第18話 社長の実家、クウォーター

「沙羅、ルイボスティーはいかが? 飲める?」

「はい、ありがとうございます!」


 荷物を客室に放り込んで、レネと康貴は車に乗って食料調達に行った。沙羅はバスルームなどの場所を教えてもらった後に、ダイニングの椅子に腰を下ろした。

 少し大きめのスリッパがちょっとばかり落ち着かない。


「すごい……」


 大型テレビの周りは一面の本棚。本棚に収まっているのは一面日本の少年漫画である。テレビ台の中には見知ったゲーム機ももちろんある。


(なるほど……そりゃ日本語もできるようになるかも)


 すぐそばのサイドボードに写真立てがあり、沙羅は吸い寄せられるように立ち上がった。


(んんん?)


 あれ? と手に取る。

 写真立てに入った二枚の写真が目に入った。一枚はレネとアナのツーショットだ。レネは今より少し若そうに見えた。

 しかし、目を引いたのは彼の髪の色。

 少しアッシュっぽいくすんだブロンドをしていた。


(金髪だ……)


 それからもう一枚の写真は子供の頃のものだ。真ん中にプラチナブロンドの少年がいた。5歳くらいだ。隣にアナがいて、それから他に中年以降の大人たちの姿がある。

 どう考えてもレネだろう。


(かわいい……天使みたいだ)


 その時、台所からポットを持ったアナが戻ってきた。


「ああ、その写真? その頃は本当にプラチナブロンドだったんだけど、その隣の写真みたいに大人になってからはもうちょっとダークカラーだから違和感あるかも」

「ちょっとびっくりしました」

「あ、そっか、今は染めてるからダークブラウンだし、違和感しかないか。はい、お茶。熱いから気をつけて」

「ありがとうございます!」


 彼女はおしゃれなティーカップに茶を注いでくれた。


(社長、髪染めてるのか……こんなに自然な感じの金髪なのに!)


 いかにもなブロンドよりも自然な色味で好ましい。寒色系のダークな色味は沙羅好みだった。もったいないと沙羅は思わざるを得なかった。


「そっか、社長、染めてたんですね」

「あれは健二への当てつけ。昔、ハーフでブロンドが生まれるわけがないってあの男は騒いでた。でも健二も内緒にしてたけど、あの人の父親はアメリカ人。在日米軍らしいのね。生粋のアジア人じゃないから金髪も生まれるよね〜。あとそうそう、あんまり染めるとハゲるって言ったんだけどレネはやめない」


 アナはそう息もつかずに捲し立てて笑っている。健二とは会長のことだ。彼の名が出てくるとは全く思わず、沙羅は心のうちで動揺しきりであった。

 そして気がついた。彼がハーフと言うにはあまりにもアジアの要素をあまり外見に有していないことを。


「じゃあ社長は……息子さんは1/4日本のクオーターなんですね?」

「そうそう。健二は未だに父親がアメリカ人なことを公表してない。母親が妊娠して父親は任期が終わってアメリカに逃げ帰ったらしいから。でも、自分の母親が大変だったのにそれと同じことを自分がするかなーって思うよね。で、レネはあの通り怒って何か企んでる」


 確かに会長も掘りの深いダンディな男なので、言われるまで気づかなかったがハーフと言われて納得だ。正直勝手に沖縄あたりがルーツなのかと思っていた沙羅であった。

 いやしかし、情報をまとめると会長である健二の父親は当時在日米兵。そして彼の母親は妊娠して捨てられたようだ。父親は任期を終えてアメリカへ。

 彼自身、南方一族だったので金には困らなかっただろうが、母子家庭で苦労することもあっただろうに、同じことを自分がするだなんて信じられない。


(会長本当にどクズすぎる……)


 沙羅はこんなこと聞いてよかったのかと動揺しながら湯気が立ち上るカップに手を伸ばした。


「そうだったんですね……いただきます……」

「これも食べてね」


 バー状のチョコレートをもらって、ありがたくそれを口にした。でもさほど食欲はない。

 やはりあまり調子が良くない。途中規定上限である倍量を飲み続けていたため、そろそろ抑制剤がなくなりそうなのだが出張旅程が伸びて困ったものだ。

 同じDomである康貴が抑制剤を持っていないか聞いてみようと思った。


「急に泊まりだなんてありがとうございます。お手伝いとかすることあれば言ってください」

「いいのいいの〜、あなたはお客さま。私も困ったときはいろんな日本人に助けてもらったから。明日はGrillenグリレン……なんて言えばいいんだろう、ドイツ風バーベキュー? を近所の人とするから、よかったら参加して。あの二人の幼馴染と一緒だから気楽にね」


 せっかくなので参加させてもらうことにする、少々、体調が保つか心配ではあるが。


 茶を飲んで一息ついたのち、アナは「野郎どもを追い出してる今のうちにシャワーはどう?」と勧めてくれた。色々目まぐるしくて変な汗をかいていたのでありがたくそうさせてもらう。


 洗濯物もあれば洗って乾燥まですると言ってくれたので、まずは洗濯機に服を放り込んでからシャワーを浴びさせてもらった。


(なんかもう化粧とかどうでもいいや……)


 アナはほぼ化粧っけがなく、この場で自分だけばっちりというのも何か変だ。

 シャワーを終え、髪を乾かしテレビで言語はわからないながらもフランクフルト周辺の大規模停電のニュースを見る。アナ曰く、変電所の不具合らしい。

 しばらくしてレネと康貴が帰ってきた。


「戻りましたー! あ、ヒガシさん、馴染んでるね!」

「お風呂先にいただきました」


 食材をしまおうとしている二人の手伝いをしようとしたが、レネにソファに座ってろと言われて渋々従う。

 

「沙羅はゆっくりしてろ。もう君の仕事は終わりだ」

「そうそう、ここは慣れてる俺たちに任せてよ」

「私も沙羅はお客さまだって言ったんだけどね。本当に真面目」


 三人にそう言われたら黙るしかない。


「私はカーラにご飯あげに行くけど、ヤスも来る?」

「さっき叔父さんに電話して確認しました! 一緒に行きます!」


 アナと康貴は康貴の叔父、エルンストの家の猫にご飯をあげに行くらしい。二人を見送って、リビングにはレネと沙羅の二人となった。


「ここにいなくても、客間で休んでいてもいいぞ。夕飯までまだ時間もある。まだ5時だけど、俺もさっさとシャワー浴びとくかな」


 確かに調子は良くないので、彼の言葉はありがたかった。沙羅が腰を上げて2階の客間へ向かおうとすると、レネも自室に戻ると腰を上げた。


「本当に、手伝いとかいらないからゆっくりしていけばいい。うちの母親もネイティブと日本語が話せて嬉しいはず」

「それならいいんですが、でも申し訳ないです」

「俺やヤスに比べたら君の疲労は計り知れない」


 階段を登り切った時だ。不意に視界が揺れた。膝ががくりと折れる。


(やっば!)


「どうした?」


 咄嗟にレネが支えてくれた。

 彼はきっちりと手をとって客間までエスコートしてくれて、沙羅は客間のソファに腰を落ち着けた。


「大丈夫か? 確かにあまり調子が良くなさそうだったが……」


 沙羅は心配そうな目でこちらを見下ろしているレネを見上げる。


「すみません……」

「いや、どこが悪い? 薬がいるか? 痛み止めとか? ああ、俺に言いにくければうちの母にでも」

 

 はしばみ色、別名ヘーゼル色の目を向けられて、沙羅は少々戸惑った。


(うーんこれは、生理だとか思われてるんじゃ?)


 そんな気がする。でも違うのだ、これは完璧にダイナミクスの不調である。

 それをわかりきっている沙羅は淡々と述べた。


「杉山さんが戻ってきたらちょっと相談してみます」

「ヤス?」


 彼は眉間に皺を寄せ、怪訝そうに言った。ああ、これはきっと理解していないだろうなと沙羅は思って目を逸らしつつ口を開いた。


「Domの抑制剤を……杉山さん、きっと持ってるだろうなと。多めに持ってきたんですが、ほとんど切らしてしまって」

「そういうことか……ダイナミクスのストレスだな? だったら俺とプレイすればいい。俺はSubだ」

「……ですがそれは」


 沙羅は目を泳がせた。やはりレネはSubだったのだ。普通、社長をするような表に立つ人物はDomであることが多い。

 彼は、相当覚悟して教えてくれたに違いない。


 大企業のトップやアスリートなどがSubだとバレると、陰で何やら言われるらしいし、皆の印象もよくない。DomとSubに優越はないが、彼らは受け身の性だからである。


「君が嫌ならもちろん拒否していい。だが、この辺で日本語が通じるSubなんて、俺か俺の母親しかいない」


 ダイナミクスは男女の性別とは別に重要視される。沙羅も女性のSubとプレイしたことはもちろんゼロではない。でも、やはり可能ならばそれなりに気心知れた男性がいい。 

  

 これ以上迷惑はかけられないのではないか。沙羅は迷いつつも重々しく頷いた。

 すると、彼は晴れやかなまでの笑顔を浮かべた。


「沙羅がどんなコマンドを使うか楽しみだな」  


 そう言うと、部屋の入り口、ドアのところまで身を翻して壁に少しもたれかかりこちらを見た。

 その立ち姿があまりにもさまになっていた。


「いいぞ、始めるといい」 

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