第17話 再びのエアフルト、社長の母親

「まーた遅れてやがる」

ICEイーツェーエー、本当に遅れるのがデフォなんですね」

「ついに沙羅にまでドイツの電車がポンコツなことを覚えられてしまったか……」


 康貴の嘆きに沙羅がため息を吐き、レネが肩をすくめた。


 フランクフルトへの移動日である。朝食は軽めにし、少し観光したのち、ランチはゲーテのファウストにも登場する有名店、アウアー・バッカスケラーへ。


 ここは地下にある暗めで中世っぽい雰囲気の店で、沙羅はイノシシのローストを食べた。ローストと言っても焼いてから蒸し煮のようにするのがドイツ流だそうで、これがまた、見た目は茶色っぽくて後から写真を見ると微妙なのだが、柔らかく絶品であった。


 そして駅に戻ってのできごとであった。45分後に到着した列車に乗り込む。

レネは座席に腰を下ろしながら言った。


「このまま何事もなくフランクフルトにつけばいいな」

「明日明後日は電車も止まるみたいですしね……今日のうちにつかないと」

「やめてよー、日本には言霊ってのがあるんだからそんなこと言ってたらやばいってば!」


 そして康貴の言う通りになった。またエアフルトの手前で止まったのだ。


「これ何だ? 俺の実家に帰れってことか?」

「社長、これを機に親孝行した方がいいのでは? きっと天のお告げですよ」

「え、本当に困る。マジでやめて! 俺の仕事増やさないで!!」


 頬杖をつきながらぼけっと窓の外に視線を向けているレネ、もう何もかも諦めて同じく外を眺めている沙羅、一人で喚いている康貴。


 そしてドイツ語の放送が始まって、レネが眉間に皺を寄せてドイツ語で何事か言い捨てた。絶対いい言葉ではないと沙羅は謎の確信が持てた。

 それにしても、顔のいい男が吐き捨てる悪態は垂涎ものである。内容がわかればいいのに、と心から思った。


「沿線火災だ。今日中の復旧は無理かもしれない……いや、無理だな。諦めろ沙羅」

「あーこれはScheißeシャイセだねーわかるよレネ、Scheißeシャイセだー。すぐ降ろしてくれるかなぁ? ……あ、降ろしてくれるって。降りよう! ヒガシさん安心して、この街は俺らのホームだから! あ、Scheißeシャイセってクソって意味だからヒガシさんは覚えなくていいよ! レネはたまにしか言わないけど大概のドイツ人はしょっちゅう言う!」


 康貴は嵐のようにそう言うとテキパキと荷物をまとめ始めた。残念ながら四回も聞かされたので覚えてしまった沙羅がいた。

 そうか、レネはクソなんて吐き捨てていたのか。たまにしか発動しないなら悪くない。


 続いて英語の放送が始まった。ここで降りろと言っている。そこで沙羅は決心がついた。そうか、またこの駅で降りるのかと沙羅は重い腰を上げた。


 ホームに出て、清々しい空気を胸いっぱい吸い込んだ。日本と違い少しひんやりしている。

 なおも康貴がごちゃごちゃわめいていた。


「こりゃ復旧は無理だなぁ。もう嫌だぁ!」

「駅構内に入ろう……沙羅、荷物持とうか?」


 自分で持つと言ったが、レネに半ば強引にスーツケースを奪われた。確かにあまり体調もよくないのでありがたい。


「ドイツってこういう時の電車賃の払い戻しとかってどうするんですか?」

「後日窓口行ったら……多分やってくれる。多分」


 力なく康貴が言った。そんな康貴にレネが言葉を発した。


「今はアプリから返金の手続きができるはずだ」

「え! まじで! やってみる!」

「まあ、返金されるのは早くとも三ヶ月後あたりだろうがな」


 期待しないほうがいいやつだな、と散々な目に遭わされていた沙羅は思った。

 さて、どうするか。ホームから構内へと移動する。日本と違い改札もないのでただ移動するだけだ。

 この国でチケットは電車内で確認されるシステムなのだ。電車へはなんのゲートもなく乗れて、係員が巡回に来る。その時にチケットがなければ……ということだ。


 沙羅は物珍しそうに辺りを見回した。駅構内に店が色々と連なっている。そこそこ大きな駅なようだ。


(ど田舎とか言ってたけど、結構栄えてそうだなぁ)


「どうすっか、そこら辺のホテル取る?」

「そうだなぁ……俺は実家に帰ればいいが。とりあえずフランクフルトの宿はキャンセルだな」

「俺キャンセル電話するわ」

「頼んだ」


 もう男性陣に任せよう。沙羅はベンチにへたり込む。だって自分の仕事はもう終えたのだから、あとはもうなるようになるだけである。


「沙羅、君すごいな。順調なのは行きの飛行機だけか?」

「言わないでくださいぃぃぃ!」

「普通はこんなに色々起こらない」

「知ってますよぉぉぉぉ!!!!」


 泣きたい。ドイツ、英語もまあまあ通じるし、結構いい国だと思うが予想外ハプニングが多すぎる。


「あれ? 電話通じないなぁ……」


 ホテルに電話をかけている康貴が首を傾げた。その時、レネのスマートフォンが鳴った。


「あ、電話だ。うちの母親から」


 そう言ってレネは電話に出た。


「なんだろう、全然電話かからない。おかしいだろ」


 康貴も諦めたように隣に腰を下ろした。電話中のレネが驚いたような声を出した。


「……Bitte wasビッテ ヴァス?! echtエヒト?」

「何? マジで!? って言ってる」

「うわぁ、やばい予感」

 

 康貴の通訳を聞いた沙羅が口元を引き攣らせる。


「は? 大規模停電?」


 康貴が声を上げた。レネ電話しながらこちらを見て頷いている。彼はしばらく話した後に電話を切った。


「フランクフルト、変電所トラブルで大規模停電だ。ホテルの予約がなんだとかいう問題じゃない。ついでにエアフルトのホテルもよく知らんがなんかなんとかとかいうアーティストがそこのメッセでコンサートするから空いてないだろうって」

「「え?」」


 沙羅と康貴の声が重なった。


「で、心配して電話くれたみたいだ。二人もまとめて家に来いって」

「アナさんが?」

「そう」

「アナさんって誰ですか?」


 一人状況が読めていない沙羅が半分混乱しながら言った。


「俺の母親」

「社長のご実家に?」

「そう、ホームステイだな。喜べ沙羅」

「は? ぜんっぜん嬉しくないんですけど! なんですかそれ!?」


 馬鹿でかい声を出した謎のアジア人に道ゆく人々が振り向いた。沙羅は慌てて口をつぐんだ。

 一方の康貴はスマートフォンをポケットから取り出した。


「俺はおじさんちに電話してみるよ……」

「ヤス、お前も道連れだ。エルンストのとこは一家でキャンプ行ってるらしい。猫の面倒を見てくれと頼まれたと」

「さすがアナさん、タイミングもすごいしシゴデキ女だな〜」


 何が何だかわからない沙羅は目を回しかけていた。

 それを見かねた康貴が懇切丁寧に説明してくれた。

 まず、エルンストというのは康貴の叔父である。レネの母親の家のすぐそばに住んでいるらしい。

 康貴の叔父一家はいつでも来客ウェルカムな面々であるが、残念なことに今キャンプに行っていて、その間叔父の家の飼い猫はレネの母親、アナが面倒をみているとのことだ。

 そして、レネの母親、アナもいつでも来客ウェルカム、明日はバーベキューするからみんなでワイワイしよう、家に泊まるといい。そうノリノリらしい。


(ドイツ人ってなんか距離感おかしいでしょ……普通知らない人家に泊める?)


 アナにとっては康貴は親戚の男の子も同然だし、沙羅のこともレネが「歳が近くて仲のいい女性社員、週末は一緒に出かけた」とか勝手に言っていたものだから「いい関係なんだろう」と勘繰って生じた事故なのだが、沙羅は全くもってそれに気づいていない。


 かくして、すぐに迎えが来た。艶やかな真紅のゴツいトヨタの超大型SUVから降りてきたのは、噂通り金髪の美女だった。

 サングラスを外して見えた瞳は美しいアイスブルー。


(うっわ本当に金髪だ!)


 170センチくらいありそうなスレンダーな女性だった。レネの母親なのだから確実に50は超えているだろうに、それを感じさせないパワフルな女性だ。

 レネとハグした後、康貴とハグしてこちらを見た。


「日本語で大丈夫。アナと呼んで。よろしく」

「沙羅です、よろしくお願いします」


 挨拶をしている間にレネが慣れたようにトランクを開け、荷物を入れている。それから彼はアナからキーを受け取って、助手席のドアを開けた。


「沙羅、せっかくだから前に乗れ」

「失礼しますっ」


 車高の高い助手席に飛び乗った。後部座席に康貴とアナが乗った。

 沙羅は慣れない車でもたもたシートベルトに手を伸ばした。


「ヤス、なんだかやつれた? レネが迷惑かけてるでしょ」

「ええ、お宅の息子さんのお守りで疲労困憊っすよ」

「おいヤス、ふざけるな。沙羅、シートベルトできたか?」

「締めました! 出してください!」

「本当に何が起こってるのか意味がわからない……」


 レネはぶつくさ言いながら、サイドブレーキをDに入れた。

 沙羅は印象的なレンガづくりのエアフルト中央駅がどんどん離れていくさまを助手席から眺めた。 


 

  

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