第26話 社長の部屋、お疲れ様会

「お疲れ様です! 今日はおめでとうございます、デモ機直しましたね!」

「君に言われたとおりに言われた部品を交換しただけだが」

「基盤の設定も変えたのヒガシさんだよね……」


 本社、ショールームにて、沙羅の指示にて電源装置とモーターをレネが取り外し、取り付け、それでも不具合は解消しなかったので、沙羅はメイン基盤を別の機種から外してパソコンに繋ぎ設定を別の機種用に書き換えた。それを沙羅はレネに取り付けさせてみた。

 そして、不具合は復旧した。

 月曜の来客対応に支障はなさそうだ。


「いいんです! 私みたいな下っ端が! 技術が! 普段何やってるかを経営陣の皆さんがわかってくれればいいんです! 乾杯!」


 場所はレネのマンションだった。

 神田駅から歩いてすぐ。残業と後始末を終えてから康貴と二人で彼の部屋に向かった沙羅を、Tシャツ姿の軽装に着替えたレネが出迎えてくれた。

 七階の部屋は、もし賃貸ならば家賃が相当高いだろうなと思う程度には立派だった。


 部屋は広いがシンプル。リビングには大きなソファにテレビがあった。それから、天井に届くほどの本棚。ワインセラーもある。


 ダイニングテーブルの斜めには、シックな木製のデスクがあってデュアルモニターのPCがある。まとまりのある部屋である。


 乾杯はスパークリングワインから。沙羅はここ一年で見たことがないほどの笑顔だった。なぜなら、昼間レネがわざわざ手を動かして作業してくれて心の底から嬉しかったからである。


 結局昼を跨いで彼は作業してくれた。昼食は前々から気になっていた近所のリーズナブルな中華料理屋に行った。もちろん彼は約束したとおり奢ってくれる気満々で、「別にもっと高い店でもいいんだぞ」と言ったのだが、沙羅は別に彼とご飯に行けるのならばどこでもよかったし、彼も意外に町の定食屋のような店が好きなようだったので結果オーライであった。


(生まれ育ちが都会ってわけじゃぁないしなぁ。納得)


 そして、今や彼の部屋で康貴と三人、ドイツ出張お疲れ様打ち上げの真っ最中。酒は問答無用でワイン。近所の魚屋で造ってもらったらしい刺身の盛り合わせ、それから海鮮サラダ。それから、事前に仕込んだ鮎のコンフィを温め直して出してくれるらしい。


 沙羅は何も考えず、先日の秋田出張で買ってきた土産を持って行った。いぶりがっこの入ったチーズディップやタルタルソース、日本酒などである。しかし、出てきたものが豪華すぎ、釣り合わなさに内心うめいた。


 刺身はアオヤギ、ほっき貝、トビウオやカンパチ、イサキ、そしてハモの湯引き。豪華な盛り合わせだ。


 スパークリングワインに合わせるためか、白身魚がメインである。そして、醤油だけでなく塩も小皿に出してある。

 アオヤギを口に運び、沙羅は目を見張った。


「……お刺身美味しすぎません?」

「でしょー? レネと宅飲みするんなら絶対にあの魚屋行くんだ。間違いないもんな」

「間違いないな。吉田鮮魚店。近くに店主の弟が経営している寿司屋もあって、基本毎週金曜か土曜の夜は飲みに行っている」


 毎週。とんでもない常連ではないか。

 ドイツで言っていたように、彼はどうも魚派らしいことが伺えた。


「寿司の吉田って店。美味いよ。一品料理も結構多いから居酒屋みたいに使えるし、握り一貫からオーダー出来ていい……あっごっめーん! レネが元カノにすら内緒にしてた店の名前ヒガシさんに言っちゃった!」


 康貴はワインを片手に饒舌である。わざとらしくもある。沙羅は心の中で突っ込みを入れた。


(杉山さん、いい加減にせい……)


「あんな女思い出したくもない……。なんかのアプリで出会ったSubのおっさんから金もらってプレイしてたとか訳がわからない……しかも複数人。プレイだけとは思えないな……絶対それ以上のことをしてただろ」


 彼の言葉で沙羅は全てを理解した。

 当時の彼女兼ダイナミクスのパートナーがアプリで出会ったSubと金目当てでプレイしていたのだ。下手すれば男女としての行為も。よく聞く話ではある。

 プレイの上手くて美人なDomの女性はかなり需要があるらしい。


 レネのような綺麗なSubと普段プレイどころか、付き合っていたのだからそれ以上のことをしていたのに、金目当てでもそこら辺のSubとプレイできるのか。信じられないと沙羅は言葉を失った。

 Subの男性で彼のような綺麗な男は本当に珍しい。


 どちらかといえば性格も消極的で、見た目もパッとしない男が圧倒的に多い印象がある。


「レネ、病院駆け込んでたよな」

「なんかもらってたら悲惨だろ」

「その様子だと、もらってはいなかったんですね……とはいえそんなDom女性がいるだなんて。そういうアプリの話はまあ、聞きますね。お手当もらってプレイするとかなんだとか……」 


 レネはワインボトルに手を伸ばすと、三人のグラスにそれぞれ注いだ。


「レネってば本当女運悪くてさ。ほんっと、言い寄られてあんまり好きでもない女に押し切られて付き合うのやめろって」

「もうしない、こっちから行く」


 沙羅は思った。親子揃って異性にいいようにもてあそばれている。これはもうある意味才能、遺伝なのではなかろうか。

 誰かまともなDomに保護してもらわないと見た目がよくて金もある身分ゆえ、かなり心配である。


(社長ってやっぱなんか変なとこでSubっぽいな……実際Subなんだけど)


「杉山さんなんだか遊び慣れてそうだから、そういう女性見分けるの得意そうですよね……ね、社長、次の人は付き合う前に杉山さんに紹介してみたらどうです?」

「そうだな、遊び慣れているのは間違いないな」

「二人が思うほど遊んでねぇってば! 俺そんな暇ないってば! ここ一ヶ月一番会ってる女性って、本社勤務の女性除けばなんならヒガシさんだって!」


 ひどいな〜と言いながら、彼は刺身に箸を伸ばした。


「一番会ってるの私ですか。全然嬉しくないですね」


 沙羅の言葉にレネが堪えきれずに笑いだす。

 沙羅も自分で言っていて面白くなり、うつむいて肩を震わせた。


「俺もDomだけど、ヒガシさんもやっぱDomだよね……ドSすぎる」

「私はそんなんじゃないですよ。プレイ上手くないですし。もっとDomっぽくリードしてくれって振られたことありますから」


 あんまりこういう話をするのはなぁと思いつつも口が勝手にペラペラと話し出した。

 向かいのレネの目が驚きに見開かれていた。真っ直ぐ沙羅を見ている。


「は? 君が? 嘘だろ?」

「あ、俺ちょっとタバコ吸ってくる! 二人で話してて! あ、やべ、二本しかないから隣のコンビニで買ってこよ」


(逃げたな……いや、二人にさせようとしてるのか……)


 沙羅はもう康貴のこの手の不思議言動不思議行動には慣れきっていた。


「おい、ヤス! ……逃げたな」


 玄関のドアがガチャンと鳴った。電子音が鳴って鍵がかかる。オートロックの構造なのだ。

 やれやれ、と沙羅はうんざりした様子で酒を口に運んだ。


 今やレネとふたり。

 沙羅は話題に迷ってうつむいた。

 ちょうどボトルのワインも無くなった。レネは沙羅に確認し、今度は白ワインを開けて新しいグラスを三脚持ってきて、自分と沙羅の分に注いだ。

 彼は香りを嗅いでから一口だけ口に含んだ。


「ふたりだからってそんなに緊張しないでくれよ……」

「す、すみません」


 焦ったように沙羅が言えば、彼は困ったように笑ってみせた。


「これじゃあ俺がDomで君がSubみたいじゃないか。俺がSubなんだから無理やりプレイなんてできないし……忘れてくれと言ったが、あの時断ったことを実は気にしているのか?」

「……それは」


 Subは受け身の性だ。Domに対して無理やりプレイなんて到底できない。

 いや、その気になれば権力を振り翳してDomにコマンドを使えというSubがいてもおかしくはないが、それほどアグレッシブなSubなんて聞いたことがない。


 それにダイナミクスを抜きにしても、無理やりどうこうされるだなんてそんな心配をするわけもない。

 目を塞がれてしまえば、目から放たれるGlereグレアを使えなくなるし、口を塞がれてしまえばコマンドも使えなくなる。

 寝込みを襲われたDomの話は聞いたことがある。


 しかし、彼が紳士的な男であることを、沙羅はありあまるほど知っている。

 だから密室だからと、ふたりきりだからと警戒しているわけではないのだ。そう、会話に迷って困っているのである。


「何話せばいいのかなって……そうですね、ちょっと気にしてるのかもしれません。でも私、ダイナミクスのパートナーはやっぱり今いらないので。でも、あの時は本当に体調も良くなったので感謝してます」


 恋人兼パートナーだったら本当に理想の男だ。

 でも、こんな綺麗な男と付き合うだなんて自分には絶対に無理だ。恋人に選ばれるわけがない。沙羅は心の中で項垂れた。


 しかし、沙羅はDomとしてはSランク。上位ランクのDomからのコマンドはやはり一味違うとSubは皆言う。


 だからダイナミクスのパートナーにと望まれているのだろう。

 もし仮にパートナーになって、沙羅とは別にいかにも釣り合う美人な恋人でも彼にできた暁にはきっと耐えられない。


 あまりの自分への自信のなさゆえに、レネが恋愛対象として沙羅を見ているだなんて、沙羅は未だに一ミリどころか一ミクロンたりとも考えていなかった。


「そうか、もう望みはないか。あの時、ふたりが帰ってくるのがもう少し遅ければなと……俺はここのところ、そればかり考える」


 彼は端正な顔に寂しげな笑みを浮かべて、手元のワイン、グリーンがかったレモンイエローの色彩に目を落としながらグラスをくるりと回した。

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