第31話 寝室へ、誘いは沙羅から
後頭部に回った手でガッチリとホールドされ、下唇を柔らかく食まれる。いつの間にか舌で唇を割られて、侵入を許していた。
彼の舌がぬるりと沙羅のそれを捕える。
(あ、もしかしてちょっと怒ってる……?)
いい加減社長社長と呼びつづけ、ムードもへったくれもないことに苛立っているのだろうか?
名前で呼ぶのはまだなんだか気が引けるが、もうそんなことを言ってはいられない状態であった。
沙羅は溺れそうだった。
舌を吸われ、呼吸を奪われる。脳髄が痺れるような不思議な心地だった。眩暈がする。沙羅は彼の背に回していた右手で肩にすがりついた。
沙羅の後頭部の地肌を撫でていた彼の指先が、せわしなく掻き抱くように這う。
口腔をまさぐられつづけ、溶け合うようなキスが延々とつづいたが、唐突にそれをレネが終わらせた。
沙羅が彼の背中を小さく叩きながら喉の奥でくぐもったうめきを上げたからである。
二人を唇を繋いでいた唾液がぷつりと切れたが、今にも鼻先が触れ合いそうな距離にあった。沙羅は息を切らして美しいヘーゼルの見上げ、もう何も考えられない状態で息を切らして身体を預けると、大きなてのひらで背を撫でられた。彼は思い出したようにこう付け加えた。
「どうした? 大丈夫か?」
こんな貪り尽くされるようなキスなんてしたことがない。だって今まで、受け身なSubとしか付き合ったことがないのだ。
あまりにも新鮮でどうしていいかわからず、沙羅は黙りこくった。
ひとまず肩を抱かれて元々座っていたソファに腰を下ろした。顔を覗き込まれる。
その目は、彼にしては珍しく、少々不安そうな色をしていた。
「……どうする?」
「大丈夫です」
沙羅は彼の腕を解いて立ち上がった。
「ほら、早く連れてってください」
息もまだ荒いままにそう言って手を差し出すと、レネの手が重なった。1秒前とは違ってすこぶる機嫌の良さげな彼に手を引かれて、リビングを後にする。
「かわいいな」
「……かわいくないですよ」
「いいな、慣れてなさそうだ。そうか、そういうことか」
彼はふふ、と息を漏らして笑った。
「コマンドで黙らせますよ? それともお仕置きされたいですか?」
「どちらも勘弁だな……いや、君になら仕置きされるのも悪くないかもしれない。沙羅の仕置きか……俺は被虐趣味はないんだがなぁ」
うっとりと言われて、沙羅は呆れ返って閉口した。
「全然慣れてないのに、義務感でDomらしく俺をリードしようとするのに全くできていないのがたまらなくいい」
「……感想は聞いてませんが」
義務感と言う言葉が飛び出して内心ぎくりとした。沙羅がDomとしてのリードが苦手なことも、積極性に欠けることも完璧にバレた瞬間であった。
「勝手に述べているだけだ、まあ聞いておけ……俺はSubのくせにDomの言いなりになるのが正直好きじゃない。でも、君は数少ない《Kneel《ニール》》したいと思えるDomだ。だが、プレイではなく男女となると話は別だ。ここからは俺に任せてもらう」
彼は話しながら廊下をためらうことなく進み、ドアを開けた。沙羅は寝室を見てたじろいだ。
「いつもこんな大きいベッドで寝てるんですか?」
「ああ」
寝室にあったのはかなり大きめなベッドにサイドテーブル。部屋の片隅にはソファもあって、リビングのそれよりは小さめだがテレビもある。
余計な小物は全くない、綺麗にまとまっていてモデルルームのような部屋だ。彼の性格を如実に表している、と沙羅は素直に感心した。
「ダブルより大きい……ですよね? 等身大のぬいぐるみとかと添い寝できますね!」
自分だったらビッグサイズのイルカのぬいぐるみとかクマのぬいぐるみとかを置くだろうなと思った沙羅は脳天気に言ってのけた。完璧に空気を読めていないし雰囲気ぶち壊しという自覚が彼女自身あったが、もはや色々考えすぎ、緊張しすぎて空回り気味であった。
「クイーンだ。残念ながら一人で寝てるな」
「もしかして寝相が最悪とかですか?! このサイズじゃないと落ちる!」
「生憎だが、状況から察するにそれはないと思う」
(うーん、やっぱり私より日本語の語彙力ありそうだな……)
沙羅は妙に冷静になり、男を見上げた。
「何を考えてる?」
「言い回しと語彙力がすごいなぁと。あ、お世辞ではなく、心から」
彼は小さく笑みを浮かべた。
「ネイティブにそう言ってもらえるとは光栄だな」
「全くコミュニケーションに難を感じませんから」
育った文化背景も全く異なるだろうに、今のところカルチャーショックを感じさせることもない。よほど彼は日本人はいかなる人間、人種かを学んでいて、自分に合わせてくれているのだろうなと欧米文化に疎い沙羅でも考えるほどに。
彼は沙羅の頬に手を伸ばすと、再び唇を求めてきた。
「んっ……は、」
身体が熱い。息を継ぐために一瞬離れた唇から喘ぎが漏れた。レネは沙羅の唇を散々貪ったのち、もう我慢ならないというような様子で言った。
「ほら、沙羅。先にベッドに。俺をコマンドで呼べ」
「……了解しました」
なんだか妙に恥ずかしくて律儀にそう言えば、彼は苦笑した。
「もっと仕事っぽくなく受け答えしてくれよ」
「……盛り上がったらきっと」
「俺次第ということか?」
「そうですね。レネ、《
待て。そう言って沙羅は彼をその場に残し、ゆっくりまったりとベッドに向かった。先日のどこぞの誰かのように。
彼女は息をこっそり整えながらベッドに腰掛けた。硬すぎず、柔らかすぎない絶妙なスプリングだ。
「いい硬さですね」
「気に入ったなら、今晩寝ていくといい」
「……どうでしょうかね」
「ひどい人だ」
かく言う彼の表情は、コマンドを乞うSubのそれではもはやなく、肉食獣のような気配を漂わせていた。
「心にも思ってなさそうな顔で言わないでください。レネ、《
彼は脱げというコマンドに少々驚いたようだ。まずは呼ばれると思っていたのだろう。一瞬目を見開き、面白いと言わんばかりに笑みを深めてシャツを脱ぎ捨てた。
美しい彫刻のように洗練された細身ながらも引き締まった肉体がそこにあった。
肌が白い。とにかく白い。
日に浴びていない白さだ。
「……《
戸惑いながらもコマンドを発して呼び寄せると、彼は手の届くくらいまで距離を詰めてきた。
以前のように近づきすぎることもない。
美しく割れた腹筋が目の前にあった。脇腹の筋肉がくっきりと斜めのラインを描いており、細いにも関わらずしっかりとした腰回りが目に入った。
視線を上げていくと、陶器のように滑らかな胸筋、くっきりと男らしくも絶妙な曲線を描く鎖骨と男らしくくっきりと浮き出た喉仏が目に入る。
頬には年齢相応のほくろやうすらとわかるしみも見えるが、首から下は本当に陶器のように滑らかな肌だ。美しすぎて目に毒である。
こんなにいい男が自分のコマンドに従ってくれるだなんて。そう考えて沙羅は興奮を隠せなかった。どうしよう、次はどんなコマンドを出せばいいのだろう。
どうしたら、彼はもっと喜んでくれるのだろう。
「ベッドに入るまで焦ったいと妙に興奮するな」
「こんなコマンドの使い方で大丈夫ですか?」
「ああ。Subとしての俺は十分満足している」
裏を返せば、男としての彼は全く満足していないということだろうな。そう沙羅は火照る身体とは裏腹に、妙に冷静になった頭で考えた。
「《
キスをしろと言って見上げれば、彼は迷うことなく唇を重ねてきた。沙羅は耳の横から髪に手を差し込まれ、上から覆いかぶさるようにキスをされ、それをただただ受け入れる。
指先で地肌を撫でられると背がゾクゾクとした。とにかく気持ちいい。
もう、自社の社長とキスをしているだなんて沙羅はとうの昔に忘れ去っていた。
「ん、ふ……」
鼻から抜ける彼女の声は熱を帯びていた。
唇が離れ、名残惜しげに伝う銀糸が途切れると、彼は熱い息を吐きながら言った。
「君も脱がないのか?」
それは問いかけであったが、彼の手が沙羅の衣服に伸びたので、大人しく脱がされることとする。
子供っぽく両手を上げてスポンと脱がされたシャツをレネはベッドの端に放った。
「似合ってるな、ブルーとブラックの下着か」
「下も見ますか?」
先を急ぐ視線に耐えられなくなって沙羅は自ら下も脱ごうとモゾモゾしながらボトムスも脱いだ。上下セットの下着が彼の眼下に晒される。
出張中にレンタカーを飛ばして買いに行った例の下着だ。
(買いに行っといてよかった……)
「下着にやたら興味を示す男が多くてこの国はよくわからないが……」
ウエストに伸ばされた彼の指先が徐々に下がり、下着のレースと肌の境をいやらしくなぞった。沙羅は変な声が出そうになって必死にこらえた。
「君が着ているとプレゼントのラッピングみたいでいいな」
心底面白そうに、そして余裕たっぷりに言われて、沙羅は彼を睨みつけた。
彼は片膝をベッドに乗せて、こちらにぐっと身を寄せてきた。
「ラッピング? そんないいものじゃないですよ……っふ……ちょっとそれくすぐった、や、ちょっと! んぅ……」
腰骨やウエストを彼の長い指先がフェザータッチで這い回り、沙羅がみじろぎすると噛みつくようにキスをされた。
早々に口腔をまさぐられ、舌を吸われ、上顎を舐め回されて沙羅は背を弓形に逸らした。
気がついた、自分はここが弱い。
背に回った手が下着のホックを外して流れるようにベッドの隅に放ると、彼はそのまま沙羅の下半身に手を伸ばし、レースに手をかけた。促された沙羅が腰を上げると、あっという間に脱がされた。
「レネ、《
「どこまで?」
「全部」
満足そうに微笑んだレネは下半身に纏っていたものを全て脱ぎ捨てると、二人の身体はベッドに沈んだ。
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