第25話 ショールーム、機械の修理 side Rene

「ここのカバーはこう開けるんです」

「なるほど」


 丸の内、南方精密本社、ショールーム。

 デモンストレーション用の機械が各機種ずらりと並び、大型モニターの前にテーブルと椅子が並ぶプレゼンコーナーや、スクリーンと長テーブルの並ぶ講義室も併設されている。

 休憩コーナーはソファに自販機、それから給茶器は水やお湯だけでなく、茶やスープも出てくる。

 

 今日はレネと沙羅の約束の日だった。沙羅がわざわざ本社まで足を運び、南方精密のスタンダードモデルである測定機の構造を一から説明してくれているのだ。


「ここにモーターがあります。あとここにも。ここのカバーはこのアクセスで開けます」


 沙羅は六角レンチを取り出してネジを緩めると、カバーをするりと開けた。

 モーターがどうつながり、どこを動かすのかを教えてくれた。


「ここです。なのでこれは三軸制御、モーターが三箇所ついている機械です。後は裏に回ります」


 後ろに周り背面パネルを開け、電源ボックスやメイン基盤を見せてくれた。

 今、ショールームは二人きりだった。


(これは最高だな……)


 ダイナミクスのパートナーの申し出に対し思い切り振られたとはいえ、彼女に依然惹かれているレネにとって、仕事で一緒にいられるのは最高の気分であった。しかも、康貴も一緒とはいえ今夜はレネ宅でのドイツ出張お疲れ様打ち上げの日である。

 

 何より、機械を前に語る彼女は彼の目に格好よく映った。


「お疲れさま〜、あ? やってるやってる?」

「杉山さん、お疲れ様です!」


 最高だなと思った瞬間に康貴が現れた。彼ならばまあいいかと思ったレネは、沙羅に先を促した。

 その時だった、別の面々がショールームに何人か入ってきた。


「お疲れ様です、え? 社長!?」


 彼らは驚いた様子でこちらを見た。ああ、これでハッピータイムは終わりだなとレネは心の中で嘆息した。


(どこの部門の面々だ?)


 流石にレネは部長以下の面々の顔までは把握していなかった。

 

「少し技術に機械を教わっている、皆私のことは気にせず仕事をしてくれ」

「はい、皆さんはお気にせずに。杉山さんも聞きます?」

「ああ、自分……も聞いていいかな? 社長、ご一緒しても?」

「構わない、好きにしろ」


 康貴はいつもこうだった。沙羅には早々に心を許したようだが、そうではない第三者がいる場面で、彼は絶対にレネに対して敬語を崩さない。


 沙羅は突然態度を変えた康貴に一瞬驚いたように反応したが、さっと思考を切り替えたのか、レネに向かって小声でこっそりと言った。


「あちらの面々は、機械検討している顧客に機械を見せる、つまりデモンストレーションをする面々です。営業のサポート、アプリケーション課、小山課長と北島君です」

「恩に着る」


 レネも小声で言えば、沙羅は口元だけで微笑んだ。


「そんな日本語、どこで勉強したんです?」

「時代小説の読みすぎ」


 康貴が小声で耳打ちした。レネはムッとして康貴を睨んだ。康貴はレネの方を見て挑発するようにこっそりと舌を出した。

 この男は何をしているんだと沙羅が呆れたような目を康貴に向けていた。

 

「それは置いておいて、本題に戻りましょう。杉山さん、ここに三つモーターがありまして……」


 沙羅の講義が30分近く続いた時だ。アプリケーション課の操作している機械で、何かの警告音が聞こえた。

 沙羅が顔を上げた。


「ご臨終の音が……センサー、ぶつけましたね?」

「あ、音止まったね」

「また鳴っているな……」


一度止まったブザーはまたすぐに鳴り続け、沙羅が見にいった。レネと康貴はそれにノコノコくっついて行った。沙羅は機械を触っていたアプリケーション課の若い男、北島に声をかけた。


「センサー、ダメみたいですね。診ましょうか?」

「来週の月曜日に顧客が見に来るんです……プログラムを起動したら、予期せぬ動きをして衝突してしまって」

「暴走……ですか? 月曜使うのがこの機械だけなら他の不備を確認して、他の機械からセンサーを移植しましょう。本社に予備はないはずですので。ちょっと貸してください」


 沙羅はてきぱきと場所を変わった、他にも不具合がないか確認しているようだ。駆動部に手を置いて、機械を動かしている。

 北島は明らかに顔面蒼白である。


(俺の前でやらかしたと思っているな……)


「これ、そもそもモーターに振動出てますね……さっき私たちが触ってたものとモーターの型番は一緒です。まずモーター移植……電源不備の可能性もありますね。課長、他の機械から取り急ぎ部品取って稼働確認します。よろしいでしょうか?」


 沙羅はその場にいた課長の小山に確認した。


「もちろん。君がいて助かる。すみません社長……」

「構わない。ちょうどよかったな、彼女に診てもらおう」


 沙羅は真っ直ぐレネを見上げてきた。


「おそらく北島君がやらかしたのではなく、モーター、電源、もしくは制御基盤に不具合が出ていてプログラムを動かして暴走、衝突したんでしょう」

「すみません、モーターの振動に気づけず」


 北島の謝罪に「これは仕方ない、気づけませんよ」と沙羅が言った。


「社長、手を貸していただけますか?」

「手?」


 沙羅がレネの手首を引っ掴んだ。なんだとレネが動揺していると、それを機械に押し当てた。彼女は右手で制御板のノブを操作した。


「動かしますよ? わかりますか、この振動」


 確かに、とレネは鷹揚に頷いた。


「これはここの擦れ合ってる部分、摺動面に何らかの異物が挟まったり、モーターと軸のジョイント部分の締め付けすぎによるものではないでしょう。理由は……まず、緊急停止ボタンを押しますね。まだ手はそのままで」


 沙羅は緊急停止ボタンを押したのち、機械を両手で掴むと力を込め、手でそこの駆動部を動かしてみせた。

 緊急停止ボタンとは、非常時、モーターへの電源供給を止めるために押すボタンである。たとえば間違えた動作を機械に指示してしまったなどの緊急事態に使用するものだ。


「ほら、手で動かすとこの軸はとても滑らかです。モーターの不具合、もしくは電源装置からの過電流、もしくはメイン基盤の不具合による異常信号による暴走かと。もう一度、電動で動かしますね」


 沙羅は緊急停止を解除すると、また操作板に手を伸ばして電動で動かした。


「手で触れれば先ほどの通りわかりやすいですが、これだけの振動の割に異音はあまり聞こえません……気づかないのも無理はありませんよ。さて、月曜日の来客に備えましょう。すみませんが社長、機械の説明は中断で」

「もちろんだ。だが、見ていてもいいか? 今日は君と過ごそうと一日空けているんだ」


 沙羅の修理を見てみたいと思ったレネは、間髪入れずにそう言った。すると康貴の一声が鋭く飛んできた。


「社長、は、かんっっっぺきにデート相手に言うセリフですよ今すぐ訂正を」

「……すまん、そんなつもりではなかった。今日は君に一日技術の仕事を教わろうと思っていた」


 なおも康貴はつづけた。


「ちょっと何年日本にいるんです? いい加減にしてくださいよ」

「悪い」


 アプリケーションのふたりを見れば呆気に取られたような顔をしていた。これはちょうどいいかもしれないとレネは思った。自社の社長がたまたま立ち会っていただけ。些細なミスであまり自分達を責められては困るのだ。

 だが、さすがに言葉を間違えた。彼は今更やらかしを自覚した。


 レネは沙羅、誤解していないよな、と恐る恐る彼女に目を向けた。これほど女性相手に弱気になるだなんて、彼の人生で初の出来事である。

 彼女は心底面白そうに言った。


「今日も仲良しですね! 私は気にもしてないので、はいさてちゃっちゃとやりましょう。社長もやってみません?」


 彼女はこちらに向けて挑戦的な笑みを浮かべてきた。


(母親とそっくりだな……)


「私を誰だと思っている? 工具をよこせ、やってやる」

「では早速機械を落として、電源装置を外しましょう。機種こそ違いますが、カバーの外し方はさっきやった通りです。まさか……覚えてますよね? はい六角をどうぞ」


 レネは内心笑いを噛み殺しながら工具を受け取った。


 アプリケーション課の二人は未だ、呆気に取られたままであった。

 沙羅は彼らを「作業終わったら内線かけるので!」とオフィスに追い返していた。


「これでやりやすいですね!」

「君は環境を作るのが上手いな」

「だってなんか社長、自分いなきゃよかったなって顔してましたし。大変ですね、偉い人とかトップの人って。さっきのもわざとですよね」


 さっきのとは、先ほどのセクハラ疑惑の発言のことだろう。レネは涼しげな表情で答えた。


「まあな……」

「嘘つけよ」


 康貴の突っ込みをレネは無視した。


「あ、部品倉庫から送ってもらうようにお願いしないと。私、月曜もきっと本社出です」


 確かに、部品を取り外した機械を復旧させねばならない。では彼女と月曜も会えるのか。

 レネのテンションは素直に爆上がりした。

 月曜、ショールームを訪れる理由なんてものはない、でも同じビルにいる。

 それだけで、彼は初恋を知ったばかりの少年のように幸福であった。


 まずは電源を交換してみましょう、次にモーター、それでダメなら基盤。沙羅の提案に鷹揚に頷きながらレネはワイシャツを腕まくりをした。 

 




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