメェらだ! だいたいっ、何が文化財だ! 原始的だァ? 冗談じゃねえ! オレたちの〈餡もち雑煮〉はテメェら企業コーポの博物館に並べられる化石でも見せ物でもねえ生きたオレたちの誇りだ‼︎ 生活だ‼︎ テメェらにどうこうお膳立てしてもらわなくてもオレたちがここで生きてく限り不滅なんだよわかったよバーカ!」

「ケン……、お前は……!」久方ぶりに己から出た希望の声に、ケンの父は驚いた。

 ケンはギラギラ光るVTOL越しに、企業コーポの顔を睨みつける。

 その口元は少し震えていた。 

 恐怖ではない。狂気でもない。

 不確かな甘い言葉じゃない自分の内にあるものを信じるだけでこんなにも力が湧き上がることに、体が不思議と震えるのだ。

 溢れ出る勇気に決意が言葉になりたがって、口の中にとどまってはいられない。

 その不思議がさらにケンを奮い立てる。

 どう戦えばいいのかわからない。

 どうすれば勝てるのかわからない。

 計算も武器さえもない。

 けれど、否。

 否だ。

 自分たちは今日ここに全てを賭けて会議に来た。

 元より失う覚悟があった、企業コーポと決別する腹づもりができていたのだ。

 今さらその敵が強大だったからとて、何を揺らぐ必要がある。

 自分は今日ここに、企業コーポの全てへ〝否〟を言うために立っているのだ。

 確信こそがオレの力だ。

「テメェらがこの星いじくって何がしてぇのかは知らねぇ! 何だろうが、オレたちの答えは一つ、その全てに『いいえ』だ! 『いいえ』‼︎ それでも勝手がしてぇなら、やれるもんならやってみやがれ‼︎」

 応ッ、と覚醒した星の民らが呼応する。

 一時は強大な敵の前に恐れを為した。

 しかし、彼らには確信がある。

 まだ絶望するに値しないという不思議な確信が、膝をついていた者たちの泥を濯ぐ。

「……『やれるもんならやってみやがれ』、つまり、我々との闘争もやぶさかではないと?」

「ンなもんとっくの昔に始まってんだ!」

「それが御星の条件ですね?」

「アァ?」

 ザワリと風が引き攣るように薙ぐ。

「よろしい! ならば『YES』です! 闘争こそがアナタ方の望みなら、企業我々の答えは常に『YES』! 『YES』‼︎ 『YES』のために全身全霊を尽くしましょう‼︎ ヒッヒハハハハハハハ‼︎」

「なっ、なんだァ⁉︎」

 企業コーポの下卑た笑いが高らかに響く。

 耳障りなその声にケンたちが思わず耳をふさいだその時、高笑い耐えかねたように空が裂け、捻じ曲げられた無の中心から、喘鳴のようなエンジン音と共にあの悪鬼のような方舟の車列が現れた。

 ゔァアアアアアアアンッ‼︎

 断末魔の如き汽笛の息吹。

 ギラつく日差しを反射させ、空にとぐろを巻くようにして現れた汽車の車窓からは無数の電磁砲レールガンの主砲が節足動物の足のように飛び出している。まるで害意に満ちた巨大な百足だ。

 その汽車は、本来はただの通勤車ではなく、見た目こそ旧式なれど銀河間に効率よく武器を運搬するための輸送車であった。厄介な渦潮星団らに囲まれ、他星系への航路が非常に限られているセトウチ銀河へ一度に大量の武力を移送するには、大型の宇宙船やリスクの高いワープ航法よりこの旧来の汽車型小規模武装車両の方が都合がいいのだ。小規模、と言ってもそれは母艦クラスに比べてであり、ソセスシを蹂躙するにはこの百足一匹で事足りることが嫌でもわかった。

 主砲の先はケンらはもちろん、その遥か後方の市場や居住区を正確に指している。それが急拵えで用意されたものでないことは誰の目にも明らかだった。

「テメェッ! 最初っからその気だったなあ⁉︎」

「『YES』を取る。──ビジネスの基本です」

 その驕慢な笑み。

 己こそがこの宇宙の支配者であるかのような驕りに満ちた唇の歪み。

「現地採用の店長では、やはり成果は低いようでしたので」

 ジロリとケンの父をめつけて、エリアマネージャーは手元の空間に出した名簿の中から、彼の名前を抹消した。契約破棄だ。これで、あの輩に何をしようと労災にならない。

 元より星の民上物など、企業我が社に不釣り合いなのだから。

「さあ、最終勧告です。アナタが人柱になるとサインすれば、尚アナタに星と同等の値を付けましょう。アナタ方の臭い飯を残して差し上げましょう。しかし、この後に及んで断るならば──

「『断る』」それは一人の声でない。

 逆境は勇気の舞台だ。

 逆行は決意した者の花道だ。

 『否』は勇気ある者に送る最大級の賞賛だ。

 支配者に『否』を言うために彼らは日々を積み上げてきた。

 得意げに誇るエリアマネージャーの前に、ケンはしかしニヤリと不敵な笑みで返した。

 ケンだけではない。

 この星の、あの奇跡を共にした皆の目に同じだ。

 その瞳の奥には己が見た奇跡の残光が爛々と輝いている。

「……ヤケでも起こしましたか? いえ、結構。これを見て逃げ出さないとは、賞賛に値します」

「逃げ出すのはテメェだ」

 体の奥から渾々と湧き出る勇気には根拠がある。

 だって、もっと信じられないような奇跡を自分たちは見た。

 自分たちが見たものを信じる。

 オレたちは、今日ここで奇跡を見た。

 勝ち筋などない。

 武器なんてない。

 それがどうした。

 絶望するに値しない。

「オレはオレが見たもんを信じる! 見たこともねえ絶望より、見てきた奇跡の方に魂を賭ける! あんたに勝てる方法なんて、そもそもこの星にねぇ!」

「……ハァ?」

「でもこの星には奇跡がある! ここは救星主様の降りた星だ!」

「救星主……? ヒッヒ……、ヒャ、ヒャハハハハハハハ! キュ・ウ・セ・イ・シュだと⁉︎ 戯言をッ‼︎ 救星主とは企業我が社のことだッ‼︎ 神頼みさえ外れるとは哀れな……。──貴様らのような下等産物がオレの管轄下に有るのが我慢ならなかったんだヨオッ‼︎」

 企業コーポの怒号に機砲が吼える。

「教えてやるよ、企業コーポの下っぱ」

 ケンに向けられた砲口から青く裂けた電撃が放たれるその刹那、光の速さで迫る死を前にケンはやはり笑った。「オレたちがこれから語り継ぐこの星の祇神録ぎじろくはな」

 ヂ、とエリアマネージャーは己の耳元に熱を感じた。

「『その時、ニンジャが現れ』たから始まるんだ」

〈待たせたな〉

 GROOOOOOOOOOOOOOOOWWL‼︎‼︎

「なにィ⁉︎」

 猛烈な衝撃波に煽られるまま、エリアマネージャーはVTOLごと後方を振り返る!

 その先では自らが召喚した戦闘車両がごうごうと燃え爛れているではないか!

 耳を掠めた電撃。それは紛れもなく、電磁砲レールガンが放った閃光そのものだった。

 こちらが放ったものがそのまま跳ね返されたのだ。

 馬鹿な。

 この星の下等産物らにそんな芸当ができるわけが──。

 そこで初めて、エリアマネージャーは足元に目を凝らした。

 一時的に生まれた霧が晴れたその向こうに、鎧の影がある。

 鎧? 違う、あれは禁忌とされるニンジャ・インプラントだ。

 それを身体の一部ではなく、頭部を含めた全身に施している。

 加えて10の五乗に及ぶ電圧の砲弾を片手で弾き返す異様な力。

 そんな芸当ができる者など、この宇宙にただ一人。

「救星主様ァ‼︎」

「救星主様ァ⁉︎」

 ケンたちの歓喜をエリアマネージャーはそのまま繰り返した。

 そんなわけがない。

「まったく、落ち着いてご飯も食えん」

 飄々と言ってのけて、その闖入者は手を払った。

「救星主様だ! ニンジャが! ニンジャが来た‼︎」

 民衆が三度起こった奇跡に湧く中、エリアマネージャーは奇跡の現場を見下ろしながら混乱する頭に酸素を送ることに必死になっていた。

「来てくれると思ったぜ──ました!」

 慣れない敬語も使うさ、ニンジャ様メシア様だもの。

 ケンは救星主におぼつかない敬語を使う自分がくすぐったくて嬉しかった。

 きっと来ると信じていた。またあの奇跡が見れることに心震えてすらいた。

 こんな不謹慎なこと、誰にも言えないけれど。

「大人の人を説得するのに時間がかかってな」

 大人の人、とニンジャは小脇に抱えた連れの男を軽くゆすった。

 連れの男はニンジャの腹に抱きついたまま、長い足をめいっぱいぬかるんだ地面に突き刺して、今もなお何やら呻いている。「空きっ腹にエリアマネージャーは危ないってば〜!」

 どうやらニンジャの闖入をどうにか止めたかったらしい。

 泥濘に突き刺されたままのつま先からは激しい抵抗の軌跡が伸び、轍を目で辿るとそれはケンが教えた見晴らし台の頂きから闘争のシュプールとなって続いている。

 どうやらこの二人の間にも一悶着あったようだ。

「……説得できたようには見えないけど」

「そういう日もある」

「いつものことだよ」ぐす、と面隠し越しに不満を垂れながら、連れの男はニンジャに縦にされる。

「で、でもやっぱり助けに来てくれたんだな! やっぱり、救星主様なんだな⁉︎」

「ま、ケン、待ちなさい、どうやら助けてもらったようだが、その者たちは……」

「うるせえ企業コーポ親父!」

 歓喜と命拾いに沸いたアドレナリンがケンの情緒をおかしくする。

 妙にふわふわとした高揚感のまま、ケンは父を遮ってニンジャに駆け寄った。

「なあ! やっぱりオレたちの救星主様なんだろ⁉︎」

「……否定も肯定もできないな」

 意味深に首を振るニンジャに、

「それはそうでしょう!」

 再びエリアマネージャーの高笑いが聞こえた。

 燃え落ちる自身の汽車を背にして、企業コーポのエリアマネージャーはしかし勝ち誇ったような笑みを浮かべている。

 今しがた無効化された己の攻撃のことなど記憶から失せたのか、高揚感に翻弄されたケンのようにその顔は紅潮してすらいる。

「救世主だなんだ世迷い言を、ハッ! 一体何を根拠にほざくかと思えば、ハッ! そうですか! オッホホホホホ! これは面白い!」

 堪らないと仰け反って笑うエリアマネージャーの耳障りな声に、ケンやソセスシの民たちは今や怖いものなしと言わんばかりに抗議した。

 その喚き声を糧にエリアマネージャーはまた哄笑する。

「無知め! いっそ清々しいほどの愚かめ! そこの雇われ店長サンでは口にするのも憚られるようですからネェ! わたくしが教えて差し上げましょう!」

「余計なお世話だ企業コーポ野郎! 負け惜しみなら──」

「聞けェッ‼︎」

 翻った声の絶叫に、シン──と瞬間、空気が絶える。

「貴様らが救星主メシアと騙るソイツの正体は《罪人まれびとのライメイ》! 大宇宙に仇なす大罪人だア‼︎」

 ドンッ‼︎ と空気を震わせて、燃え盛る企業コーポの車両が一つ爆散する。

「まれびと……、たいざいにん……?」

 爆風の熱を頬に感じる。

 ぬらりと粘つく赤黒い炎は立ちはだかる敵の後光となり、その笑みさえも凶器のように引き立てる。


 罪人まれびと

 その響きを知らない者はいない。

 口にするのも憚られるような大罪を犯し、星を追われ、星から星を転々と流浪う者を忌む名。

 いつの頃に覚えたかは知らないが、この銀河ではマレビトとは大罪人を指す言葉であった。


 この人たちが、本当に……?

 思わず首を回して鎧の男を見やると、罪人まれびとと呼ばれたその者は頷きも首を振ることもなく、

「そういうことらしい」

 身に覚えはないが、と罪人まれびと──ライメイはしゃあしゃあと答えた。

「ライメイ! ちゃんと否定しないと! ──コラ企業コーポの三下、ライメイは大罪人

じゃないぞ‼︎」

 こらぁ! と面隠しの男が叫ぶ。

 今にもエリアマネージャーのVTOLに飛びかからんばかりの勢いに、ライメイは「ミケ、落ち着け」と暴れ馬を宥めるように手を引いた。どうやら、もう一人の方は〝ミケ〟というらしい。

 《罪人まれびとのライメイ》に、相方のミケ。

 救星主様が、罪人まれびと

 《罪人まれびとのライメイ》──。


  《罪人まれびとのライメイ》──。



「かっけ……」

 ケンは絞り出すように言った。

「あぁ! ケン‼︎」

 ケンの父は己を責めるように絶叫した。

 救星主メシア罪人まれびと

 それらの言葉はケンが自ら封印してきたケンの少年心にズドン、と響いた。

 《二つ名》に夢を見ない少年はいない。

 少年はみな、ちょっと悪いものに憧れる。

 決して自分では悪いことなどしないからこそ、それをやってのける者に痺れ、憧れ、心震えるほど燃え上がるのだ。

 ただでさえニンジャでメシアで禁忌の全身ニンジャ・インプラントであるにもかかわらず、あまつさえ罪人まれびと

 しかもマレビトって煽られてもビクともしてない。

 ケンは、心の奥底が疼くのを感じた──。

「あぁ、何ということだ……」ケンの父は頭を抱えた。

 間違いない、ケンは、息子は、404エラーに罹ってしまった──。


 四百四病の外404エラーという言葉がある。


 四百四病しひゃくしびょう

 太古、人のかかる病の総称をしてそう呼ばれていた。

 我々人間を含めた宇宙を構成する四大の元素。その均衡が破れた時、四大元素それぞれに百一の病が芽吹くとされていたのだ。

 サイバネティック医療技術インプラントの発展によりすでに多くの病は克服され、まだ克服されていないものもいずれこの世から消えることは間違いないとされている。かつての時代、我々を脅かした四百四の病は、現代では罹ろうと励んでも罹りようのない存在しない404病となっていた。

 四百四病の外404エラーとは、その四元素の及ばない、現代の技術ですら治せない病のことを指す。

 それ即ち、『恋の病』。

 そしてもう一つ、恋の病よりさらに業の深いもの──。

 名を──、『中二病』──という──。

 『恋の病』はいずれ治癒する。時間が解決することもあれば、実を結ぶこともある。

 しかし、『中二病』だけは厄介だ。これはひと度患わば決して完治することはない。

 その症状はあまりに恐ろしく、筆舌に尽くし難い……………暗笑フフ

 発症から時を経て鳴りを潜めたかと思いきや、何かが心の琴線に触れた瞬間、不意に面皰めんぽうが弾けたように膿が噴き出す。

 発症時の己の行動記憶を思い出すことによる猛烈な羞恥は末長く心を蝕み癒えることはない。

 この私でさえ……。

 ケンの父は左目の見えない傷を心に眺めて胸を押さえた。

 四百四病の外404エラーは、罹患が遅ければ遅いほど、その進行と症状は重篤なものとなる。

「こうなることはわかっていたのに……ッ!」

 ケンの父は地にうずくまって悔やんだ。

 家系による性格の遺伝など、すでに科学的に否定されている。

 しかしメシアやマレビトの二つ名に猛烈な勢いで吸い込まれていった息子を見るに、ケンの父はその血の運命を感じずにはいられなかった。

 あの者が企業コーポ神話に語られる《罪人まれびとのライメイ》であることには気づいていた。

 だからこそ息子を遠ざけたかった。知れば必ず憧れるからだ。

 悪に憧れたからといって、悪の道に堕ちるような子ではない。

 しかしだからこそ、だからこそだ。あるのだ。己のように、片側だけ前髪を伸ばしてみたりやたら斜に構えたりしてしまう可能性が。マンノウ池に手をかざして波紋術の練習をする可能性が。ただでさえ〈まとめサイト〉を見ているというのに、ここで404エラーは本当に危ない。

 これはそうした行動の是非を問うているのではない。ただ……、経験したものにしかわからぬ世界があるのだ……。

 息子が危ないものに関わってしまうことを避けたい親心と同じくらい、ケンの父は息子が彼らの正体を知ることを恐れ、そしてまた、正体を告げることを躊躇した。

 このままライメイたちが名乗らず星を去ってくれるのならまだ取り返しはついたのに──。

 ケンの父は己の無力を恥じ、息子の未来を案じた……。

「かっこいい……?」

 ケンの呟きを拾ったライメイと星の民は思わず声を揃えてケンを見た。

 ミケは大いに頷いている。

 ──そう、ライメイはかっこいい。

 どこか得意げですらある。

「マレビト! なんでそう呼ばれてんのかは知らねぇが、それでもオレたちを助けてくれた! 二度も‼︎ オレに関しちゃ三度めだ! テメェらに何と呼ばれてようが、それがどうした!」

 マレビトの二つ名がかっこいいかどうかは別として、ケンのその叫びに星の民は頷いた。

 そうだ。

 彼らがどこで何をしてきた者たちかは知らないが、この星の危機を救い、今もまた救おうとしてくれていることに変わりはない。

「ハッ、威勢だけが取り柄の産廃どもめが……」

 エリアマネージャーはソセスシ民の団結など恐るるに足らずと冷笑した。

「しかし、おかしいですネェ。アナタは弊社の総合職アサシンに始末されたはずでは? それか……、オッホッホ、悪漢に憧れて真似事をしに来ただけの恥知らずでしょうか?」

 ライメイに攻撃を弾き返されて尚、己が優勢と奴は踏んでいる。

 語り草になる悪人がいれば、模倣犯も湧く。

 本物か偽物かで、相手を生かすか殺すかが変わるのだ。

 もし本物ならば……。

 エリアマネージャーは時間稼ぎの会話を重ねながら、手元の端末で増援を手配している。

 ──エリア###にて、〈ライメイ〉を騙る者を発見。

「始末された? 俺が?」ライメイは心底意外そうに首を傾げた。

「おや、自分が死んだこともお忘れですか? MK229の名に心当たりは?」

 総合職アサシン・MK229。

 ライメイ暗殺を担う総合職アサシン採用の……、男と言われている。

 シェルのためなら何だってする、正体不明の裏稼業のカリスマ。

 目的の邪魔をする者はたとえ同業であっても容赦しない冷酷な男クラッシャー

 彼の手にかかった者で、生き残った者はいないという……。

「そうなのか?」ライメイはミケに問う。

「うん、そういうことにしておいた」

 ケロッと答えるミケにライメイは背伸びしてなでなでした。「賢いな、お前は」

「……ハァ?」

 何やら己をダシにイチャイチャされている。

 エリアマネージャーはその手の気配に敏感だった。

 ケンの父は息子の目を塞いだ。

「なんだ、知らないのか? 仕事熱心、て顔してる割に、結構うっかりさんなんだな」

 ハハッ、と皮肉たっぷりに笑うと、ミケと呼ばれたその者は面隠しをひらりとめくり、

「MK229の顔に心当たりは?」

 動悸ドキッ

 そのセクシーな挙動はまさしく同業サークルクラッシャー・MK229‼︎

「な、なにィ⁉︎」

 エリアマネージャーはここ一番の動揺を見せた。

 こんなに心が騒ぐのは自分が固定資産税を納めている十万石の埋立地が無に変わっていたのを目にした時以来だった。ややもするとそれを上回るかもしれない。

 ──あれがMK229の顔……!

 ッドォオオオオオン‼︎

 背後で武装列車がもれなく爆散したが、もはやエリアマネージャーの興味はそこになかった。

 ──あれがMK229の顔……!

 いや、それよりもまずあのMK229がライメイと手を組んでいることに驚かねばとエリアマネージャーは目眩の方向性を正す。

「なん、なぜMK229が、ホッ、おっホ、なぜ、奴を、奴と……⁉︎」

 エリアマネージャーは咄嗟に口元を手で覆った。

 動揺を隠しているように見えていたらいいこんな表情筋にエラーをきたしたみっともない顔をMK229に見られたくない。けれどもそうしているうちにMK229は面隠しをめくっていた手を下ろして、今度は自慢げに腰に当てている。その風に揺らぐ面隠しの風下に居たい。

 ──もっと見せたり見せなかったりしてほしいッ‼︎

「なんだ、本当に知らなかったのか。今日付の企業コーポの一斉送信メールを見てないのか? それとも、下っ端すぎてBCCにも入れてもらえなかったか?」

「通達だと⁉︎」

 エリアマネージャーは素早く手元の端末を手繰る。

 毎時呆れるほど来る社内連絡メールセンターに[MK229]で問い合わせると、【ライメイ討伐完了:MK229】の簡潔なメールの他に、つい一時間前に一斉送信されたメールがヒットし、




Bcc:settouchi.glxy@……


件名:【人事発令】※※要確認※※ 重要:◯日付発令に関する訂正・・・【一斉送信】

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企業コーポ ……社 ……部……課……室……グループ

エリアマネージャー殿 各位

 ※BCCにて一斉送信失礼致します。このメールは貴殿に周知後、社内関係者全員に共有されます。

お世話になっております。……社……部……課……系……グループ……係……窓口……付き担当……でございます。

平素は私共……社 ……部……課……系……係……窓口の業務に対して多くの助言と支援をいただき、深く感謝しております。v

先日の……社 ……部……課……系……エリア全体会議におきましては、ご多忙にも関わらず皆様にご立席賜りましたこと・・・


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「チィッ‼︎ いつになったら本題が出てくるんだッ‼︎」

 エリアマネージャーは頭を掻き毟る。

 果てしないメールのプロローグに頭がどうにかなりそうだった。

 いつもこれだ。いかに企業コーポに忠誠を誓ったとはいえ、このBCCお作法マナーにはヘドが出る。

 エリアマネージャーにも僅かに人の心が残っていた。

 そして端末を指先でスクロールするという企業コーポ仕草を七回経た先で、[MK229]だ見つけた



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なお、MK229が罪人のライメイに寝返りました。


付きましては殺せ。←業務命令


 以上

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「何ィッ⁉︎」

 エリアマネージャーの悲鳴が高らかに響く。

 その情報は、甚だしいテンプレ挨拶に対し本題が一行であったことの怒りよりも素早くエリアマネージャーの心に届いた。

「アッハハハ! やっと見つけたか! ──ご苦労様」

 ふふふ……、と面隠しの下でMK229──元MK229が微笑する。

「ライメイ貴様……、弊社の《パンドラ》を盗むばかりか、MK229までも……」

「パンドラ?」

 心当たりのないことばかり言われるのに、ライメイはすっかり慣れていた。

 この調子だと、あの企業コーポが指しているのはこれだろう。

「このお弁当箱のことか?」

 ほら、と結局まだ手のつけられていないお弁当箱を掲げて見せる。

 日光にきらりと反射するオーパーツテクノロジー漆塗りにオーパーツテクノロジー螺鈿サイクが施されたその箱を見て、エリアマネージャーは退けぞった。

「弁当箱だと⁉︎ 貴様ッ、《パンドラ》を弁当箱に使ってるのか⁉︎」

 声がひっくり返るのも構わず嘆かずにはいられない。

「ああ、これに入れるとなぜか食べ物が傷まないんだ」

 逆に弁当箱以外の何なんだ? と首を傾げるライメイに、ミケはさっきからずっと腹を抱えてくつくつ笑っている。 

 パンドラが何なのか。

 本当のところはエリアマネージャーも知らない。

 というより、誰も知らないだろう。そもそも、噂に聞くだけで誰も実物を見たことがないものの代表として、慣用句的に語られるのが《パンドラ》なのだ。

 とにかく、企業コーポ本部が途方もない資本を犠牲にして手に入れたという情報しかない。

 恐らくは役員でさえも……。

 本物の《パンドラ》を前に、それが本物か断じる術もないままに、エリアマネージャーは冷や汗を流した。

「貴様……ッ、よくもパンドラを……! 弊社の威厳を……ッ‼︎」

「ハッハッハッハ! ザマァねぇな企業コーポさんよぉ!」

「だっ、黙れ産廃が‼︎」

 足下で得意げに喚く星の民に、エリアマネージャーは神経が逆撫でされるのをもはや隠せもしない。

「なぜ、なぜ、クソ……ッ!」

 いや……、こいつにかかずらっている場合ではない。仕事だ。仕事をしなければ。

 密かに網膜インプラントピーピング・トムを起動させてパンドラを掲げるライメイの姿にピントを合わせる。支給品の拡張視野を断ってわざわざアルゴス社のハイエンドモデルを入れたが、この映像だけでも十分元が取れそうだ。取ってもらわなければ困る。せめて情報だけでも献上しなければ。普段なら造作もない動作のはずなのに、やたら視界がブレる。困惑しているのだ。企業コーポ社員の使命である《罪人のライメイ抹殺》と《パンドラ奪還》。殺害対象の裏切り者の《MK229》といった大舞台を前に、怖気付いていないと言えば嘘になる。突如訪れた一打逆転の機を前に、アドレナリンが沸き立っているのが手の痺れでわかる。しかし、それだけではない。恐怖だ。恐怖と焦りが今際の際のように膨れ上がる。決算日だというのに工場建設予定であった土地を失い、本社から与えられた戦闘車両まで失った。この失態を埋めなければならないなんとしても今──! せっかくエリアマネージャーの地位まで登りつめたというのに、その上業務命令まではたせなかったとあれば、降格どころの話ではない。命すら危ういかもしれない。いやそれどころか、それどころか社員名簿から抹消されてしまうかもしれない嫌だ。それだけは絶対に嫌だ。企業コーポの社員で無くなるなど、人でなくなるのと同じだ。こいつら星の民と同じ地位になるのだけは嫌だ‼︎

 目を震わせ、上半身をふいごのようにして呼吸している自分に気づいて唇が勝手に戦慄く。

 せめて、せめてあのライメイたち簒奪者どもの情報だけでも直接上層部へ。

 それなら最悪差し違えてもわたしの名前だけは企業コーポに遺るかもしれないせめて──。

「うわッ⁉︎」

 突如、レンズいっぱいに目玉が映り、次いでピーピング・トムの録画が強制終了される。

 バチン、と反射的に視野を切り替えると、眼下でほくそ笑むMK229の薄い唇が見えた。

「真面目だな? でも、覗き見禁止だ」

 エリアマネージャーは脳が焼けるような感覚を覚えてしばし硬直した。

「悪いことは言わない。……とっとと逃げな」

 同情めいた元社員の声が聴覚域に直接響く。

 逃げる? 何から? お前らから? 星のガキどもからか?

 ……このわたしが?

 録画網膜が強制終了と〈重大な損傷〉のエラーを吐き続ける。

 眩暈のするようなビープ音が脳の中でこだまする。

 ワンフレームだけでも録れていないだろうか。

 もう、なんでもいい。どのみち降格は避けられないのだ。考えるよりも先にデータを送信する。

 考えろ、考えろ、何か、何か企業コーポに貢献を──。

「おーい、企業コーポサンよー」

「ひッ⁉︎」

 ドッ、と汗が吹き出す。

 わたしが、あのガキの声ごときで。

「顔色が悪いぜー? 帰った方がいいんじゃねーかー?」

 眼下でケンだとかいうガキが喚く。

 このガキだ。そうだ、このガキさえいなければ──。

「だっ、だまれ……」

 血が騒ぐ。

 怒りで騰した血が脳を絞めつける感覚が煩わしい。

 頭の中に心臓が移動したみたいだ。

 落ち着け、考えるんだ、考えるんだ、わたしは企業コーポの社員だ。

 わたしは企業コーポの社員だ──。



 なんだ、大したことねぇじゃん。

 もはや退路も失って、沈黙するエリアマネージャーを見てケンは胸のすく思いであった。

 まるで自分こそが神のように振る舞っていた企業コーポのエリアマネージャーが、ライメイたちに次々してやられるところは正直なところ、ちょっと気持ちいい。

 気の毒なくらいうろたえているけど、これまでの自分たちの我慢を考えたら泣いたって釣り合わないくらいだ。

「……でぇ、ライメイさん、あんた本当に、⭐️本物の⭐️《パンドラ》を企業コーポから盗んだってのか……?」

 さすがに嘘だよな? と含みを持たせてケンは問う。

 ソセスシの民にとっても、いや誰にとっても《パンドラ》はそうした代物なのだ。

 手にしたものは望みが叶うだとか逆にあらゆる災いを受けるだとか、まとめサイトのパンドラ関連記事の数を言い出したら枚挙にいとまがない。

「皆、俺がこれを盗んだと言うが……、悪いがそれも心当たりがない。企業コーポのところにあったのを、ただいつの間にか持っていただけだ」やれやれとライメイは肩をすくめた。

 それを盗んだと言うのでは……?

 後方で成り行きを見守っているソセスシ民たちは『強奪』とか『窃盗』とかいう言葉の辞書的な意味を検索し始めている。

「それで……、その……、お弁当箱に……?」恐る恐るケンの父は口にした。

「ああ。ミケがご飯を入れるものが無いと困っていて……、ちょうどよかった。そんなことより」

「そんなことより」親子が揃って繰り返す。

「中身はもっとすごいぞ? これにはご馳走がいっぱい詰まっててな。まだ中を見られていないんだが、なんと中身を想像する時間までご馳走なんだ」

 見るか? とライメイが自慢げな笑い声を上げる。

「もう、ライメイ、せっかくならちゃんと食材がある時のを見せてくれよ」

 もう、とミケがわざとむくれたような声で言う。

 それにライメイが笑って応える。

 丘に集う誰もが呆然とする中、ただただライメイとミケはいつもの調子といった風でいることに、ケンたちはついに堪えきれなくなって、どっと腹を抱えて笑った。

「ホントに企業コーポから盗んだパンドラ・・・・を弁当箱にしてんのかよ!」

「ライメイは盗んでないよ」

「ああ、だが弁当箱にはしている」

 どっ、とまたソセスシの民らは笑う。 

「そりゃ確かに大罪人まれびとだ! 大悪党だ!」

 皆口々に叫んでは手を叩く。

「《弁当箱のパンドラ》! 《大罪人まれびとのライメイ》!」

「ライメイは悪党なんかじゃないよ」

「オレたちの救星主メシア様は大罪人まれびとだァ!」

「飯屋なら俺じゃなくてミケの方だ」

「メシヤじゃなくてメシア・・・だよ!」

「あっはっはっはっはっはっはっ!」


「ンだよ企業コーポも大したことねーな!」

 瞬間、炸裂した爆風に二人を除いた誰もがニヤついたまま硬直した。

「え?」

 頬がヒリつく。

 熱だ、とケンは遅れて気づいた。

 爆風に飛ばされた礫が頬を薄く切り裂いて、つ……、と血玉が顔を舐める。

 痛みより先に、耳鳴り。

 もうもうと立つ土煙と焦げ臭い匂いの向こうから、次第に

「ライメイ‼︎ ライメイ‼︎」

 と悲痛な声が聞こえ、自分は地面にうつ伏せになっていることに気づいた。

 やがて頬に疼痛を感じると同時に、少しではあるが膝と手のひらに擦り傷の痛みを覚える。

 煙の一番濃いところにミケという男が伏せっている。

 そこに立っていたのは自分のような気がする。

 一体何が……? と呆然としていると今度はものすごい力で抱き抱えられ、揺らぐ視界のずっと向こうに光る銃身をこちらに向けた企業コーポの姿が一瞬見えて、ああ、そうか、オレは撃たれたのか、と気づいた。

 でも、撃たれた痛みはない。感じないんじゃなくて、違う、これは、あの人が、ライメイがオレを突き飛ばしたから、オレは撃たれたけど撃たれてなくて、オレの代わりにあの人が──。

 そう理解するまでの果てしない二秒が終わると同時に、鉄砲水のように悲鳴が丘に噴き出した。

「ケン! ケン!」

「父さ……」

 自分を抱く父に何か言おうとするも頭が回らない。

 動かない口と回らない頭で、そうだ、みんな、みんな混乱してる、オレは大丈夫だって、あれ、オレが大丈夫ってことは、あの人は、どうして──。

 とにかくみんな落ち着けって、と変に冷静で言葉を忘れたオレの代わりに、髪を振り乱したエリアマネージャーの絶叫が聞こえた。

「頭に乗るなよ産廃どもがアアアアア‼︎」

 ガチガチガチとエリアマネージャーは怒りに任せて大型の電流パルスライフルの引き金を弾く。

 しかし、今しがた最大出力を撃ってしまったためか何度引いても射出されない。たった数秒。それを待てるほど激情はヤワじゃない。

 じれったそうに大型ライフルを何度もVTOLの操作盤に叩きつけたあと地面に投げ捨てると、今度は胸元から小型の電流パルスライフルを抜き、真っ直ぐケンに向けて引き金を引いた。

「っ!」

 やられる!

 思わずギュッと目を瞑ったその時、暗闇の中で「ゔっ」と潰れた声がして、それがすぐに父だと気づいて目を開く頃には自分の盾として倒れ伏す父が居た。

「父さぁん⁉︎」

 間近で地面が爆ぜる。

 それが数回続くと、また弾切れになったのか、頭上で企業コーポの「ぐううううう‼︎」という獣のような唸り声が聞こえた。

 その隙に丘を転げ落ちるように逃げていく一般人に奴も最初は怒鳴りつけていたが、やがて何かの通知に気付くと途端に冷静になってVTOLごと何処かに飛んで行った。

「父さん! 父さん!」

 地に伏せった父をひっくり返すと胸に焦げた跡がある。

 そっか、電気のパルスライフルだから血は出ないのか、なんて観察する自分がバカで憎くて堪らなかった。

「父さん、父さん! ぐう、うぅっ、うううぅう……っ!」

 呻いて、父を揺することしかできない。

 反応はない。

 息を確認するだとか胸に耳を当てるだとかそんなことはできなかった。

 だってそれをしてしまうと本当に終わりだとわかってしまうから。

「あああ! なんで! なんで!」

 自分のせいだ。

 救星主の力でもう助かったと思い込んでいた。

 自分たちは奇跡に見初められていると思い上がっていた。

 ただ苦労から解放されて笑うみんなの中で一人、オレだけは自分たちを蝕んできた企業コーポを笑い返してやるのが、少し、気持ちよかった。

 きっとそのバチが当たったんだ。

 そのせいで、あの人と、父さんが。

「なんでっ、救星主は強いんじゃないのかよ⁉︎」

 なのに、口を出たのがそんな言葉で幻滅した。

「なんで‼︎」

 動かない父を見るのが怖くて、あの人たちに助けを求めるように目をやると、父と同じように動かない鎧の塊を抱いたミケが面隠し越しに自分をじっ、と覗き込んでいるように見えた。

 自分の眼の、その奥を。

「ひっ」

 思わずぞくりと全身が戦慄いて、呼吸が鋭く喉を刺す。

 それは自分の勘違いだったとすぐに謝りたくなるほど次に聞こえた彼の声は穏やかで、

 笑っていた。

「食べたものが、体を作るんだ」

「……へ?」

 まるで、子どもを寝かしつけるような声音で、石の頭を抱いてミケは口ずさむ。

「食べたものが、力になる」

 阿鼻叫喚の焦土の匂いの中で、彼の周りだけが永遠に切り取られたかのように静かだった。


「ライメイは、力を使いすぎちゃって、お腹がへると、砂糖のお菓子みたいに脆くなっちゃう」


「かわいそうに、かわいそうに、ライメイ」


「かわいそうに、ライメイ」


「なにを……」

 面隠しの奥に白い歯が見えた──刹那、喘鳴のようなVTOLの音が聞こえて、それはエリアマネージャーの襲来に他ならないにも関わらず、たすかった、とケンの中の何かが呟いた。

「どこに逃げても同じだアア‼︎」

 ヒッヒヒヒハハハハハ‼︎

 耳をつんざく笑い声を上げて、エリアマネージャーは空に向けて手を掲げた。

 一体何を、と思った矢先、空の一端が爛れるように捻じ曲がり、瞳孔のような暗闇が生まれるのと一緒にその奥から鈍色の棺めいた船が吐き出される。

 増援だ。

 もはや慌てるのも馬鹿馬鹿しく、ケンも、他の逃げるに逃げられない者らも、ただ呆然とその棺が星に侵入するのを見守った。

 空から現れた鈍色の棺は、今さら重力があったことを思い出したように、しかしそれを無視するようにゆっくりと広大な溜め池の上に降りながら棺の中に押し込めていた自身の体を展開する。

 最初に観音開きのように長方形の蓋が開くと、中から亡者の腕のように奇怪に折れ曲がった細い匍匐茎ランナーが無数に溢れ、それぞれが棺の縁を掴むと今度は中から膿を吐き出すように丁字型の金属の像が起き上がる。丁字の像が直立すると、最初に噴き出した細い腕たちはまるでその一本一本が骨を、筋繊維を真似るように丁字の像に四肢を作った。やがて伽藍堂になるであろう筐体部は、獣の皮を剥ぐように端から裏返しになって、丁字の像の胴ととなった。それが人型だとすると、腹部に当たるところで何かがキラリと輝いた気がする。だがそれはほんの一瞬見えただけで、すぐに見えなくなった。変化が終わり、棺から生まれ出たものが星の要の池に影を落とす。 

 それは金属でできた亡者だった。

 企業コーポが星の開墾や殲滅戦の時に用いたという、顔のない汎用人型搭乗機カタシロ

 かつて溜め池の上に建っていたビルなど爪楊枝にしか思えぬほどの圧迫感。

「ヒ……」

 エリアマネージャーさえも、初めて見るその姿に束の間、怒りを忘れた。

 ライメイとパンドラ。

 その二つに接触した映像と簡単な経緯を本部に送信しただけでこいつが出てきた。

 ほんの一瞬にも満たないピントのブレた一フレームのデータで、これだけのものが。

 ──速やかに星を潰せ、か。

 増援を要請したのは自分だ。

 無論、来ないと踏んでいた。

 ただでさえ厄介な星団に囲まれた星だ。

 武力による制圧に対して得るものが少ないのは今に始まったことでない。

 増援要請など社交辞令的なものだそもそも不良債権同然の星相手に本部が身を削るわけがない。

 しかし結果は予想を遥かに超える。

 なぜ本部がこんな小さな星のために突然ここまでの出資をしたのかわからない。

 あまつさえ、業務命令星を潰せ

 何を恐れてここまで。

 ──なぜ、こんな矮小な星にここまで。

 そのことがさらにエリアマネージャーの腑を煮えくり返させた。

 腹立たしい、どうしてこんな小さな者共に企業我々が必死にならねばならん。

「何が雑煮だ星の味だ所詮逃げ惑うしかできん下賤の輩の臭い飯に何の、何の価値がある」

 腹立たしい、無知で恥知らずな者たちに侮られるのが。

「《パンドラ》を弁当箱にだと……⁉︎ その遺物が下賤が食らう不味い飯をブチ込む箱だと本当に思っているのか? そんなバカにオレは、オレは……ッ」

 腹立たしい、腹立たしいこの下等な下賤の輩共にこのオレがここまで感情を揺さぶられるのが。

企業オレをコケにするのも大概にしろオオッ‼︎」

 ──星を潰せ? 言われなくとも。このオレが、誰よりそれを望んでいる。

「やれッ! カタシロッ‼︎」

 キン、と甲高い音がした。

 鉄筋を釘で叩いたような、あるいは細い細いガラスの糸を爪で弾いたような軽やかな音がして、少し遅れて猛烈な風が星を吹き荒んだ。

 舞い上がる砂塵。

 水面から昇る滝。

 体ごと突き飛ばすような空気の塊を全身で受けて人々は地面に仰向けに倒れた。

「う、うわあぁっ⁉︎」

 カタシロにそれを命じたエリアマネージャーでさえ、その威力に膝から力が抜けるようだった。

 操作は通常の人型兵器の遠隔操作と変わらないと聞いていた。

 溜め池に向かって熱線を命じたつもりだったが、どうやら真逆に伝わったようで、カタシロは空を見上げているように見えた。

 それがわかったのは、空を無数の彗星が流れていったからだ。

 いや、彗星ではない。

 そいつは一哭しただけで、この星の周りを漂う衛星を星屑に変えてみせたのだ。

 我々が感じた突風はただのその光線の余波だ。

 昼中の白い空を火球の群れがびょうびょうと怨嗟のような音を立てながら流れていく。

 それは星の断末魔のようで、臓腑の底から嫌悪感を引き摺り出そうとする。

「終わりだ……」 

 誰かがそう呟くのと、エリアマネージャーが狂い笑うのは同時だった。

「ヒーィッヒヒヒヒヒヒヒ……」

 地に伏せる者など気にも止めず、自らを弾丸のようにしてエリアマネージャーはカタシロを目指した。

 その存在しない頭部玉座に己をすげようとVTOLを最大速で走らせる。

 実際、これだけ遠くに居て、ただの余波でこの通りなのだ。

 このままでは星を滅ぼすのに自分まで巻き込まれてしまう。

 すぐに次の操作を試したかったが、カタシロもまたパルスライフルのように装填に時間がかかるらしい。先程は装填時間が忌々しかったが、圧倒的な支配者となった今、それは何より甘美な時間だった。このまま次の、次の次の朝が来るまで待ってたっていい。焦らせば焦らすほど、あの忌々しい星の民どもが絶望を深めるのだから。

 唇から剥き出しにした歯を異常な高揚感にガチガチ鳴らしながら、エリアマネージャーはマンノウ池上空を、支配者のための特等席を目指した。




「終わりだ……」

 啜り泣く声ももはやわざとらしく感じた。

 ポカン、と口を開けたままの者。

 何度も地面を叩く諦めの悪い者。

 誰でもいいから抱き合い慰め合う者。

 銘々が銘々に命との別れを惜しんでいた。

 ケンは、とうの昔に命と分たれた父の体の隣で、子どものように膝を抱えていた。

 他にできることがないのだ。

 ぼう、と。もしかしたら、そのまま数日そうしていたのかもしれないと錯覚するような混濁した時の渦を彷徨っていると、ふいに、何か食べ物の匂いがして振り向いた。

「ごちそうさまでした」

 どうやら生きていたらしい。

 ミケにもたれるようにして座位を取ったライメイは、あのパンドラ──空の弁当箱を膝に抱えて、丁寧に手を合わせていた。

「ハハ……、こんな時に飯食うのかよ……」

 はは、と息を吐くと、久しぶりに体が呼吸したような気持ちになった。

「腹がへっては戦はできんと言うだろう」

 よし、と弁当箱を片付けて、ライメイが立ち上がる。

 ミケもそれに添うように立ち上がり、二人は何か二言三言交わしたようだった。

「いくさ……?」

企業コーポを倒す」

 それで十分と言うのか。

 ライメイたちは沈黙したままのカタシロに向かって歩き出した。

「は?」

「とは言え、さすがにあのサイズでは少し腹が足りないな……。すまない、少し力を貸してもらえないか」

「……は? いや、ハハ、本気で言ってるのか……?」

「冗談を言っている場合か? なんだ、尻餅をついている割には肝が据わっているな」

 はっはっは、とライメイとミケがのほほんと笑う。

 自分と彼らの温度差が度し難い。

 それじゃあ、とミケはライメイに告げると、何かの準備をしに先へと歩いて行った。

「いや、逃げろよ。逃げろって」

「逃げない」

「逃げればいいだろ! 余所から来たんだろ⁉︎ 本当は救星主でもなんでもなくてただこの星に来てそれで……っ! ッ、なんでオレたちにそこまでするんだよ‼︎」

 もう期待したくなかった。

 許せなかった自分が希望を持つことが。

 結局自分の力では何もできないくせに奇跡を本気で信じて信じて、信じていれば救われると甘えていた自分が。

 自分の大切な人たちが作り上げてきた文化を星の味を奪わせないと叫んだせいで文化どころか星そのものの終焉を招いてしまったことが。

 その後悔も絶望も全て終わらせてくれるならむしろあの異形の支配者たちこそ本当の──。

「……俺はな」

 ライメイの声が静かに降りた。

「俺は、この体になる前の記憶が無いんだ」

「……、え……?」

 顔を見上げても、鎧兜だけで作られたその表情は読み取れない。

 ライメイは、その砂嵐めいた声で、ただ日記を読むように話した。

「目覚めた時にはもうこの体で、一人だった」


「もっと昔はこれじゃない体があった気もするんだが、いかんせん、その記憶がない」


「ただ、ライメイと呼ばれていた気がしたから、そう名乗っている。俺が俺について知っているのはそれだけだ」


「それさえも正しいかどうかわからないが、あいつが俺をライメイと呼び返してくれたから、俺は《ライメイ》になった」


「俺は、俺の正体を知らない」


「それで不自由はないが、だが、俺は俺が何なのか、思い出さなくてはいけない気がするんだ」

 そう言うと、ライメイは遠くで静かに力を集め出したカタシロを見据えた。

「あそこに、俺の記憶の断片がある」

「え?」

「ミケが見つけてくれた。あれの腹に、俺の記憶の欠片が埋まっている」

 徐々に低くなる日差しが、カタシロを腹部を照らす。そういえば、カタシロが起き上がった時、何かキラリと光ったのを思い出した。ほんの、ほんの小さな光だ。

 だから奴を倒す、と言うのだろうか。

 あんな大きな敵を。

 本当に目的のものを持っているかもわからないと言うのに。

「バカじゃねーのか……」

「ああ、それが俺かもしれないな」

 笑った気がした。

「俺は、俺が何だったのか見つけなければならない。そのためにまず、今のこの俺が何なのか、俺が決める必要があると思うんだ」

 ライメイはケンの前にしゃがみ込んだ。

 片膝を立てて、親が子に問うように語りかける。

「俺は過去を持っていない。だから、俺は俺がこれから何をしていくかで俺を決める。俺は俺がしたことを信じる。信じるものに俺がなる。とは言え、名前と同じで、それを信じてくれる者がいなくては味気なくてな。──お前は、俺をキュウセイシュだと言ったな?」

「へ? あ、あぁ、言ったけど……。……でも、それは……」

「なら、それを信じてくれ。俺が何なのか。信じてくれたら、俺は神にでも、罪人にでもなれる」

 ただ真っ暗なライメイの岩窟をケンは覗き込む。

「オレが……? オレなんかで、ほんとうに……?」

 こくりと確かに頷いてくれた。

「お前が信じるものを、俺も信じる。それが俺の力になる」

「っ……!」

 ライメイは立ち上がった。

 くるりと体を翻し、その・・方向を見つめて誓う。

「信じてくれる者がいるかぎり、俺は、何でもできる、何にでもなれる」

 深淵のようなその目の中に、光を宿して。

「信じる心が俺の力だ」

「ライメイ!」

 準備できたぞ! とミケがライメイを呼ぶ。

「ああ、今いく」



________


辺境の星に降り立った汎用人型殲滅機・カタシロ。


その圧倒的な力の前に、星の民の光は潰えたかに思われた。


しかし、暗闇の中に立ち上がる二人の来訪者。


罪人マレビトのライメイ。その相棒・ミケ。


果たして彼らの正体は。そして、星の運命は──。



次回、万世救済メシア飯・第0話#3『光は雷鳴よりはやく』。



「顔上げな。これから始まンのは、お前さんら若い衆が語り継ぐこの星の神話さ」



乞う、ご期待──‼︎



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